GWの前穂高岳北尾根
数年前、紅葉が素晴らしい秋の北尾根を登攀して、「次は積雪期に登ってみたい」と心に決めた。しかし、一昨年のGWは晴天に恵まれたものの、順番待ちにはまり、三・四のコルで「奥穂高を回ったら時間がない」と敗退した。昨年は正月の怪我からようやくヨチヨチ歩きに復帰した段階で、北尾根は問題外。そして、春に足のプレートを抜く手術を終えて丁度一カ月がたったので、「今年こそ」と北尾根に向かった。
大きな問題は天候だ。途中のサービスエリアでは強い雨だったが、上高地に近付くと小降りになってきた。それでも、小雨の中でスタートだったが徳沢への途中であがったので、気分はハイになって来た。こうして、たどりついた涸沢では少し寒いが生ビールで乾杯となった。さあ、明日の天気はどうだろうか。
三峰の岩場取付で、先行する二人組に追いつき、順番待ちとなる。しかし、この二人がまた超・超スローペースだった。セカンドが登り始めたので、その後に私がトップで登りだすと、すぐに詰まって途中で止まってしまう。最初は左側のやさしいV級ルートを登ろうとしたが全く進まず、「若いなら右に行ったら」と言う。やむなく、途中から右のW級ルートに乗り移ったのでロープが中間支点で曲がり、とても重たい。それでも、岩にアイゼンを軋ませて登攀する緊張感は心地よい。2P程で核心部は抜けた。
しかし、この先も二人組がふさいでおり、こんな場所はロープは不要だろうという所もロープを出している。それを見ると、こちらもつられてロープを使ってしまう。こうして、順番を待つ間に一時間半から二時間は余計にかかった。
ニ峰の登りの最後でいったん解いたロープを結び、ウエケンにトップを行ってもらう。トップになったら急に元気になるからもっと前にやってもらえばよかったかも知れない。その先、ニ峰の下りは年によっては懸垂下降となるようだが、奥又白側の雪がつながっていたので、何と言う事はなく降りられた。ここから登り返して、14:45分頃に前穂高の山頂に到着した。やった、やっと念願の前穂高山頂だ。
でも、もう時刻は遅くなっている。山頂で交代して写真をとって、そこそこで北尾根の下降にとりかかった。今回は、奥穂高まで行かずに三・四のコルまで戻り、涸沢に下ろうと計画した。しかし、小雨で雪はグズグズになり足場が悪いので、何度も慎重にザイルで懸垂下降することになった。時折、雪崩のドドーンという音がカールに響く。途中でぬれたロープがひっかかったり、ピッチの切り方で試行錯誤したり…とあったので、三・四のコルに17時半過ぎたどりついた。さらに、雨にぬれたので、風に吹かれると寒い。
テルさんが寒がり、低体温症にならない様に意識的に身体を動かし、食料・水・飴などを口にする。私は、究極の暑がりなのであまり寒くない。でも、確かに雪山で一番怖いものは「雨」と「風」のコラボだ。濡れた身体に風が吹きつければ、真冬の吹雪なんかよりもはるかに体力を奪って消耗する。
しかし、三・四のコルまで戻れば、もうはすぐそこが安全圏だ。少し下って、緩やかになったら尻セードも交えて、スピードがあがる。こうして、18:50にテントに帰着した。全身が雨とみぞれで濡れたが、テントで暖かいキムチ鍋を囲んでの宴は生き返る様だった。
5月5日 朝4:00に起きたら雪がテントをたたいていた。昨日ですっかり疲労したメンバーもいるので、5:30近くまで寝た。この調子では、滝谷はダメそうだ。でも、朝食後には太陽が出て、晴れ間が見えたので支度して、北穂高岳東稜に出かけることにした。それでも、久しぶりに山へ来たウエケンが「不調で帰る」と言いだして本当に降りてしまい、お疲れのテルさんも体調が悪くて途中でテントに戻った。
北穂沢をつめて台地状から右に進む。そして枝尾根にからみながら、東稜に出た。ここからは、三人で短いが緊張できる雪のナイフリッジと岩稜の登攀となった。コンテでゴジラの背を進み、一か所だけスタカットとする。でも、コンテのトップで行動していたら、突如、グイっと引きが…。あれま、ノリさんがスリップしたんだ。最後のゼンさんが必死で止め、私はロープがピッケルの摩擦で止まってあまり衝撃はなかった。いくら東稜でも、一歩一歩確実に二点支持で動かないとねぇ。でも、止まってよかった。皆で落ちたくないものねぇ。
さあ、これでいよいよ小屋でおいしいランチの時間だ。何を食べてもおいしい小屋なのだが、カルビ丼を食べたら、なんだかホケーッと呆けてしまった。小屋から山頂への登り返しはすぐなのだが、三人とも呆けてしまったからか、足が鉛の様でえらく辛かった。hi
さて、実は昨日も今日も私はちゃんと無線機を持参していた。そこで、ランチの後に5Gを出そうとしたが、どうも電源系統の配線に問題があるようで、スイッチが入らない。これは組み直さないとダメな様だ。そこで、1292.30のリピーターで声を出し、JA0RUZ局にご挨拶し、下界の情報を聞いただけでQRTとなった。
5月6日 朝まで降っていたが、4:00に起きてしばらくすると雪がやんできた。やがて晴れ間が見えて喜んだが、朝食後に撤収して歩きだすと曇って来てやがて雨となった。この後は、上高地までずーっと雨だった。山から下りる私たちの気持ちをいっそう暗くする。無口になって河童橋についた。雨に振られたら寒くて、昼飯では下山祝いのビールを飲む気には誰もならなかった。アルペンホテルで風呂に入ってから、なんとかバスに飛び乗った。
・・・
しかし、なんだか大変なお天気のGW後半だった。大昔、GWの白馬に初めて行った小蓮華岳のコースでは、一度に6人が亡くなった。穂高周辺でも、私たちが北尾根を登攀した日の夜に、6人の大量遭難があり涸沢岳で低体温症により1人が亡くなった。下山日にも奥穂高岳で2人の若い方が亡くなった。こんな悪い天気が続くGWは珍しい。しかし、事故で死んだ方のほとんどは、本当は死なないで済んだのだに違いない。私は無性にその事が悔しくてならない。
私たちは、松本から横浜行きのかいじに乗りこんで、夜には帰宅して片づけを終えられた。しかし、宿願の北尾根を登攀した喜びは徐々に広がっていくのだが、それ以上にあまりにたくさんの方が、すぐ目と鼻の先で防げる死をむざむざと迎えた事がたまらなく辛い。命の輝く瞬間を雪山に求めた事は、お互いに同じだったのだろうに。その重さと原因を、冷静かつ冷厳に、事故の検証結果に目を向けながら自分たちの行動もふりかえって考えてみたいと思う。