通信

スコール 2003.11.01

Cafe にて。

アジアを旅していると、
よくスコールに遭遇します。

蒸し暑い街の中を歩き回っている時、
ローカルな列車に乗って、流れ行く車窓の
風景に見入っている時、あるいはホテルの部屋で
ゆっくりとくつろいでいる時なんかに、
それは突然やってきます。

さっと掻き曇った空から、まさに
バケツをひっくり返したような雨が、
どおおおおお!と、降ってくるのです。

地元の人々で賑わう市場のトタン屋根の下や
雨宿りに逃げ込んだカフェなどで、
なすすべもなく、ただぼおっと窓の外のスコールを
眺めながら、誰に書くでもない手紙のような文章を
書いたりして時間を潰すのも、一興です。

カメラと手帳と珈琲だけを友としながら
アジアをさすらう日々もまた、なかなか
心楽しいものなのです。



世界を旅するとんぼ玉 2003.10.25

車窓より。

最初に「とんぼ玉」という言葉を耳にしたとき、何とも言えず懐かしいような、不思議な気持ちになったことを、今でも覚えています。


「江戸時代」や「びいどろ」など、独特の風情を感じさせる言葉があります。「とんぼ玉」は、私にとってそうした懐かしい感じのする「言葉」の一つだったのです。世界中の貿易商が捜し求め自国に持ち帰ったとんぼ玉は、はるか昔から世界中を旅してきたのです。想像するだけでなんだかワクワクして、楽しくなってきませんか?

「小さなガラスの玉に変幻自在の色文様を施したトンボ玉は魔性ともいうべき魅力を持ち、神秘の小宇宙を現出する。古代エジプトの昔から各時代各地で作られ続けてきたトンボ玉は、それを求める人々のもとへ旅をした。」 

 トンボ玉/由水常雄 平凡社カラー新書 裏表紙の文章より


こんなフレーズを目にすると、とてつもなく壮大なロマンを感じてしまい、旅に出たくてウズウズしてしまいます。
そんな私は、もしかすると「とんぼ玉」に恋する以上に、「旅」に恋焦がれているのかもしれません。

また近いうちにアジア方面へ、素敵なトンボ玉を探す旅に出たいと思っています。


トンボ玉雑考 2003.2.23

参考書

トンボ玉

由水常雄著
平凡社
絶版


トンボ玉とはガラスで作った人工宝石のことである。
由水先生の絶版になってしまった「トンボ玉」という本がありますが、その本からはそういう意味のことが読み取れます。
はるか昔にすでに宝石に価値が見出されていました。
きれいで貴重ではあるものの、天然物の宝石はバリエーションが限られています。
人間の手で望みの宝石を作リ出すことができないか?という欲望がトンボ玉発祥の理由でもあるようです。
確かにきれいなものは皆がほしがるでしょうし、皆が欲しがることできっと価値も上がってゆくのでしょう。
現代では、ただのガラス玉じゃないかとも考えられないではありませんが、その昔、ガラス細工は最先端技術でした。
今でいう、半導体開発のようなものです。多分。

ガラス玉作りは、ちょっとやそっとでは真似ができないようです。
実際、現代もトンボ玉玉作りは手作業で、それなりの玉を作るには相当な技術・設備が必要なようです。
はるか昔に作られたトンボ玉も技術的に再現できないものが結構あるといいます。
東急ハンズでトンボ玉作成キットなるものが売っているようですが、単純な玉作りでもなかなか難しいとのことです。

さて、トンボ玉はその価値によって貿易における貨幣の役を果たすのですが、
文明に閉ざされた多くの人々がトンボ玉以外には興味を示さなかったというのもなんとなく理解できる笑える話です。。
きれいだから欲しいという単純な理由がやはり一番強力なようです。

アジアをぶらついていると骨董トンボ玉を見ることがけっこうあります。
イスラム圏から出たというものも結構多いみたいです。
トンボ玉はガラスである。という定義?に反して、こりゃ石じゃないか?というものも結構あります。
確かに模様や形など興味のあるものもありますが、本物かどうかは検査してもわからないでしょう。
4000年前だとか3000年前だとか、疑いたくなる数字がポンポン出てきます。
じゃあ、それは「グラス・ビーズ(英語でトンボ玉のこと)」じゃないんじゃない?
だんだん「天然宝石」と「グラス・ビーズ」の違いも不明瞭になってきます。
そもそも、骨董トンボ玉って盗掘されたものも多いんじゃないでしょうか。ちょっと気持ち悪いかも。

話は骨董物になってしまいましたが、ここではリスクが高くて扱えません。(骨董免許も要るのかな?)
あじあっ子倶楽部は、安全な現代トンボ玉を収集しています(笑)。