Would Cup 98(当時の記録)

 サッカーワールドカップ1998年フランス大会に関して、当時私が書き記した記録を掲載致します。サッカーを愛する私として、あの怒りを忘れないために書いたものや友人とのメールのやり取りをコピーしたものです。

目次

1.ワールドカップ98フランス大会 予選リーグを終えて
(1998/06/30 記述 −当時のあまりの怒りの思いを記録するために書きました− )

2.友人T氏とのメールのやり取り(1998/06/27)

3.World Cup 98 感動の名場面集リクエスト
(1998/07/12 記述 −NHKへのリクエストの文章−)


ワールドカップ98フランス大会 予選リーグを終えて

 私は今回のワールドカップであまりにも怒りと悔しさを覚えたので忘れぬうちにここに記すことにする。

 日本のワールドカップ出場が決まって、私にとっては30年来の望みがかない天にも上る心地であった。また、2002年の開催を控えての出場は[本当に良かった]と胸をなで下ろしたものだった。しかし、カズおろし以降、岡田の狂った判断や言葉に接するにつれどんどんと怒りが増大していった。

 最終予選のイラン戦でカズを代えたことは画期的であった。「カズといえども点を取れなければ交代させる」との判断は評価できることであった。
 これをきっかけに岡田はカズを全く使おうとしなくなった。しかし、25人のメンバーには、「カズの経験は貴重だ」とのコメントを残して、カズを入れたのだ。ところがである。何を血迷ったか、6月2日、最終選考の22人のメンバーから、なんとカズをおろしたのだった。
 カズを代表入りさせるか否かは最初に決めなければいけないことであった。私としてはカズを代表入りさせるべきだと思うが、もし岡田の構想に入ってなかったのだったら最初から25人の中に入れるべきではなかった。「カズの経験は貴重だ」との発言をして25人の中に入れたのなら、最後の22人の中には残すべきであった。それは、カズのこれまでの日本のサッカーに対する貢献、彼の技術 ―確かに全盛期は過ぎてはいるが、現時点でも決して劣るものではない。日本のサッカー史上、国際試合で点を取れる選手はかつての釜本とカズの二人しかいなかったのだ!― やサッカーにかける精神を考えれば、監督である以前に人間として許されるものではない。「いったい何様だと思っているんだ。人の人生をなんだと思っているんだ。」というラモス氏の言葉がすべてを物語っている。岡田のカズおろしを肯定する人間は、きっと真剣に生きたことのない人間だろう。
 私は、この時から岡田を人間として信用できなくなった。それは、私のみならず、サッカーを知る多くの人々は当然として、日本チームの代表選手の中にも同様な感情を持った人もいただろう。これは、日本のサッカー界への悪影響を残したと同時に日本代表チームに対しても悪影響を残したに違いない。そして、実際その後の彼は、よくもこれだけひどい采配が振るえるものかと思えるほどひどいものだった。
 その後、彼は、「フォワードは城を軸にして考えているのでカズを使う可能性がないのでカズをはずした。」とコメントしている。これは、カズを代表からはずしたことにしたもっともらしい理由を言わなければいけない、との焦りからこうしたコメントを言ってしまったのかもしれないとも私は考えている。ある程度サッカーが分かる人間なら、城がそのレベルの人材ではないことは常識に近い。城に対する私の評価では、「城のプレーはピンポイント」と表現している。城のプレーは、当たるも八卦的な派手な動きで、正確や冷静とは程遠いピンポイントの接点でしか点が取れないプレーである。ラモス氏がクロアチア戦のNHKの中継でいみじくも言っていた。「ワールドカップをJリーグと勘違いしている。タレントやってんじゃねーよ」と。
 とにかく、岡田は自分で自分をこの宣言で縛ったかのごとく、城を使いつづけた。日本が点を取れなかった最大の原因の一つは、城を使いつづけたことであると確信する。これは結果論ではない。当然予測できたことである。翌日のTBSでセルジオ越後氏の言葉通り、予選終了後ワールドカップ本戦までの9試合で、日本は7敗2分けで1勝も出来ていないし、またほとんど点も取っていない。点が取れない、且つミスしてもにやけている城を使いつづける理由がどこにあるのだろう。私は不思議だった。どんなに判断が遅れても、第一戦のアルゼンチン戦に負けた時点で気がつかなければいけない。あの試合、城はどこにいたのだろうか?
 城への固執に限らず他のメンバーへの固執とフォーメーションへの固執も見事なものだった。どんなに譲っても、第3戦のジャマイカ戦はメンバーを代えて、そしてなるべく早くフォーバックシステムを採用すべきであっただろう。少なくとも2点取られる前にするべきであった。

