「難問・悪女」創作ノート1

2010年8月

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08/01
日曜日。大阪に日帰り。母校の追手門学院で講演。大阪は暑い。東京も暑いけれども。帰りは地下鉄の乗り換えで梅田の地下街を通った。世界一暑苦しいところではないか。

08/02
書協で図書館関連の権利者打ち合わせ。陽射しはないが湿度がすごい。さて、今月からノートのタイトルが変わった。「難問・悪女」というのは、そういうタイトルの本を書くわけではない。正確に言うと「老後の難問」「平安悪女列伝」という2冊の本を書く。その間、次に書く小説の構想も練るので、とりあえずこういうタイトルでノートを書くことにする。「新釈白痴」についてもこれからさらに修正の作業が必要だろう。というわけで、これといった中心のないノートがこれからしばらく続くことになる。本日は孫たちが嫁さんの実家に移動したのでつかのもの平安。明日は戻ってくるというのだが。
夜中に『パンチライン』という映画を放送していた。これを観るのは何度目か。劇場で観たことはない。テレビで観たのだ。二度目の放送の時はビデオをセットしておいて、何度も観た。その頃、いっしょに暮らしていた長男とも観た。長男はピアニストだが、文学も好きで、テレビで夜中にいっしょに映画を観ることもあった。それでビデオにとっておいたこの映画を見せたのだが、微妙な顔をしていた。お父さんがこれを好きなのはわかる気がする、といったようなことを言った気がする。実はこの映画は、わたしが観たすべての映画の中で、ベストワンだと思っている。これはサリー・フィールドの映画だ。サリー・フィールドを日本のタレントにたとえることはできない。ギャグ女優だ。ギャグで主演を張れる女優というと、昔の江利チエミくらいのものだろう。この映画でサリー・フィールドは、さえない家庭の主婦を演じている。3人の娘がいて、夫は保険のセールスマン。しかし彼女は寄席でギャグ芸人をやっている。つまらないギャグしかできないダメな芸人だ。そこに屈折した若者が表れる。新人の頃のトム・ハンクス。このトム・ハンクスが異様に輝いている。わたしはトム・ハンクスのベストの作品だと思っている。医学部を中退になり、さえない芸人をやっているのだが、芸人としてスターになりたいという夢をもっている。父顔が息子の様子を見に来るシーンがこの映画の泣かせどころで、上がってしまったトム・ハンクスはさえないことしか言えない。傷ついたトム・ハンクスは、他人に対してやさしをもてるようになる。さえないサリー・フィールドに救いの手を差し伸べ、アドバイスを与える。そこからサリー・フィールドが急に輝き始める。サリー・フィールド主演の映画だから当然なのだが。そして、その寄席で、オーディションが始まる。優勝者はテレビの人気番組に出演できる。ここでサリー・フィールドは最大級の輝きを見せる。あせったトム・ハンクスは出だしでつまずく。こういう展開がツボにはまっていて、笑って泣かせる作品のまさにウェルメイドな作品になっている。わたしがこの作品に感動するのは、寄席芸人が客を笑わせようとする願望と、作家が読者を感動させようとする願望とは、同じだからだ。努力に努力を重ねても、客が笑ってくれないことがある。作家も同様だ。がんばって書いたのに、読者が評価してくれないということがある。この映画を観ると、わたしは感涙にむせぶ。映画そのものの構成がパーフェクトだと思うし、役者も最高の演技をしている。この映画はたぶん、大ヒットしたというわけではないだろう。この映画は、素人が観てもわからない部分がある。玄人ウケする映画。わたしもそういう作品を書きたいと念じながら、果たせずにいる。
ところで、昔、この映画を長男といっしょに観た時には、彼はまだ芸大の学生だった。いま長男は3人の娘をかかえている。いまサリー・フィールドが3人の娘をかかえて苦労しているシーンを観て、どんな感想をもらすだろうか。そんなことを考えてしまった。

08/03
8月に入って公用はほとんどない。とりあえず「老後の難問」に集中する。小説は売れないので、この種の新書に期待をかけたい。多くの読者を獲得するために、数多くの難問に明解な解答を提供する。解けない難問はない、と前書きに宣言した。すべての謎は解明できるとわたしは考えている。とくに人生の問題について、答えようのない難問はない。多くの人は、どちらでもいいようなことを、ただ迷っているだけなのだ。どちらでもいい問題については、決めて先に進めばいいだけのことだ。夕方、医者に行く。体調はいいが、血圧とアレルギーの薬を定期的にもらっている。

