04/02
「維摩経」の再校が届いている。タイトルは「釈迦と維摩/小説維摩経」で正式決定。最初から読み返す。冒頭の省は初校で、仏教用語の説明などを大幅に書き加えたので、もとの文章にうまくとけ込んでいるか心配だったが、なめらかに読めるので問題はない。「十牛図」の校正の時に気づいたのと同じ間違いをしている箇所があり、あわてて訂正。仏教の本を2冊連続で校正することで、集中力が出ている。明日から三ヶ日の仕事場へ行く。しばらくはこの再校の作業を続けることになる。
テレビを見ていると、米軍はクラスター爆弾を使っているようだ。これはベトナム戦争で使用したボール爆弾みたいなものだろう。巨大な散弾銃のようなもので、人体を攻撃するだけの目的で使用されるものだ。しかも全身に散弾が打ち込まれる残酷な兵器である。たとえ戦争にいささかの正当性があるとしても、この大量殺戮の兵器の使用は、どんなことがあっても許されない。アメリカは世界全体を敵に回すことになるのではないか。
04/04
三ヶ日(浜名湖)に来ている。浜名湖の見える書斎の机の前に座ると、湖岸の桜が見える。満開である。対岸の舘山寺の向こうには自衛隊の基地があって、レーダーを背中に載せた飛行機がゆっくりと旋回している。イラクでは戦争をやっているというのに、こちらはのんびりとしている感じだ。「維摩経」の再校、三分の一が終わった。初校でかなり書き込みをしたのだが、うまく収まっている。三ヶ日に来ると、周囲の景色がよいので、視野が広がった感じがする。三宿では、恐るべき閉鎖的な空間に閉じこもって仕事をしている。畳一畳ぶんくらいのところに身動きもできないような状態で資料に埋もれながら仕事をしているのだ。この三ヶ日の仕事場には、資料がほとんどない。バッグ一つに入るだけの本しかないし、必要なものしか運んでこないから、部屋は広々としている。それでもパソコンの中に小学館の百科事典が入っているのはありがたい。オマケで国語事典がついている。
そろそろ来年のことを考えないといけない時期だが、いまのところ何のプランもない。今年いっぱいのスケジュールは埋まっている。フリーターの作家としては、それだけでもありがたいと思わなければならない。
この三ヶ日の仕事場には、愛犬リュウノスケのお墓がある。リュウノスケと猪鼻湖の湖岸を散歩した思い出がある。リュウノスケが泳いだ浜がある。事故で鎖骨を折って以後は、三宿での散歩は妻に任せていたのだが、ここではわたしがリュウをつれて散歩していた。いろいろな思い出があって、いまでも胸が痛む。
04/05
三ヶ日に来ると朝型の生活になるのだが、二日目くらいに必ず時差ボケ状態になる。昨日は軽く飲んで寝たのだが、時差ボケで明け方3時に目が覚めた。仕方がないので再校に取り組んでいるうちに最後まで行った。完了。今日は土曜日なので、明日、宅急便で送る。大きな直しはない。担当者の指示に従ってあとがきを少し追加した程度。うまく流れていると思う。相当に理屈っぽいところもあるが、原典がそうなのだから仕方がない。原典のユーモアが伝わるように書いたつもりだが、読者に伝わるかどうかは、読者の人柄にもよる。
ものすごく寒い。嵐。石油ストーブを2つ点けて真冬と同じ状態。窓から湖岸の桜が見えているのが不思議。さて、「図書館論」に戻らないといけないのだが、頭の切り替えのためにしばし時間が必要だ。三ヶ日にはあと三日いるが、この期間は少しのんびりと過ごしたい。昨日は鷲津のスーパーに行った。昼御飯をスーパーのレストランで食べた。三宿にいる時は一日一食に近いのだが、三ヶ日では三食食べてしまう。それに必ず寝酒を飲む。これは体によくないのではと思うが、精神はリラックスするので、まあ、いいのではないか。
「図書館論」に集中できないままワープロを叩いていたら、「桓武天皇」を3ページくらい書いてしまった。いくらでも書けるという感じだが、手元に資料をもってきていないので、細かいことは書けない。まだ桓武天皇は登場していない。父親の白壁王が母の新笠と出会うシーンだ。桓武の母は重要人物である。渡来人の血を引くことと、初めは和(ヤマト)という氏姓だったのに、後に高野に変わっている。高野といえば、孝謙天皇が葬られた地だ。そのことには意味があるはずである。
