ゆっくりにんびりした気分で、遅い朝食をとり、新聞を隅々まで読むことを楽しみにしている日曜日の朝。
ふだんは読み流してしまうことが多いが、「禅の公案のように」という心理学者の河合隼雄先生の“おはなし”が目にとまった。
「教育現場で起こるたくさんの問題の解決には直ちに単純明解な回答を出すのではなく、一般常識的な先入観にとらわれずに心の奥深くを見通せるまで、焦らずじっくり考えてみよう。答えはそう簡単に出してしまわない方が良いことがある」という内容だった。
頭の中に、そうだあの時もこの時もそうだったといくつかの場面が思い浮かんだ。
ある若い夫婦は子どもをそれは大事に育てていた。休みには親とワゴン車で遊園地に出かけ、飛行機や自転車などを器用に組み立てたりして一緒に遊びを楽しんでいた。
ごく普通の子どもと考えられていたのだが、T君は幼稚園に入園すると子ども集団にどうしてもなじめず抵抗が強かった。先生や母親が集まっているところでは自然に打ちとけて新幹線に乗った話など嬉しそうに話したりするが、子ども集団に近づくと身体が硬直し固い表情になりニコリともしないという。担任はかなりとまどったようだが、母親といろいろ話をしているうちにいくつかの面が見え始めてきた。
一つのことに集中すると他がわずらわしくなり、周りから声のかけられるを嫌がるなど、自分の世界を持つ感受性の強い部分があるのが分かってきた。それからは急いで皆と同じ生活をするようにはせず、ありのままの姿を受け止めてみようと待つことにした。周りの子どもたちもあれがT君の生活なのだと驚かなくなってくると、T君の不自然さは少しづつ変化して、緊張して周りを拒否する構えが解け始め、友達とキャッキャッと笑い転げている場面を見せるようになっていた。
また、いつもニコニコと教師につきまとうH君は、ひょうきんな言動でみんなを笑わせる明るさをもっていた。
ところが時折、さあ皆で一緒に何か始めようという大事なタイミングになると、ふらふらと目的なしに歩きまわる奇妙な行動を示すのだった。面白がってしているのか、目だとうとしているのか担任は困惑し母親と話し合ってみた。
ふたつ違いの弟に母親が目をかけすぎて、その弟が打てば響く反応の速い子であることがしだいに分かってきた。
H君が幼いなりに言葉に整理して表現できない心の痛みや焦り、不満などを抱いていて、担任が皆と一緒に活動することを、自分の甘えの対象が遠ざかるように感じるので奇妙な行動で呼びかけるのではないだろうかと先生たちは考えてみた。
変な行動と軽く済ませたり、しつけの名目で行動面だけ押さえずに本当によかったと思わせる変化が起こった。
母親と担任から充分受け入れられ、抱かれては褒められたり励まされたりすることが増え、H君はすっかり落ち着きをとり戻して、自信をもって行動するようになった。
急がず待つことは幼稚園では特に大事と考えられる。
先を急ぐ子育てが増えているが、子ども自身の成長を待つ教育でありたい。



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