剱岳の夏休み

 

 去年、雨中の六峰Cフェース登攀の時に「熊の岩」を見て、「ああ、次はここにテントを張ってどっぷり山に浸りたい」と妄想した。「テントをかついで行くから、時間のあるときに来て、一緒にどこか登攀しよう」などと、計画会で吹いて回った。そしてそれから一年、室堂への夜行バスに集まったのは私の他は淑女3人。40代から70代までの「親子」みたいなパーティでの「剱岳テントの記」の始まりである。

 

8月17日 室堂の朝は晴天に迎えられた。帰りの着替えなどをロッカーにデポして、0740頃に出発した。雷鳥平で一本取ると何でも昨晩はひどい雨だったと教えてくれた。ここから別山乗越までの登りは、いつも辛い。特に久しぶりに30kg超の荷物となったので、今回はゆっくりだ。それでも、別山乗越に1030には到着すると、剱岳にはガスがかかってきた。午後は雨になるかも知れない。

P8174569.JPG - 22,623BYTES 剱沢小屋に下って一息入れると、いよいよ剱沢雪渓だ。途中で帰るサチエさんと雪渓に登山道から降りる場所を確認した。下っていくと早いが、平蔵谷でなんとなく不安になって、GPSで現在位置を見て長次郎雪渓出合を確認した。さあ、ここからが長い雪渓の登りだ。雨がポツポツとしたが、なんだかミツコさんが休みもしないで順調に飛ばしている。私はと言えば、だんだん荷物にめげて来た。誰かが降りてくる人たちに「あとどれくらいですか」と聞けば、皆、「さあ、あと二時間くらいですね」と嫌味でもないのだが口をそろえて言う。でも・・・歩かなければ着かないよねぇ。

 熊の岩が見えてからが長かったが、幸い雨はすぐに止み、1540分にはBPに到着した。テントを設営して、担ぎ上げたビールを雪渓で冷やし、夕食までテントの外でゆっくりした。夕方には晴れ間が広がり、夜は星空が広がった。

 

8月18日 朝4時過ぎに起床。天気は快晴だ。今日は、六峰Cフェースの登攀が最大の目標だ。朝食後、6時に荷物を持って出発したが、早くも剱沢から上がってきたパーティがいた。雪渓を渡るだけなのだが、あちらが早そうなので先に行ってもらう。

 剣稜会ルートの取り付きは、雪渓が後退してちゃんと岩に取り付く事が出来た。今日は、私とミツコさん、サチエさんとリョウコさんの2組で登る。先行パーティのラストが出たら、ちょっとだけ間をおいて0700頃にスタートした。

 1P目 熊リード フェースからリッジをめざして、岩肌のフリクションを確かめる様な感覚で登り、確保支点がふさがっていたので、少し前の古い支点で切った。

 2P目 ミツコさんリード ハイマツ混じりのリッジを登る。

 3P目 熊リード 去年、強い雨に打たれた場所だ。リッジ横のフェースを登る。

 4P目 ミツコさんリード 途中で切ると思ったら、そのまま核心部の尖ったリッジを横からトラバースして越えてしまった。なんだぁ、もう終わりみたいなものじゃないか。

 5P目 熊リード 本当の終了点Cフェースの頭まで優しい岩を登って0830頃に終了した。

 終了点で見上げると、剱岳山頂にいる人たちが太陽を反射して光って見えた。青空と岩・雪渓の中での岩登り・・・至福のひとときだった。

P8184597.JPG - 25,512BYTESさて、ロープをたたんで後続を待つ。二人とも緊張しているのか多少手間取り、0930頃に終了点に着いた。残念な事に山頂はガスに隠れてしまったが、ともあれ「よく頑張った」だよね。

でも、この先はそんなに短くない。下りで間違った人も多いのだ。X・Yのコルに降りるまで、慎重に右へ右へと岩場を下り、二度ほどロープ一本で懸垂をした。アイゼンを付けて雪渓に出て、1140頃にテントに戻った。サチエさんは、ここで剱沢に戻って、明日には下山するので、支度を始めた。入れ替わりに、今日のうちにノリさんが上がってくるはずだ。

