2005年も山に出かけて遊ぼう・・・

1.吹雪の八ヶ岳(2005/JAN9-10)
2.気楽な雲取山(2005/March21-22) 
3.寝坊しちゃった移動会〜大山(2005/Apr29)
4.GWの秋田・乳頭山は天国(2005/May1-3)
5.富士山の風はなめちゃいかーん!!(2005/June4-5)
6.夏は涸沢で家族サービス(2005/Aug6-9)


1吹雪で.運用はさっぱりの八ヶ岳

1月9日 夜行がとれたので、八ヶ岳にやってきた。天候がよければ、赤岳山頂で無線三昧しようと思ったのだ。天気予報で昼までは晴れるかなと思っただが、美濃戸で曇り・・・でも、ひょっとしたらと思って行者小屋に上がってみた。しかし、ここで既に雪が降り出した。

これでは赤岳山頂運用は問題外。が、なんと山頂の小屋は閉まっているものの、赤岳の肩にある展望荘は今日までやっている・・・と聞いて、心が動いた。でも、テントも持ってきたし、素泊まりでも高いからなぁ・・・とやめて、夏沢峠に行くことにした。

赤岳鉱泉に下ってから、硫黄岳に上りなおして、夏沢峠に向かう。。硫黄岳の手前はいつも風が強いので、目出帽をかぶって、準備してから稜線に出たが、意外やまっすぐ歩ける程度の風。山頂で1292.30のリピーターにアクセスできたので、JA0RUZ関崎さんに声をかけて、小林さんと中継もしてもらった。ただ、ここはいくら風が弱いとは言え、「人間が飛ばない」という程度なので、お皿はセットできない。でも、硫黄岳の上だけは、今回のコースの中で1292.30にアクセスできた。どうしてかな。

ここから夏沢峠への下りが、意外や大変。考えたら当たり前で、今までは横か後ろから吹いていた北西の季節風が、まともに左前から吹く。メガネがどうも曇って見えないので外したこともあり、眉毛に樹氷ができた。hi

こうして、夏沢峠にテントをはったのだが、ここはやっぱり無線にはだめだった。わすがに430Mで聞こえる局はあったものの、呼んでも届かず、茅野とか、原村ならばできそうだが、全くの坊主だった。、気温はガンガン下がり、寝ていても寒くて・・・。テント内でコンロをつけても-10度よりはあがらなかった。電池などはシュラフに入れて寝た。夜中にトイレに出ると満天の星空が綺麗だった。あまりに寒くなって、途中からあまり寝られず、朝飯を食べてウトウトしてしまったので、朝が遅くなってしまった。だから、明日はピーカンと思ったのだが・・・。

1月10日 朝は予想通り晴れていた。ところが、出発する頃には雪雲がかかり、下界は晴れているようなのだが、山の上は猛烈な風。根石山荘の前では、目出帽をつけないで出たら、まっすぐ歩けない風が吹きつけ、あわててかぶるはめになった。でも、どうも左目の上がやや凍傷気味になる始末。。まあ、たいした事はないのだが。

で、天狗岳山頂についたのだが、ウェストポーチに入れていたハンディ機でも、液晶の動作が緩慢なほどの気温。それでも、風をさけられる山頂の場所を知っているので、10分ほど1200MにてCQを叫んだ。でも、電池が劣化したためか、応答はなく、すごすごと退散することにした。トランスバーターをセットしてもよかったのだが、歩きながらザックの温度計を見た ら-15度。山頂はやっぱり-20度位なので、羽毛服を着てもなかなか長居はつらかったようだ。なによりもウェストポーチに入れた状態のハンディ機でも動作が緩慢になるのは初めてだ。やっぱり冬の八ヶ岳をなめちゃいかん。風と気温は一丁前だ。ちなみにこの山頂は1292.30はだめで、筑波山リピーターは快適にアクセスできた。でも、返事はなかったのだがが・・・。

後はミドリ池経由で稲子湯に降り、風呂でほっと一息ついた。でも、ミドリ池に下りたらなんと天気は晴れてきて、天狗岳が見えていた。あら、残念。太陽が出ていれば、あの風の来ない影はあたたかいからがんばれたのになぁ。・・・ということで、今回は5/10Gはまともに運用できなかった。聞いていた方がいたら、申し訳ありませんでした。次は、関東UHFでどこか近場に移動したい。

