旧ソ連・中央アジア一周旅行


ペレストロイカにより、改革開放が進みはじめた直後のソビエトを一周する ツアーに参加しました。参加者は皆大学生で卒業旅行で来ている人たちでした。

新潟からソ連製のTU-154という飛行機でたった2時間 でハバロフスクに到着します。外は一面の銀世界。飛行機を一歩出るとマイナ ス20度で5分と外にはいられません。空港の入国審査官は毛皮のコートを 着た、いかついロシア人ばかり。開放されたとはいえ、まだその多くがベール に包まれた時代のソ連です。もしかしたら逮捕されるのではないかと緊張しな がら入国審査を待ちました。その後、空港からホテルまでバスで向いますが, そこから見える風景は、まさにロシアそのもの。ここは日本に一番近いヨーロ ッパ世界だと実感しました。

このハバロフスクの街からソ連一周旅行が始まるのですが、ここではで旅にまつわる エピソードを紹介していきたいと思います。







ハバロフスクで聞く日本の放送

 ハバロフスクはシベリアの玄関口とも言える街で、アムール川沿いに広がって います。地理的には中国との国境に近く、日本からも新潟から飛行機で2時間と、 日本に最も近いロシアの都市の一つです。

夜になり、持っていった小型ラジオを つけると地元のFM放送をはじめ、いくつかの番組を聞くことが出来ました。ロ シア語の放送に混じって遠く中国語や韓国語の放送も聞くことができました。さ らにダイヤルを慎重に回していくと何と日本語の放送まで聞こえてきたのです。 距離的には放送が聞こえてきてもおかしくありませんが、ここはまぎれもなく ロシアなのです。やはり異境の地で聞く日本語の放送には感慨深いものがありま す。よくよく聞いてみると、それはNHK秋田放送局発信の電波でした。ちょう どその時間,天気予報やっていたのですが,シベリアの夜空を見上げながら聞く日 本の天気予報というのも、またおつなものではないでしょうか。



シベリア鉄道の警備兵

シベリア鉄道はモスクワと極東を結ぶ軍事的にも非常に重要な大動脈です。しかし 車窓の風景を見ているだけでは、あたかも北海道のどこかを走っているかのような 平凡な風景が続くだけです。ところが、このシベリア鉄道が軍事的な大動脈であると 感じるのは、橋やトンネルを通過する時です。橋の手前には,たとえそれが短い橋で あっても、必ず監視小屋が立っていて見張りの兵士が常時監視しているのです。 しかも夜になるとサーチライトで橋を照らし、不審な者が近づこうものなら直ちに 銃撃できるような態勢が整っているのです。トンネルの手前も同様です.車窓をよく 見ていると、時々トンネルを作らなくてもいいような場所にわざわざトンネルを掘り、 しかも警備兵が異常に多い場所がありました。きっとその付近には軍事的に重要な基地 があり、核ミサイルでも配備されているのではないでしょうか。 ただ真冬にはマイナス20度以下になるシベリアで夜通し監視している兵士の体を心 配しているのは私だけでしょうか。



チャイの砂糖と太った車掌のおばさん

 シベリア鉄道には,各車両ごとに1人づつ車掌のおばさんが乗っています。その多 くは前から見ても、後ろから見ても体の幅が変わらない、言わばマトリョーシカ (ロシアこけし)のような体型をしています。その車掌さんがちょくちょくお茶 (チャイ)を持ってきてくれるのです。(サービスのように勝手に持ってきてくれる のですが、もらうとお金を取られる。当時のレートで8カペイク,約16円)

300cc くらいのガラスコップを把手つきのステンレス製コップ受けに入れて持ってきてくれ るのですが,チャイと一緒に角砂糖も持ってきてくれます。その角砂糖は2個が1包み になっているのですが,それを2包み分も持ってきてくれるのです。甘さ控えめの 日本人にとって,角砂糖は1個あれば十分。私は余った角砂糖をおみあげとしてもって 帰りましたが、もしかしてロシア人のおばさんたちは、あの砂糖を全部お茶に入れて飲ん でいるのではないかという気がしました。あれだけ砂糖を取れば太るのも納得がいきます。 太るということは寒いロシアにおいては防寒の役目を果たします。これも一種の生活 の知恵というものかもしれません。