08/04
孫と遊びながら仕事をしている。次男のR2号はおとなしい子だ。放っておいても静かななのだが、こういう子は話しかけてやらないといけない。ひまさえあれば話しかけてやる。わたしの顔を見ると笑うようになった。

08/05
M大学。前期最終講義。何で8月に入ってから大学があるのか。文部科学省の要請らしいが、授業時間を増やしたからといって学生の学力が急に向上するものでもない。学生には最終週は出席をとらないと伝えてあった。それでも出てきた学生たちを相手にインティメートな雑談をする。本日も35度を超えたようだ。本日はさすがに行きはバスに乗ったが帰りは風が吹いていたので武藏境まで歩いた。体調はいい。これで夏休みに入ることができる。

08/06
仕事場に移動。次男の嫁さんと孫2人もいっしょ。夜に次男も到着。次男一家とリゾート気分。

08/07
次男とR1号はプール。R2号はよく寝ている。こちらはひたすら仕事。

08/08
日曜日。夜、次男一家は四日市に戻っていった。やれやれ。老妻と二人だけの静かな日常が戻った。

08/09
涼しい。気分のよい日。とにかく仕事をする。

08/10
イオン志都呂店に行く。フードコートでビールを飲みながら仕事。1時間ほどでかなりの量の原稿を書いたが、書いていて、どうもこれは使えないな、と感じた。そういうこともある。使えないとわかっただけで、この1時間は有意義だった。

08/11
軽く散歩した以外はひたすら仕事。新書なので240ページ、ワープロ画面で80ページ書けばいいのだが、本日、半分の地点を通過。予定どおりのペースだ。新書は1月で書き上げたい。

08/12
台風が日本海を通過している。朝から豪雨。午後には雨がやんだが、ものすごい湿気。夜、次男一家が到着。つかのまの安らぎはあっという間に終わり、明日からはまた孫のいる生活だ。本日は車の中で寝た孫2名はそのまま寝室に直行。次男と嫁さんの明るい会話を聞きながら、こちらは寝酒を飲んで寝る。今年の3月、半月ほどをスペインの長男の家ですごした。娘3人とともにすごした。あれはたいへんだった。毎日、学校に送り迎えして、昼飯を食べさせたりもした。あれに比べれば、ここは日本だし、自分の仕事場なので、孫は客人にすぎない。とにかく自分のペースを守って、仕事を進行させたい。

08/13
孫たちは海へ遊びに行った。わたしと妻はのんびりとカインズ・ホームへ買い物。仕事は快調に進んでいる。とくに思い悩むようなこともないので、ここに書くことがない。

08/14
湿度が高い。一日、クーラーの中ですごす。夕食後、次男、嫁さん、R1号が花火を見に行った。R2号は寝ていたので残されたのだが、起きて泣き出した。わたしがピアノでキラキラ星をひいてやると少し泣きやんだが、またすぐに泣き出した。ブドウ糖の血中濃度が下がっているようだ。ミルクをやればいいのだが、R1号もR2号も、スペインの3人娘は完全母乳で育っているので、母乳を供給する人が戻ってくるまでは、どうしようもない。ふだんはおとなしくいつもニコニコしているR2号が泣くのを見るのはつらい。ようやく嫁さんが帰ってきた。もちろんR2号はすぐに泣きやんだ。

08/15
昼も夜も外食。大人だけなら何の問題もないが乳幼児2名をかかえての外出はたいへんだ。仕事は最終章に入った。これに「あとがき」をつければ完了で、ゴールが見えてきた感じがする。

08/16
世の中が動き出した。知人から著作権に関する問題提起があり、文藝家協会にメールで連絡すると、迅速に処理していただいた。一件落着。こちらはメールを出しただけだが、何か仕事をしたような気分。作品社の担当者からもメールが届いた。『新釈白痴』1200枚の大作なので、読み終わるのはお盆明けだろうと思っていたが、ぴったりのタイミング。入稿するということなので、しばらく手が離れる。ゲラのチェックがまたたいへんだろうが、しばらくは忘れていたい。何を書いたか忘れた頃に最初から読み返すと、いままで気づかなかったことが見えてくるかもしれない。『老後の難問』はゴール寸前まで来ている。孫たちが帰った。平和が訪れたが、ちょっとだけ寂しい。

