岡本太郎美術館問題について


関 口 佳 織
(弁護士 生田緑地・里山・自然の権利訴訟弁護団
  第二東京弁護士会公害対策環境保全委員会所属)

 こんにちは、私は、昨年、弁護士になりまして、第二東京弁護士会の公害環境委員会に所属いたしました。その中で、茨城県に越冬するオオヒシクイ(雁の仲間)の弁護団に誘われて入りました。その弁護団のメインとなった方達が昨年の川崎・生田緑地に建設中の岡本太郎美術館問題についての住民監査請求の代理人となられ、その方たちから誘われて、今回の川崎の生田緑地自然の権利訴訟に加わることになりました。

■生田緑地の問題点

 まず概要を説明いたします。この生田緑地は、川崎市多摩区にあります。向丘遊園から歩いて15分。広い意味での生田緑地は自然公園・川崎市の経営するゴルフ場・そして岡本太郎美術館予定地となっているゴルフ練習場を含みます。裁判としては、ご存じのようにタヌキ・キツネなどの自然の原告をも加え、その他に生田緑地の自然を守る会と賛同者の方などが人間の原告が、川崎市と川崎市の教育長、川崎市のまちづくり公社を相手取り、岡本太郎美術館建設にかかわる公金の支出の差し止め、既に支出された公金の返還、および、将来、公金が支出された場合のその賠償を求めた住民訴訟となっています。
 さて、ここで生田緑地の自然はなぜ守られるべきなのか、ということことについて少し述べたい と思います。
 川崎市は昔から公害で全国的に有名になり、東京に近いことからベットタウン化が最も進んできた所です。生田緑地は、そうした中で100ha以上のまとまった面積を持つ自然を持つ。これはいわゆる里山として、雑木林、草原など人の手が入りながら自然が残っているのです。こうした人里近くの自然はどんどん少なくなっているのです。工業用地や相続のために手放して住宅になる。しかし、ここは川崎市の所有地のため、そこだけがポッカリと残っていて、航空写真で見ると生田緑地だけが残っている「緑の孤島」という状態でした。
 岡本太郎は川崎市の出身だということで、1991年、出身地であるで川崎市に作品を寄贈しました。1993年川崎市は、突然、生田緑地に岡本太郎美術館を造ると発表しました。この突然という点は、まさしく「突然」でした。この生田緑地については、その少し前に川崎市と住民とが話し合って、百年は何もつくらないことにしよう、コンクリートの建物はつくらないと決めたのです。ですか ら、この岡本太郎美術館建設の話は、生田緑地を管理する川崎市環境保全局にも寝耳に水の話だったのです。最初、川崎市が美術館をつくろうとしたのは、噴水広場と言われる、今の計画よりももっと自然の公園の中に入り込んでいました。しかし、これは市民からも問題があるという声があり、川崎市の行政内部である環境保全局すら聞いていない、ということでしたので、その後、奥の池と言われる所に変わり、最終的に本件予定地となったのが、1995年7月でした。
 川崎市にはアセスメント条例があるのに、この計画についてはそれを適用しなかった。川崎市はこれを気にして、住民に説明会をしたなどと言っているが、内容は不十分なものでした。そこで、1996年10月 生田緑地の自然を守る会などが監査請求を出すことになりました。監査請求は「美術館の建設に公金を支出しないこと」「工事を着工しないこと」を求めました。しかし、11月に川 崎市は監査請求の結果が出るまのを待たずに着工を強行しました。そして、12月26日に監査請 求が棄却されました。監査請求においても、ホンドキツネ・タヌキなどを請求人に加えたのですが 、これらは住民であるとは認められないとして自然動物の請求は受理せず、住民のものについては棄却するというものでした。ここで棄却された理由については、「自然の権利侵害」「環境を破壊する」ということについては、「市が工事後に環境を修復するからよい。環境保全の政策をとるから問題はない」アセスメントをしなかったことについては後に述べますが、「取付道路は美術館完成後撤去して原状に回復するので開発面積には算入されず、したがってアセスを行う必要はない」「住民に対する説明会など開催し民主的な手続きは踏んでいる」とのことでした。この監査結果を不服として訴訟に踏み切ったわけです。

 この訴訟は、公金支出差し止め、返還を求めているのですが、何を問題にしているかというと、 第一に生田緑地の動物たちの自然の権利の侵害、第二に川崎市アセスメント条例違反を中心にしている。この他に、環境基本条例がうたっている環境権の侵害、母の塔を建てることが景観条例違反であることなどもあげています。

