一九六〇年代から七〇年代にかけては、「言語」の問題が中心であり、「テキスト」や「エクリチュール」「語り」などが問題になったが、八〇年代を越えるとむしろ「生命」や「自然」や「身体」の問題が再浮上してきた。
 これは一方では、ドイツロマン派、ナチズム、京都学派の復権など、政治的には危険なものもはらんでいる。他方、この危険を自覚しながら、新たな思想を切り開こうとする試みも見られる。「オートポイエーシス論」「アフォーダンス」などがそれである。こうした新たな試みの検討をとおして、こんにち「生命」や「自然」を問う意味について考える。