2.気楽な移動は雲取山

3月21日 2月の関東UHFコンテストは、残念ながら仕事で出られず、移動どころではなかった。春分の日をはさんだ連休こそは、久しぶりに蓮華温泉にと思ったのだが、なんと、忙しかったために夜行列車を予約にいけずに、やっと行った駅では「満席です」との非情な返事で、白馬までの足がなくて断念。このまま、座敷豚は嫌だ・・・という事で、お散歩に雲取山に行くことにした。ただ、連休の雲取山は混雑するので、一日休みをとり、連休の最終日に上ることにした。これならば、避難小屋もすいていて無線をやっても大丈夫だろう。

起きてみるとよいお天気だが、のんびり家を出たら9:35に奥多摩駅に着き、バスを見ると9:30にいったばっかり・・。なんと、次のバスは11:00。じゃあ、少しコースを変えるか・・と奥多摩湖のバスに乗り水根の集落から水根沢林道に入った。ここから、鷹巣山経由で石尾根を登り、雲取山まで行くのもよいかなぁと歩き出した。ポカポカ陽気で、Tシャツ一枚でよい。雪は所々に残る程度なのだが、これが溶けて凍るとすべるので一番やっか
いだ。稜線に出ると雪はそこそこあったが、土の出ている場所も多くて、全体としては少ない。全部雪の方が歩きやすくていいのだが・・・。

この道ははじめてだが、結構、沢沿いの急斜面を横切る道が最初は続いている。途中から尾根に入り、延々と歩く。鷹巣避難小屋は、昔と違って鞍部に綺麗な小屋が建っていた。石尾根をすすむのだが、巻き道を選ぶとどうも距離が長いようだ。特に七石山の所は、稜線の方が早いので山頂をこえていった。でも、久しぶりだったのもあり、休憩込みでコースタイムほどかかって歩いた。そんなわけで、雲取山山頂には17時半過ぎに到着した。避難小屋は誰もおらず、貸切状態だ。まずは腹ごしらえをして、一杯やったら眠くなったので、ゴロンと横になった。

運用は20時過ぎからはじめ、5Gから始めた。避難小屋の前のテラスに出て、羽毛服を着て、手袋をする。外気温は-2度Cだが、そう寒くはない。一番手はJA7JJN/1柳沢さんで、その後、続いて交信した。でも、24Gはアンテナを固定する金具のネジがとれてしまい、ホーンだけになってしまった。さらに、送信・受信で30Kほど周波数が飛ぶので???となったが考えたらVXO関係回路の電圧が安定化してなかったような気がする。いやはや・・。でも一応、JN1AYV岡本さんとは2WAY 24Gの交信ができた。

結局、運用結果は・・・
 1200M 10局
  5G  11局
  10G  6局
  24G   1局
という具合。22時半頃に相手もつきてきたので、QRTした。

22日 雲の多い朝となったので、振り出す前に込み下山しようと、鴨沢に下山。でも、この道はさらに雪が少なく、昨日の暖かさで融けて凍った道、 しかも土が出ている場所もあるので、アイゼンをはくのもどうも・・・でも、滑って怖い・・・という具合で、大変に時間がかかってしまった。雪がばっちりついていれば、2時間で降りられるのだが、3時間もかかってしまい、バスがいった後に到着。hi

仕方なく、バス停でラーメンを作って食べ、昼前のバスで帰ってきた。でも、奥多摩に出てみれば、温泉も「休日の翌日なので休み」とのこと。あらら、残念だった。また、まだ24G移動は板につかないようだ。もう少し、いろいろ工夫してみて、次こそはバリバリ交信したいものだ。


