第四回 マイクロ波 全国一斉移動大会 富士山移動
                               
発端
 「6/5-6/6に第四回移動会実施」と聞いた時、「うーん、今度もだめかなぁ」と思った。
 一回目の時、北岳に移動するつもりで準備した。だが荒天で中止して、日曜日だけ高尾山で運用した。二回目は富士山と考えたが、全国的荒天で延期となり、子どもの運動会と重なってしまった。(もっとも、機材を担いでいって、運動会の後に小学校の裏山から運用したのだが。hi)そして三回目、晴天なのに仕事があって参加できなかった。今度も土曜日は仕事で、ちと休めない。うーん、どうするかなぁ。
 でも考えていても仕方がない。できたら5/4/3エリアと交信したい。それにはともかく高い場所に移動するのがよいだろう。北岳はまだ広河原までの道路が通らない。するとやっぱり富士山だろう。でも、車の免許がないから登山口までの足がない、とぼやいていたら、JS1FVG 蕪木さんが富士宮五合目で落としてくれるという話になった。こうなったら行くしかない。土曜日の午後に出て、五合目でテントをはって仮眠してから行くか、上まであがってテントをはるか、にしよう。
 ちなみに私は「山屋くずれ」の端くれで、毎年冬山は欠かさないが、富士山はまだ山頂まで行った事がなかった。それは「富士山は冬に登るべきだ」という事からなのだが、冬の富士山ほど風が怖いところはない。訓練で行って、六合目あたりで風で石がバシバシと飛んでくるのと、自分の体が耐風姿勢をとっても浮かんで飛ぶので、退散したことがある。で、その後もなかなか果たせずにきたのだ。でも、この際、無線のためだからあっさりと高尚なポリシーは横におく事にした。

機材の選定

 機材はこの何年か、七転八倒しながらも作ってきたトランスバーター類が多数ある。
1)5G/10G DUAL-BAND トランスバーター 局発を共用したタイプで、移動用の定番としている。5G 600mW 10G 150mW と少々QRPであるが、動作もほぼ安定してきた。もっと軽いものを製作中なのだが、これは間に合わない。
 アンテナとしては、16cm鍋蓋 と遠くを狙うための35cmのアルミのパラボラとを準備した。風が強いと35cmは使えないことがあるのだ。200Km程度までは、16cm鍋蓋でもできる事が多い。
2)24G トランスバーター 半年かけて作ったのに、まだ交信実績があまりない。
 アンテナ部分がSMAでつなぐのだとどうもすぐに劣化しやすい感じがあるのでN型コネクタの中をとりさった「簡易型パイプ導波管フランジ」をつけてみた。これにつけるアンテナは、16cm鍋蓋とスリット放射器を作ってみた。
3)連絡用1200Mハンディ機 TH-59なのだが、内蔵の電池では電源がすぐになくなる。そこで、電源は外部端子から供給する。
 アンテナは、FCZ研究所で開発された5ELの「プリンテナ」を使う。これは山を歩いて移動する方には、軽くてよく飛んで最高のアンテナだ。もっとも難点は、小さすぎて我が家ではすぐに行方不明になってしまうこと。ちなみに今回も発見できず、FCZ研究所での販売が終わってしまったので、WEBから「キャリブレーション」に申し込んで送っていただいて、出発当日に組み立てた。ちなみにリグにつなぐBNCは使わず、直接に太目のSMAコネクタ付セミリジッドケーブルを半田付けしている。
4)電源
 これは富士通のパソコン用バッテリーを使っている。抵抗を1本つけると、電源の入出力端子から充電できるようになるタイプだ。3500mAのタイプと2000mAのタイプなどを定電流回路を使った簡易充電器で充電している。FT817を使った運用でも、かなりの時間にわたって使えるので、状態のよさそうなジャンクを見たら買うようにしている。これを四本ほどもつことにした。一本は予備、残りは各周波数用だ。
5)その他の山用品
 これはもう使いこんだもばかり。無雪期の山だからフライ付の小型テントと夏用のシュラフで十分だ。もっとも山頂は2-5度程度だろうから羽毛服を持つ。雨具やコンロ、コッフェルなどを放り込んだ。もっとも、無雪期用の小さなテントを点検しなかったために痛い目にあったのだが。また、水は2リットルのボリタンと500ccのお茶二本をもつ。水分をまめに取ることが高度障害を起こさないためによいらしい。
 あとは、晴天を祈るためのテルテル坊主がほしい。今回、テルテル君という新型雨具の広告を見て、買おうかと思ったのだが、残念ながら買いに行く時間がなかった。荷物はだいたい23kg程度だろうか、まあ軽くはないが、普通に歩ける重さではある。

