平安時代ノート08

2018年8月

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08/01/水
やれやれ、8月になった。猛暑が続いているが、本日は猛暑はいちだんと体に応えた。大学に着いた時は頭痛がしたので、麦茶を買って半分くらい一気に飲んだ。研究室で割り当てを受けたリレー形式の授業の試験結果を入力。これは学科の共同ファイルに入っている文書に入力するのだが、この共同ファイルは大学のパソコンでないと呼び出せない。本日の学部長会議で、大学の仕事はしばらくないので、本日が入力のリミット。このファイル、めったにアクセスしないので、どうやればよかったか、と老人はやや途惑う。まあ、何とか作業は完了した。学部長会議はとくに発言することもなかったが、能楽資料センターから説明を頼まれていたので、説明する。これで本日の仕事は終わり。羽田プロジェクトの「資料篇」の原稿が残っているので、これを仕上げる必要がある。来週前半は家族12人で団体旅行。考えただけで疲れてしまう。団体旅行だから、その中に身を置いて、他のメンバーに迷惑をかけないようにしたい。さて、8月になって新しいノートになったが、次の仕事がまだ決まっていないので、ノートのタイトルはそのままにしておく。『源氏物語を反体制文学として読んでみる』の再校が来週後半に届く。これを仕上げたら、しばらくはのんびりしたい。といっても成績の入力が大学のレポートを書く仕事が残っているので、それほどのんびりもできないだろうが、猛暑が続くようならどこにも出かけずに自宅に引きこもっていたい。

08/02/木
木曜の授業はすべて終わっている。試験をしないので最終週は休講にする。ということで本日は休み。大阪にいたスペイン組が帰ってきた。荷物があるというので東京駅まで迎えに行くことになった。昔、三宿に住んでいたころ、東京駅までの送迎によく利用した丸ビル前のエスカレーター。その近くに車を駐める。運転手の妻は車に残るので駐車違反にはならない。わたしのみエレベーターで地下に降り、新幹線のホームまで迎えに行く。四日市の孫たちが来る時にも迎えに行くことがあるので、このコースは熟知している。ベビーカーがある時はなるべくエレベーターで行くのだが、スペイン組の最年少も5歳になったので、エスカレーターがあれば問題ない。ホームに上がる。6時23分着。6時20分発の列車が出たあとに入ってくる。新幹線はすごい正確さ。無事に全員を車まで誘導する。東京駅はまだ猛暑が続いていた。人混みの熱気もある。車は8人乗りだから問題ないのだが、荷物があるので3列目の座席は1つしか起こしていない。そこに2人、2列目の3人席に4人というハードな乗り方だが、短い距離だ。日比谷通りをまっすぐ進めば湯島天神、そのすぐに近くにマンスリーマンションがある。人間と荷物を下ろして妻と二人で集合住宅に戻る。別館にあるレストランで食事を済ませる。東京駅を誘導しただけだが疲れた。

08/03/金
学生の宿題が昨日の締切になっている。研究室の扉に袋を下げてある。回収のため大学に向かう。先日大学でやった宮沢賢治の講演のテープ起こしの原稿が届いた。修正が必要なので資料をもって帰る。本日の仕事はそれだけ。帰って起こしの原稿をチェックしていたら、スペイン組が帰ってきた。銀座から新宿で買い物をしていたらしい。先日の宇都宮の講演のあとは、毎年、ギョーザを送ってもらう。それをメインディッシュにして夕食。今日は孫4人だけだが、スペイン語の世界が広がる。聞いているだけで疲れる。とにかく食事が終わると一行は湯島に帰っていった。ありがたい。三宿に住んでいたころは大邸宅だったので、スペインの人々も自宅に泊まっていた。そのことを思うとずいぶん楽だ。明日は休み。まだ大学のレポートが終わっていないし、学生の宿題も見なければならないが、明日中に仕上げなければならないものではない。日曜から家族12人で北海道へ行く。12人? 嘘みたいだ。

