先日の「母の日」にかかった遠くに下宿する子供の電話の声は、普段の用件だけとは少し違いそれなりの思いを込めていたようで、母親である事を改めて感じることが出来た。
高齢の実母は記憶も判断も確かでなく、いつ電話しても昔と今が混乱したまま機嫌よくこたえてくれるが、こちらの思いは届きにくい。

人生の半ばを過ぎたいま、振り返ってみると母と同じように心の中に残る、人生について教えを受けた3人の女性がいる。20代、30代に直接かかわり共に過ごした、当時60代前後の円熟期にあった明治生まれの方々だった。
生き方といい、人間性といい深く心に残るものをあたえて頂いた。

92歳の今も時折達筆なお頼りを下さる生花の師は、娘のころご近所ということで入門させて頂いたが、お花を習うよりそのお人柄に魅かれ、柔軟で回転の速いお考えで、ふらふらする青春の私を励まし、人生行路のかじ取りをしてくださった。
何もかも見習いたい、もっと近づきたいと思わせる、なんともいえない魅力を持ち合わせたお方であった。情操の教育は技術や知識よりも人格の方が大きな影響を及ぼすものだということを今だに教えて頂いている。 

もうひと方は大学の恩師で私が大学に残り研究室勤務をしていたころ、共同研究の論文をまとめて発表したことで忘れられない思い出がある。
何しろ超多忙の教授のもとで仕事をしていたので、いつの間にか自分もあちこち資料集めに奔走し、その成果に満足して他へ出向いて発表したことにおしかりを受けた。発表が認められ評価されたのが水の泡となりショックを受け、若さのいたりで反発していた。
やがて当時の教授の年代にいたり若い方々と共同の仕事をするようになってみて、あの折、教授が何を叱ろうとされるのか分かるようになってきた。
郡山での学会に出席された教授と久しぶりに歓談する機会に恵まれ、心おきなく接してくださりやさしく励まして頂いた。
2年前まだまだお元気だったのに急に亡くなられ本当に寂しい思いでいっぱいだった。
形がいくら整っていても筋の通らないものは、やり直しを求める厳しさが、ときには人を成長させることを学んだことは大きかった。

3人目の女性としての義母の笑子のことは書いておきたいことがたくさんあり、女性の目から見た姿を記したいと思うが、他人様にだれ彼となく丁寧に接し、よく面倒を見ようとする人であった。慕ってくれる人が大勢いて長く付き合っていたようである。
仕事と家庭を区別し、仕事には全精力を傾けていたが、家事も無駄を省ききちんと片付けていた。
お互い同じ土地で育ったので私を相手に懐かしい昔話をするのが楽しみだったようだ。

この3人の女性に、人間としての厳しさ優しさ強さを教えられ、円熟した年代の人間味のある愛を受けたことの幸せをかみしめている。



1 # 3 4 5 6 7 8