アーグラー

I'm Korean. 1997年3月3日(月)


 朝早く7時半ごろ、アーグラーカント駅へ向かって歩いた。とても心地良く、歩くのを楽しんだ。思ったとおり、昨日着いた時に降ろされた駅はアーグラーカント駅ではないことが判明した。だまされた。

 予約オフィスは混んでいて、なかなか順番がまわってこなかった。用紙がなかったので、私はどこにあるのか聞こうと思って並んでいる人に話しかけた。彼は自分が持っていた用紙に一緒に書けばいいよと言ってくれた。そしてその一人旅の韓国人MUNJUN(私と同じ25才)と一緒にチケットを取ることができ、しばらく行動を共にすることにした。とりあえず待ち合わせ時間を決めて、私は宿へ戻った。

 今日は特に予定はなかったので、ツーリストオフィスへ行って地図をもらい、宿の近くを散歩した。実は昨日のリクシャーのおやじが10時半に迎えに来る予定だったが、会いたくなかったのでわざとバス停から遅く帰ったのだ。宿に着いてみるとあのおやじは来てなかった。良かった。

 散歩は同じ宿に泊まっている中川君と二人で、裏通りをいろいろと歩いた。デリーの裏通りとは少し違い、きれいできちんとした商店街と、きれいな家に住んでいる人々の町だった。とても良い雰囲気で、観光などに行かなくてもそこに何日もいられそうだった。彼がサンダルが欲しいと言うので、ある店で選ぶのに付き合った。そこの親父はとても親切に細かな要求を聞いてくれた。いろんなサンダルを出してきては彼に履かせる。そして結局気に入ったのがなく、やっぱり買わないということになった。でもその親父は、そうか、別にいいよという返答だったのである。これは新鮮だった。インド人が怒らなかった。無理やり買わせようとしてこなかった。アーグラーは人が悪いと思っていたが、それは観光地のせいなのだ。こういう、普通の人たちが利用していて観光客があまり来ないようなとこでは、ボったくるようなことはしないのだろう。当たり前のことのような親父の態度が、とても気持ちが良かった。

 しかし当然ここはインドで

 「ハロー、サー。」

と言って手を出しながらずっと付いて来る子供はいた。また、軍関係の施設だと思うが、学校を含んだ広いきれいな土地へ2人で足を踏み入れた。軍の家族が住んでいる特別な地区のようなものだと思うが、そこは地図には何も載っていない。子供たちが合掌して

 「ナマステー。」

と挨拶してくれた。でも入っちゃいけなかったみたいだ。出るところで呼び止められて、パスポートを見られていろいろ質問された。ちょっと怖かったが、日本人の旅行者だとわかると解放してくれた。入り口の守衛は我々に気づかなかったのだろうか。それとも、あまりにも堂々と入って行ったから呼び止めなかったのかな。

 MUNJUNと予約した列車はTUNDLA駅発なので、そこまではバスを利用した。それはそれは窮屈で、つらいバスの1時間だった。あれはもういやだ。

 今、TUNDLA駅の待合室でこれを書いている。明日はバラナシだ。

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