実はこの作品は、孝謙天皇を書いた時から、考えていたものだ。「天翔ける女帝」のラスト近くで白馬に跨った桓武天皇のイメージを書き込んである。ようやく、これを書けるという思いがある。だから、冒頭部分については、ずいぶん前からイメージがあった。いまは書けるところまで書くべきではないかという思いもある。とりあえず、書ける部分は書いていき、併行してエッセーも書くということでいいのではないかとも思う。結果として、今年、予定していた作品をすべて書ければいいのだから、書く順序にはこだわらない。いちばん自然な形で、書きたいものを書くという感じで進めることができればそれでいいのだ。
04/06
再校の宅急便を出した後、西気賀の駅にあるレストランへ行く。駅前のレストランではなく、駅舎がレストランになっている。昔は国鉄二俣線といっていた。いまは第三セクターになって天竜浜名湖線といっているが、単線の気動車である。ほとんどが無人駅になっているので、昔の駅舎を民間に貸している。この西気賀ではレストランになっている。このレストランのオーナーは昔はわたしの仕事場のある別荘地のレストランのシェフだった。当時とまったく同じ味の料理が出るので、時々ここへ行く。
無人駅を見ると、長男が住んでいたブリュッセルを思い出す。長男は最初はタリス(新幹線みたいな国際特急)の駅のあるミディ駅の駅前の学生寮にいたのだが、同じ寮の真上の部屋にいたスペインと女の子と結婚して、街はずれの借家に引っ越した。連棟式だが三階建ての立派な建物で、周囲は高級住宅地だった。その借家は線路沿いだったので家賃が格安だったが、1時間に往復4本しか列車が通らない。その半分は快速電車なので、最寄り駅に停まる電車は1時間に1本。寂れた無人駅だった。人通りのまったくない倉庫街の中に駅があり、反対側は森林であった。乗客もいつも数名だった。それでいてミディ駅から2つ目の駅なのだ。東京駅から2つ目といえば新橋か秋葉原だからびっくりする。その無人駅と比べたら、レストランのある西気賀駅は立派なものだ。
04/07
「図書館論」をやらないといけないのだが、気分が集中しない。まあ、三宿に戻ってから調子を取り戻す。本日は義父を豊橋まで送っていった。義父母は妻の姪の何だかよくわからない作品展を見に東京に来たのだが、義母はそのまま帰り、義父はわれわれといっしょに三ヶ日まで来たのだ。この三ヶ日の仕事場は、義父が建ててくれた。資金を出したのはわたしだが、工務店の手配などはすべて義父がやってくれた。家や庭の管理もすべてやってくれているのでありがたい。
「団塊世代論」についても構想を練らないといけない。少し前までは、「団塊世代に展望はあるか」というようなタイトルで、希望はある、という結論を出したいと思っていた。最近、どうも自信がなくなってきた。経済論から考えると、明るい展望は出せない。精神論でやるしかないか。「団塊世代の老後の哲学」。何だか寂しげなタイトルだが。タイトルというものは最終的には編集者や営業部の総意で決まるのだが、いちおうのタイトルを決めておかないとスタートできない。このプランを編集者に相談して、ダメだということになると、この企画はつぶれるかもしれない。「図書館論」が臨時に割り込んできたので、この企画がつぶれても次の仕事はあるのだが、せっかくここまでいろいろ構想を練ってきたのだから、何とか本を出すところまで到達したい。
04/08
三宿へ移動。たまっていた新聞を読む。三ヶ日では山が近いせいか花粉症に悩まされた。三宿に戻れば部屋の中に閉じこもっているので大丈夫だろう。本日から夜型の生活に戻る。
04/09
文芸家協会。定例の保護同盟との引継について。文化庁からいくつかの問題提起があり、それについて考えなければならない。果てもない作業のようにも思えるが、一歩ずつ進んでいけば、いつかはゴールにたどりつく。管理事業部の開設にあたって、プロジェクトチームを作る必要がある。素案を書記局に示しておいた。次の理事会の前の常任会で説明して理事長および副理事長の同意を得なければならない。それと、プロジェクトチームに参加していただく方々の同意を得なければならない。
04/10