 そもそも、ワールドカップで決勝トーナメントへ進出しなければいけないと勝ちにこだわりすぎたことも問題であった。勝ちを目標にするのは当たり前ではないかの反論があるだろう。そのとおり。勝ちを目標にするのはあたりまえであるが、私は勝つ事のみを意識するべきではないと言いたいのである。ブラジルやイタリア等優勝を目差す国ならいざ知らず、今の日本にとってのワールドカップでは、各人がそしてチームがその能力、技術や集中力を最高に発揮することが最大の目標であり、勝敗はその結果である。もし、最善を尽くせたのなら、少なくとも3連敗で終わることはなかっただろう。それだけに悔いが残る。もしベストを尽くせれば、たとえ同じ結果(3連敗)であっても、負けを責めることは出来ない。勝てるかどうかという程度の実力であることは分かっていたのだ。にもかかわらず、なぜか勝ちのみにこだわった。チーム全体が勝ちにこだわり、自分のプレーをすることが出来なかった。経験がなかったからではない。心や精神がおかしくなったのである。すべての歯車が狂い出したのは、岡田のこうした考えや行動から由来したともいえるだろう。
 日本に11人の人材がいなかったわけではないだろう。選ばなかった、使わなかった、またはそのように指導できなかったというのが実際だ。ピッチに立った選手に対しても、「おい!もっと真剣にやってくれよ!」という感じだった。城だけではない。クロアチア戦で点を取られたシーンで、中田から山口へのパスをカットされた後の山口の緩慢なプレーはなんだ。テレテレトコトコと後を追うだけで、ピンチをカバーしようという動きは微塵も感じられない。中田はうまいことはうまかったが、ただそれだけだった。気迫のない人間のプレーは決して通用しなかった。他の国の選手は、テレビの画面からもその気合がびんびんと伝わってくる。普段はにこやかにしている選手でも、真剣にプレーしている時の顔は恐いくらいの形相になる。普段はちゃらちゃらしている中山が決してそうゆう態度を示さなかった。相馬も良かった。しかし、日本チームからは気合が伝わってくる選手は少なかった。出番の少なかったロペスはさぞや悔しかったし残念だっただろう。ましてや、カズの心情は計り知れない。

 私は、カズを代表からはずし、城を軸にするとの発言を聞いた時点で、日本の最下位を予測した。そんな考え方では勝てないだろうとの想いやそんな人間に勝って欲しくない、いや日本の将来のために勝ってはいけないとの想いからそのように予想せざるを得なかったのだ。そして、この悲しい予想は的中してしまった。

 岡田の「結果がすべてだ。結果がすべてだ。」との言葉は、自分の能力やさい配ミスを覆い隠すために言っているとしか思えない。「結果がすべて」というのは、好結果になった時に岡田の判断やさい配が結果オーライで認められるという意味であり、最悪に近い結果になった今は「岡田の考え方、判断やさい配が間違っていたという事が立証された」ということである。ワールドカップで勝てなかったから責任をとるのではなくて、監督としての資格や能力がないことが判明したから当然のごとく辞任するべきなのである。

 最後に一言、私は岡田に二度とサッカーに関わって欲しくない。世の中には許せるミスと許せないミスがあるのだ。岡田の言葉通り、「安易な道を歩むべきではない。」

以上

標語:
・策を弄して墓穴を掘る
・目差すは心のないサッカー(岡田)
・戦術におぼれて戦略なし
・結果すべてでお茶にごし


友人T氏とのメールのやり取り(1998/06/27)