08/04/土
床屋に行く。それだけ。猛暑が続いている。床屋は混んでいた。帰りにコンビニでウイスキーのミニボトルを買う。旅行の寝酒。

08/05/日
ものすごい早朝に羽田空港に集合。長男、次男とも別々のところから来るので、無事に集合できるか心配だった。このツアーの最大の山場はここだと思っていたので、12人全員が揃ったことで、まずはほっとした。本当は山場は最後に来ることになるのだが。3台の車に分乗して帯広から富良野に向かう。帯広でののんびり昼食をしたので、富良野に着いたのは夕方。12人いるので何をやるにしても時間がかかる。12人の内訳は、わたしたち夫婦、長男とスペイン人の嫁さん、次男夫婦、長男のところの女・女・女・男と、次男のところの男・男の計6人の孫。孫の最年長は長男の長女で高一。最年少も長男のところの男児で5歳。宿泊は旭川。ホテルなので食事がついていない。12人で路頭に迷うのではないかと心配したが、ホテルの最上階でビュッフェをやっていたので、のんびり食事ができた。東京のバイキングみたいなところはどこも混んでいるが、旭川のホテルは客も少なく、値段も安く、そのわりに多彩な料理があって、12人が食事を楽しんだ。

08/06/月
旭山動物園の開園から閉園近くまでいた。真夏だがさまざまな猿が遊具で遊んでいて孫たちは満足した。白クマの食事を見る長い行列にも孫たちは参加したが、わたしはこの動物園は2回目なので、上から見ていた。マイクの前で係員が、しゃべりながら白クマに魚を投げるのだが、そのコントロールに感嘆した。そこから札幌まで高速で移動することになったので、運転した妻が疲れた。夕食はどこかの寿司屋の座敷の予約がとれた。ホテルから歩けるというので12人でぞろぞろ歩いていったのだが、すすきのという、新宿みたいな繁華街をつっきっていったので、スリルがあった。勝手に走り回る5歳の幼児も心配だが、ホセディコンふうの美人の高1女子が心配だった。この子は東洋風の風貌なのだが、次女の中学生はスペイン系の顔だちなので、通行人の熱い視線を浴びていた。とても疲れた。

08/07/火
本日は次男が次男の長男をつれてカムイ岬に行くというので、その車に乗ることとした。スペインの家族とつきあうよりも、こちらの方が楽そうに見えたのだが、前に行ったことのあるカムイ岬は陽射しが強く、とても疲れた。スペイン組と次男の嫁さんと次男の一行は、大倉山シャンツェに行って、風景を楽しんだようだ。家族のラインのやりとりで、夕食は高級回転寿司。こういう時は大人組と子ども組に分かれるのでのんびり食事ができた。

08/08/水
最終日。台風が東京に近づいている。北海道は薄曇りで微風。飛行機が飛ぶかどうかわからないので、もし欠航ならどうするが、いろいろと議論をしたのだが、結局、運を天に任せて支笏湖でのんびりした。水中が見える船に乗ると、大量の魚がいた。たぶん餌付けをして、湖の魚が船着場に結集しているのだろう。それだけで孫は喜んだ。魚が見えるのはそこだけなので、船が動き始めるとデッキに出て、風景を楽しんだ。それから新千歳空港へ。われわれはJALだが、ANAの夕方の便は早々と欠航が決まっていた。われわれは午後7時発のJALだが、次の8時発の便の欠航表示が出たのでドキッとした。幸いわれわれの便は長く当落線上にあったようだが、台風の速度が遅いのが奏功して、出発できることになった。多少の揺れはあったが無事に羽田に着陸できた。やれやれ。何とか帰宅できた。最悪の場合、新千歳で夜明かしも考えられたので、帰宅できたのが奇蹟のようだ。

08/09/木
『源氏物語』の再校ゲラが届いた。今回は校正者のチェックの入ったところだけを見る。明日1日で仕上げないといけない。それでもまえがきのところだけは熟読した。問題はない。旅行中に時計を失くした。どこかのホテルで忘れたのだろう。寝ている時は枕の横、自宅で仕事をする時は机の横に、つねにある時計。電波時計で日付も出るし温度計にもなる。ホテルに電話して探してもらってもいいが、それよりも同じものを買おうと思ってヨドバシカメラへ。秋葉原まで徒歩5分だ。まったく同じものがあった。1100円。ポイントで買ったのでお金を出す必要がなかった。よかった。本日は女優の三田和代さんに孫たちを引き合わせる会。丸ノ内の中華料理屋に集合。12人プラス1人。テーブルは8人と5人に分かれる設定で、8人の方に孫6人と嫁さん二人。5人のところにわれわれと息子2人、和代さんという配置。料理は8人の方に2皿、5人の方に1皿運ばれてくる。これでは子どもたちのテーブルで料理が余るだろうと思ったが、あにはからんや、子どもたちの食欲の方がすごかった。それにしてもスペインの子どもたちの食欲はすごい。何でも食べてしまう。さて、これで主な行事は終わった。明日はゲラに集中しないといけない。

