篠田節子著 『長女たち』

 

              2017-09-25



(作品は、篠田節子著 『長女たち』   新潮社による。)

          

 初出 家守娘        小説新潮2008年8月号
    ミッション      小説新潮2011年11月号
    ファーストレディー  小説新潮2012年10月号
          単行本化にあたり、大幅な改稿を施す。

 本書 2014年(平成26年)2月刊行。

 篠田節子(本書より)
 
 1955年東京都生まれ。東京学芸大学卒。八王子市役所勤務を経て90年「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年「女たちのジハード」で直木賞、「ゴサインタン」で山本周五郎賞を、2009年「仮装儀礼」で柴田錬三郎賞を受賞。2011年「スターバト・マーテル」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。他の著書に「夏の災厄」「カノン」「弥勒」「賛歌」「銀婚式」「ブラックボックス」など多数。  

主な登場人物:

<家守娘> 母親を一人で介護する羽目に、妹からはなじられても一緒に住んでみなければ分からないと。自分の幸せな時はほんの少し訪れても大変なことに・・。
島村直美(42歳) 結婚歴有りの今は独身。母親と父親の残してくれた古い大きな家と庭付きの屋敷に暮らす。教育関連会社勤務で今やそれ相当のポストに。
妹 真由子(37歳) 頭の悪かった妹は両親に可愛がられ早々と結婚して家を出て千葉で夫の両親と同居。夫の父親は市長、夫は政治家の秘書、高校生を頭に三人の男の子を抱え、様々な人間が出入りの家に嫁いでいる。
母親 松子 若い頃は評判の母娘の親子だったが、今や骨粗鬆症、認知症が見受けられ直美の介護が必要な状態。幻覚も現れてきて・・・。
<ミッション> 園田の後釜としてヒマラヤの麓“マトゥ”村に医療活動のため乗り込んだ頼子を待ち受けていたものは・・。人間の生き様が問われる。
秋本頼子 母親が50代で死後、素材メーカーの研究所を辞め、26歳で南端の国立大学医学部に入学、卒業後地元大学の指定病院で数年勤務、離島の診療所を掛け持ち。それも園田の励ましと尊敬の念から。46歳の誕生日に日本を発ちマトゥ村に。
園田和宏 高校時代の先輩。革新政党系の病院勤務、ヒマラヤの麓の村に医療活動のため7年間従事、姿を消す。
パルデン 現地のドライバー兼通訳。
<ファーストレディ> 母の世話でいがみあったりその後の反省を繰り返す中、腎臓移植が必要なときになって家族の対応は、自身の行動は・・・。
松浦慧子(けいこ) スポーツ医学研究所の就職をあきらめ、母の生活管理を引き受けるも、母とはいがみ合いばかり。母の代わりに松浦家のファーストレディ役を。
玉の輿と揶揄され松浦家に入る。祖母の介護を完璧にこなすも、死後タガが外れたように乱れ始めた。糖尿病なるも食事制限など拒否、隠れてでも甘い物を食しやがて症状悪化・・。
階下でクリニックの院長。地域の名士として慈善活動や啓蒙活動に。

弟 泰水(やすみ)
妻 アミーラ
娘 沙羅

母が溺愛した弟。外国留学でソマリア出身の妻と3歳の娘を連れて戻り、大学病院で整形外科医。
母は日本人の孫を望むも。

物語の概要:(図書館の紹介記事より。)

 親が老いた時。頼りにされるのはもはや嫁でも長男でもない。無責任な次女、他人事の兄弟、追いつめられた長女の行く末は…。どの家庭にも起こりうる“ありふれた地獄”を描く衝撃作。 
読後感:

<家守娘>
 実に長女の直美の背負った運命とも言うべき母親の介護問題がこれでもかと襲ってきて、近い将来の自分を暗示するかのようで、切実になってくる。しかも知らないことが色々と描写されていて参考になることも多々有り、目が離せなかった。
 
 掛かりつけ病院の精神科女医の「決して間違いを正そうとしたり、強制したりしてはいけない」のアドバイスを初めて受け入れられる時が来て気持ちの安らぎを感じることに。切迫したときの母親の素の人間性が出る言葉、自分がはき出したいがはけないで呟く言葉に現実の地獄が見え隠れしている。
 なんとか先に明るさが見えてほっとするラストがせめてもの救いであった。強くならなくちゃあ生きていけない。

<ミッション>
 高校時代の先輩園田和宏が7年間ほとんど中世世界のようなヒマラヤの麓”マトゥ”村で村人の健康改善に取り組んでいて死んだ。その後釜として父親を捨て、兄の反対も押し切って彼の地に赴いた秋本頼子を待っていたものは・・・。
 
 園田の死後4年経ち、頼子が訪れたときには再び昔のような秩序を取り戻した。ツェリンという危険な状態かつ妊娠している女性を診るも、「ラマ」(薬草医の診療室兼薬局)の所に行ってしまったのを追って自らも赴いたが、お浄めと液体を飲まされ、幻覚を見る。
 ラスト薬草医の言葉に今まで意気込んでいた思いがもろくも砕け、帰国する頼子。
 薬草医の言葉は現代の医療のあり方、人間の生き方の根源をついているようで、著者の意図が見えるようである。

<ファーストレディ>
 ここでも母親の世話に自身の全部を捧げるも実の母親をみることがこんなにも大変なものなのか、「文字通り親身な娘より、賢明な嫁と暮らす方が母も幸せであるに違いない」と思う慧子。母が検査入院でいなくなって解放されたときの開放感が理由のない罪悪感を抱いてしまう慧子。

 そして腎臓移植が必要なまでに至った母に、自分の臓器を提供することにたいし、父や弟の言葉が胸に突き刺さる。母親が果たして娘の臓器を受け入れるのか、さらに母親に対し慧子自身の殺意のようなものを抱いて呆然とする慧子。
 やるせないしこんな状態になる前に自分で自分の始末をつけてしまいたいなあ。


印象に残る言葉: 


<ミッション>
 薬草医が頼子に告げる言葉に対し、頼子の思い:
「・・あの男(園田のこと)がやってきて七年。殺すか追い払うかするしかないほど、村人は困惑していた。苦しみ少なく死に、来世は人として生まれ変わる。その祝福を失い、家族も村も疲弊していった。おまえたちが、町に来ている西洋人たちが、何を考えて生き、どうやって死ぬのか私は知らない。しかしこの土地にはこの土地の生き死にがある。我々は長い間、そうやって生きて死んできた」
 論破する言葉は見つからなかった。たとえ論破してたところで、何になるだろう。この風土の中で培われた死生観について、説得も、啓蒙も、おそらく宣教も用をなすまい。
 補足 この土地の死生観:突然死こそが望ましい。

  

余談:

 
3編の作品を読み終えて、家族の中の長女と母親の関係は実に大変なものだとつくづく感じてしまった。そして人間、極限の状態に至ったときどのように行動するか、それには自身の哲学、生き方をしっかり持っておかないとと。  
背景画は、海をテーマに。(自然いっぱいの素材集より)

                    

                          

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