巻頭言 和賀岳の懐から

 

 4年前、「どこか山奥の秘境に行きたい」と高校2年生の部長君に言われて、和賀山塊の夏合宿にでかけた。ブナの大木にかこまれ、沢には悠々と泳ぐ尺を超えるイワナ、林道ではブユ襲撃と熊の生々しい糞・・・。どっぷりと自然に浸る山で、思っていた通りの「秘境」だった。しかし、中1君たちには厳しかった様なので、「部活で行くことは、もう無いだろうな」と思っていた。

 ところがどうした事か、その中1君たちが高2となった今年、「夏合宿にはもう一度、あそこに行きたい」と言われて、再び和賀岳にでかける事になった。夜行バスで北上までを往復、北上線と路線バスで登山口の最寄りで下り、林道を8Km程歩いて登山口に到着する同じ行程である。まあ、思い出は往々にして美化されるものだが、現実はいつもリアルだ。ブユの大群は元気な盛りだったし、和賀川の徒渉も足が切れそうな冷たさだった。高2が結構バテたし、帰りの林道では伐採地で私達をみて逃げていく熊も見た。山頂付近のお花畑は、6月の低温のために開花が遅くなり、前回より色とりどりで美しかった。山頂に立つ日にガスがかかって展望が利かず、寒がる者がいた以外は「ああ、やっぱり和賀岳はすばらしいな」と思う合宿だった。

もっとも「和賀山塊」と言っても、多分、知らない方が多いだろう。実際、部員たちが用具の買い物に登山用品店にでかけても、「店員さんが知らなかった」という事が多いようだ。私は、これを聞いて、「ああ、よかった」と思う。和賀山塊は、白神の二の舞にはなってほしくないのだ。

20数年前、白神山地のブナは青秋林道の建設で根こそぎに伐採されそうになっていた。村の厳しい環境の中、現地で反対の声を上げ続けていた人たちの訴えを聞き、全国の自然保護団体や山岳関係者は署名を集めて送った。私も、「白神を守ることができたら、沢から訪ねてみたい」と思い、ささやかながら署名を集めて送った。だが、林道工事が中止となった喜びもつかのま、「世界遺産」とされた白神は多数の観光客や登山者がおしよせて、オーバーユースが続いている。「自然遺産」は、コア・エリアを保存して手を付けないためのものではなかったのか。「世界遺産」はいつの間にか、日本では観光地の「ハク付け」に堕落した観すら有る。だから、私はささやかではあるが、「当分、白神には行かない」と決めた。

 ところで、和賀岳の登山口となる旧沢内村をみなさんはご存じだろうか。乳幼児死亡ゼロをめざして日本で初めて乳幼児医療の無料化を行い、地域医療を推進した村だ。映画やテレビでも取り上げられて知る人も増えた澤田村長の資料館が、沢内病院の横にある。残念ながら和賀岳から下りてからもここに行く時間はとれず、バスの中から小さな看板を確かめるにとどまった。この村の放った「光」を、私達はもっと大切にすべきだと感じながら。

 そして、ほっと湯田駅前で北上線を待つ間、物産館でソフトクリーム200円に皆が「安い」と飛びついた。私も食べながら、ふと横にあったハローワークの求人情報が目に入った。コンビニのバイトが時給600円台だ。なんだ、時給の違いを入れたらそんなに安くないな、と話すと高校生には話が通じた。では、全国どこでも同じ価格のファーストフードは高くなるかなぁ、と。

 すばらしい自然も、その麓に住む人々の生活が成り立つ社会でなければ、私達は寄りつくこともできなくなる。山だけ、海だけ、魚だけ、自然だけを見るのではなく、それらを通じて私たちの生きている社会と生きていくこと自体を見つめたい。僻地、秘境、山、自然・・・そんな中にこそ、私達の明日を考える何かを感じ取れる様でありたい、と改めて思う和賀岳の夏だった。