08/10/金
本日1日で再校ゲラを完了しなければならない。とりあえず近所の医者に行く。明日から医者が休みになるので、必要な薬をゲットしないといけない。あとは自宅に引きこもってひたすらゲラを見る。北海道の最終日に、妻の叔父さんの訃報が届いた。息子たちが幼いころに預かってもらったことがあるし、われわれが海外旅行に行く時に犬のリュウノスケを預かってもらったこともある。お世話になった方だ。たまたま長男、次男が在京しているので、妻と二人がお通夜に参列した。わたしはゲラがあったので、明日の葬儀に出向くことにした。孫たちはそれぞれの母親と個別に食事をしたようだ。ということで、集中できたのでゲラ完了。これでほぼ手が離れただろう。

08/11/土
叔父の葬儀に参列。ご家族だけの葬儀。親戚はわたしたちだけ。それでもつきあいの深い親族なので、丸一日、行動をともにして死者を痛んだ。建築業界一筋の人だった。妻の父の妹の旦那。いとこの姉弟にもいろいろとお世話になっている。さて、孫たちは独自にお台場に遊びにいっていたが、夜はわれわれの集合住宅の高くの中華料理屋で集合。集合住宅の入っている建物の下半分はビジネス棟で、隣接するビルは全体がビジネス街なので、それぞれにレストランや飲み屋が入っている。週末は企業が休みなので、店はすいている。12人全員が集合できるのは、今シーズンはこれが最後になるか。北海道で団体生活をしたので、慣れてきたというか、これで終わりかと思うと寂しい感じもする。昨日完了したゲラは、出がけに発送したので、手が離れた。明日からは大学のレポートと成績の入力を、一週間ほどかけてやりとげればいいだけなので、比較的のんびりした状況になる。しかしこれから書く小説のころも考えていきたい。貴重な休息期間になる。結局、集合住宅の隣のビルの地下広場にある中華の店の個室がとれたと次男の嫁さんから連絡が入った。よく利用する店だが奥に個室があるとは知らなかった。10人用の部屋だが子どもたちを詰め込んで12人入れた。ひたすら点心ばかりを食べた。子どもたちのすごい食欲。この店、ふだんは点心など食べたことがなかったのだが、点心は絶品だということがわかった。さて、12人全員が揃うのは今日が最後。自宅に全員で戻って北海道で買ったメロンを食べて、そして別れる人は別れていく。一抹の寂しさ。でもまたすぐに再会できるはずだ。

08/12/日
日曜日はニコライ堂の鐘によって起こされる。ああ、今日は日曜日だったなと思う。夏休みに入って授業がないので曜日の感覚がなくなっていた。スペイン組は湯島のマンスリーマンション、四日市組はわれわれの集合住宅のゲストルームに宿泊していたのだが、ゲストルームも月に3回しか利用できないので、本日の四日市組は、父親と長男が、寝台車を模したカプセルホテルのようなところに泊まりにいった。嫁さんと次男はわれわれの住居で宿泊。子どもがまだ小さいので、全員で泊まれないことはないのだが、わが妻の負担が増えるので、全員で泊まるのは無理と言い渡してある。次男は仕事で四日市に帰るのだが、嫁さんはまだしばらく東京にいるようだ。さて、わたしはまだ仕事を抱えている。学生の成績、および学部長としてのレポートが残っている。レポートは膨大な量にのぼるのだが、これまでコツコツと取り組んでいたので、本日、草稿がほぼ仕上がった。文学部のものと、大学院のものがある。期限までにまだ一週間あるので、最初から読み返してチェックしていきたい。学生の宿題を見る作業があるが、これはひまを見て少しずつやるしかないだろう。