3.寝坊しちゃった移動会〜大山


4月29日 今日はYAMA会主催、関東一帯移動運用会だ。予告では、「大山山頂 9-13時運用」とアナウンスしておいた。ところが、昨晩が遅くて準備ができず、朝、起きてから支度をはじめたもので、出かけたのが8時過ぎになってしまった。本当は、前回と同様にヤビツ峠から大山に行くのが時刻によっては一番早く、かつ、嫌な階段゛が少ないのだが、この時刻だとヤビツへのバスが心配だ。仕方なく、ケーブル利用とした。さらに、暑いのに閉口した。
 そんなわけで、到着は11時前。運用開始が11時15分頃となってしまった。各バンド共に既に混信が始まっている。荷物だけは、5G/10GのDUAL-BAND-TRVに加えて、24Gと47Gまでかつぐだけはかついできた。せめて24Gで何局か交信したいと思ってきた。しかし、どうも24Gは交信している両方とも聞こえない。壊れたのかなぁ、と思って持ち帰りチェックしたが、動いてはいるようだ。川崎で出しているビーコンも一応、聞こえている。問題はやはりアンテナをつけた時に、とてもビームがシャープになる、ということで、運用テクニックがついていかないのだろう。430M-IFにして、FT817を親機にして、SSBモードが使えるようにしないと、なかなか信号が探せないのかもしれない。
 こんな具合なので、47Gはテストする状態にもならず、単なる重石に終わった。hi
 また、7の移動局とも、1200Mではなんとかできたが、10Gはつながらなかった。このあたりもビームあわせのの問題だと思うのだが、難しいなぁ。

・・・と言うことで、交信局数は次のような感じとなった。あまりパッとしないかな。
  5G   9局/10G  5局/24G  0局/47G  0局

 ただ、山頂下の広場でやっていたら、少し年上の方に「10.5Gですか?」と声をかけられた。10.4Gとかとは「普通」の方は聞かない。少しお話しすると、、「五年くらい前まではATVでやっていたのだが、相手がいつも同じで出なくなってしまった。25mのタワーも、去年、撤去した。」とのお話。こちらからは5GでのRSのお話などをして、逆に「分配器をパイプを削って作ったり、精密工作をするのが好き」などのお話を伺った。うっかり、コールを伺わなかったのは失敗だったが、楽しいひと時だった。
 こんな具合で、15時前まで交信して、15時に下山開始。帰りは不動尻まで一時間。そこから七沢温泉まで約45分ほど。行きつけの七沢小屋の露天風呂には、横に寝ながら入れる竹の枕や、椅子が加わっていた。露天につかってから、足湯しながらビールを飲み、極楽気分。帰りのバス停前の酒屋で買った地酒がなかなかの美味で、まあよい一日だったことにしておこう。大山の半ばから上は、桜やツツジが綺麗で、なかなかの景色でもあった。

4.GWの秋田・乳頭山は天国

5月1日 30日の夜行バスに乗って、今朝、田沢湖の駅についた。GWの田沢湖は三度目である。それも乳頭山という割とマイナーな山に何度も行くのは不可解かもしれない。でも、この山とその小屋、そして温泉はなかなか気に入っている。ワンゲルOBのI君とやってきた。ただ、驚いたことに、田沢湖駅前は「再開発」が始まってずいぶんと雰囲気が変わっていた。新幹線の駅にマッチするようにするのだろうか。一時間ほど待ってから、乳頭温泉へのバスに乗った。
 乳頭温泉バス停前で見ると、雪は多くはないが、一応、藪が埋まっている。さっそく、スキーにシールを張り、支度して出発前に写真を一枚。10時に出発した。天気は晴れて、なかなか快適だ。最初の急なのぼりをすぎると、少し緩やかになり、その後、ダラダラと登る。一時間ほど登って休んでいると、一組の夫婦が降りてきた。この日にあったのは、この二人だけだった。その後、しばらくして分岐があるはずなのだが、どうも見当たらない・・・と思ったら、既に行き過ぎて、乳頭山に向かっていた。
 地図を見て、こっちだ、あっちだとやっていたら、見覚えのある場所に戻ってしまった。なんだ、この場所が分岐だったのか、と悟る。ここから先は、テープなんて何もないに等しく、どっちだ、こっちだ・・・とコンパスと地図を見ながら、進むことになった。さて、ふと見ると、山スキー兼用靴が割れて壊れてしまい、紐でしばって形を保つありさまになったもので、ガンガンすべる・・・はずが、だましだまし滑ることになってしまった。
 たどりついた大白森は、文字通り「東京ドームがいくつでも入るような雪原」という奴だった。展望も良く、思わずはしゃいで写真をとった。そして、ピークを過ぎてからシールを外す。見落としては大変なので、下りは慎重に、斜滑降で小屋を探しながら下った。すると・・・数分で小屋が見つかった。
 一泊目に選んだ大白森避難小屋は新築一年半で、薪ストーブもあり、とても快適で清潔な小屋だった。一階は土間、二階はやや狭いが棚のついた寝室。階段も広くて大きな段々だ。まだ木の匂いがいい香りを放っている。荷物をおいてすぐに、外の雪でビールを冷やし、水用の雪をとってきた。まずはウイスキーの雪割で乾杯をしてから、一息いれて、晩飯を作り出した。本日のメニューはジンギスカン風焼肉だ。レトルトだが、ビビンバもある。飯を炊いてから、焼肉を作った頃には、ビールも冷えて、またまた乾杯。「人生、このためにあるようなものね」といってしまう。夜になってから、雨がふったが、小屋の中は快適。ただ、明日の晴天を祈るだけ・・・であった。