■タヌキ・キツネを原告に

 自然の権利侵害について、この訴訟でどうして自然物を原告にしたのか、お話ししたい。岡本太 郎美術館建設計画予定地に生きる動物たちの生きる権利を代弁するのは、人間のみでは不完全であるということです。この裁判は個人の利益のためにやっているのではありません。訴状で出した自然原告は、ホンドギツネ、ホンドタヌキ、ギンヤンマ、カネコトテタグモという蜘蛛、ワレモコウという植物の5種の自然原告にしました。監査請求ではタヌキ、キツネだけだったのですが、裁判所に「化かされている」と言われるかもしれないということもありますが(笑−)、この二つだけ では生田緑地の、特に本件予定地の自然全体を代表できないと考えたわけです。生田緑地は、里山、すなわち雑木林・草原などが一体になった所で、予定地は開けた草原です。里山はこのような自然環境およびそこに住む生き物たちが一体となって生態系をつくっています。そこで、本件予定地たる草原に住む生物を代表として出したということです。
 住民監査請求については、監査前置主義というものがあり、監査請求を経ないと裁判に訴えられないことになっています。ギンヤンマなどタヌキ・キツネ以外の原告を出して、この監査前置主義との関係で却下されれば、それでギンヤンマなど自然原告の存在を認めさせたことになるのではないか、とも考えました。こうしてこれらの自然原告に代表させて、生田緑地のもつ里山としての意義を主張しようとしたのです。これまで自然権利訴訟として提訴されてきた裁判は、アマミノクロウサギにしても、オオヒシクイにしても、天然記念物になっているなど、希少な生物を中心としていました。また、そこで守るべき自然としても、原生的自然、太古の自然をそのまま保護しようと いうものが多くを占めていました。しかし、里山というものの訴訟は今までにはあまり見られませ んでした。
 しかし、里山という身の回りのごくありふれていた自然を守っていかねばならない。里山とは農 村部において、人々が芝刈り、薪とりなどを行う、人間と関わってできてきた自然なのです。しか し、現在、農村の荒廃の中で里山は失われて、工場や住宅地になってきました。その中で、失ってきて里山は何だったのか、人間との精神的な絆が里山にあったのではないか、ということに気がついたのです。私は昭和40年代の生まれで里山が身近だったころを直接に知りませんが、それでもなつかしいと感じる。こういう心のふるさととしての里山を守っていかねばならない、と思います。

■生物多様性とは

 それからもう一つ、今、生物多様性ということが盛んに言われています。世界的に、生態系全体 を守る、人間を含めた生物全体を守るということの重要性が言われています。里山には豊かな生態系が残されているのです。原生的な自然ではなく、人間の手が入っている自然だから守らなくてよいということではなく、こうした里山の自然も守らねばならないのです。
 この訴訟の今年2月に行われた第一回弁論で、鬼頭秀一先生(東京農工大教授)に意見陳述をお願いしました。鬼頭先生はその中で、「生身の自然と切り身の自然」という事でお話下さいました。「生身の自然」というのは、雑木林や草原などに、人間が労働などによって自然全部と結びついている、そういう自然の事を言います。それに対して、「切り身の自然」というのは、例えば都市公園や街路樹など、自然ぽいものを造って、自然のよいところだけを利用しようとする自然に分かれる、というのです。そして、今、都市の住民も生身の自然を求めているのではないか、その意味で里山というのはとても大切であるということをお話下さいました。
 今、もう一つ問題となってきているのは、自然原告についてのことです。特に人間ではないもの が裁判の当事者になれるか、ということがあるわけです。私も加わってきた裁判ですが、茨城のオオヒシクイの裁判では、水戸地裁としては自然原告につき第一回期日前に人間原告と分離し、結局、原告適格なしとして却下されています。
 これに対して、高裁に控訴したがやはり却下されました。そういう経験を経て、この自然原告が 裁判の場で意見を述べるにはどうしたらよいか、ということを考えました。裁判所に掛け合いまし て、「もし却下するとしても、本案の判断と一緒にしてほしい」と申し入れました。しかし、第一 回弁論の直前に、人間と自然原告について分離された。すぐに却下されるかと思ったが、そうはならず、未だに自然原告については期日が指定されず、却下されてはいない。ですから、形式的には自然原告も続いていることになります。自然原告は人間を通じてしか意見を言えないのです。人間の原告と自然の原告を分離するのはおかしいとして、裁判所に意見書を提出し、第一回弁論において、タヌキ、キツネなどが意見陳述を行ったのですが(もちろん、人間原告を代弁者として)、裁判所は、自然原告そのものの意見としては聞かず、人間の原告の言葉としてしか聞かないという姿勢です。とりあえず、自然原告の裁判も現在係属中ということになっていることを付け加えておきます。