さて富士山に
 6月5日までの数日、全国的に晴れ渡り、日本海側では連日、「日本ダクト」が発生していた。北陸の方々が北海道と5G/10G/24Gなどと楽々に交信しているとのメールをYAMA-MLで読んだ。「うーん、富士山でどこまでできるかな」と思案しつつ、晴天を祈った。だが、無常にも移動性高気圧は週末に去り、6日には梅雨が来るらしい。でも、ひょっとしたら午前中くらいは持つかも知れない、という期待もあった。
 6月5日、仕事から定時で走って帰り、届いていたプリンテナを組み立てる。コネクタ部分をセミリジッドケーブル直結なので、コネクタ部分を削る必要がなく、割と簡単だ。できあがった所で、FVG局が迎えに来てくれた。町田から東名をへて富士宮五合目までだが、到着したら17時40分頃だった。既にJH1UGF、JF1TNH/2などの各局が機材をセットして、一日運用していた。ここで買っておいた弁当を食べ、ビールを1本あおる。本当は酒は高度順応によくないのだが、一日忙しかったので、ついつい飲んでしまった。hi そしてザックをしめて、18時に出発した。
 富士宮からの登山道は、最初はなだらかである。最初の小屋が見えた所で左に大きな道があるので、ついつい入ってしまったらなだらかに続く。しまった、ブルドーザー道に入ったか。でも、しばらくしたら右下に登山道が見えたので、そちらに移る。合流した先の新七合目小屋で7:00となり最初の休憩を5分とった。その後は、八合目、九合目と小屋があるので、だいたい40分程度で5分の休憩をとって登っていった。天気ははれていて、太陽が沈んでも残照でかなり明るい。八合目を過ぎるまではヘッデン(ライト)は不要だった。沼津だろうか、夜景も見えているが、太平洋岸に雲が近づいてくるのがわかる。もう少しのんびり来てほしいな。さすがに八合目を過ぎると風があたるので、雨具の上着を着た。小休憩のたびにお茶を飲み、1本目のお茶は途中で空になった。水分をできるだけとるのが高度順化にはよい、と以前読んだことがある。
 九合目をすぎて鳥居をくぐると最後の急な登りが待っていた。やや高度の影響だろうか、ヘッデンの明かりが地図にあたると光がにじんで見える。まあ、意識もしっかりしているから別に問題はないだろう。雪はわずかなかけらが所々の沢筋に残るだけだ。息を深くはくようにして呼吸しながら歩き、山頂の鳥居を22時20分に通って、小屋の前に出た。
 月が出て明るくなってきたので、あたりはよく見える。次はテント場を探さねばならない。とりあえず剣が峰に向かうことにした。小屋の先に進むと、お釜の内側はまだ雪が残っている。どうりでスキーをかついだ人が降りていくのを見たはずだ。また、内側に少しはいると風はまったくない。テントを張るには、ここが正解だろう。ただ、もし明日が雨でテントの中で運用する場合は、お釜の中では不安である。剣が峰までよい場所はないかとあがってみたが、測候所には人が常駐しているようで、前にテントをはるのははばかられる。仕方なく少し戻った小ピークの横あたりに場所を探した。23時を過ぎたら風がずいぶん出てきた。これは設営が大変だが、まあ、冬山の稜線ほどではないだろう、とその時は思った。
 一人用テントを出してポールをさして、設営しようとしたが…????なんと、テントのポールをとめる場所が破けて破損してしまった。一人用テントなので、設営が簡単なように、ドーム型テントのポールを入れる一方の先が袋状になっていたのだ。それがなんと二つともに破けてしまっている。さらにポールはバラバラにならないためのゴムのショックコードが入っているのだが、これも1本が切れてしまった。いかん、どうやって設営しようか。このテント、そんなに使っていなかったが、点検しなかったからなぁ。後悔先に立たずである。ともあれ、なんとか一方は先をごまかしてとめ、もう一方は大きな石と富士山特有の砂地を利用して立つようにして、テントの中に入ったのが23時半を回っていた。
 風がずいぶん強くなったように思う。帰ってから観測データーを見ると、確かに10m/s程度をこえているのだが、このあたりで体感風速はかわるのだろうか。やれやれとウィスキーを一杯やって、羽毛服を着て、夏用の薄いシュラフに入り、足はザックの中に入れてうとうとと眠りについた。 