金歯のナターシャ

私達の乗ったシベリア鉄道の列車ロシア号に得体の知れないナターシャという女が 出没するようになりました。彼女は日本人の乗ったコンパートメントに現れては物乞 いをするのでした。物乞いはさらにエスカレートし、コンパートメントの中をあさる ようになってしまったのです。彼女を強引に追い返すと、ニヤッと不気味な笑みを浮か べて立ち去っていきました。その時彼女の口元からこぼれたものは、総金歯の前歯でし た。それは、まるで日本の獅子舞の獅子をを思い出させるものです。

ロシア人の中 には、ごく一部ではありますが、日本人からおみあげをもらう事を一つの権利と思って いる人間がいるようです。このよな人間におみあげを渡しても不愉快になるだけです。  なお、全体的に見てロシア人の女性は前歯に金歯を入れている人が多いという印象を 受けました。でも考えてみれば日本人でも、昔の人はよく金歯を入れていたので、やはり ちょっと時代が遅れているのかもしれません。



アイスバーンをカッ飛んでいくバス

 日本でも昔はスパイクタイヤによる粉塵公害が問題となった時期がありました。 しかし、少なくとも旧ソ連ではそのような問題は存在しなかったようです。真冬の イルクーツクの街を歩いていると,道ゆく車のタイヤにはチェーンもスパイクも付 いていないことに気づくでしょう。(もちろんスタッドレスタイヤなど存在しない)

 真冬のバイカル湖観光ということで,国営旅行社(インツーリスト)のチャーター したバスに乗ったのですが、タイヤを見ればほとんどツルツル。種も仕掛けもスパイク もないすり減ったタイヤです。こんなので大丈夫かなと心配しましたが、バスはアイス バーンの上を時速80キロ以上で快調に飛ばしていくのです。坂道発進の時、後輪がスリップ してちょっとてこずった事を除けば,ヒヤッとすることもなく無事帰り着くことができました。

この素晴らしいドライビングテクニックを是非日本でも教えてもらいたいものです。

氷結したバイカル湖


ロシア人のパイロット

 80年代の旧ソ連では主要路線の飛行機は皆ソ連製でしかも設計も古く、ボディー そのものも相当ガタがきているいように見えました。シートベルトが壊れている席もあり、 心配してスチュワーデスに訴えている客もいましたが、スチュワーデスが言うには、 シートベルトはしなくても大丈夫とのこと。  その言葉を裏付けるように、パイロット腕はかなりなもので,特に着陸のテクニックは 車輪がいつ滑走路に着いたか気が付かないほどでした。ただ操縦そのものは急上昇、急旋回、 急降下とまるで軍用機同様の操縦をするので、ちょっと怖い気がしました。

 飛行場に到着すると、まず操縦席から毛皮のコートを着た熊のような体型をしたパイロット たちが客席を通って出ていきます。その顔は「今の操縦はどんなもんだい!」と言わんばかり に誇らしげな顔をしています。思わず「スパシーバ(ありがとう)」と声をかけるとニコッと 笑ってこたえてくれました。 



バス、ガス爆発

 アシハバード(現トルクメニスタンの首都)でイラン国境近くにある地中湖を観光するということで、 マイクロバスをチャーターしてもらいました。カラクム砂漠の真ん中を延々走っていくのですが、 その日は本当に珍しく大雨が降った後で、道路は水浸し。砂漠というイメージにはほど遠い感じが しました。1時間位走った後でしょうか、突然バスの後ろで「バーン」という大音響がして、バス は急減速していきます。耳が「キーン」となり、しばらく何がなんだかわかりませんでした。 もしかしてゲリラによって襲撃されたのではないかと心配しましたが、すぐにバスは普通に走り始 めたのでした。その後、そのような爆発を2〜3回繰り返したのでわかりましたが、実はこれ、 エンジンの不完全燃焼で排気管にたまった生ガスが熱で発火して起こるバックファイヤー現象だった のです。きっと砂漠にしては珍しく降った大雨が災いしたのでしょう。