08/17
『老後の難問』完成。ほぼ半月で新書一冊書いた。『聖書の謎を解く』を3週間で書いた記憶があるが、それよりも短い。頭が冴えている感じがする。読み返して誤字を訂正するのに深夜までかかった。この仕事場では朝型で生活しているのだが、今シーズン初めて少し夜型になった。

08/18
さて、次の仕事だ。『平安朝の悪女たち』という本。悪女とは政治を動かした女性というくらいの意味で、これは明日香から奈良にかけての女帝を除けば、平安時代にだけ見られる事象である。そのことの意味を解明してみたいというのが本書の狙いだが、わたしが歴史小説作家として注目している平安時代の魅力を伝え、あわせてこれから書く作品の宣伝と、こちらの下準備にもしたいという戦略がある。現在、『道鏡』の準備もしているので、奈良朝の孝謙天皇などについてもオープニングで触れたいと思う。ということで、「はしがき」と目次を書いた。これでほぼできたようなものだ。

08/19
平安時代について考察するためには、奈良時代についても考えないといけない。ということで、光明皇后について考えている。実は「難問」が早く終わりすぎて、「悪女」の資料をもってきていないのだが、「道鏡」について考えるための本は何冊かもってきている。その中に藤原仲麻呂についての本があったのでちょうどよかった。

08/20
光明皇后。まだ終わらない。こうして試行錯誤しているうちに文体が定まってくる。とにかく書き続けるしかない。

08/21
土曜日。買い物に行く。アウトレット。暑いが、夏だから仕方がない。去年もこのアウトレットに来た。去年はすいていたが、今回はフェアが始まったからか土曜だからか、かなり混んでいた。しかしこういうところは混んでいる方が活気が出る。妻が買い物をしている間、ポメラを叩いた。去年もポメラを叩いた。去年は西行が文覚をつれて熊野に赴くところを書いていた。こういうことはしっかり覚えている。あれから一年がたったのだなと思う。西行のあと、仏教って何、なりひら、新釈白痴、老後の難問と、もう5冊も本を完成させた。よく働いている。いまはポメラを叩くといくらでも書ける状態だ。還暦をすぎた頃からそういう感じになっている。死ぬまでこういう状態が続くのか、どこかでパタッと書けなくなるのか。

08/22
日曜日。近くの懇意のレストランに行く。あとはひたすら仕事。

08/23
どこにも出かけず、夕方、散歩。明日、三宿に戻るので、今シーズン最後の猪鼻湖。充分な仕事ができた。

08/24
三宿に戻る。暑い。家の全体が保温されている。クーラーで冷やしたが、廊下に出ると壁から赤外線が出ている感じがする。

08/25
仕事場に長くいたので郵便物がたまっている。昨日は緊急のゲラ一件を見ただけだった。本日は夕刻まで郵便物をチェック。返事の必要なものは対応する。雑誌もたくさん来ている。いちおう目を通したいがすぐというわけにはいかない。とりあえずそこまで片づけて床屋へ。さて、「平安朝の悪女たち」は、プロローグが終わったので、ここで「老後の難問」を読み返すことにする。読者の立場で読み、説明不足のところを説明し、きついところは少しゆるめ、ゆるいところは少しとがらせる。けっこう手のかかる作業だが、勢いで書いたところはなるべくその勢いを活かしたいので、修正は最小限にとどめたい。

08/26
渋谷まで片道散歩。片道という意味は、いつもは往復歩くのだけれど、本日は往路はバスに乗った。246の三宿バス停。ここらは20本くらいの路線が通っていてすべて渋谷行き。ひんぱんに来るので、とりあえず最初に来たバスに乗ったのだが、どの路線かによって渋谷の停留所が異なる。上町から来たバスだったようで、JRの南口の前に着いた。帰りは徒歩。満月のような太陽が道玄坂の向こうに沈んでいく。暑い日が続いている。

