ズッコケ宇宙大旅行 原作本あらすじ 解説 |
<原作本あらすじ> 新緑の季節。花山町の背後にある高取山のふもと。 ハカセに連れられて、モーちゃん、ハチベエの3人はバードウォッチングに来ていた。 ハカセがテレビの教養番組を見て、野鳥観察に興味を持ったからである。 ハカセはこうもり傘を改良してつくった集音マイクで、野鳥の鳴き声を録音した。 昼ごろ家に戻り、テープレコーダーで録音した鳥の声を三人で聞いてみた。 ところがテープを再生してみると、最初は鳥の声がちゃんと録音されていたのに、途中からなにやら奇怪な金属音に変わってしまっていたのである。 ハカセはこの録音ミスの原因を考えていると、妹の道子が入ってきて、この音は宇宙人の声じゃないかと言う。そういえば最近高取山でも円盤さわぎがあった。この音の正体を確かめるため、ハカセは午後、もう一度高取山に行ってみることにした。 テープレコーダーにイヤホンを差し込んで、それを聞きながら歩くことにした。やはり奇妙な金属音がする。小川の流れに逆らって歩いていくと、その音は大きくなっていくようだ。音の発信源をつきとめるべく、雑木林の中を歩きつづけた。すると怪音は突然停止し、林の間から、けむりとも霧ともつかぬ異臭を放つガスが広がってきた。ここでハカセはあえなく引き返さざるを得なかった。 翌日ハカセは、このことをハチベエとモーちゃんに話した。 先日のUFO騒ぎとなった怪光現象と、この金属音は何か関係があるのではないかということを話すと、ハチベエにはばかにされてしまった。ハカセは怒ってその場を立ち去ってしまう。 もう二人なんかあてにならない。そう決めこんだハカセは、一人で山を探査することにした。 翌朝、万全の装備を整えて、再度高取山に向かった。 杉林を抜けるころ、前方になにやら銀色のとてつもなく大きい建物のようなものが見える。 近づいていくと、なんとこの物体は、地上から50センチほど浮いているではないか! その場にへなへなとすわりこむハカセ。 これはまぎれもなくUFOにちがいない。 イヤホンの音は、もはや金属音ではなく、女性の声に変わっていた。 「ワタシハ キケンデハ アリマセン…」 また、この女性の声は、ハカセがここへ来た目的を聞いてきた。ハカセは思わず、宇宙人と友達になりたいのだと答えると、銀色の物体の底から、一人の少女のすがたが現れた。 ハカセは少女に導かれて、銀色の物体の内部に案内された。 少女のすがたをした宇宙人は、地球から11.9光年のところにある、くじら座のタウ星からやってきた。地球のことを調べ、地球人と友達になるためだと言う。だが、月の裏側にある母船が正体不明の生物に攻撃され、乗り組員は全滅してしまった。身の危険を避けるため、少女はこの探査機に乗って、ここに停泊しているのだと言う。 少女はハカセに、母船にひそむ正体不明の生物と戦ってほしいと頼むが、気の弱いハカセは躊躇する。 一方、ハチベエとモーちゃんは、一人で山へ行ったハカセを追いかけて高取山にやってきた。途中、ハカセの自転車が置き去りになっているのが見つかり、さらに杉林を抜けていくと,銀色に輝く物体が宙に浮いているのを発見した。おののく二人。やはりハカセは宇宙人にさらわれたのにちがいない。逃げようとする気持ちと、ハカセを助けなくてはいけない気持ちがごっちゃになっておろおろしているうちに、物体から光が放たれ、その光の中に、手をふっているハカセがいたのである。 銀色の物体の内部。ハカセは、ハチベエとモーちゃんに宇宙人の少女を紹介した。 少女は、二人にも一緒に謎の生物と戦ってほしいと言う。とまどう二人だが、少女の頼みを断りきれなくて、引き受けることになってしまった。 三人組と少女は、謎の生物に占領されているという、月の裏側の母船に向かった。 途中、三人組は魔法の棒のようなものを渡された。これが武器らしい。 棒の先を相手に向け、「死ね!」と念じるだけで相手を倒せるという。 敵は、母船第2ブロックの居住空間のあちこちにむらがっているという。 三人組はおそるおそる棒を持って近づいていった。 三角形の大広間の床は、茶色のまだらもようがこきざみにうごめいていた。 この生物が、少女の仲間たちを殺したのだと言う。 三人組は、意を決してこの茶色い物体と戦った。 しかしこれは一体なんだったのだろうか? 