機内での出来事 -2007.06.02記載 -2007.10.07Up

 飛行機で移動中の出来事を紹介しよう。普通は寝ているうちに着いてしまうというパターンが多いのだが、たま〜にちょっとしたことがあったりする。ボクには、印象深い2件を紹介しよう。特に最初の一件は以前から是非記録として残しておきたいと思っていた一件である。

1.機内食トラブル

 飛行機に乗ったからといって普段は特に記憶に残るようなことがある訳ではない。しかし、ボクは飛行機に乗ると必ず思い出すことがある。。。それは、特に印象に残っていて忘れられない以下の事件(?)である。

 それは1999年10月のことだ。仕事でヨーロッパに行った。先ずはイギリス(ウェールズのカーディフとロンドン近郊のオックスフォード)へ、それからフィンランド(ツールク)へ飛んだ。仕事を終え、帰りはツールクからヘルシンキ、アムステルダムを経由して、最後はJALで帰国した。

 本題に入る前に、ちょっと脱線して、それまでのエピソードを紹介する。

  • イギリスの飯は不味い不味いと聞いていたので、覚悟して行ったが、それほど不味いとは思わなかった。少なくともアメリカよりは良いと思った。但し、どこでも塩っ辛くて旨みがあるというものではなかった。ベーコンが塩辛すぎて一切れ食べきれなかったぐらいだ。
  • レストランでのオーダーは、ボクは冒険派だが、同僚は無難派だ。カーディフの素晴らしいホテルのレストランで、無難派の彼がオーダーした牛肉のステーキは、すごい臭くて彼は食べられなかった(笑)。。
  • ロンドンでは生牡蠣をたべようと、ガイドブックにあったお店に行ったら、ノーネクタイはダメと断られた。オイスターバーでネクタイしなけりゃいけないのかい!!
  • ロンドンからフィンランドへは、スエーデンのストックホルム乗り換えだった。ロンドンでチェックインの際、手荷物が重量オーバーでダメといわれ、じゃあしょうがないと預けたら、コンピューターが不調でツールクまで通しで登録できないからストックホルムで一度受け取ってくれとなってしまった。ひどいぜ!。おかげでスウェーデンに入国することになったが、繋ぎの便の乗り場を間違えて、危うく乗り遅れそうになって大汗をかいた。
  • フィンランド・ツールクでは、入国手続きが全くなく、飛行機を降りてそのままゲートを通過しただけだった。よって、パスポートに入国のスタンプが押されていない。ヘルシンキから出国するする時に、パスポートに入国スタンプがないので、係官に「いつきた?船で来たのか?」と尋ねられた。飛行機でツールクから入国したと答えたら、何事もなくOKだった。なんといい加減!
  • ツールクでお世話になったのがヤッコさんだ。一昨年、今度はパズルの関係でフィンランドを再訪した際に、ヤッコさんと連絡を取ってお会いした。またまたいろいろとお世話になってしまった。。。ありがとう、ヤッコさん。

 さて、本題である。いつものように前置きが長かったが勘弁である。

 フィンランド・ツールクでの仕事を終えて帰国である。ツールクからヘルシンキへ、ヘルシンキからアムステルダムへ、2度も飛行機の乗り換えだ。ヘルシンキの免税店では日本のおばちゃんがワーワーぎゃーぎゃーと騒いでいたが、恥ずかしい限りだ。このあと、アムステルダムから日本へ。一体全体トータルで何時間かかるのだろうか・・・考えただけでも疲れがどっと出てくるのだが、とにかくアムステルダムでJALに乗り換えて帰国便に搭乗した。

 飛行機はジャンボでボクの席は当然エコノミー、右サイド、あるブロックの一番後ろの方の通路側だった。食事の時間である。和食と洋食のいずれかを選ぶスタイルだった。長旅の最後で、海外の食事にはさすがに疲れていたので、和食にしようと思った。JAL機内食が美味しい訳ではないが、とにかく何でもいいから『和』のものを食したいと普段になく強く思ったのだ。ブロック毎に前の方からカート(ワゴン)でサービスが始まる。ボクのいるブロックは他のブロックより遅くサーブが始まるが、やっとボクの席の数メートル手前までくる。

