石川町には猫啼温泉、母畑温泉という2つの温泉がありますが、そのうちの母畑温泉の元湯旅館敷地内に寅吉が造った石の社殿があります。旅館の裏、源泉井戸の上にあり、普段は鍵がかかって入れない場所ですが、元湯のご主人に特別に見せていただくことができました。これも吉田さんがガイドしてくださった恩恵ですね。感謝。
以上、強行軍で回った第三回和平・寅吉ツアーでした。
今回回った作品群は、墓石や山の中の小さな社殿など、事前に情報がなければ絶対に見つけられないものばかり。
先導する吉田さんの後をくっついてまわったので、どこをどう走ったのかもよく分かっていません。ポイントを全部カーナビに記録しておけばよかったと気づいたときはすでに後半の行程に入っていました。
和平狛犬はこれで昭和5年から9年まで連続して5作品存在することが判明しました。
保土原神社の狛犬は、出来は前後の石都都古別神社、古殿八幡神社の狛犬に比べると落ちる気がしますが、二つの狛犬のデザイン変遷を結びつける貴重な存在でしょう。
寅吉に関しては、成人してから小松家に養子に入るなど、複雑な生涯が少しずつ見えてきました。
東京の名門石屋「井亀泉」ブランドに対抗して造った新地山入り口の石柵や、これでもかという大きさに挑んだ雲照寺の観音像など、寅吉の激しい気性、負けん気の強さ、尋常ではない凝り性ぶりの背景を知る上で、非常に興味深いものです。
その寅吉にみっちり仕込まれた一番弟子・小林和平。
古殿八幡神社の狛犬を初めて見たときの衝撃の裏には、これだけのドラマが隠されていたわけです。
ここまで追ってきて、一段落した感じではありますが、実に感慨深いものがあります。
寅吉・和平の生涯や作品については、別途、
『神の鑿 寅吉・和平の世界』というコーナーを設けました。今後は、そちらを随時、更新していきたいと思っています。