ペナンでダウン -マレーシア-


 結局バンコクのマノーラホテルには5泊し、3月2日、次は国際列車でマレーシアへ向かった。 この列車は天井に扇風機が回っており、窓を全開で走る夜行で、マレーシアの Butterworth まで約20時間かかった。 快適とは言いがたいものだったが、まさに『世界の車窓から』という気分の列車の旅だった。 しかし夜に腹を冷やして下痢をしてしまい、何度もトイレへ行った。 亮が買ったトイレットペーパーを私がほとんど使ってしまった。 出入国の手続きもとてもつらかった。頭の中はずっと《トイレ、トイレ、トイレ・・・》。到着した時にはすっかりフラフラになっていた。

 その時、タイでは何でもかまわずに食べていたので、6人の中に「コレラか?」という心配も湧き起こり、少々怖くなった。 とにかく宿に着いて横になりたいという気持ちが強かったので頑張って足を進めた。 しかしなんと運の悪いことか、その日はイスラムの休日。店は全て閉まっていて、両替所も休み。 なんとか通りすがりのおじさんを通じて、ある店でペナン島へのフェリー代に足るだけの換金をしてもらい、島へ渡った。

 宿はそれから探すことにしていたのだが、その時期は日本の正月のようなものだそうで、マレーシアの人達が休みでみんなペナンへどっとやって来ているのだった。 そのため観光地の宿はどこもいっぱいで、島の中心地であるジョージタウンはどこも閉まっていて、人の姿はほとんどなかった。 そして自分は下痢でフラフラ。そのうち吐き気もしてきて体はだるくなり、とうとう道ばたに寝転んでしまった。

 その後、友人たちはもちろん、数々の島の人たちの親切のおかげで宿も見つかり、医者に診てもらい、注射を打ってもらって、コレラじゃないとわかって安心し、ぐっすりと眠ることができた。 本当に一時はどうなることかと思った。この最初の宿は売春宿だったそうだ。 私は完全にダウンしていたので何も気づかなかったのだが、他のメンバーはちょっとあやしい雰囲気を体験したのだと後日話してくれた。

 次の日はこの旅行で最も思い出深い宿となった、バツーフェリンギの弁慶民宿(Beng Keit Guest House)に宿を移した。 面白い親父と親切なおかみさん、そして旅行者たちとの語らい。そこには4泊し、ペナンの海で思いっきり遊んだ。

 ある夜、近くの別のゲストハウスでギターで歌っている人たちがいたので、なんとなく誘われて入っていき、テーブルについてみた。 彼らの中は我々日本人が来たのを喜んでくれる人と、ちょっと邪魔者扱いする雰囲気の人とに分かれた。 最初はギターのおじさんが日本の歌や我々が知っていそうな英語の歌を一緒に歌ってくれたりして楽しかったのだが、そのうち彼らの中で喧嘩が始まった。 明らかに原因は私たちだ。せっかくの楽しいひとときがそんな雰囲気になってしまってとても残念だったが、去らなければならないと思った。 心の中はちょっと複雑な思いであった。

「俺たちは常に歓迎されてる訳ではないんだな・・・」

 6人はその場を後にした。

 ペナンで夕食に入ったレストランは大体いつもちょっと高めだった。 宿は安いところに泊まっていたが、夕飯はちょっと贅沢。 どのレストランでもメニューには載ってないが、チャイニーズティーあるかと聞いたら、いつも必ずあった。 それがうまかった。

 ただ1つ心残りなのは、腹の調子が良くなるまで消化の良いものしか食べられず、お気に入りの飯屋であった Andrew's Cafe のカレーとフレッシュジュースを味わえなかったことだ。 この店は高くない。朝と昼はここを利用することが多かった。 カレーは大きな葉っぱの上にご飯とカレーを盛って、手で食べる方式だ。 みんながうまそうに食べているのを見ながら、私だけ消化の良さそうな麺入りスープや雑炊をしつこいぐらい噛んで食べた。 でもさすがインド人の店だけあって、紅茶はどこで飲んだものよりもうまかった。朝食メニューのロティも最高だった。 ただそれだけは味わうことができた。だからマレーシアンというのがどんな味なのか、自分は十分味わってこなかったことになる。

 ペナンはビーチリゾートである。滞在中は毎日ビーチで豪遊したり、バスを乗り継いでペナン・ヒルやジョージタウンを観光したりして、とても楽しい時間を過ごした。 ペナンだけしか見ていなくてこんなこと言うのも何だが、マレーシアは過ごしやすいところだ。ここなら住めそうな気がする。

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