ソース、醤油必需品?  中央アジアの肉料理

 中央アジアでは肉料理を食べる機会が当然多くなるのですが、ウズベキスタンからグルジアで食べた 肉料理には本当にうんざりさせられました。それは、あらゆる肉料理に羊の肉が使われているからです。 ステーキなどはめちゃくちゃ硬いし、さらに羊肉の独特の臭さも手伝い、またそれを助長するかのよう に、味付けも軽い塩・胡椒だけでなのです。ハンバーグでさえ、ソースもケチャップもかかっておらず、 いわば焼き肉団子なのです。肉料理ってこんなにまずいものなのか・・・と実感させられました。ただ、 日本から醤油やソースを持っていったら、もう少し食べやすかったのではないかと思いました。


ソ連における夜のダンスパーティー

旧ソ連のホテルのレストランでは,夕食が終わるころから生バンドの演奏でダンス パーティーが始まります。ダンスミュージックは昔懐かしいゴーゴー風のものから ディスコ調のものまでいろいろあります。ロシア人のダンスのノリはなかなかのも ので、典型的なロシア人の大男や大女?も地響きをあげんばかりに陽気に踊ってい ます。その姿を見ているとロシア人に対して抱く閉鎖的なイメージなどなく、ヤン キー真っ青な陽気な人々ばかりです。 ある日,ブハラ(現ウズベキスタンの都市)のホテルで他の日本人の仲間たちと食事 をしながらダンスを見ていると、背後から何者かが近づき、いきなり私の腕をつか み、どこかに連行しようとするのです。へんだなあと思ったら、何とロシア人の おばさんが私をダンスの相手に駆り出したのです。すると、そのおばさん、私を 強引に引き寄せ耳元で「ハラショー」(最高)とささやくのです。その時はなんと も複雑な心境になってしまいました。


ベッドメークのおばあちゃん

トビリシ(現グルジアの首都)のホテルで部屋に案内されたとき、ベッドメーキングが済んでおらず、ちらかっていました。 自分で片づけていると、あわててベッドメーキングのおばあちゃんがやってきて、イズヴィニーチェ(ごめんなさい) と言いながら部屋を片づけ始めました。その姿は官僚的な共産主義国家のサービスとは思えないほどテキパキとしたものでした。 片づけが終わって、私は「バリショエスパシーバ (どうもありがとう)」と言ってお礼に日本製のストッキングを渡すと目を輝かせて喜んでくれました。すると、そのおばあちゃん 「ヤポンスキースパシーバ(日本語でありがとうは?)」と聞いてくるので、「アリガトウ」だと教えると、「アリガトウ」と日 本語でお礼を言ってくれました。その後、ホテルの廊下でそのおばあちゃんとすれ違ったとき、なんと「アリガトウ」と日本語で声 をかけてくれたのです。ちゃんと言葉を覚えていたのです。ソ連人は日本人が考えている以上に日本に対して親しみを感じていたようです。


真空管テレビ

88年当時、旧ソ連のホテルは、外国人専用ホテルと言えども、地方都市では部屋にテレビなどありません でした。モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)などの大都市では部屋にテレビはあったの ですが、レニングラードのホテルに至っては白黒テレビ、モスクワでは一応カラーテレビなのですが、スイッチ をオンにしても一向に画面が映らないので故障しているのかなと思いきや、忘れたころに画面があらわれるという、 懐かしい真空管テレビだったのです。この点だけ考えれば、旧ソ連は巨大な発展途上国としか思えず、この国が本当 に人工衛星や核ミサイル、最新鋭序ジェット闘機などを生産している国とはとても信じられませんでした。


