モアイと鳥人の島 - ラパ ヌイ -

ラノ・ララク 1998年7月21日(火)


 今日は8:00ごろ起きた。DDAが

 「おはよーございます。」(日本語)

 昨日は8:30出発と約束していたが、DDAが朝からシャワーを浴びたり身じたくをしたりしたのでその後の出発となった。朝食はオレンジジュースと平べったいパン2個、ビスケット3枚、オレンジジャム、バター、インスタントコーヒーだ。なんか変なの。メインは何なんだ? でも何も食ってなかったからうまかった。

 10時ごろ2人で宿の車を借りて(1人$30)出発した。あれ? このシートベルト、ちゃんととまんない。はずれちゃうじゃないか。島の中心を通る道を北へ向かい、着いたのは OVAHE ビーチ。途中まで道は舗装道路だったが、ビーチ近くから土のデコボコ道になった。分岐のところではどっちに行ったらいいのか良くわからなかったので、適当に進んだら OVAHE ビーチに着いたのだ。ビーチは小さかったが綺麗で、丘に登って見た景色もとても良かった。風が強くてちょっと肌寒い。でもモアイはない。

 再び車に乗り込み、アナケナへ行くと5体のモアイの姿があった。いいぞー。そこではフランス語ガイド率いる10人ぐらいのツアー客が説明を受けていた。近くの石に座ったらそこに座んないでと言われた。この石もモアイ? ツアー客が移動してからDDAと一緒にモアイへ近付いた(ガイドのおばちゃん20分ぐらい喋ってた)。DDAはフランス語がわかるので、聞いていたことを英語で説明してくれた。それを聞きながら2人でモアイの横へ登ろうとしたらおばちゃんにまた怒られた。登っちゃいけないらしい。頭にプカオという赤い石の帽子をのせたモアイが綺麗なビーチを背にして立っている。海もとても綺麗だ。感激だ。近くにはホツマツアのモアイというのもあった。そのモアイの前には銅板で

KON TIKI

と書いてあった。コンチキ号と何か関係があるのか、スペイン語だからわからん。写真撮ったから帰ってから解読しよっと。

 その後は島で一番高い山の方へ進んだ。その辺に生えているのはガムツリーという木だとDDAが教えてくれた。匂いがわかるかと聞かれたがよくわからなかった。ポリネシア特有の木らしい。途中何度か車が登れないところがあった。道じゃなくてタイヤの後があるだけのところが続く。大きな水溜りがあったりもする。そこをひどい車で悪戦苦闘しながら進んだ。坂になっているところではすべるので、思いっきり勢いをつけて登ったりした。DDAはハンドルをグルグルグルグルグルグル回す。ひどい悪路で運転がとても難しそうだ。スピンして景色がぐるーっと回ったり、でこぼこ道で派手に上下にガタガタと揺れるのが結構楽しい。久米明の声で

 「取材班は・・・」

とナレーションを入れたくなる。しかし景色がとても素晴らしいぞ! DDAはイギリスにある景色に似ていると言う。行ったことないけどそんな感じするなあ。特にハンガロア方面を一望できるところはすごかった。村が遠くに見えて、島の輪郭を半分以上見渡せる。大パノラマだ。こんなとこの情報はなかったなあ。

 これ以上もう車で行けないので、それからは元の道まで戻り、アフ・アキビへ向かった。海を見つめる7体のモアイだ。ホツマツアが入植前に送り込んだ7人の使者を表していると言われている。島にあるモアイで海の方を向いているのはここだけだ。いやー、これもいいぞ。モアイって何か哲学的な姿してるよなあ。

 そこでは2人の人に出会った。日系アメリカ人のリンダさんと日本人のトオルさん。リンダさんはカリフォルニアから来たそうだ。トオルさんはアメリカで勉強して、卒業したのでその後に南米周遊チケットを使って南米からここへ来たそうである。いいなあ、南米。でもペルーには行ってないらしい。DDAと私は彼ら2人を車に誘い、長期滞在していて島に詳しい彼女にその後ガイドしてもらうことになった。

 まずアフ・アキビ近くの洞窟へ行った。へー、こんなところ教えてもらわなきゃ見逃しちゃうなぁ。中へ入った。普通は危険だからガイドは行かせないらしい。彼女は行ってみたかったのだろう、先頭に立ってどんどん奥へ入って行く。彼女、用意がいいねー。懐中電灯持って来てる。私も後に続いた。DDAは途中で待ってることにして、着いてこなかった。

