参考テクスト

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1)サルトル『壁』 『水いらず』新潮文庫所収)

俺は狂っているわけじゃないぞ。でもどうも具合が悪いんだ。俺は俺の死体を見る。それは難しくはないが、俺の死体を見ているのは俺なんだ。俺の目で見ているんだ。こんなふうに考えなくてはならないみたいなんだ・・・おれはもうなにもみえなくなり、なにも聞こえないのに、ほかのやつらには世界が続いている・・・こんなことは考えられるもんじゃない。(「壁」)

2)メルロ=ポンティ「セザンヌの懐疑」 (『意味と無意味』所収)

セザンヌは地質学的な土台を発見することからはじめる。そのあとでは彼はもう動かない。目をひらいて見つめていた、とセザンヌ夫人は言う。彼は風景とともに芽生える。重要なことは、すべての科学を忘れ、しかし科学を使って、風景の構成を生まれつつある有機体としてとらえなおすことにある。まなざしがとらえるすべての部分的な視覚をたがいにつなぎ合わさなければならない。目のうつろいやすさによって散らばってしまうものをかき集め、「自然のさまよう手を組み合わせ」なければならない、とガスケ[対話者である友人] は伝える。「世界の一瞬が過ぎ去る。その一瞬を、現実のままに描かなければならない」。瞑想はとつぜん終わりを告げる。「モチーフをつかんだ」とセザンヌは言う。(・・・)イメージは飽和し、たがいに結びつき、線描され、均衡に達し、同時に成熟へと達する。彼は言う、風景が私のなかで考える。私は風景の意識なのだ、と。(「セザンヌの疑い」)

3)デリダ『アデュー』

主人は、問いに付され、取り憑かれ(したがって攻囲され)、責めさいなまれている主体であるかぎりにおいて、人質である。彼は、自分が生起し、場を持つまさにその場において責めさいなまれる。亡命させられ、国外追放され、よそ者であり、永遠の客人であるようなものとして、住処を選ぶより先にある住処へと選ばれてしまっている、そうした場において、責めさいなまれるのである。

4)デリダ『万国の世界市民主義者よ、もう一努力だ』

強制送還なき、同化なき庇護権をどのように定義しなおし、発展させていけばよいのだろう。<都市>は、都市の権利は、都市の新たな主権は、国民国家相互の権利が開きえなかった独自の空間を開くことはできないだろうか。(Cosmopolites..., 22)

5)デリダ『歓待について』

到来者にたいして「ウィ(フランス語のイエス)」と言おうではないか。あらゆる規定以前に、あらゆる予測以前に、あらゆる同一化以前に、異邦人であろうと移民であろうと、招かれた者であろうと予期せぬ訪問者であろうと、到来者が他国の市民であろうとなかろうと、人間であろうと、動物や神的な存在であろうと、生者であろうと死者であろうと、男であろうと女であろうと。(73)

6)ラカン『精神分析の四基本概念』

見えるもののなかで私を根源的に決定づけるもの、それは外にあるまなざしです。まなざしによって私は光の中に入っていくのであり、私が光の効果を受け取るのもまなざしからです。ですから、まなざしはひとつの道具、つまり光がそこにおいて受肉し、その道具を通して私が(・・・)「光によって描き出される=写真に撮られる」、そういう道具であるということになります。

5)ドゥルーズ『リゾーム』(『千の高原』所収)

実のところ、<多>よ万歳、と言うだけでは足りないのだ。(・・・)<多>それは作り出されなければならない。
進化の図式はたんに、分化の度合いの最も小さいものから最も大きいものへと進む樹木的血統のモデルに従って作られるばかりではなくて、異質なものに直接働きかけ、すでに分化した一つの線からもうひとつの線へと飛び移るリゾームにしたがって作られることになろう。(・・・)鰐が木の幹を再現しているわけではないことは、カメレオンが周囲のさまざまな色を再現しているわけではないのと同じである。ピンクパンサーは何を真似しているわけでもないし、何を再現しているのでもない。世界を自分の色に、ピンクにピンクを重ねて塗っているのだ。それは彼が世界になることであり、その結果として、彼自身が知覚できなくなり、非意味的になり、自己の切断や固有の逃走線を生み出す。
(樹木-根の原理とは<権力>の構造である。)こうした中心化システムに、著者たちは非中心化システム、有限な自動装置の網目を対立させるのであり、そこではコミュニケーションはある隣接者から別の任意の隣接者へと行なわれ、茎や経路は先だって存在することはなく、個体はどれも交換可能で、たんにある瞬間における状態によって定義されるだけである。その結果部分的な操作が相互に調整され、グローバルな最終結果は中心的な審級からは独立に相互にシンクロするのだ。
『リゾームになり、根にはなるな、決して種を植えるな! 蒔くな、突き刺せ! 一にも多にもなるな、多様体であれ! 線を作れ、決して点を作るな! スピードは点を線に変容させる! 速くあれ、たとえ場を動かぬときでも! 幸運の線、ヒップの線、逃走線。あなたのうちに将軍を目覚めさせるな! 正しい観念ではなく、ただ一つでも観念があればいい。短い観念を持て、地図を作れ、そして写真も素描も作るな! ピンクパンサーであれ、そしてあなたの愛もまた雀蜂と蘭、猫と狒狒のごとくであるように。』