予定では午後は、「チンネ取り付き下見」だった。しかし、雷鳴が聞こえるようになったので、「雷は怖いし、雨も嫌だからなぁ」と下見は中止となった。13時頃に到着した3人パーティは朝に室堂を出たと言う。女性ガイドと若い男性2人だったが、まるで韋駄天だ。明日はチンネを登るらしい。良かった、先行がしっかりしていると迷わないぞ。さらに、15時前に3人組が隣にテントを張った。あれっ?!どこかで見た人だなぁ・・・。しばらくして気がついた。何のことはない、つい先日の東北支援ボランティアに一緒に参加させてもらった太田山の会のYさん、そして谷川岳東尾根で一緒に登ったIさんがいた。いやあ、世の中は狭い。なんとこの三人も明日はチンネだ、との事だ。これは心強い。

しばらく見ていたら、ノリさんが雪渓に見えた。手を振る。なんだか荷物が重そうだ。しばらく熊の岩の下で休んでいたが、16時頃に上がってきた。お疲れさんです。

しかし、ノリさんが荷物を開けると、まあまあ、出てくる出てくる・・・ビール二本、そしてなんと鶏肉にベーコンの塊、ピーマンにトマト等々。昨日までは、「軽量化」のために女性陣の食料は乾燥物ばかりだったが、これで女性陣は大いにテンションが上がり、ノリさん株も上昇して「女神」となった。しかし、これは重そうだぞ、偉い人だ。(今回は、食糧各自、コンロも各自の計画だ。)そして実際、ピーマンと鶏肉の炒め物などは絶品だった。「明日はテント番かな」等と話していた二人も、たらふく食べて元気になって、「明日はいい天気だ!!」と盛り上がった。どうやら女性陣は、「元祖・肉食系女子」がそろっているらしい。天気は夕方にはガスが晴れて、今日も星空がすばらしかった。

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P8194616.JPG - 29,975BYTES8月19日 3時過ぎに起床。空はバッチリと晴れている。朝食をとって、4時半に出発。最初は長次郎雪渓右俣を詰めるのだ。途中で朝日が昇って、岩肌や左俣を照らし出した。事前に聞いたとおり、雪渓の上部で一カ所だけシュルンドが開いていて八ツ峰側に降りる所があったが、難なく通過して、0530には池の谷乗越に到着できた。

 次の関門は池の谷ガリーの下りだ。先を太田の三人が行くので落石にいっそう気をつけなくてはならない。それでも自然に足下から崩れる石はどうにもならない。でも、なんとか下って、三の窓に0620には到着できた。

P8194625.JPG - 61,487BYTES ここで支度して、チンネの取り付きに向かう。既にガイドの三人組が登攀を始めている。次が太田隊の三人で、私達は最後だ。今日は私とノリさん、ミツコさんとリョウコさんで組んだ。クライミングの力では間違いなくリョウコさんが一番だが、山とホンチャン経験はあまりない。ミツコさんは年の功で何とか言ってもいざと言う時に強い。ノリさんは岩の経験はあまりないが、雪山バリエーションを共にして来たし、三つ峠でもガツガツと登っていた。

 太田隊が上がるのを待って、0730頃にスタートした。

0P目 熊リード 15m 本来の取り付きであるテラスまで。左から回り込んで階段状だった。

1P目 ノリさんリード 20m クラック右のフェースからクラックにからんで上がり、上部で左の溝に入って回り込むとテラスがあった。

2P目 熊リード 45m テラスの左角から直上する。最初にうっかり草を踏んで滑りかけた。20m程の小テラスで太田隊がビレイしていたが、まだ行けそうなので待ち、さらに20m程登った枯れ木テラスまで一本でつないだ。空に突き上げるピナクルに向けて登っていく様な感覚だ。

3P目 ノリさんリード 45m ピナクルを右から裏に回り込んだ所で切ってね、とスタートしたが、ノリさんはさらに立った壁を登ってリッジ上でロープ一杯まで進んだ。

4P目 熊トップ ここで、ロープをコンテに巻いて、ハイマツのやせ尾根を50m位歩くとテラスに出る。どうも腹の調子が悪く、順番待ちの間にゴメンナサイしてトイレに行く。順番待ちの間に、核心部の「鼻」を登るガイドパーティも見えて来た。また八峰を登っているパーティのコールが聞こえ、なにやら先頭パーティと大声で話しているのも聞こえた。