08/13/月
孫たちはどこへ行ったのか。次男の次男がピアノの練習をするために秋葉原の貸しピアノのあるスタジオへ行き、そこに長男が出向いて指導をしたようだ。長男は芸大とブリュッセル王立音楽院を出たピアニストで、バルセロナの国際コンクールで2位になった実績がある。1レッスン10万円くらいとってもいいのではないか。しかし長男はすでにスペイン気質になっていて、約束の時間より1時間遅れくらいで現れたらしい。そのため、次男は1時間自分で練習したあとさらに1時間レッスンがあったので疲れたようだ。しかしいい体験になっただろう。それから上野の科学博物館に行ったのか。妻は次男のピアノの楽譜を受け取りに秋葉原に行ったようだが、なぜかスペインの長女だけをつれて帰ってきた。夕食の準備の手伝いをするということだ。この子は幼い時に日本に来ることが多く、われわれもスペインに行くことが多くて、日本語環境に慣れて育った。だからかなり日本語が話せる。妻と長女が何やら話しているのを聞きながら、こちらは大学のレポートに集中する。このレポートは来週の頭が締切で、膨大な量をいまごろ各学部長が執筆しているはずだ。大学のメールでは、書き方がわからない、といったメールが飛び交っているが、こちらは黙々と一人で文章を書いていく。書き方が間違っていても、とにかく書いてしまえばいいという、やっつけ仕事だ。で、とにかく最後まで書いてしまった。いま送ると修正を求められたりするので、ぎりぎりに送付することにする。まだ学生の成績の入力が残っている。とりあえず大学院のぶんを入力。4年の卒論ゼミは年間の成績なので前期は入力しなくていい。あとは2年ゼミと3年ゼミだが、こちらは提出された作品を読まないと成績が決まらない。かなりの量が未読で残っている。それでも18人のクラスが2つだけなので大したことはない。早稲田で教えていたころは、1クラス70人と50人(夜間のクラス)だったから、1度に120人ぶんの作品を読んでいた。もって帰るだけで重労働だった。こちらの締切は週末。今日はまだ月曜日だから余裕がある。次の仕事がまだ決まっていない。『白村江』の続篇の『壬申の乱』になるか、まったく新しい現代の小説になるか。もう一つ『紫式部の恋』というタイトルを提案したのだが却下された。まあ、こちらは構想の一部を用いて集英社新書を書いたので、それを担当者に送って再検討してほしいと思っている。現代小説は高校時代の想い出になるだろう。『遠き早春の日々』というもっともらしいタイトルを考えている。北海道から帰る飛行機の中で、冒頭部分を少し書いてみた。欠航になるかもしれない飛行機だったので、離陸した時によく飛んでくれたという高揚感があって、その勢いで一気に筆が進んだ。孫の喧騒から逃れて一人で仕事に集中していると、高揚感が持続している。その勢いで出だしの10枚3ページくらいを一気に書いた。まだ正式のオファーがないのだが、小説家だからオファーがなくてもどんどん書いていこうと思う。もはや小説を書いて収入を得ようとは思っていない(売れないから)。編集者や版元に迷惑をかけないように、損益分岐点の近くまで売れてくれたらと念じている。妻と長女が夕食の準備をしていたので、悪い予感を覚えていたのだが、夕方、次男を除く全員が集まった。11人だ。やれやれ。テーブルに全員が座れないのをいいことに、わたしは一人だけ離れた台所のカウンターに酒を用意してそこで飲むことにした。これはなかなかいい。明日は妻が近くのホテルのブュッフェを予約していたので大丈夫だろう。ああ、長い一日だった。

