偏食皇帝 食わず嫌い原理主義者 が語る食わず嫌いとは何か?

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1999年9月の所感
最近「みなさんのおかげでした」のメインコーナーとなっている「食わず嫌い王決定戦」というものがある。わしもよく見るが、あれはあれで面白いものだ。ああ、こいつはこんな食べ物が嫌いなのか、とか、それはわしも食えないよなあ、とか、なんでそれが嫌いなのかねえ、とか、偏食皇帝としてはついチェックせずにはいられないものではある。出てくる料理に関していちいち「一流のシェフが丹精に云々」と勿体をつける(最近言わなくなったが)ことに代表される食通ぶったスノビズムが気に障るが、まあ、それはよしとしよう。たがしかし。だがしかし、ひとつだけ譲れないことがある。それはこの「食わず嫌い王」というタイトルだ! 食わず嫌いとは何だ? 

食わず嫌い「食べたこともなく味も知らないのに、嫌いだと決め込むこと。また、その人。」(大辞林/三省堂)

食わず嫌いが嫌いなのは「食べたことがない」ものなのだ。味がキライだとか、食感がイヤだとか、以前に食べた時にいやな思い出があってとか、そういうものは「食わず嫌い」とは言わんのだ! しかるにあの番組に出てくるやつらは何だ? 食うじゃないか。食ったことあるものじゃないか。そういうものは食わず嫌いとは言わんのだ。もちろん、本当に「食わず嫌い」を当てるようなものでは番組にならないのはわかる。食わず嫌いの人間は料理を前に「これは食べられません、食べたこともありません、食べるつもりもありません」と言うしかないのだから。

そんな言葉の定義にこだわってうるさいこと言わなくてもいいじゃないか、という意見もあるかもしれない。しかしあの番組のようにただ語感だけで「食わず嫌い」を使うのは(そうに違いない、そうだったと今わしが決めた)、食わず嫌いに対する甚だしい冒涜である。またそれは真の「食わず嫌い王」を自負するわしへの挑戦だと受け止めざるをえない。理由があろうとなかろうと(体質や宗教や思想信条とかは除く)、食べたくないから食べない、食べたことない。おお、それはなんと純粋で本能的な行動であろうか。マスコミによる言葉の誤った使い方で、誤った概念が広がるのは、これに限ったことではない。食わず嫌いの何たるかを、きちんと理解していなかったことにも原因があるのだろう。だからこの番組もさっさとコーナータイトルを変えなさい。簡単ではないか、「好き嫌い王」にすればいいだけのことだ。ただしそれはそれでまた真の「好き嫌い王」でもあるわしへの挑戦ではあるのだがな。

1999/11/24 「明石家マンシヨン物語」(CX)とかいう番組で関根勤扮するツトム少年が「食わず嫌い王」に関して「一度食べてるのに食わず嫌いっていうのはおかしい」と指摘しておったな。「一度は食べたけどやっぱり嫌い王」との改称を提案しておった。

2011/5/23 「ほこ×たて」(CX)とかいう番組で「どんなしいたけ嫌いでも絶対に食べられるおいしいしいたけ」と「しいたけ嫌い(勝村政信)」の対決。「食べられません」で勝村の圧勝(番組上、ちょびっと口にはしたけれど)。生産者の「アワビかと思えるようなおいしさです!」に勝村「アワビはしいたけの次に嫌い」で秒殺。あたりまえだ。好き嫌いの基準は「うまい−まずい」という単純な概念ではないとあれほど言っておるだろうが!


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