5月2日 雨は幸いにも朝にはあがった。朝飯に沖縄そばを食べ、7時40分に出発した。たちこめていた霧も、大白森に登り返したら晴れてきた。なんと、またまた完全なピーカンだ。今日は昨日のルートを戻り、分岐点から乳頭山に進む。乳頭山は、少し前の遭難騒ぎですっかり有名になってしまった。地元の方が「これはいかん」と奮起されたのか、乳頭山へのルートには目印のテープが「これでもか」とべたはりだった。大白森方面には何もなかったので、別の地域に来たような感覚すら持つほどだ。
 ずっとテープにそって、田代袋山荘(避難小屋)に向かった。夏の湿原となる平原では、孫六温泉からあがってきたたくさんのグループがいた。たいていの人は、下に泊まって、往復するのだ。やがて小屋の前に出た。小屋の裏手でふきのとうがある、と騒いでいるおばさんがいた。小屋に荷物をいれる。ここは何度も泊まった小屋で、広々としている。ただ、三年前よりも少し汚れたのが気になる。I君も到着したので、またまたビールを冷やしてから、雪割で乾杯した。時刻は12時40分頃。ちょうど五時間だ。
 さて、このまま沈殿かなとも思ったが、天気が良いので、一服してから山頂の「雪のつながる所までいこう」となった。空荷なので、歩き出すと20分ほどで雪の最上部についた。もう目の前が山頂だ。「やっぱり山頂に行こう」となり、スキーをおいて山頂に向かった。・・・絶景。山頂からは秋田駒や田沢湖がきれいで、360度の展望が楽しめた。こんなに透明度の高い晴れた乳頭山は初めてだ。五月の空は本当に青いなぁ。
 戻ってからは、やっぱりビールで乾杯。そして、小屋裏のふきのとうから、小さいのをとって、味噌汁や鍋にいれた。とって数分の物はなかなか美味で、えぐい感じはしなかった。じゃがいもとベーコンの炒め物、味噌汁と食べて、晩飯にも鍋・・・雑炊にするつもりだった分も夜には食べてしまった。hi