いよいよ運用だ
 朝4時過ぎに明るいので目が覚めた。眠いが、とりあえず、テントから顔を出すと、霧雨の中である。うーん、やはり低気圧かと思いつつ、この程度ですめばと思ってしばらく様子を見た。すると5時頃から雨が音を立てて降りだした。いかん、これはテントの中での運用かなと思いつつ、とりあえず朝飯にラーメンを作って食べた。
 リグを取り出して、まずTH-59とプリンテナで1291.06の霞ヶ関リピーターへのアクセスを試したが、通らない。こりゃあ場所が駄目かなと思いつつ、探すと伊豆の1292/1291.70だけは開くのだが、他はまったく駄目だ。そこで430MをC701でワッチして、聞こえたJO1HOS局を呼んでみたが、なんとか応答こそあったものの「富士山山頂ですか??弱いですよ」と言われてしました。さらに、1200MでCQを出すと、栃木県小山のJO1FSD局が呼んでくれたが、テストすると5Gはまったく通らない。これでは移動運用どころではないということがわかった。
 どうするかとしばし思案していると、外の雨音が止んだ。しばらく待っても音は止んでいるので、一念発起してテントをたたむことにした。テントが壊れていることからして、どこかにテントを張りなおすという選択肢はないことにした。外に出ると霧雨状ではあるが、運用できないこともない。では一番高いところからと考えて、剣が峰に再度あがった。後で考えると、剣が峰は測候所の建物があるので、西方面がまったく聞こえず、飛ばないのでよくなかったかとも思う。もう少し運用スポットの情報収拾が必要だったのだろう。
 さて、6時半頃に剣が峰について、機材をセットして、運用を始めた。山頂の気温は、5度以下なので、羽毛服を着て、その上に雨具をはおった。この格好でならば、-20度近い八ヶ岳高見石で移動運用したこともあるから大丈夫だ。アンテナは5G/10Gは16cm鍋蓋とした。1200Mはプリンテナである。1200MでCQを出すと早おきな7N2SES局が呼んでくれた。先のJO1FSD局も再度GPアンテナで呼んでくれ、5Gもめでたく交信できた。ここからは1.2Gから5G/10Gを行きつもどりつしつつ、交信がほとんど切れ目なく続いた。さすがは日本最高峰である。しかし、7時過ぎには再び、霧雨が小雨になりだした。このままではむき出しのトランスバーターが故障しても困るので、防水してあるスタッフバッグをアンテナの上からかぶせて、親機のC601はそのまま時々水をぬぐうくらいとなった。心配だったが、さすがは優秀な日本製品だ。この程度ならば大丈夫だった。(各局、真似しないことをお勧めしますが。)
 茅ヶ崎のJN1AYV局は、見通しのためか、アンテナを45度ずらしても59++である。そこで24Gを雨の中でセットしてテストした。しかし、さすがに降雨減衰なのか、まだ自作機器の調整が足らないのか、残念ながら    24Gは届かなかった。かついできたのに残念である。また、西方面も叫んでみたが、やはり測候所の建物の影はまったく電波が飛ばなかった。これは場所選びの失敗である。
 長野のJA0RUZ局は、5G/10Gを新たに始められた方々と共に、渋峠の群馬県側に移動され、呼んでくれた。これで、一気に5G/10Gで1st QSO局が二局も増えた。RUZ局とは、5Gではホーンアンテナ単体でも交信できた。やはり高い場所ではこうなるのだ。
 交信していると8時過ぎにはいったん雨があがり、太陽も顔を出して、お釜が見通せるようになった。気をよくして交信を続けていたが、10時を過ぎるとまたまた小雨から雨となった。測候所の職員の方が出てきた時に、「あがりましたねぇ」と言ったら、「いえ、今日の予報は一日悪いですよ」と言っていたのは、さすがにプロの発言であったというべきか。特に困るのが、雨でノートがぬれると、ログが書けないことだ。
 10時半過ぎに交信を打ち切って、撤収した。風が少し強くなったら、うすら寒い。まあ、歩けば暖かくなるだろう、と荷物をたたんで、11時前に出発した。帰りはJS1FVG局が須走り口で運用しているということで、こちらに降りることになっている。お鉢の半分ほどをまわって、須走り口の下山道を下った。冬の間に道標が飛んだところがあって、ブル道を余計に歩いたりしたが、13時には須走り口に下山できた。ここで運用していたJA1ELV/JH1JSK/JS1FVG各局と合流して、ホッと一息。下山中から無性に腹が減ってきたと思ったら、朝のラーメンから何も食べていなかったのだった。帰りに温泉に立ち寄って、小田原から合流したJA1FS/JH1JXY各局と楽しいひと時を送ってから、FVG局に送っていただき帰宅した。