だいぶ前に湯沸器が壊れた。その時はすぐに修理してもらったのだが、部品がないので応急修理しかできないと言われた。今度壊れたら、買い換えた方がいい、ということだったが、半月くらいでまた壊れた。それが三ヶ日に行く直前で、そのままにしてあった。本日、ようやく新品を取り付けてもらった。嬉しい。夕食のお皿洗いはわたしの担当である。水温む候とはいえ、まだけっこう水は冷たい。湯が出ることのありがたさをしみじみと感じる。新しい湯沸器は、温度の設定を変えると、何度に変更しました、としゃべる。うるさい。
04/11
このところようやく寒さが和らいだ感じがする。まだ風は冷たいが耐えられるくらいの風だ。花粉は三ヶ日特有のものだったようで、東京に戻ったら少し改善された。本日も文芸家協会へ。一時間ほどの打ち合わせだったので、ふだんの散歩と同じような感じで、仕事への支障はない。本日、新潮新書の第一弾の新聞広告が出ていた。担当者とメールで打ち合わせはしているのだが、ラインアップを見てようやく会社の方針がわかった。わたしは「団塊老人の未来は暗い」というようなものを書くことになりそうだ。これは内容で、タイトルは「団塊世代の明るい老後」といったものにしないと売れないだろう。
04/12
雨。散歩にも行かず、ひたすら仕事。月曜までにやらなければならない小さな文章が五件ある。そのうち二件は文芸家協会関係のタダの原稿。すべて片づける。メールに貼り付けて送る。手で書かなくなってから20年くらいになるが、その頃はまだプリントしていた。いまは手元に何も残らない。夜、次男が帰ってくる。正月以来。その頃は咳をしていて体調がよくなかったが、今回は元気そうだ。わたしは次男が勤めている会社の株を所有しているので、毎日夕刊で株価を確かめている。世の中の不況にもかかわらず、わたしの所有している株ば上がっている。まあ、いい会社に勤めていると思う。
04/13
本日は少し緊張することがあった。プライベートなことなのでここには書かない。人生の中に、時々、こういう瞬間がある。だからこそ、生きていることは楽しいのだと思う。
04/14
特に何事もなし。「図書館論」少し進む。
04/15
書籍出版協会にて、一種のパネルディスカッション。日本図書館協会と議論をしたのだが、いつもやっていることなので、とくに盛り上がるということもない。出版社の人々への現状の報告にはなっただろう。本日しゃべったことも、いま書いている「図書館論」に反映される。図書館問題でかなり時間をロスしているので、もとをとるために本一冊書くしかない。この本も売れるものではないが、自分がこの問題に関わったことの証しにはなる。
04/16
光文社の担当者と三宿で飲む。この担当者は教え子である。だからさまざまな話題に関して説明抜きで話すことができる。前から光文社にいることは知っていたが、今回、仕事をすることになった。飲むのは初めてである。三宿で最初に飲む時は、メキシコふう料理のゼストから始める。往年の時代には7時に列ができていた店だが、いまはがらんとしている。それでも帰る頃には満杯に近い。三宿は真夜中の街であるが、そこまではつきあえない。昔、リュウノスケと世田谷公園に行っていた時は、夏は午前5時に散歩していた。ちょうど閉店の頃にゼストの前を通る。酔っぱらいがぞろぞろと階段を下りてくるわきを、シベリアンハスキーと駆け抜ける。気持ちがいいような、朝まで飲めるやつらがうらやましてような気分がした。
04/17
作家石和鷹氏を偲ぶ会。入谷法昌寺。ここは歌人福島泰樹の寺である。石和氏は「すばる」の編集長でもあったので、編集者が多かった。立松和平と久しぶりに会う。400円ミステリー競作の笹倉明もいた。笹倉とは来週も会う。石和氏の作家としてのデビューは「早稲田文学」で、立松が原稿をもってきた。ペンネームなので「すばる」の編集長とは知らず、中味も冴えない私小説だったので、ボツを提案しようかとも思ったのだが、立松の知り合いらしいので黙っていた。黙っていてよかった。