 ここで一瞬、以前の嫌な記憶がよみがえってきた。その数ヶ月前だっただろうか??九州へ出張で飛んだ時だ。JALだったかANAだったかは覚えていない。機内食はその時は鶏肉か魚か選ぶスタイルだった。お魚好きな僕は、当然お魚にしようっと決めていた。ところがである。ボクの処へきたら、もう魚は無いと宣わる。エー、そりゃ無いよ。。。と思うが無くなってしまったものは仕方がない。。。しぶしぶ、受けるしかなかった。。。

 もしかして、和食が無くなるって事が・・・と思った矢先、他のブロックのキャビンアテンダント(昔のシュチュワーデス)が、ボクの席の直前でサーブしてるカートに寄ってきて、和食まだある?とか言いながら、カート内の和食メニューをどんどん持っていく!!。オイオイと見ていたら、やっと私の処にカーとがきた。担当の方は、外人さんアテンダントで東欧系の美人さんだった。「Linsy(リンジー)」と胸のプレートに書いてあった(スペルが違うかも、Lindsy?)。「和食を!」と言うと「和食がもう無いので洋食でお願いします」と言われた。ボクは、エーっと明らかに不満な表情を作っていた。彼女は、洋食を置いて後ろの席のサーブへと移っていった。

 なんだか怒りがこみ上げてきた。長旅の疲れと洋食に疲れてすがった和食を目の前で奪い去られたことに加えて、数ヶ月前の一件もよみがえってきて、納得することができなかった。気分が悪くて、とにかく全く食べる気になれない!。

 そのうち機内食トレイの回収が始まるが、ボクは全く手を触れてなかった。それを見て、リンジーさんが心配して声をかけてくれた。「お気に召さなかったですか?」と。「ボクは和食が食べたかったんだ」と言うと、彼女は「申し訳ありません。それぞれ数が決まっていたので。。。」と。そこでボクは、「でも、ボクの処に来る前に他のブロックのアテンダントが和食をピックアップしていったじゃないか。それは悪いマナーだと思う。」と言うと、彼女は「私もそう思います」と同意してくれた。彼女は「この件はきちんと報告しておきます」とまで言ってくれた。(この時だけは不思議に英語で会話がスラスラできました(笑)。怒っていたからね。。)

 ボクは、彼女の誠実な応対に少し心が和んだ気がした。

 これで終わりと思っていたら、少ししたら、女性のお偉いさんがボクの処にきた。どうやら、リンジーさんから報告を受けてきたようだ。ボクなりに再度説明すると、申し訳ないと言うかと思いきや、ブロック間の数の調整が間違っていたので致し方なかった・・・との言い訳であった。口には出さなかったが、なんだそりゃ〜、そんなことあるわけ無いだろ!と思って、また気分が悪くなった。「よろしければ別途お食事をお持ち致します」との懐柔策の提案もあったが、非を認めない態度にあきれると同時に、餌に釣られるのもしゃくな気分なので、宜しくとは言えなかった。

 その後は、何かにつけて、飲み物はいかがですか?とか、おにぎりなど軽食をおもちしましょうか?とやけに気を使った別格扱いになった。さすがにお腹がペコペコになってしまったので、おにぎりをもらうことにした。文句も言ってみるもんだな〜と思ったのも確かだった。あとで、リンジーさんに御礼を言おうと思ったが、その後、ボクのブロックには来なくなってしまった。飛行機を降りるときにまた会えるだろうからその時にでも・・・と思っていたが、結局その後リンジーさんに会うことはなかった。リンジーさんを呼んででも御礼をすべきだった…と、正直いまでも後悔してる。(後の祭りというが、こういうところがボクの駄目なところだ。。。)

 ボクにはJALの体質がよく出ているな〜と思えてならないのだ。その後、911同時多発テロの際、JALのHPの言い訳がましい記載には、現地で正確で明快な情報を切に願っていたボクにはとっても腹立たしいものだった。(この時、ワシントンのダレス国際空港にいたANAの川崎さんの対応はすばらしく良かった。)

2.隣の外人

 2002年夏のことだから、もう5年も経つのか。。。ベルギーのブリュッセル・アントワープへ行った後、ゆうこんのリクエストもあってパリに数日滞在して帰国した。パリではルーブル、オルセーと美術館に行って多くの芸術品に会い、また市内をうろうろ散策した。パリでの美術品は凄いが、パリ自体の印象は無茶苦茶悪かった。やっぱりボクは「フランスは嫌いだ」との確信に至った