5月3日 朝、冷え込んだ。外の水溜りの水は凍ってしまった。朝は霧が出たが、やっぱりだんだん晴れていくようだ。今朝は、ラーメンで朝食。その後、のんびりするが時間を持て余してしまう。10時に山頂で、JN7WGO水沢さんとスケジュールを組んだので、9時前に山頂に向かった。I君も山頂を何度か滑ることにした。
 山頂で9時半頃。まだ雲がおおいが、だんだん晴れていく。でも、風は強い。山頂で5G/10G TRVをセットしてから、FT817に電源ををつないだ。あれっ??なんだか変だな。817で送信すると電源が落ちる。バッテリーのトラブルかな???しかたがない、もう一本の電池とかえてみようとしたら、こちらもダメだ。
 しまった!!電源コネクタを変換するケーブルがショートしたくさい。バッテリーの保護回路が働いたのかな・・・ こりゃあ、運用できないじゃないか。あわてるな・・・・何か方法があるはずだ・・・。
 水沢さんには少し待っていただき、バッテリーを一つテープを外して、蓋をあけた。中のセルから直接に電源を取り出すようにしてみたら、トランスバーターの電源は確保できた。これで親機に持ってきたC701を切り替えて、144Mで連絡してから、トランスバーターにつないだ。これでOKだ。
でも、最初はこちらから送ったのだが、「わからない」という。さて、どうしてだ?? 逆に送っていただくと、なかなかなみつからない。でも、ダイアルを回すと、周波数が80Khzほど違っていた。なんだぁ、これだ。見つかったら、5Gは180度の範囲で59+にて入ってくる。いやはや、近いとは言えすごいなぁ。
 次は10Gだ。出していただいて、探すともう40Kほど下に見つかった。最初、55程度だったが、ビームがあって59+となった。パワーが一桁違うのでそんなものだろう。ただ、こちらはビームがずれると鍋蓋でも切れてしまう。
 自作やらアンテナやら、RSの事をなどしばらくいろいろお話しして、73を送った。マイクロ波で岩手と東京が直接に交信できるのはいつだろうか。ダクトとか何か手はないものだろうか。その後、144Mで一局と交信したものの、その後は相手がいない。430Mもガラガラである。まあ、人口がガラガラなのだから無理もないかな。
 11時前に撤収して、小屋に滑って下りた。今日は祝日なので、ともかく人が多い。小屋にも何人かが休憩に来ていた。でも、泊まるという人は少ないようだ。うーん、やはりわれわれは物好きらしい。hi
  昼飯にカルボナーラを作った。このソースも百円ショップである。恐るべし百円均一。また、スープも作って食べ、のんびりしたが、時間をやはりもてあましてしまった。13時頃に下山することにした。荷物をくくって、バラバラになりかかっている靴をしばり、ガムテープを張った。だまして降りるしかないので、孫六温泉ではなく、またまた蟹場に向かう来た道を下ることにした。
 分岐点までは平坦で小刻みなアップダウンが続く。でも、やっぱり下りは早くて30分。ここからは下りだが、滑ってしまうとあっと言う間に下りてしまう。ただ、蟹場が見えてきたら、ブッシュがうるさくなった。上りには埋まっていたものが、二日で出てきたのだ。最後は横滑りと斜滑降で切り抜けて、なんとか降りた。
 あとは、温泉・ビールとぐうたらして、田沢湖町に出て、散策で時間をつぶす。駅前は再開発だが、立派になった町営病院はなんだかサロンのついた文化施設みたいだった。それでも、高い建物はなく、以前と同じく新幹線の駅が一番大きな建物のようだ。ひとしきりまわってから、いつものように宝風で晩飯と岩魚の「骨酒」を楽しみ、スーパーでお土産をかい、晩のバスでこちらに帰ってきた。ついた朝、東京の空を見上げると、青空ではあるのだが、なんだか空が狭い。まあ仕方がないけども。
 下は、左が出発時、右が帰りの乳頭温泉バス停付近の写真。ちょっと場所が違うけど、ずいぶん雪が減っていた。
出発時のバス停より 帰りのバス停より

5.富士山の風はなめちゃいかーん!!


出発まで・・・

 今年も、春のマイクロ波の全国一斉移動実験がやっきた。去年、雨の富士山山頂・剣が峰で運用したものの、西方面はさっぱりダメだった。それで、今年は少々突き出した位置にある白山岳に移動しようと考えた。ただ、去年は雪が全く無くて、運動靴で山頂までいけたが、今年は5月半ば過ぎになってから八合目から上では雪が降っているようだ。
 「・・・ようだ」というのは、富士山測候所が廃止・無人化されたので、富士山の気温・湿度しかわからないのだ。あそこの風と天候は知りたかったのだが、山岳なんぞ見向きもしないオカミの国では、望みようもないのだろうか。でも、気温-3度、湿度100%なんて見ると、「こりゃあ、雪だろう」となる。そこで、ライブカメラを探し回ると、いくつもの富士山ライブカメラが見つかった。一番見やすいのは、環境庁のカメラで、一ヶ月推移とか、一日推移などが見られる。これで見たら、確かに八合目から上は真っ白になっていた。
  「参ったな」と思ったのは、「靴」である。GWの秋田で山スキー兼用靴がこわれたのがきっかけで、「これも、もう買い換えないといかんのだが、あると履いてしまう」という事で、古い登山靴を捨ててしまったのだ。でも、まさか運動靴で雪の富士山に行くこともできない。で、5月半ばに出張費が出たので、桜木町のカモシカスポーツに走って、登山靴を買ってきた。これ、ずいぶん軽いぞ・・。
 で、まさか、買ったままに富士山に行くこともできないので、5月22日・日曜日に、カミさんと上の子どもと丹沢に出かけてきた。家族連れの時は鍋割山に限るのでここに行き、鍋焼きうどんを食べてから、大倉尾根を下ってきた。靴はなかなか快適である。特に多くに尾根の下りでは、最近はボッカとかで運動靴しか履いてなかったので、えらく快適であった。
 さて、あとは、機材だが、本当は430M-IFに改造したもので行きたかった。でも、時間が無いので、小さなUTV120BとFT817で1268/1274/1280Mに出られる水晶を川崎電波に頼んで調整だけした。これで山頂ではばっちりだろう・・・とその時は思っていた。また、電池をいくつものTRVで使うための分岐装置も作った。
 天気が心配だったが、入梅は来週らしい・・・という事で、期待ばかりはふくらんだ。また、土曜が仕事なのだが、幸い、定期試験で土曜日に試験が入らなかった。監督表を作る人にゴメンナサイをして休暇届を出し、朝から出かけることにした。今回、富士宮までの足が無いので、バスで入れる須走口からしかいけないのだ。