 「♪川口ぃー浩わぁー」

と嘉門達夫の歌が頭の中で繰り返される。Adventureだ! 着いていかないと、暗くて足もとが見えないので必死になって着いていった。途中、上に穴が開いているところがいくつかあったが、上は覗けなかった。どんどん奥へ行くと、とうとう行き止まり。そこで開いている穴には登れそうだった。石が積んである。この洞窟は全部自然にできたものだと言う。人が掘ったものではないそうだ。まずトオルさんが石に足をかけ、狭い穴から上へ上がってみた。上がれた。その後に続いて登ると草っ原の上だった。こんなとこに穴開いてるのってなんか面白いな。地上を歩いて車を止めたところへ戻った。そうだ、DDAはまだ中だ。彼は入口から出て来た。

 車のガソリンの残りがEmptyに近い。一度補給しにハンガロアへ戻らねば、ということで引き返すことになった。途中、倒れているモアイがたくさん見えた。島のモアイは一度全部倒されたそうだ。現代人が立て直したものだけが、現在立っているのである。ガソリンを満タンにしてからはラノ・ララクへ向かった。まずトンガ・リキ。日本企業のタダノがクレーン持って来て立て直したという15体のモアイ。でかい! 今までのと違う。なんだこの存在感は。絵になるバックの景色も素晴らしい。それから昔、大阪万博のときに日本に来たというモアイがそばにぽつんとあった。よくこんなもん運んだね。胴体には、運んだときについたという鎖の後があった。相当重いんだな、これ。近くから遠くから、ここトンガリキの写真を撮りまくってしまった。バックのポイケの切り立った崖もとてもいい。君たち、いいころに立ってるねえ。

 その後モアイの石切場、ラノ・ララクへ。この山も印象的な形と色をしている。近付くととてもシュールな世界が広がっていた。トンガリキから見たラノ・ララクも印象的だったが、反対側ではモアイがごろごろしてる。半分土に埋まってたり、傾いてたり、大きいのから小さいのまでキノコのように山肌に生えてる。また岩からの切り出し途中のまま残されているものがそこかしこに・・・。

 「おもしろぉぉぉーーーい!」

 思わず叫んでしまう。とても楽しかった。なんとも不思議で、おかしくて面白くて謎めいていて、現実離れしている。なんなんだこの景色は!

 それから火口もでかくて、綺麗で、まわりの景色がまたまた素晴らしかった。この島はモアイだけではない。モアイがなくても景色がとても素晴らしいところであるとわかった。この素晴らしさは来ないとわからない。説明しづらい。写真でもこの素晴らしい景色については紹介されているのを見たことがない。モアイ抜きでも十分すごいぞ。さて、レンタカーは10時から8時間。もう返却時刻を過ぎそうだったので今日はここまでにして宿に帰った。

 彼らに、一緒に夕食はどうかと誘われた。DDAと私は当てはないので、お奨めのレストランへ連れて行ってもらうことにした。そこでは私を除く3人ともスペイン語が話せるということを知った。私だけわからん。通訳してもらって、魚、ご飯、ビールを注文した。乾杯は

 「Salud(サルー)!」

である。ビール、うめぇー。玉葱とトマトのソースがかかった魚、うんめぇぇぇーーー! この一年間で一番うまい料理だ。幸せだ! 幸せ一杯だぁぁぁーーー!!!

 彼らの話はアメリカの Japanese society の話からはじまり、戦争、経済の話へ及んだ。途中、日本の輸出の何%ぐらいがアジアへ向けられているのか、日本が優勢なのは自動車やオートメーション機器などだろう、それについてはエンジニアの彼の方が詳しいだろう・・・と私に振られたが、そんな話題にゃついていけませんぜ・・・。

 一人で思いっきり劣等生気分を味わった。こういう劣等感って大事だよなー、とか思いながら。この旅はカンボジアのようにはいかないな。インドで MUNJUN と一緒だったときみたいだ。話に加われない。スペイン語ペラペラの人が一緒にいると、どうしても現地の人と1対1になれないよなぁ。TVで『Mr.ビーン』をやっていた。店じゅう笑いの渦だった。すごいぞMr.ビーン。

 帰りは22時を過ぎた。長い長い食事だったが満足だ。スーパーマーケットで水1.5リットルを買った。T/Cが使えたが、パスポート番号を控えられるときのやりとりはDDAがいなかったら大変だった。数字ぐらいスペイン語覚えとけよなーと思われただろう。やはりスペイン語の勉強が全然足りない。知識として持っているのと、使いこなせるのとは違う。まだ南米へ行くのには早すぎるぞ。未熟者。

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