濃い緑が美しく街を包み、雨に濡れる今の季節は心を落ち着かせてくれるものです。
とりわけ今春、入学や就職で子供達を遠くに送り出した家庭では、ほっと安どの気持ちに浸れるはずです。
ところが喜びもつかの間、まわりの落ち着きをよそに家を離れた子どもを心配してそわそわしている母親の姿が結構見受けられます。

先日、郡山からの帰りに「ばんだい号」で乗り合わせた知人と話混んでいたところ、東京の大学に入学した息子の部屋の掃除と洗濯をして、食品を買い込んで冷蔵庫に入れ、1泊しての帰りということでした。
幼かったお子さんが、立派に成長して大学に見事合格した事を喜び合いましたが、生き生きと楽しそうな母親を毎月迎える息子さんが、どんな反応を見せておられるのかは聞き損ねてしまいました。
心待ちにして感謝しているのか、それともそろそろありがた迷惑になってきたのか、過保護、過干渉の形にならないことを願っています。

わが家の子ども達も高校時代は食事、洗濯、整理整とんなど部活動や受験テストと
称しては母親に要領よく依存していました。
時折苦情を言うと、しばらくは自分でやろうとするのですがいつの間にやら逆戻り、仕事をしながらの子育てのため行き届かないまま育ってきました。
それぞれにアパート生活を始めると親の心配をよそに自分なりにエンジョイしていたようです。 
自炊生活を始めた娘からは夕方に「ハンバーグはミンチに玉ネギのみじん切りと何をいれるのだった?」と電話してきました。
「いためた玉ネギを混ぜ、牛乳に浸したパン粉と卵、塩こしょうを入れて作っていたでしょう」「あっそうか」といった具合でしたが、間もなく気の合う自炊生活の友人ができ、献立の情報交換で親しくなっていたようでした。
一度娘のアパートを訪ねたところ、狭い台所に新聞から切り抜いた「肉じゃが」「さつまいものレモン煮」などの料理1口メモがセロテープでしっかり張ってありました。
洗剤メーカーから頂いた小冊子を壁につるして読みながらセーターの洗濯をおぼえたそうで、結構上手に仕上げてクリーニング代が節約できたと満足そうで「生活する力」が芽生えてきたようです。

かって家庭科の教師をした私からこの子たちに教える機会は皆無でしたが、必要に迫られれば何とか身につけているようで、心の奥で娘を励ましてきました。
鉄砲玉のように家を出るといつ帰るか分からず、めったに顔を合わせて話をする機会がなかった運動部にいた息子と、数年ぶりに夕食をともにするようになった。
毎日似たり寄ったりの献立を繰り返すわたしが「何か変わったものないかしらね」と言うと「2、3日何も食べなければうまいものが何かわかるよ」、「あんたそんなことあったの」
「あったよ」のひと言。男の子は男の子なりに成長するものです。
かわいい子には旅をさせよ、と言いますが人間は他人様のなかでそれなりに成長させて頂くもののように思えます。



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