6月4日 10:30 須走にバスではいり、10:40出発。荷物が30Kgはあり、重く辛い。でも、歩き出して六合目の小屋まではコースタイムで行った。ここで、労山の県連盟の仲間とでくわし、「ありゃまあ」とびっくり。なんでも夏にインドにトレッキングに行くので高度順応のために富士山にきたとの事だ。軽い荷物で七合目小屋に泊まって上に行くとの事。幸い、心配していた天気は、悪くはなく、だんだん回復基調な様子であった。
 でも、その後しばらくいっしょにあるいたのが運の尽き?? がっくり疲れてしまいペースダウンした。コースタイムの1.5倍も7合目までかかってしまった。七合目で泊まる一行とわかれても、まだ辛い。仕方なく、8合目でアラレが振り出した中、そのままゴロンと20分ほど寝た。すると、これは効果てきめんで、ずいぶん楽になった。もっとも、荷物はやっぱり重くて辛い。それでも、コースタイム少々程度で歩けるように復活できた。
 八合五尺からは雪がベットリついており、夕暮れは凍るので、アイゼンを岩陰で装着。でも、ふと見ると吹雪になった。九合目の鳥居を通ると、吹雪は下火になり、山頂の鳥居には19:15着。ずいぶん途中でロスしたが、雪だとアイゼンがきくので歩きやすい。

 さて、天候は回復してきて、夜景も見えるので、白山岳に向かった。無風快晴だったので、「これならば、白山岳山頂にテントを設営して、360度の無線を楽しもう」と、無謀なことを考えたのだ。雪の斜面は凍っていて、快適にアイゼンが効いた。
 白山岳山頂に19:40着。テントを出して組み立てている途中から風がでてきた。大きな石がかなりあるので、「これでテントの固定はできる」とふんで設営した。でも、テントの中にはいると強い風で、無線機のスケルチをあけてもノイズが聞こえない程になった。さらに水がザックに漏れたのか、コンロが湿っていて火がつかない。ライターまでダメで、暖かいものを飲めない。仕方なく、残っていた行動食のパンと握り飯をかじることにした。
 テント内で、5/10GTRVと1200Mを設営して、1200MでCQを出しましたが、あまり反応はない。小田原のJH1JXY局と5Gをやったら通らず、「あれ、まさか無線機もぬれて壊れたのかな」とがっくり。疲れていたのもあり、20時台で寝てしまった。(これは故障と思ったら、これそうではなかっただが・・・)

 が、夜中になんだか変な様子。補修して持ってきたテントのポール止めの部分が強風に耐えかねて壊れ、ポールが抜けているのだ。さらに、風が四方八方からまいてはいるので、テントの床が持ち上がっている部分もある。「こりゃあ、いかんな。テントごと飛んだら怖いぞ」と、11時半過ぎに撤収して、お釜の中に移動する事にした。あわてて、荷物をまとめて、なんとか移動しようとしたのだが、出てみると、ガスで何も見えない。本当は神社側に戻ればよいのだが、これでは間違って落っこちることにもなりかねない。しばらくうろうろした挙句に平らな場所に出たが、ここでは風は強くテントを設営できない。仕方なく、ドーム・テントのポールをたてずに、袋状になっている中にもぐって寝ようとした。まあ、これでも二時間くらいは寝ただろうか。