移動運用を終えて

 富士山頂から4時間ほど運用して、交信数 のべ 53局 うち430M 1局 1200M 30局 5G 13局 10G 10局 が成果であった。一番遠くは渋峠だろうか。今回は悪天候で移動中が多かったことと、剣が峰では西方面が駄目だったことから、目的とした200km以上の遠距離は交信できなかった。後で聞くところでは、 5Gで福島県石川郡石川町二本ブナ山でも聞こえていたとの事で、交信できなかったのが残念である。ちなみに行政区分は、境界未画定という事から山梨県・富士吉田市を名乗らせていただいた。また、24Gの交信ができなかったのも残念である。さらに今回の場合、五合目の移動各局と同じ周波数で出てしまうことが多くなってしまった。山頂と五合目では直接に通じないので、何か手を考えておかないと、交信する側では重なってしまうことになるようだ。
 しかし、何と言っても、「雪のない富士山って、移動スポットとしてはなかなかいいねぇ」という実感が持てたのが、何よりの収穫であった。これなら天候と足さえあれば、いつでも運用できる気がする。今回、雨は降っても風がなかったのは幸いであるが、雨の中でも移動運用できるということもわかった。もっとも、これは苦し紛れという実感はついてまわり、やっぱり天気の良い時にやった方が楽しいとは思う。hi
 私の場合、1200Mトランスバーターの自作に初めて取り組んだのが2000年。それから、毎月、川崎のマキ電機を会場に行われているYAMA会の技術アドバイス講習会に通っていたら、いつの間にか深みにはまった。固定からも24Gまでの設備を自作であげ、今年は47Gの自作と初交信にたどりついた。大変にイイカゲンな性格とテキトーな技術なのだが、それでもなんとか動くほどに今のデバイスや技術は進歩している。これからも気楽に移動できることがわかった富士山、あるいは大好きな北岳、そして北アルプスの山々などからマイクロ波の電波を自作の機器で運用していきたい。(当局のアホな歩みは http://www.asahi-net.or.jp/~DQ5H-KMNT/akiba/ をご覧いただきたい。)
 今回、お相手いだいた各局、そして行き帰りとお世話になったJS1FVG局に感謝したい。また、次の機会には何としても、3/4/5/9エリアとの交信を果たしてみたいと念願している。