レニングラードの押売少年

 レニングラード(現サンクトペテルブルク)のネバ川のほとりの公園で休憩をしていたら、 電卓や時計を欲しがるロシア人青年が近づいてきました。私は「ノーノー」と断ると、 今度は何と「カイロ,カイロ」と言ってくるのです。よくカイロなんて言葉を知っているなな あと思いつつ、ホカロンを2,3個渡しました。彼は「サンキュー」と言って帰っていきました。

 その後、しばらく歩いていくと今度は2,3人の少年が英語を喋りながら近づいてくるのです。 すると、その少年たちは私がさっき青年に渡したカイロを見せびらかせながら、それを1個1ルーブル (当時のレートで約200円)で売りつけようとするのです。さらにカイロの袋を今にも開けそうな 素振りをして押売り行為をするのです。私は無理やり彼らを追い払いましたが、さすがにロシア人が あのような連携プレーで押売りをするなどとは、夢にも思いませんでした。


レニングラード空港の体重計

 レニングラード(現サンクトペテルブク)空港で手続きを待っていると、何やら向こうの方で人が集まってわいわい騒いでいます。 何をしているのか見に行くと、何と関取のような体格をした太ったおばさんが、荷物の重さを計るために置いてある体重計に乗ってい るのです。それを10人ほどの観衆が取り囲んで見ているのですが、皆「わーすごい」とばかりに感嘆の声をあげているのです。 おばさんは思わず体重計の目盛りを手で隠して笑っていましたが、針の角度からして100キロは軽くクリアしていました。 おばさんが下りた後私が体重計に乗ってみましたが、身長170cmで防寒着を着たままでも70キロ程度だったので、周りのロシア人たちが一斉に 拍手をしてくれました。私自身、ロシア人たちが結構ユーモアセンスがあることに驚かされました。


タダ乗りもできた?ソ連の路線バス

   旧ソ連ではバスには路線ごとにナンバーが付いています。地図で目的地に向かうバスナンバーを確認し、 バス停を探しますが,何しろ路線が多い上に、バス停名や行き先など、みなロシア語で表記されて いるので、バス停発見にかなりの時間がかかりました。バスに乗り込み、切符を買おうと回りを見回 しましたが、このバスには車掌の姿も料金箱らしきものもありません。運転席も客室とは仕切られて います。しかたがないので回りを観察していると、乗客はポケットの中から回数券を取り出し、備え 付けの箱に捨てていました。私は回数券など持っていなかったので、ホテル近くのバス停に付いた時、 そのままバスを降りてしまいました。無賃乗車が成功?したのです。

あとで聞いた話なのですが、バスに乗る場合,あらかじめ道端にあるキヨスクのような売店で回数券 を買ってからバスに乗るとか。しかし、このシステムではタダ乗りなど簡単にできそうです。旧ソ連 ではそれだけ人を信頼していたのでしょうか?


モスクワの地下鉄と高速エスカレーター

モスクワの地下は非常に深いところに造られています。駅の構内はまるで宮殿のように豪華なシャンデリアや彫刻が 施されており、一駅一駅デザインがみな違います。 改札口は自動式で、当時5カペイカコインを入れるとランプが緑色になり、通ることができました。その先にエスカレーター があるのですが、人の流れに乗って歩いていき、ひょいとエスカレーターに乗った瞬間、思わず体がのけぞり、ひっくり返 りそうになったのです。なんと、そのエスカレーター日本のエスカレーターの約2倍のスピードで動いているのです。 エスカレーターは一直線に、まるで底なし沼に吸い込まれていくようにトンネルを下っていきます。こんな高速でもホーム までなかなか到着しません。あとで時間を計ってみたのですが、なんと地上から地下ホームまで3分もかかったのです。 いろいろな駅で乗り降りして気が付いたのですが、エスカレーターのスピードは、駅の深さに比例して速くなっているようです。 高速エスカレーターにうまく乗るコツは、5メートルくらい手前から一気に加速し「えいっ」と飛び乗るのです。 モスクワの地下鉄は一度は乗ってみる価値があるでしょう。

地下鉄コムソモーリスカヤ駅


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