三度目の正直・槍が岳中崎尾根
Lくま、ウエケン
新穂高の入山日に豪雨でいきなりの停滞となった四年前、槍を目前にしながら事故で撤退した去年〜今年は槍・中崎尾根をなんとかあげないとね、と秋から計画はスタートした。
12月26日 朝、町田駅から各駅停車で松本に向かい、新穂高までバスを乗り継ぐ。朝発の山行は、やはり身体が楽だ。バスの中は多くの登山者がいたが、「単独だから大喰岳西尾根から槍まで」と猛者らしい山仲間と話していた女性以外は、中の湯で降りた。新穂高を13時30分過ぎに出発する。天気は小雪だが、今年は朝のものらしいトレースがあり、白出沢出合に3時半過ぎに幕営した。キムチ鍋とビールでで入山祝いをする。
12月27日 朝、外を見ると晴れている。ピーカンの中を7時半に出発。槍平まで2時間程かかったが、素晴らしい晴天だ。そのまま中崎尾根に取りついたが、トレースは潜るのでワカンを装着した。ひと登りして振り返ると穂高・滝谷が太陽に輝いて素晴らしい。14時過ぎに昨年の幕営地に到着して、テントを設営した。
予報では、明日は崩れるようで、「明日は雨だ。その後は冬型だから」と下りていくパーティもあった。でも、今回もそう寒気は強くないと聞いていたので、「明日、最悪でも明後日は期待できないか」と眠りに就いた。
12月28日 朝、起きると吹雪がテントをたたいている。うーん、これは駄目だな、とそのまま寝直して、停滞に決定。3度ほどテントの周囲を除雪・整地した。しかし、昼を過ぎるとウエケンの新調した腕時計の気圧計が上がりだした。「これはいけそうだ」と話していたら、夜には月と星が出て山々が綺麗に浮かび上がった。
12月29日 朝、夜中から星が見えて無風・ピーカンの晴天だ。6時に出発準備を終えたが、まだ暗いのでしばらく待ち、6時半頃にワカンをつけて出発。トレースを覆うひざ下程度のラッセルだが、外れると大きく潜る。2時間弱ほど歩いて、尾根の先にテントを張った人たちのテントがあり、ワカンをデポした。ほどなく、昨年の事故発生地点に到着して見上げると、今年は雪が少ない。「もし、今年ここで滑落したらもっと大変な事になっていた」と話した。今年は、夏道にそって右にトラパースしてルンゼ状から西鎌に出るトレースをたどる。西鎌でウエケンと、前回到達点を超えたと握手した。
西鎌尾根は今日は南東風が強く吹き付ける。途中、眠くなったりしてのんびりと歩いたので,槍の肩まで2時間近くかかった。槍の肩から見ると富士山がドカンと近く見えている。「さあ、早く山頂に」と思う所を一息ついて、山頂への道をたどった。
槍の穂先へはコンテでザイルを出したが、結局、「これは要らないね」と束ねて持つことになった。梯子が出ており、アイゼンの先に気をつけて槍の山頂に出ると、日本海が輝いている。日本海から富士山までのあらゆる山がくっきりと見えて、剣岳・立山はチョコンと座っていた。冬とは思えない晴天だ。ウエケンが来るまでにハンディ機を取り出して、1295.30MhZのリピーターで長野の局と交信すると、下は曇っているとの事で不思議な天気だ。登ってた来たウエケンと握手して、写真をとる。「なんだか、来てみたらあっけない山頂だなぁ」と話しながら。
下りはいっそう慎重に肩に下り、雪が少ないので岩にひっかけないように尾根をたどって、テントに戻った。テントに戻ると、朝はカチコチに凍っていたビールが、一応は飲める程度に融けており、登頂の祝杯をあげることができた。夕餉のつまみは、夕焼けに染まる槍・穂高の山々。最高の気分だった。
12月30日 今日から天気は荒れるらしいが、朝、起きたらまだ山が見えていた。
撤収して7時半前に出発。下りは早く、槍平まで40分弱。槍平は、たくさんの入山者がいたが、沢筋にテントを張る人もいたのが気になった。ここからはトレースが続き、小さなデブリのかけらをいくつか越えながら、新穂高温泉に11時半頃に下山した。しかし、無料のアルプス風呂は、「河川改修のため撤去された。高山市になったので再建されるかはわからない」との事。ガックリしたが、仕方なく平湯まで臭い体でバスに乗り込んだ。
平湯バスターミナルで温泉・乾杯と終えて出てくると、風が強まり地吹雪となっていた。昼までは天候が良かっただけに、入山しているたくさんの登山者が気になった。しかし、パスと電車を乗り継いで帰る途中は、この1年を振り返りながら杯を重ね、最後に私はコテンと寝てしまい、八王子に到着した。
吹雪で敗退するのが雪山、登頂できたら幸運〜20数年、冬山はそんなものだと思ってきた。でも、やっぱりたまにはこんな晴天の山頂に立つのもいいなぁ。来年は、少し多人数でラッセルを楽しむような山に行ってみたいと思う。