入谷は日比谷線である。日比谷線と半蔵門線はクロスしていない。線路はクロスどこかでクロスしているはずだが駅がつながっていない。従って池尻大橋から入谷に行くには、必ず2回乗り換えになる。文化庁の会議が神谷町のパストラルで午前中からある時は、妻に車で中目黒まで送ってもらう。これだと乗り換えなし。しかし入谷は上野より先なので、2回乗り換えでもじっくり考えれば、最短の乗り方があるはずだと思ったが、慣れた九段下で東西線に乗り、茅場町で日比谷線に乗り換えた。しかし日比谷線の中で地図を見ているうちに、1回乗り換えで行く方法があることに気づいた。ものすごく遠回りになるが、北千住で乗り換えれば1回だけの乗り換えだ。しかしまあ、バスを使っていいなら、田園調布までバスで行って東横線に乗り入れている日比谷線に乗ることもできる。それよりも中目黒まで歩いていくことも可能だ。法昌寺は実は鶯谷も近いので、山手線で渋谷に出ても1回乗り換えだ。でも、山手線を半周するのは疲れる。
昨日は酒を飲んで帰ってすぐに寝たら夜中の3時に目が覚めてしまった。少し仕事をした。それから松井の試合と石井の試合を見た。これからまた松井の試合を見る。ニューヨークのデーゲームは夜中の2時から始まる。一日に2度、松井の試合を見ることになる。松井は時々しか出てこないので、その間に仕事を進めることができる。
04/19
合唱団の練習。三軒茶屋から世田谷線に乗っていく。のんびりとした電車に乗って、ぼんやりとものを考える。来年の仕事のこととか、十年後のこととか。具体的なプランがあるわけではないが、漠としたビジョンはある。下高井戸に着くと高幡不動行きの各駅停車が停まっていたが、改札口を通っている間に発射していた。しかしすぐに準急が来て、次の桜上水で各駅停車を追い抜いた。橋本行きの準急なので、各駅停車に乗り換える。ずいぶん早く家を出たのに、各駅停車で一つ一つ進んでいくうちに、練習の開始時間が過ぎてしまった。で、府中が準特急に乗り換える。8年間、八王子市のめじろ台に住んでいたし、その前は7年ま吉祥寺にいた。その前3年間は神泉にいた。ずっと京王帝都の沿線にいたことになる。いまも池ノ上を利用することがあるから、この電車は親しいものだ。ところで、最寄りの池尻大橋のある東急田園都市線が、地下鉄半蔵門線経由で東武とつながった。東武の電車に乗ると、東武の路線図が車内に掲示してある。東急や京王に比べて、東武の路線図はすごい。一番遠いところは、会津田島というところだ。福島県である。
04/20
昼過ぎに起きると妻から電話。三軒茶屋でポットを買うから荷物持ちに来いという。ポットが壊れたわけではないが、安物のポットなのでどうも温度が低い気がする。その前の壊れたポットには再沸騰というボタンがあったが、いま使っているのはシンプルな機能しかない。お湯を出すのも手押しの空気ポンプだ。で、新しいのを買うことにした。ものを買うのは楽しい。
04/21
文芸家協会で打ち合わせ。現在進行中の保護同盟との合併交渉の進行状況を理事長、副理事長に説明。これがけっこう難しい。文化庁や利用者への説明ばかりしてきたので、内輪にどう説明するかをあまり考えてこなかった。反省。千里の道は確かに千里ある。道は遠い。
04/22
高田馬場で飲み会。初対面の人ばかりで、誰が誰かよくわからないが、福祉関係、図書館関係であることはわかった。おおむね善意の人々である。こちらも善意をもって対応する。世のため人のために何かをしているという感じがするが、お酒が入ると要するにただの飲み会である。二次会の時に評論家の山崎行太朗と偶然会って、三島由紀夫の会の人に紹介された気もする。高田馬場から帰る時は新宿から小田急に乗る。下北沢から北沢川添いを風邪に吹かれながら帰るのが好きだ。しかし気が付くと、京王帝都の池ノ上からの帰宅コースを歩いていた。一瞬、自分がなぜここにいるのか、どこからの帰りなのか、わからなくなった。4年前に交通事故で記憶喪失になったのもそのあたりであった。で、結局、東北沢で10分ほど停車するという車内アナウンスを聞いて、降りて歩くことにしたのだ。東北沢から池ノ上までは歩いて5分くらいしかかからないから、こちらの方が近いのかもしれないが、下北沢の方が歩いていて楽しい。リュウノスケと歩いた北沢川緑道にも愛着がある。
04/23