6月5日 4時に起きて撤収。5時のスケジュールに白山岳にあがるべく出発した。周囲はなんとかうっすら見えるようになった。風も平地では収まっていたが、上にあがったら飛ぶような風だった。でも、1200Mはセットして1295.400をワッチ。が30分ほどがんばるものの入感なし。5/10Gはお皿をつけたらそのまま飛んでしまうので、セットできない。三脚では無理だ。やむなく6時前にここを撤収した。

 後は、須走口の神社横に移動。こちらでは西方面はダメだが、三脚で運用というスタイルでは、ここでないと無理だった。ここでも、風で三脚が何度か倒れ、24Gが不調になった感じだ。さらに、ここでも35cmのお皿は無理で鍋蓋までが限度だった。せっかく富士山まで来たのになぁ・・。、
 天気は風が強い以外はあまり大きく崩れず、時々、晴れました。七合目小屋からの仲間もあがってきて、昨日からはじめての暖かいコーヒーをもらった。あとはなんとか各局にお相手いただいたのだが、どうも持っていった機材が十分に活用できずに終わってしまい、残念。

 山頂からの交信では・・・
    1.2G 15局   5G   15局   10G  5局   ・・・どうもパッとしない。遠くともやってないしなぁ・・・・。不完全燃焼ですな。

 11時に撤収して、11:18に下山開始。荷物が重くて疲れましたが、13:35には須走口に降りた。菊屋でラーメンを食べたら、ご飯・ふきミソ・漬物などがついていて感激。なんだか異様においしい。そうだ・・・一日ぶりのメシだったんだなぁ・・hi それから、駐車場をのぞきに行ったが、雨になった事もあり、須走移動各局は撤収された後だった。15時のバスにのったら、ぐったりで御殿場まで寝てしまった。

 今回は、雪山ではあったが、それに関係なく、やはり富士山山頂は風が半端ではない。昨年の剣が峰は無風に近かったので、雨でもよかったのだが、白山岳山頂で運用するのには、三脚でTRVをたてるスタイルでは無理そうだ。山頂に看板の柱が残っているので、あれに固定するか、岩をあつめて、がっちり固定するかしないと風が出たら飛んでしまう。
 結果的には、今回の場合、テントも山頂の吉田口にはっていれば、4日夜に関東各局と楽しめたなぁ、と後悔している。あの時は山頂も無風快晴、夜景もみえて、「これなら今晩も、明日も、白山岳山頂でバッチリ」と思ったのだけど・・・。それがあさはかであった。

 三度目の正直 と言うけど、来年もいけたら、今度こそ、西方面と大爆発で交信してやるぞぅ・・・!!


6.夏は涸沢で家族サービス(2005/Aug6-9)

8月6日 一昨日まで部活の合宿で八丈島に行っていたのだが、今日からは恒例の「家族で北アルプス」の四日間が始まった。考えるともう七年目になるのだが、テントをかついであちこちとでかけてきた。
 一年目 栂池〜白馬岳〜蓮華温泉    初めての家族でテント。
 二年目 針の木雪渓〜蓮華岳〜爺カ岳〜鹿島槍  蓮華岳はコマクサの宝庫だった。
 三年目 中房温泉〜燕岳〜常念岳〜蝶カ岳〜上高地   槍を見ていたら行く事になった。
 四年目 新穂高温泉〜槍平〜槍カ岳〜上高地    槍はこのコースが一番楽ですね。
 五年目 上高地〜横尾〜奥穂高〜涸沢〜北穂高〜上高地  北穂高の上で食べた牛丼がうまかった・・・。
 六年目 新穂高温泉〜双六岳〜三俣蓮華〜雲の平〜新穂高温泉 台風で高天原温泉にいけなかったのが残念。

・・・てな具合で、結構、メジャーな北アルプスの山は歩いてきた。最初は、下の子どもが保育園の年長だったが、もう小学校六年生。初めは、6時間も歩くと切れていた子どもも、最近では、親があおられてバテる有様だ。トホホホホ。ただ、今年は、上の子どもが事故で手首を骨折。ギブスはとれたが、まだリハビリ中なので、どこに行こうかと思案しして、一昨年に行ったけど涸沢でのんびりしよう、という事になった。
 