P8194628.JPG - 36,970BYTES5P目 熊リード 30m やさしいが浮いた石も目立つ。

6P目 ノリさんリード 30m 同じく浮き石が目立つ。

7P目 熊リード 30m ピナクルを登る最初がちょっと緊張する。

 さあ、いよいよ核心部の「鼻」だ。順番はノリさんだよ~ と言ったら、ダメ!!と言われて私が行くことになった。それにしても、まずは順番待ちだ。ところが先行する太田隊のトップIさんに異変が起きていた。腕が力の入れ方によってつるのだ。ノリさんがツムラを上げたのだが、すぐには治らない。少しずつテンションを入れながらの登攀となった。この間に、ミツコさん・リョウコさんの後続もやってきた。ただ、悪いことにはあんなにすばらしかった天気がガスとなり、そして雨が時々ポツッ・・・。えーっ!?ここからじゃ敗退もできないよぅ・・。

8P目(「鼻」) 熊リード 40m 天気を考えても早く登るしかない・・・と聞こえは良いのだがA0しまくって、サッサと核心部を抜ける。特にA0の場合、迷わず早いほど腕も疲れないのだ。このスピードだけはミツコさんに誉めてもらった。取付の二歩とリッジから乗り移ったハング下のツルツルの部分が一番微妙な感じだった。

P8194629.JPG - 30,090BYTES 次のノリさんがリードしてる間に、リョウコさんが登ってきた。やはり「濡れているので、エイドしまくってしまった」とボヤいていた。フリークライマーにはプライドがあるものなぁ。

9P目 ノリさんリード 40m 途中から雨がはっきりと強く降り出した。いやはやたまらん・・。ビレイ点で雨具を上だけだが着た。

10P目 熊リード 20m もう少しで終了なのだが雨で岩が滑るようになった。緊張しながらナイフリッジを登る。すぐに太田隊に追いついた。Yさんが雨具を着ようとしたが、うっかりした隙に雨具は谷底に落ちてしまった。一度しか着てないのに・・・と半袖で寒そうだった。「残りはV級とU級のピッチで終了だ」とIさんに聞く。でも、ここでずいぶん待って、さすがの暑がりでも少々寒かった。

 11P目 ノリさんリード 25m 乾いていれば何でもない岩に限って雨で滑る。さらに優しいV級程度の岩には支点がほとんどないので、静かに進む。やがて、支点で順番待ちだ。この間に、ミツコさんが追いついてきた。8P目のフォロー中に強い雨になり、二人ともずぶ濡れになった。でも、あと少しだよ・・・慎重に行こう、と話す。あまり山の経験がないリョウコさんには辛くて大変な様だが、こういう時こそ年の功のミツコさんは堂々としている。うーん、やっぱり大した人だなぁ。

 12P目 熊リード 40m 細いナイフリッジ風の岩尾根を歩くように進み、チンネの頭に到着した。太田隊は、既に終了点の先でロープをたたんで降りようとしていた。チンネの頭にシュリンゲを掛けて、ノリさんを迎えて14時頃に終了となった。

 雨は小康状態で、止んできた。しかし、終了点はあまり広くないので、すぐ目の前にある三の窓の頭とのコルまで下って後続を待つことにした。ここでロープを解いて雨具の下を着込み、靴下を履いて靴を履き替え、行動食を食べたら少し一心地ついた。でも、終了点で待っていなかったので、ミツコさんには怒られてしまった。

 やがて後続が1450頃に到着した。雨にやられて、慎重になって時間がかかり、さらに雨で消耗する・・・本当に夏場の高山での雨は怖い。リョウコさんがずいぶん参っていたが、装備を解いて一息入れてもらう。

 さて、次はどちらに降りるのかな??懸垂支点がコルにあるのだが、何だか方角が違うような気がして迷った。しかし、やはりこれが正解の様だ。1530頃に下山を始めたが、雨で下の土が滑るので最初から懸垂とする。ロープ一本で短くコルの出口まで懸垂。そして左に踏み跡をたどると新しい懸垂支点があるので、もう一回。あとはガレを下ってガリーに出た。「これ?!本当に池の谷ガリーなの??」と迷ったが、ノリさんが「女の勘!!でこれで良い」と決め、確かに良く見たら踏み跡があって、朝見たゴミも残されていた。慎重にガリーを登って、1610頃に池の谷乗越まで戻った。

 次なる関門はリョウコさんに急な雪渓で下りの経験がほとんど無い事だ。アイゼンを履いて、ノリさんがピタリと後ろについて、私が下りながら下から足の置き方を見て下っていった。下から靴底が見えたらフラットフットしていないからダメ!!と言う。なんとかゆっくりだが確実に下り、だんだん慣れてきた様だ。ノリさんがいて本当によかった。こうして、1730にテント場に戻った。太田隊がテントから手を振ってくれ、「1530頃に下山したけど、戻ってこないからどうかしたかと思った」と言われた。

 さあ、ともかく寒いのでテントでガスを炊こう!!暖まった頃にビールを冷やして乾杯!!やったぜ!!チンネをともかく登れた!!

