山本幡男という人 2002/02/29 (金)

何はともあれこの文章を読んでもらいたい。

『 さて、君たちは之から人生の荒波と闘って生きていくのだが、君たちにはどんな辛い日があろうとも、光輝ある日本国民に生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化人道主義を以て世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。

 この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。また、君たちはどんなに辛い日があろうとも人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗(へんぱ)で矯激(きょうげき)な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。

最後に勝つ者は道義であり、誠であり、まごころである。

これは、昭和29年にソ連のシベリア捕虜収容所にて山本幡男氏が書いた4500字にものぼる遺書の一節で、自分の子供へ宛てた部分である。

なんと時代を先読みしていることか。まさに現代の日本そのものに対する言葉ではないかと驚いてしまう。また、この遺書が伝えられたいきさつがもの凄い!それほど凄い人物だったということだと思う。

 帰れる保証も無く極寒の地で強制労働させられるという絶望の中で、収容所の人々に前向きに生きることを働きかけた山本氏が、帰国かなわずに病魔に襲われて死期が迫って来た際に、日本にいる妻や子供たちに書いた遺書とのことである。当時、文書を持ち出すことはスパイ行為とみなされ、この遺書を持ち出すことはできなかったため、6人で分担して暗記し、帰国後に奥さんの山本もじみさんに伝えられたそうである。最後の遺書が伝えられたのは、実に幡男氏の死後33年経った昭和62年のことであった。

逸見じゅんさんのノンフィクション「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」より

文庫本もあるようです。

雑記メニューへ

宇宙の色 (2002/03/10)

 先月だったか、この雑雑雑記で「宇宙の色」について触れました。それは、米国のジョン・ホプキンス大のグループが「宇宙の色」を解析した結果として、「淡い青緑色」(左図)であると発表したのでした。10万ぐらいの宇宙の星々のスペクトルを足し合わせたとのことでしたが、何とも宇宙のロマンを感じさせる素敵な色だと思って紹介したわけですが、それが実は間違いだったとのことです。コンピュータープログラムのミスだったとのことですが、実は「白に近い淡いベージュ色」(右図)だったそうです。正直言って、なーんだ・・・という感じですが、事実は事実としてしようがありません。でも、なんだか知らないけどがっかりした感じです。いろいろ足し合わせると白に近づくわけだから、まあ、そんなもんかなという色ですね。

雑記メニューへ


雑記メニューへ