 さて、朝4時過ぎに起床。タクシーで5時過ぎに町田を出て、6:15高尾発 松本行き 各駅停車に乗り込んだ。夜行バスが一番安いのだが、とれなかったのとカミさんが寝られないというので、青春18切符で出かけることにした。バスを乗り継ぎ、上高地に12時着。ここで、昼飯に弁当を買って食べてから、横尾までが本日の予定だ。横尾までは運動靴で歩くことに決めている。登山靴よりも早くて楽に歩ける。15時過ぎに横尾着。どうということはないが、さすがに涼しくて快適だ。晩飯は、テントですき焼きを作って食べた。

8月7日 今日は涸沢に上がり、テントを張ってから、奥穂高に往復する予定だ。涸沢まで2時間20分ほどで到着、なかなか快調である。テントを設営すると、ついついヒュッテに行って、名物のおでんを頼み、ついでに(?)ビールに手が出てしまう。
 それから奥穂高に向けて出発したのだが、だんだんガスが出てきて、白出のコルにつくと雨がポツポツときた。小屋にはいって休み、売っていた柿の葉寿司を食べながら様子を見たら、雨は上がったので、山頂に出発した。ほどなく山頂に到着。
 今日はフィールドデーコンテストなので、山頂で無線をやれば、誰かいるだろうと思って、5G/10Gも持参した。ところが、祠の裏でセットしたら、急にゴロゴロゴコロと始まった。こりゃあいかん。雷様は恐ろしいし、きっと雨がくるぞ・・・と一分で撤収した。案の定、下りの途中で強い雨になった。雨具を着ていたのでよかったのだが。
 もっとも、雨は下りきる頃にはあがり、涸沢小屋でソフトクリームと生ビールを楽しんだ。やはり涸沢は天国である。もっとも食べ過ぎたようで、晩飯は、チヂミ とご飯、マーボー春雨だったが、ご飯が残ってしまった。hi

8月8日 今日は北穂高に往復する。本当の目的は、北穂山荘の牛丼を食べることである。とは言え、のんびり起きたので、既に日が高い。北穂高への道は日の出前に出て、登りきるのが楽なのだが、まあ仕方が無い。北穂沢の急な上りをえっちらと進み、これまた2時間20分ほどで山頂についた。
 だが、山荘をのぞくと10時なのだが、まだ昼食の営業は始まっていない。まあ、無理も無い。11時まで一時間あるので、山頂で5G/10Gをセットした。1200Mで叫び、5G/10Gと叫んだが、さすがに平日、しかもコンテスト翌日とあっては、誰も応答しない。仕方なく、JA9SNGの5Gビーコンを受信した。そんなことをしているうちに声をかけられ、山頂でハムをやっている人と話をはじめ、マイクロ波の話なんぞをして、時間をつぶした。
 11時前に小屋に戻り、念願の牛丼を食べる。いつ食べてもうまい。次の機会には「特性カレー」を食べることにしよう。下りはゆっくり、なにせ、上の子どもが左手を使わないようにしなくてはならないのでさすがに気を使う。二時間近くかけて下った。
 さて、今日は涸沢ヒュッテで生ビール、そしてコッフェルでおでんを買った。晩飯は、ゴーヤーチャンプルーとおでん 豪華に食べた。

8月9日 今日は降りるだけである。7時頃に出発。横尾まで二時間弱。下りの方が子どもたちもゆっくりである。ここで運動靴に履き替えて歩く。ここからはペースアップして、徳沢まで40分、明神まで35分と進む。明神で恒例のリンゴを食べてから、上高地まで35分。結局、4時間半ほどで上高地についた。あとは、遠いのだが、上高地温泉に入って、各駅で帰るだけだ。もっとも、新島々では駅前の産直で羽田のスイカをワンカット百円で買うことを忘れてはならない。列車では、もちろん、駅弁が楽しみとなる。松本で富山の枡寿司など、甲府で元気甲斐弁当を買って、家族でわけあって食べた。あ、こんなことをしていると特急とあまり費用はかわらないかなぁ??
 かくて、食い倒れ、涸沢山行は終了となった。さて、来年はどこに行くのかなぁ。