T様

 H組の結果(日本の入っていた組の1次リーグの順位結果)は、悲しいことに私の予想通りの結果(日本が最下位)になりました。岡田の「結果が全て、結果が全てだ。」との言葉を私は極めて腹立たしく聞きました。結果が悪かったから怒っているのではなくて、今回のワールドカップに対する姿勢、判断、采配が、頭が狂ったのかと思えるほどひどいものだったから怒っているのだし、そして悔しいのです。私は監督ではないけれど、サッカーを30年来愛してきたものとして、ものすごく悔いの残るワールドカップでした。私は、今回のワールドカップでは日本は最善を尽くして、仮に結果が悪くても気持ちよく負けてくれば盛大な拍手をおくりたかったのです。「結果が全て」だというのは、良い結果が出たときに今までの岡田の判断が結果オーライで認められるということであって、悪い結果が出たときは「結果が全て」ではなくて、「岡田のやり方が悪かった」から責任を取るのである。「結果が全て」という言葉でごまかすべきではない。「世界の壁だ」とか「決定力不足だ」という言葉はやるべき事をやってから出てくる言葉なのです。
私の怒りはおさまらないのですが、以下に予想を送ります。

 でも、城はひどかったね。あんなのが出ていたんじゃカズもうかばれないよ。ロペスも悔しかっただろうね。中山やロペスを見ていて私は涙が出てきました。

オランダ − ユーゴスラビア  1−2
アルゼンチン − イングランド 2−0
ドイツ − メキシコ      2−1
ルーマニア − クロアチア   0−1

新井

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件名: France98(3)
送信者: <T> at INTERNET
日付: 1998/06/27 午後 1:27

やっぱり日本はだめでした。
一次リ−グ予想結果は来週送ります
結構ばらけてます。

これから試合続きますので積極的にメールを送ってください。

決勝トーナメント予想第2弾です。

オランダ − ユーゴスラビア (私は1回戦屈指の好カードと思います)
アルゼンチン − イングランド

ドイツ − メキシコ
ルーマニア − クロアチア
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R G U.
E-mail:
Tel.:
Fax.:
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World Cup 98 感動の名場面集リクエスト

「ロベルト・バッジオ(イタリア)のスーパープレー集」をリクエストします。

 ロベルト・バッジオは今大会の出場選手中最も創造的なプレーヤーであると思います。彼の頭の中には他のプレーヤーとは全く異なるイメージが広がっており、そしてそれを実現させる確かな技術を持っています。彼の予測外のプレーの数々と今大会にかける気迫には本当に感動させられました。

 イタリア初戦のチリ戦での
・ イタリア初得点でのヴィエリへのダイレクトパス
・ 同点のPKを取った相手ディフェンスのハンドをイメージしたパス
・ ディフェンス3人に囲まれながらのゴール方向へのチョロッと流したショートパス
 また、フランス戦での
・ 得点こそあげられなかったものの、右後方からの浮いたパスをダイレクトに左方向に打ったシュート
・ 左サイドでの右後方からの肩越しのパスの処理
等々これほど感心させられるプレーヤーは他にいません。

 また、PKでの彼の気迫に満ちた表情は忘れられません。チリ戦のPKの時は、否応無しに前回大会の決勝戦でのPKの失敗がよみがえります。私には、「だいじょうぶかな。失敗しなければいいな。」との思いが先ず先立ちましたが、彼の表情が画面に映った時、「問題ないな」と確信しました。そこには、不安を感じさせるものは微塵もなく、目前のPKを絶対に入れる完全に集中した気迫の表情がありました。

 ブラジルのロナウドの一瞬に相手を抜きさるスーパープレーには、ただ「すごい!」の一言ですが、バッジオのプレーには「オオ!ウーン...すごいなー」と考えさせられます。

以上