怪物の一部だったのだろうか?ハチベエが戦っているとき、ズボンの上をはいあがってきたこげ茶色の物体は、虫のような気がしたのだが…? ページトップへ <解説> ズッコケシリーズ第12作目。1985年刊。 この本については、やや否定的な見解が多いようです。 ズッコケ三人組の研究書「ズッコケ三人組の研究」(ポプラ社)の中でも、「宇宙旅行とか、そういった土台のないものはやっぱ苦手」(p.23、赤木かん子)、「笑いながらさっと読めておしまい」、「彼ら三人がその事件に遭遇した必然性が薄い」(p.58、村中李衣)、「『ズッコケ宇宙旅行』はあまり感心しなかった」(p.181、古田足日)といった意見が相次いでいます。 いずれも決定的な論拠に基づいた発言ではないので、あくまで読んだ人の感想と考えるのが無難なのでしょう。しかし、こういった発言が相次ぐのもゆえなきことではないのかもしれません。 ここで断っておかなければならないのは、上で挙げた「発言」は、いずれも1990年ころのことであり、当時ズッコケシリーズはまだ20巻しか出ていなかったということ、42巻出版されている現在の状況からすれば、その中でのこの作品の位置づけは、またちがってくるかもしれない、ということです。 例えば、上の「発言」の村中李衣は、ズッコケシリーズを2分し、『花のズッコケ児童会長』、『うわさのズッコケ株式会社』、『ズッコケ文化祭事件』などを、「笑いながらだけれど心の奥にぐっとくるもの」とし、一方、『ズッコケ時間漂流記』、『ズッコケ宇宙大旅行』、『驚異のズッコケ大時震』は、「笑いながらさっと読めておしまい」なものとしています。前者は「非常に日常的なでき事を語ったもの」であるのに対し、後者は「過去や未来にストーリーの軸が移動するもの」で、これについては「過去へ未来へ移動することに翻弄されて、彼ら三人がその事件に遭遇した必然性が薄いのではないか」というのです(もちろん村中はここで、そもそも娯楽小説とは、そういった必然性を排除した上に成り立っていることを認めた上で言っています)。 つまり、『児童会長』、『株式会社』、『文化祭事件』は、あくまで子どもの日常を題材としているので、そこで起こるできごとは、奇想天外ながらもある種のリアリティーを保っているのだが、『宇宙大旅行』、『時間漂流記』などは、現実にはまずあり得ないことだから、読者が、三人組、あるいは物語自体に共鳴できるかどうか問題がある、ということなのでしょう。 ただ、ズッコケ四十数巻が並ぶ現在、ズッコケワールドにおいては、その中で起こるできごとが現実的かどうかということは、あまり問題ではない気がします。ときには人生の深い問題や、はては民主主義のあり方まで考えさせられることもあるけれど、それと同様にタイムスリップも、心霊体験も、地震も、殺人事件も起こるのがズッコケワールドであることを考えると、この作品だけが現実味に欠けるという理由で評価に値しないということにはならないはずです。 では、この作品がどの点においてあまり評価されないのか。 それは、もしかしたら壮絶な宇宙戦争が起こるのかもしれないという、読者の宇宙物語に対する期待を、大幅に裏切ってしまうからだと思います。 宇宙の敵と戦うというのですから、手ごわいエイリアンでも登場して、いくぶんズッコケながらも、ハカセが知恵をしぼってエイリアンを倒してくれるような話を期待してしまいますよね。ところがその怪物とは、こげ茶色のゴ×××なんですもん(笑)。いくらなんでもそれはないよねぇ…。三人組のズッコケぶりを楽しむどころか、読者のほうがズッコケさせられてしまいます。 しかも、この作品にはエピローグがついていて、これにより、実はこの顛末すべてが、宇宙人が実験のために仕組んだ芝居だった、ということになるのです。読者は、最後になってだまされていたことに気づかされるのです。宇宙戦争?なんてとんでもないじゃないか、とぼやくはめになるわけです。 ひょっとするとこれは、読者がだまされて怒って評価が上がらない?作品なのかもしれないです。でも「ズッコケ」を読む以上、反対に読者がズッコケさせられてしまう覚悟は、必要なのかもしれませんが…(笑)。(6月1日) ページトップへ |
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