フーコーの権力論(1)
●イントロ:
フーコーが覆そうとした「権力」のイメージはどのようなものか
・権力とは、上から下へ行使されるものである
・権力とは自由を奪うものである
・権力は、誰かによって所有されたり、簒奪されたりするものである
・権力は人間性を奪うものである。
・権力は、禁止、虐待などといったかたちで、「否定的」に働くものである。
・権力は、それを行使するための機関を持っている(国家、さまざまな制度)
・権力は身体を拘束し、精神をも統制しようとする。
フーコーによる、「権力」にたいする新たなイメージ。
・ 上から押さえつける権力ではなく、むしろ横や下からひそかに働くような見えない力
・毎日の生活の中で、「自由」におこなっている行為を律している力。
・ 禁止する権力ではなく、むしろたえまない「訓練」を要求する力。
→「ノルマ」を満たしていくことこそ重要。
たえず自分の「能力」を測定して、足りないところを伸ばし、よいところをさらに伸ばしていくという無限の作業。
→ それに逆らうには、I would prefer not to (メルヴィル「代書人バートルビー」1853)しかない??
よって・・・
・権力は人と人との間で働く「力」である(権力の諸関係)
・権力は「自由」に振る舞うことをうながす。
・権力を持っている人はいない。権力に組み込まれることはある。
・「人間性」では権力に対抗できない。
・権力は肯定的・生産的に働く
・権力はひとつの機関や制度によって固定されず、さまざまな制度で働く(監獄、兵舎、学校)
・権力は身体を「取り囲み」、その力を引き出し、利用する。「精神」は権力によって作り出される。
・そんな権力の中で、どのような「創造」や「自由」がありうるのだろうか。
・このような「権力」はどのような空間を作り出しているのだろうか。
具体的な分析
●『監獄の誕生』(一九七五)原題『監視することと処罰すること』(新潮社)
ミシェル・フーコー。
二〇世紀フランスの思想家、代表作『言葉と物』(人間の死)、『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』他)
・ 一八世紀終わりまで「処罰の時代」・
・処罰の時代。残忍な刑罰。見せしめとしての刑罰。「身体」を責めさいなむ刑罰。
残忍で、不公平で、不連続な権力。
・一九世紀以降「監視の時代」
・啓蒙主義の影響で、残忍な刑罰の批判や死刑廃止が説かれるようになる(ヒューマニズム)。「罰せられるべきなのは、身体ではなく、心である」。監獄の改革。
・「矯正」するものとしての処罰。
・残忍ではなく、公平で、連続的な権力。
○フーコーの発想。一見ヒューマンにみえる転換において、別の種類の「権力」が生まれてきていること。この権力は、監獄だけではなく、兵隊の訓練や、学校、病院などにおいても働いていること。
兵隊の訓練。
・「従順な身体」。効率的に働く機械として、鍛え上げること。
・ディシプリン(規律、訓練)の重視。
・効率重視:兵隊の身体をできるだけうまく「活用」すること
学校
・規律の重視
・遅刻・欠席の管理
・ ・態度、言葉遣い、「罪を理解させること」
(R) 「逸脱」をチェック。ある水準に達しているか、やるべきことをやっているか・・
・ 「規格化・正常化・ノルマ化 normalisation」。ある水準を決め、それがどれだけ実現されているかをチェックして、児童を配分し、数量化する。「適性」を判断。あらゆるひとに、ふさわしいノルマを設定し、たえずそれを満たしていくことを要求する。
・「生産的な人材」の育成・活用。
・「汚辱のクラス」
監獄
「一望監視装置(panopticon)」
○ フーコーの発想
このような権力のありかたを、監獄の建築のありかたで示したこと。
・ 個人化
・ 行動がつねに見えるようにすること。権力は「見えないが、つねに見ている」。
・ ・どれだけ悔悛したか。
さらなる逆転。この監獄はじつは失敗し、軽犯罪が増加。
○ 参考文献「行為する身体の系譜学──フーコーの権力論」『哲学を使いこなす』東洋大学哲学講座2、知泉書簡。
メルヴィル「代書人バートルビー」『幽霊船』(岩波文庫)所収。