定例の保護同盟、文化庁との話し合い。具体的な活動計画を立てないといけない段階になってきたが、副理事長への説明がまだ終わっていないので先に進めない。まあ、一歩ずつ進むしかない。明日は友人の笹倉明との飲み会だと頭の中のスケジュールにインプットされていたが、よく考えると都自治労主催の文学賞の選考会なのであった。つまり今日中に候補作を読まないといけないのだ。これから読む。
04/24
都自治労の文学賞。笹倉明氏と選考。今年はレベルが高く、よい作品が多かった。結局、受賞作の他に、規定の五編より一編多い六編を佳作とする。この賞の特色で、労働の現場を描いた作品が多い。しかもプロレタリア文学的ではなく、人間を温かいまなざしで見つめたものが多く、選考を終えると充実した気分になる。担当者と慰労の宴会。その後、笹倉と浅草橋へ。笹倉とは大学一年の同級生だが、同じ同級の友人と会って飲む。中国人向けの日本語学校の経営者で、中国と太いパイプをもっているようだ。
04/25
文芸家協会で教材業者と会議。児童文学二団体など児童文学者の方々も参加。今後の展開について話し合う。保護同盟を継承したあとの活動や、NPO法人の活動について説明。同意を得た。一つ一つの作業が順調に進んでいる。それにしても今週の三回も文芸家協会に行った。
04/26
三枝和子さんの葬儀。池上本門寺の近く。この方面に行くのは初めて。妻に車で送ってもらう。本門寺のあるあたりは広大な山だ。三枝和子は高校時代から読んでいた。日本で唯一の前衛小説家であった。その後、三枝さんは知的なフェミニズムを描くようになり、さらに歴史小説を書くようになった。文体もごくふつうになったけれども、初期の頃の超難解な文体が懐かしい。わたしにとっては、作家になった直後の頃に、埴谷雄高さん主催のカレーを食べる会というのがあって、そこが三枝さんとの初対面だったと思う。超難解小説の双璧といえる埴谷さんと三枝さんが揃っていて、わたしは夢を見ているような気分だった。
04/27
選挙。衆議院の補欠。区議会議員。区長。三つ同時の選挙。補欠選挙は亡くなられた民主党の石井議員の補充。石井さんとは、「小田急高架反対闘争」の会議に出席していただいたことがあるので面識がある。家も近所だ(池ノ上)。で、当然ながら、後継者の候補に一票を投じる。区議会は迷う。小田急高架反対闘争を推進している若い区議、妻が支援している生協関係の生活者ネットの候補者、それに近所の酒屋さん。思いは千々に乱れた。結局、誰に入れたかは、ここには書かない。区長。投票所でエンピツを握った途端に、候補者の名前を知らないことに気づいた。全員、無所属ではないか。ポスターを見れば、自民党系の人、前助役、革新的な人など、ヒントが書いてあったはずだが、投票所の中に入ってしまっては、確認できない。エイッ、ヤッと名前の印象だけで選んだ。投票所の外に出てポスターを見ると、自分が入れるべき人の名前に一致していることがわかった。よかった。結局、この人だけは落ちてしまったが。
04/28
図書館との協議会。わたしは穏やかな性格であるが、本日は少しだけカッとなった。人生にはそういうこともある。図書館側は結局、複本対策はまったくやるつもりはないし、補償金はビタ一文払うつもりはない、ということが判明した。前からわかっていたのだが、本日は相手の言葉尻をとらえてしつこくくいさがったので、相手もキレて、本音を語ってくれた。で、次回までに戦略を立て直すことにした。これは弾丸はとんでこないから、安全地帯にいるわけだが、一種のシミュレーションゲームである。つまり図上演習みたいなもので、言葉による戦争である。キレたら負けなので、ねばり強く闘うつもりである。
04/29
妻の叔母さんの一家が来る。妻の誕生日を祝っているようだがそれにしては妻が料理を作っている。昼御飯なのでこちらはまだ寝ていた。最後に、かねて用意のプレゼントを出す。限定販売のタイマーつきペコちゃん。ところが出してみると時計が動かない。メイドイン中国である。ドライバーで中を見るとハンダがとれているだけ。とりあえずセロテープでくっつけると動いた。よかった。
04/30
文芸家協会で副理事長と打ち合わせ。必要な話はできた。自宅に帰って妻の運転で三ヶ日へ向かう。夕刻、三ヶ日の仕事場に到着。家が冷え切っていて寒い。
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