08/27
文藝家協会。夏休みが終わって久々の公用。書協の人々と打ち合わせ。暑い。夕方、姉が来る。孫の話などする。「難問」のチェックは少しずつ進んでいる。まだ半分くらい。草稿を書いている時よりもペースが遅い気がするのは、じっくり考えると難問は深く重い。考えすぎるとよくないのだ。

08/28
土曜日。また渋谷まで、往路はバス、復路は徒歩という、片道散歩。冷房がきいていてバスは快適だ。この暑さなのに渋谷には雑踏があった。何を考えているんだこいさらはと考えながら、若者たちのあいまをぬって、老人がふらふらと歩いている。久し振りに紀伊国屋に入った。最近、ゆっくり本屋に行くことがなくなった。必要な本はネットで注文する。今日は妻にスペイン語講座のテキストを頼まれたので、本屋に出向いた。本屋もけっこう混んでいた。

08/29
日曜日。視覚障害者支援センターから依頼されていたエッセーの選考と選評の執筆。あとは「難問」のチェック。あと一日で終わるか。

08/30
歯医者に行く。歯医者に行くのは10年ぶりくらいだ。4日前、テレビを見ながらガムを噛んでいると、前歯の差し歯がはずれた。手で差し込むとそのまま固定された感じがして、ものを食べるのに支障はないし、痛みもなかったが、とにかく歯医者に電話をかけて予約をとった。10年も歯医者に行っていないので、敷居が高い感じがして、歯医者をかえることにした。徒歩10分くらいのところ。三軒茶屋から自宅に帰る道筋にあってはやっている感じがした。知らないところに行くのは、場所見知りするわたしとしては緊張するのだが、待合い室に入ると幼児ばっかりで、ギャーと泣いているのもいる。少し勇気づけられた。実はわたしは歯医者が怖い。貧血で倒れそうになる。しかし子どもではないから、泣き叫ぶことはない。子どもよりはましだということで、元気が出てきた。抜けた差し歯をはめるだけですむかと考えていたのだが、医者に、どちらも可能ですといわれると、新しい差し歯にしてくれというしかない。老い先短い身だが、あと20年くらいは生きるつもりなので、耐久性のある歯を入れておきたい。今度差したら死ぬまで壊れないような歯を入れてほしい。
夜中にWカップの決勝戦をやっていた。ずいぶん昔のような気がするが、まだ2カ月ほど前のことだ。まだ「新釈白痴」を書いていた。スペイン人の孫娘3人をもつ身であるから、決勝戦はスペイン人になったつもりで見ていた。イニエスタの決勝ゴールは素晴らしかったし、ロッペンのシュート2本を防いだカシージャスも素晴らしかった。永遠に記憶に残るシーンだ。今年も半分以上すぎているわけだが、「新釈白痴」に「老後の難問」を書き、雑文とあわせるともう1600枚ほど書いている。「悪女」も1カ月で書くつもりなので、9月末で2000枚近くになる。そこから先は「道鏡」になるのか、まだ編集部のゴーサインが出ていないのだが、完成は来年になるかもしれないので、今年は2000枚で終わりということになるかもしれない。まあ、よくがんばって書いているといっていいだろう。「老後の難問」のチェックを終わる。大きな直しはないが、細かい手直しをしたので、流れがよくなったと思う。

08/31
今月も月末になった。とりあえず今月の目標は「老後の難問」の草稿を書くことで、草稿は半月でできたのだが、編集者からの注文があったので、読み返して少し手を入れた。まあ、順調ではないか。すでに次の仕事、「平安悪女」もプロローグはできている。読み返してみたが、そのまま使える。このまま先に進んでいいだろう。「新釈白痴」はゲラが出てから校正のチェックが入るまで時間がかかるだろうから、それまでに草稿を完成させたい。その次の仕事はいまのところ『道鏡』だと考えているのだが、まだ編集部のゴーサインが出ていない。ちょうど「平安悪女」のプロローグの部分と時代が重なっているので、少し資料を読んだ。主人公のキャラクターについてまだ肚が固まっていない。善人にするのか、悪人にするのか。「空海」は超然とした人物、「日蓮」は生真面目な人物だった。道鏡はスケールの大きな人物として描きたいが、善か悪かということになると微妙だ。孝謙女帝のことをどう思っているのか、そのあたりの人物像をこれからじっくり固めていきたい。


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