 

P8200007.JPG - 31,945BYTES8月20日 朝4時頃に起床。今日はテントを撤収して全装備をかついで、長次郎雪渓から剱岳山頂を越えて、剱沢に下る日だ。いかにも大変そうだが、リョウコさんはまだ剱岳山頂に立ったことがないのだ。チンネを登ったのに剱岳本峰の山頂に行っていないのでは、山の神様に申し開きができないのではないか(??)。ともかく今朝は本当にピーカンだ。これでは予定を変更するわけにもいかない。ミツコさんが、行きは私がかついだロープを今日は持つと言って、ザックの下の方に入れてしまった。(あえて持つよ、と言わなかったのはズルだったかも知れない。)

 0610頃に太田隊と分かれて出発。でも、左俣は既に太陽が当たってまP8204640.JPG - 57,092BYTESるでオーブンの中を歩いているようだ。アイゼンに不慣れなリョウコさんを二番目にして、ゆっくりできるだけゆるやかに登った。今年は雪が多く、左俣雪渓も切れているのは一カ所だけで、側壁に降りて越えることが出来た。しかし、時間はかかり、稜線まで約2時間を要した。また、雪渓を抜けたらガスが広がって太陽が隠れて展望もきかなくなってきた。

 さて、ここから先の北方稜線上部と下りの別山尾根はノリさんが歩いた事があP8204644.JPG - 25,102BYTESる。最初だけすごそうに見えるが、その後は普通に歩いて山頂まで30分程度と聞いていた。しかし、重荷でなかなか進まない。ジワジワとカタツムリが歩く様だったが、それでも0940頃にたくさんの人がいる剱岳山頂に到着した。山頂にいた人たちは、大荷物の女性陣にびっくりしていた。

 中休止として無線機を取り出して、1200Mhzのリピーターで1局と交信した。さらに長野のJA0RUZ局とシンプレックスに移って交信して、かついできた5Gも試してみた。しかし、どうも爺カ岳の影になるのか、5Gの信号は通らなかった。たったこれだけのために、無線機二台を担いでくるのは、やはりかなりの物好きだろうなぁ。

1020に下山を始めた。さて、今回の関門は下りである。荷物が大きまく重いので、日常はまず使わない鎖なども使い、ゆっくりと下っていった。特に重荷には「年の功」が効かないミツコさん、あまり山に慣れていないリョウコさんにはとても辛い行動になってしまったと思う。私も寝ぼけていたのか、「なーに、下りだから早いべぇ」と水を少ししか持たなかったので、水が途中で無くなって辛かった。そうメンバーを考えると、ノリさんだけが怪気炎をあげていた気がする。おかげで、ノリさんは「女神様」から「妖怪変化」へと女性陣の呼び名が変わってしまった。まあ、また晩飯の時間になると「女神様」へと復活するのだが。

 ヘロヘロで剣山荘に到着して、私はペットボトルを一気のみ。他のメンバーもまったりと休んだ。なので、剱沢小屋には1510頃、テント場に1530頃の到着となった。さあ、今日が最後の山での晩だ!! 乾杯してお互いの健闘をたたえ合い、食べ物を出し合って、皆で食べた。ノリさんが出してくれた焼き豚とネギの炒め物は、絶品だった。もちろん、夜の星空、そして朝の日の出に輝く山々は、それはそれは素晴らしかった。

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8月21日 朝4時に起床。朝食後に撤収して、室堂に向かう。ミツコさんのロープをノリさんが持つ、と言う。行きは私が持ったので、本当は私が持っかとも思っていたのだが、それが目標だったというから律儀な人だ。0610に出発して、別山乗越まで登り返して雷鳥平に下り、最後の長い辛いグタグタ上下コースを室堂に歩いて1010頃に到着した。アルペンルートに初めて乗るリョウコさんには少し悪いが、順調に待ち時間無く扇沢には12時過ぎに到着した。

 

 五日間の剱岳の夏休みは、チンネの上で雨にたたかれた以外は良い天候に恵まれて、予定した計画を全て終えることが出来た。一人一人に弱い点もあるだろうけれども、お互いが持てる力を発揮してなんとか乗り越えられた様に思う。久しぶりに「夏山に行ったなぁ」という満腹感のある山だった。お山よ、仲間よ、どうもありがとう。