■アセスメント条令違反

 もう一つの大きな論点であるのは、アセスメント条例違反です。川崎市のアセスメント条例は、 1976年に地方自治体のトップを切って川崎市が制定しました。このアセス条例では「指定開発行為」として、都市計画法による「開発行為」にあたるものは「原則的にアセスメントをしなさい」と いうことになっています。ただし、開発行為の面積が1ha以下のときはアセスをしなくてもよい 、という例外規定が定められています。今回、川崎市は、岡本太郎美術館の開発面積は9468平方米であるとして、一万平米以下であるからアセスはいらないとしました。しかし、この問題点はどうやって面積を算定したかということです。川崎市が全体を持っている大きな公園の中に美術館を立てるのですから、どのように面積を切ったかが問題となります。
 美術館をつくるためには今までになかった資材運搬道路をつくる必要があるのです。ところが、 その道路の面積は9468平米の中に、それは含められていなかったのです。この「取り付け道路 」は、1620平米ありながら、川崎市は「工事終了後には撤去するので開発区域ではない。開発 行為でもない」としたのです。
 そこで調べたところ、都市計画法では、開発行為として「建築物の建築、又は特定工作物のの建設の用に供する目的で行う土地の区画・形質の変更」とありました。そこで、この取り付け道路が建築物の建築、又は特定工作物工作の建設の用に供する目的で土地を使われているかどうか、また、それから区画・形質の変更に当たるかどうかが問題となっています。しかし、実際にはこの道路は仮設道路と言いましても、現地を観れば誰でもわかるように大規模なものです。太いH鋼を打って、仮設ではできないものとなっています。工事ですからダンプの入る大きな道を作っています。
 さらに、美術館にアクセスする道路がないので、本当に撤去するかどうかもわからない。美術館についていて、その用に使われるものをアセスの開発区域からはずしてよいのか、という点を私達は問題としています。
 都市計画法での開発行為とアセスにおける「開発行為」を全く同じでとらえられるのか、という こともあります。都市計画法という法律は、街づくりの法律ですから、できたものに対してどうか 、ということでよいのです。ですから都市計画法では撤去すればよいのかもしれない。しかし、ア セスは環境に与える影響を見るものですから、できたものだけを見てもだめなのです。環境に対して工事のプロセスがどうであるかも見なくてはならず、道路も当然に考えるべきだと考えています。
 川崎市もさすがに気がとがめたのか、川崎市は96年3月に環境調査報告書と称する物を業者に頼んで出しました。これを行政はミニ・アセスと称しています。しかし、これは正規のアセスメン トではありません。行政が自分で勝手にやって、「環境に影響がない」と言っているのです。この 内容はずいぶんずさんな物なのですが、特に問題なのは第三者機関の関与や市民参加が全くぬけていることです。川崎市は、「市民に対しては説明会を持った」などと言っていますが、それはアセスの手続きとは全然違うものです。私達は、これを最大の問題としています。このアセスメント条例については、これ以外にも、いろいろな論点を弁護団として検討しています。

■今後の課題

 さて、現状ですが、工事は11月に着工して、裁判を無視して進められています。公金差し止め を提訴しても、工事を止める効力はない。工事差し止めの仮処分を出す方法もあるのですが、裁判所に受け入れられるかということとあわせて、多額の担保を出す事が必要であり、市民団体ではそこまでできない。そこで、工事現場を訪れて、行政の担当者に「工事をとめてほしい」と申し入れています。しかし、行政側としては「できてしまえば勝ち」という発言もあるようです。こうした ことから迅速な審理をしてほしいと裁判所に要望して、1カ月に一度は公判を行っている。論点を しぼりつつ、早く裁判を進めて、できたもの勝ちにならないようにさせたいのです。
 第一回弁論では訴状を提出して、鬼頭先生のほか、原告の方々に意見陳述をしていただいた。第二回弁論では、相手の答弁書がでまして、また、公金支出についての範囲についての意見を求められ、これに答えました。それから、憲法学者である小林直樹氏に意見陳述をしていただいた。小林先生は、環境権が具体的権利として確立される事の意義、限られた自然の中での破壊はその面積以上のインパクトがあるということ、それから自然の権利について述べて下さった。これは原告団だけでなく、裁判官にも感銘を与えるものであったと思う。次回、第三回は7月14日の午後4時から横浜地裁で行われます。次回は陳述人などは予定していませんが、書面を出すだけでなく、裁判所に対しても傍聴席にも説明したいと思っているので多くの方の傍聴をお願いしたい。また、生田緑地の自然を守る会として、6月28日に原告団を中心にシンポを行うことになっています。
 最後に、この訴訟の意義を重ねてお話ししておきたい。それは、里山という日本の原風景を守る、ということです。公園だから川崎市が自由にやってよいのではないのです。公園だからこそ、公有地として里山をそのまま残すということでやってほしい、ということなのです。アニメ映画に「 隣のトトロ」というのがあり、有名になりました。狭山丘陵には「トトロの森」というのもありますが、トトロの故郷はそれだけではないのです。日本の里山はみな、トトロの故郷なのです。これをなんとかみなさんの力で守っていきたい、と考えてます。