なぜ命は大切なのか? -2006.12.06Up 最近は命を粗末にする話しが数多く聞かれる。人間的な関わりが希薄になってきたからなのだろうか、教育の問題なのだろうか・・・、いずれにしても、なんとかして真っ当な方向に進む道を見出したいものだ。 命の大切さに関連して、ボクにはとても印象に残っていることがある。それは、NHKの朝の連ドラ「ちゅらさん」の一シーンだ。不治の病を患っている和也君と弟の文也君は、病気療養のために沖縄・古浜島のコハグラ荘に客として泊まりにきて、恵理ちゃん(古波蔵恵理、小学5年生)と知り合う。そして、恵理ちゃんと文也君は、和也君のはからいで結婚の約束をするのだが、まもなく和也君は病状が悪化して亡くなってしまう。実際のセリフはもう覚えてないのだが、「どうして和也君は死ななければいけないのか?」と泣きながら尋ねる恵理ちゃんに、おばぁ(祖母)は、「命は宝。命はとても大切なのに、人はそれを忘れてしまうことがある。命が大切だということを人々に気づかせるために和也君は選ばれたのさ」と説明する。 「なぜ命は大切なのか?」このような素朴な問に明快に答えることは難しい。 先日、産経新聞の正論(11月29日)にその一つの答えが掲載されていた。村上和男氏という生命科学者が「なぜ命は尊いのか?」と題して書いたもので、ボクは大いに共感した。ボクが漠然と思いながらもやもやしていたことを明快に文章にしてくれた思いだった。 村上氏の答えを要約してみる。 『宇宙は137億年前に誕生した。地球では38億年前に生命が誕生し、それから今日までの長い時間をかけて選び抜かれて、私たちは約60兆個の細胞の集合体としてこの世に生まれ、生命を維持している。60兆とは地球人口65億の約9000倍である。この膨大な数の細胞がどのように協力し合って見事に生きているのか、実は全く分かっていない。それどころか細胞一つをとっても、どうして生きているのかという根本原理すら全く分かっていない。そして、この見事な助け合いの情報は遺伝子に書かれていると考えられるが、その遺伝子は一人一人違っている。それは誰もがかけがえのない人間としてオンリーワンとして生まれてきたことを意味する。 私たちは「子供をつくる」と言うが、実は受精卵をつくるのに少しだけ協力し、あとは栄養を与えているだけのことである。一つの受精卵は、たったの38週間で約60兆個の細胞からなる赤ちゃんに成長する。その間、胎児は約38億年の生命の進化を経過して生まれる。生まれた時点で地球生命38億歳だ。そして、137億年前に宇宙誕生と同時に生じた水素原子が私たちの体に存在している。命は、自然が137億年の歳月をかけて作った最高傑作であり、私たちは「大自然の偉大な力(サムシング・グレート)」のおかげで生かされているのである。決して自分だけのものではなく全宇宙を背負って生きている。この世に生まれてきたこと自体、途方もない奇跡なのである。 生きているだけでも有り難く、また素晴らしいことだからこそ、自殺も他殺も絶対にしてはいけない。命を絶つことは、137億年かけて作り上げられた最高傑作を無駄にすることなのだ。 私たちは生まれてきたことを喜び、そして生かされていることに感謝すれば、多くの眠っている良い遺伝子の働きがオンになる。あきらめずに努力し続ければ、必ず遺伝子は目覚め、限りない可能性が引き出されるのだ。』 (う〜ん、全然まとめになってないな〜。ほとんど村上氏の文章の引用だ〜。それだけ内容が濃いということか。。。) そこで、大胆に要約してみる。
村上氏のいう「大自然の偉大な力(サムシング・グレート)」は「神」を連想させる。ある意味、「神」を現代的に捉えた新しい宗教の提案とでも言えないこともない。古代の人々は、我々現代人より遙かに素直にサムシング・グレートを感じていただろう。それが自然信仰になり、また宗教の原点でもあるのだろう。そうした素直な気持ちに、(良い意味でも悪い意味でも)人間の欲や思惑によって形作られてきたものに、現代の宗教があるのだと思う。人の心に平穏を与えるのみならず、不幸にも人を動かし利用するための道具としても。。。 素朴に素直に感ずること・・・これが大切なのだが。。。
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【追記】 村上氏の記述の中には、前々からボクが話題にしたかったことと関連してるところがある。いずれ、この雑記で触れたいな〜と思っていたことだった。 それは、以下の部分だが、なんとかいずれ・・・。
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