兄夫婦がしばらく神戸に住んでいてため、よく三ノ宮の商店街でやわらかくふわっとしたたこ焼きをご馳走になったことなどが思い出されます。今回の阪神大震災の報道のありさまをテレビの画面でみるたびに以前親しんだいろんな場面の様子が重なるように浮かんできます。

私の兄弟や親類、友人のほとんどは京都から阪神地区に住んでいます。毎年お互いの無事を願い年賀状の交換をしていますが、その他は「便りのないのは元気な証拠」とそれぞれ働き盛りで、冠婚葬祭の時のほかは顔を合わせる機会はそう多くありません。

先日の大震災の時、すぐには電話連絡もつかず、とてもいらだちと不安を感じました。多分大丈夫と思う気持ちと必要以外の電話をさけてほしいとの呼びかけに辛抱しつつ心配していました。
3日ほどして「みんな大丈夫だったけれど恐ろしかった」と関西弁で一家の大黒柱である兄の声にその怖さが伝わってきました。
東灘区に下宿している弟の長男の消息を知ったのは6日後のことでした。2階建ての下宿がペシャンコに壊れ下敷きになっているおいが救い出されたのは地震後3時間程後のことだったそうです。
幸い助かり元気にしていますが、一緒に勉強していた学友30数人の若い命が途絶え亡くなられたことを知り、同じ年ごろの子を都会に下宿させている親として身の縮む思いがしました。ご家族の心境を思うと深い悲しみを覚えます。心からごめい福をお祈り申し上げます。

4,5日間地震関係のテレビ番組の変更で夕方のマンガが中止されました。幼稚園の子どもたちは翌朝「マンガは映らないんだよ」「地震だから仕方がないよ」と話し合っていました。
いつもですと国会中継などが長引き番組がカットされますと「なんだ、つまらない」と不平不満が返ってきていましたが、今回はお家の方から話を聞いたり、テレビを見て幼な心にも大変なことがおこっていると理解したようでいつもとは違っていました。
ふだん、保育室では段ボールで壊れないような頑丈な家を造り「3匹の子ぶたごっこ遊び」をしていますがこのごろは段ボールを家や壁に見たてて「地震だー」と勢いよく倒して遊ぶ姿が見られます。
まだ地震の本当の怖さを知らない子供たちですが、社会のできごとを敏感に受け取り遊びを広げていく様子が見られます。
被災地の幼稚園では園舎全壊や使用不能など相当数の被害があり、幼児や教職員が亡くなられるなど大変な状況です。また道路はガレキが散乱し幼児が通園できる状態ではないとのことです。
後片付けや救援活動で忙しい若い父母のためにも、幼児を遊ばせる施設と保育者が必要となっています。
恐怖を味わい情緒不安定になっている子供にこそ夢中で遊べる環境が何よりも大切と思います。

被害を受けた私立幼稚園の再建、再開のため募金をお願いしたところ、園児のご家庭の皆さんから驚くほどの募金が集まりました。子供たちの笑顔が1日もはやく取り戻して頂ければと願ってまいす。



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