前回の授業では、プリントに基づきながら、一八世紀末から一九世紀における権力関係のあり方を検討した。学校におけるディシプリンとしては、「配分」「数量化」「ミクロな経済策」「逸脱の明示」「汚辱のクラス」「規格化(ノーマリゼーション、ノルム化)」「等質化と個別化」などについて、またパノプティコンについては、「可視性の罠」「多様性の管理」「囚人が役者として組み込まれた装置」「見る=見られる関係」「自発性」「非暴力」などについて整理しておくこと。
まとめ
・ 個人を平均化しながら、多様に配分するための視覚的な装置として作られた建築
・ 構成メンバーはこの装置の構成要素。とりわけ囚人は観察対象であると同時に役者。囚人はなんらかの「変化」や「差異」を提示しなければならない。
・「監視」の積極的役割はどのようなものか??
一般的なイメージ:行動を抑制。犯罪の抑止→ 「管理社会批判」
しかしフーコーの「監視」は少し違うのではないか?
・個人というものの「多様性」を作り出すような視線。
・上から抑圧するのではなく、ミクロな次元に入り込んでいる(建築など)
・誰かが独占するのではなく、人間の関係そのもの、コミュニケーションそのものに宿っているもの。
権力とは?
(1) 権力=抑圧ではない。禁止や制裁のようなネガティヴなものではなく、むしろ多様な個人の「こころ」を見えるようにするポジティヴなもの。
個々人の振る舞いを「禁止」するのではなく、むしろさまざまな振る舞いを訓練したり、それを評価したりする。Conductをconductする。
(2) 権力=法律ではない。むしろそれをとりまくさまざまな「制度」(監獄、病院、兵舎、学校)などで鍛えられる「技術」において働いている。
(3)権力は「誰か」あるいは「国家」などの機関が「持っている」ものではない。むしろ人と人の間に働く力のようなもの。(権力諸関係)
(4)この関係はときどき逆転するが、「抵抗」もそのなかに織り込み済み
(囚人は役者なので・・・)
(5)科学も権力とは対立せず、むしろ密接に絡み合っている。(犯罪者の骨相の分析、精神医学など)。
フーコーの理論の意義
・ 従来の権力論(国家というイデオロギー装置、資本主義における疎外など)の批判。→ マルクス主義からの批判。「フーコーは抵抗の可能性を奪ってしまった」→ むしろ「権力」=「悪」とみなすことこそ、息詰まっている。
・ 建築を視覚的に分析し、「装置」として分析→ 新たな「建築」の模索によって権力を組み替えることができないだろうか?。
・ 現代人が自明のものとみなしている価値(個人、人間性、こころ、抵抗、科学の中立性・・・)などが、このような装置によって作り出されてきたこと。それは「最近の発明品」(せいぜい一九世紀以来)。Cf. 「人間の死」(『言葉と物』)。
・ 新しい知識人の形。「大衆を先導=扇動する知識人」(サルトル)ではなく、考えるための材料を提供し、「ほかのかたちで考えてみる」ことをうながす。
・ ある種の行為が、不必要なまでに「悪」とみなされ、「矯正」すべき対象とされてしまうのはなぜなのか。→ 「規律システムの維持」が至上命題。
→ それ以後はどうなっているのか。フーコーは別の著作で、19世紀後半以降に展開した新しい権力のあり方を提示した。それが「生の権力」である。
『性の歴史』1(新潮社)。
「死なせるか生きるままにしておくという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた、と言ってもよい」(第一巻、175)
・ 「一九世紀は性を抑圧してきた」という仮説の批判。
・ むしろ性はさまざまな語らせられるようになる。→ 「告白」「精神分析」
・ 性的なほのめかしをすべて数え上げる・・・「性についての言説を生産する仕組み」。
・ ヒステリー(シャルコー)、女性の身体、家族のコントロール
・ 「人口」(population)」の管理。社会の安寧、治安維持(Polizei)。
出生率、罹病率、寿命、健康管理、食事や住居の管理。豊かな国家
・ 生命についてのさまざまなテクノロジー
・ ナチズム。「生物学的危険」血の純粋さ
生の権力
・かつての権力:死なせるか、生きるままにしておく
・新たな権力:生きさせるか、死の中へ廃棄するか(「汚辱のクラス」が「アブノーマル」とみなされたことと関係)
○フーコーの理論の応用
ジル・ドゥルーズ、20世紀後半のフランスの哲学者。主著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『シネマ』など
例)ドゥルーズの「コントロール社会論」
・君主型権力→規律型権力→コントロール型権力
・ コントロール型権力とは
コミュニケーションをあやつる権力
病院、教育、職業環境の変化。
何一つ終えることができない。
サイバネティックスとコンピュータ
非コミュニケーションの空洞や断続器を作り上げること。
ではどうすればよいのか??
「リゾーム」(1976)
「リゾーム」樹形図上の構造とはことなった、横断的な関係の模索。
・ 私と言わない地点に到達するのではなく、私というか言わないかがもはやまったく重要でないような地点に達すること。」
・ 無意識を構築すること、多を作り出すこと
・ 接続だけがあるような世界。
・ 反系譜学、短い記憶、反記憶
・ 多数の入口と出口
・ 始まりも終点もない、接続だけがある。「・・と・・・と」