 最近(近年)フランスでの暴動騒ぎなどのニュースを聞いて、少しだけその背景の根深さを知る。改めてフランスが嫌いになると同時に、そのような暴動にさえも、身からでた錆と一定の理解をする感情が芽生えてしまう。フランスへの印象は悪くなるばかりだ。

 フランスではかつて労働力不足だった時代に大量に移民をいれて低賃金での労働力を補ったが、そうした移民達は労働力として使い捨てただけで、まともな市民として扱ってこなかったということだった。貧困層として喘ぐ移民達を虐げる政策を進めてきたそうだ。だから、街に黒人が多くスリや引ったくりが横行しているのか…と納得した。サッカーのジダンやアンリはそうした移民層の中から這い上がってきたスターなのだとも知った。尚、イギリスの移民政策は全く違っていたそうで、逆に手厚すぎて困ることもあったぐらいだったそうだ。

 もっとも、ボクら日本人もこれからの時代、低賃金労働力として東南アジアの人達を増やして行くとするなら同じような政策を取らないとも限らない。ボクら日本人にそうした人々を受け入れるだけの度量があるだろうか。。。そう考えると難しい問題だ。

 さて、パリから日本へはオランダKLMの飛行機で帰国だ。通路側にゆうこん、中にボクが座った。ボクの左隣つまり窓側の席はやや年くった若者でアラブ黒人系?に見えた。飲み物のサービスが始まるが、隣の外人はビールを頼むが、出て来たのはベルギーのビールだった。ベルギーでいろんなビールをしこたま飲んできたボクはアレッと思って、それが切欠で何となく会話を始めた。後で分かったことだが、彼はどうやら日本人の習慣や感覚について少しでも掴みたいと思っていたようだ。

 話はなんだかんだといろいろ話したはずだが、もうほとんど憶えていない。酒の話からスコッチウィスキーの話題にしたことは思い出す。数あるスコッチの中でもグレン・リヴェットがスコッチの中のスコッチだとか聞いたことがあるのだが…とか、ニッカのシングルカスクがイギリスのスコッチ協会から正当なスコッチとして認定されたとかの丁度読んだばかりの記事の話とか、知人にスコッチ・スコッチ、スコッチは違うとうるさい人がいて、じゃあブラインドテストしようということになって、その悪友(ボクではない)が、日本のウィスキーとスコッチを半々に混ぜたのを入れておいたら、彼は首をひねって「へんだな〜、これは両方の味がするよ。。。」と答えて、皆ビックラこえたと言う話など。。。(←このエピソード凄いでしょ! ビールはやっぱりキリンが一番だ、とか言っていてもブラインドテストで分る人は一般では皆無です。ビール会社でテイスティングしてる人は別だが、一般消費者で解る人はいないのが実際だ。)

 ところで彼の今回の来日の目的だが、彼はロンドンに住んでいて、そこで知り合った日本の女性の家を初めて訪問するらしい。どうやらマイコさんというその女性と結婚したい様子で、ご両親に挨拶するための来日だったようだ。話しぶりからはマイコさんとは既に合意済みのようだが、家に行って両親に会った時にはどんな点に注意したらよいのかとか、よく覚えてないけどなんだか色々と聞かれた。とにかくご両親には良い印象でありたいと、風貌に似合わずかなり心配してるようにも見えた。

 そんな話の中でとっても面白いことがあった。マイコさんの家は大阪にあると聞いたとき、ついボクは、大阪人は好きじゃない、と言ってしまった。。。彼は、何故だ?と聞いてきたので、ボクは、大阪の人はお金への興味が強いと言ったら、彼はうんうんとうなずいて、「うん、確かにそうだ。。。マイコは決して金を払わない。」としきりに納得していた。。。ボクはそんなに感心しなくても・・・とは思ったが、よっぽど思い当たる節があったのだろうと、そんな様子がとっても面白かった。

 その後どうなったかボクは知らない。マイコさんとうまく結婚できたのかどうか、もしかしたら大阪でマイコさんの尻に引かれているのか、それとも玉砕してイギリスへもどったのか、はたまた母国へ帰っているのか等々、ふと楽しく思うのである。

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