08/14/火
わたしは休日モードになっているので朝は10時に起きる。寝ている間に人の声が聞こえていたようだが、起きてみると次男の嫁さんと孫2名だけだった。妻は長男の嫁さんと女の子たちをつれて美容院に行ったようだ。美容院はけっこう遠い。池上線沿線だ。しばらく帰ってこないだろう。スペインの孫娘3人はそれぞれに個性的な顔立ちをしている。スペイン人と日本人のハイブリッドだが、遺伝子がシャッフルされて配分されたようで、3人はまったく似ていない。長女は長男とそっくりの東洋人の顔立ち。スペインでは人気がある。次女はスペイン美人。スペインにいるとふつうなのだが、日本にいるとすれ違う人々が振り返っていく。三女は特異な顔立ちで孤独な芸術家という感じだ。足が速く、バイオリンも傑出している。とても個性的な女の子だ。というわけで、そのそれぞれの個性をもった女の子を、日本の美容院でおめかしさせるというのが妻のコンセプトのようだ。で、長男が男児1名をつれてやってきた。次男の嫁さんが男の子3人をつれてどこかに遊びに行くようだ。長男がどこに行ったかは不明。とにかく誰もいなくなったので、わたしは自分の仕事に集中できる。6月に風邪をひいて声が出なくなった。咳もひどかった。おまけに腰を傷めた。6月のオープンキャンパスは最悪のコンディションだった。週末の日曜と翌日の月曜にまたオープンキャンパスがある。体調は回復したのだが、まだ声が本調子でない気がする。ただスペイン人は全員がハスキーヴォイスなので、12人の団体の中にいると自分の声が嗄れていることが気にならない。子どもたちもハスキーだ。長男の説明によると、Jの発音で喉を痛めるらしい。これ、Hよりも強いハヒフヘホで、声帯に負担がかかるようだ。おまけに男児はファンというので、皆がその名を呼ぶ。子どもたちは成人するまでは二重国籍で、日本の戸籍もある。ファンくんは日本戸籍では「煌」と記載されている。サントリーのウーロン茶だ。さて、全員が戻ってきた。3人娘はそれぞれにキュートな髪型になっていた。スペイン人は不器用なので、日本人の美容師のような技術はもっていない。しかも日本人の髪は固い。日本人の血を宿している娘たちは、スペイン美容師の手に負えないようだ。長男は単独で水戸へ行っていたようだ。結婚式にも出てくれた芸大の友人が茨城出身で、会いにいったのだ。結婚式のことはわたしもよく覚えている。スペインのウエスカという小さな街だ。よく来てくれたと思う。彼もブリュッセルに留学していたのだったか。チェロ奏者と聞いていたが、いまは名古屋のオーケストラに所属しているそうだ。男児たちは玩具博物館で遊んできたようだ。おもしろい玩具を買ってきて大騒ぎで遊んでいる。夕食は近くのホテルのビュッフェ。1000円追加でビールが飲み放題という張り紙があったが、体調を考えて1杯だけにとどめる。酒が飲みたくないというのはよほど体調がよくないのではないか。孫とのつきあいが、限界に近い疲労をもたらしたようだ。明日からは一人きりになりたい。

08/15/水
終戦記念日。わたしは戦後生まれだからこれといって感慨はない。わたしは今年で70歳になった。70代の最年少ということだが、同じ70代でも、後半の人には、戦時中の何らかの記憶があると思う。わたしにはいかなる記憶もないが、戦災の瓦礫のようなものは到るところで見かけた。ニュースやドラマなどでも戦争の後遺症のようなものは画像としては目撃したので、強い印象が残っている。だが、それでどうしたということになると、どうということはないのだが、戦争の面影も知らない政治家が、憲法を改正しようという動きには、危険を覚えるし、子どもじみたものを感じる。戦争に負けた直後にアメリカが民主主義をもちこんだ。そのショックで、途方もない理念としての日本国憲法ができた。そのアメリカの現状を見ると、民主主義の国とは思えない。国民に見識がない。その見識のない国民がとんでもない大統領を選んでしまった。やがてアメリカはファシズムの国になるだろう。そんな予感がする。日本がそれに追随しないように、国民が見識をもって踏みとどまらないようにしないといけないのだが、野党が崩壊している現況を見れば、自民党を二分して、子どもっぽい民族主義者と、見識をもったオールドリベラリズムに分けて、公正な論争によって国民に訴えかけるべきだと思う。小泉(父)のやっている反原発運動は単なるポピュリズムだ。緑の山を切り崩してソーラーパネルを広げるといった愚行は、ちょっと待てと言いたくなる。見識をもったリベラルな保守党。そういうものを誰か作らないか。少なくともいまの首相よりはマシな政権ができると思うのだが。終戦記念日なので思わず難しいことを書いてしまった。本日は学生の宿題を見た。これで成績の入力ができる。わたしが早稲田で教え始めた30年前、すでに教員は個別にパソコンをもたされていたし、ネットの環境も電話線利用であったが整っていたので、自宅で成績の入力ができた。便利なものだ。お盆休みの期間も自宅作業で成績の入力ができる。昨日完成させた大学のレポートもついでに送ってしまった。これで日曜日のオープンキャンパスは大学の仕事もない。自分の仕事も締切のあるものはないので、完全にフリーだ。といっても小説家だから、小説の構想を練ったり、締切もなく自由に書きたいものを書いたりもする。もう作家としては晩年なので、締切に追われて書く必要もないし、原稿料や印税をあてにすることもない。書きたいものを書いて、どこかに保存しておくだけでもいい。そういうクラウドのようなものを作っておけばいいだろう。さて、本日のスペイン組は知人のスペイン一家が成田に到着、上野まで迎えに行った。次男の嫁さんと孫2名もそこに合流して、宿泊施設のある湯島の居酒屋で夕食。わたしと妻は久し振りに老夫婦二人の夕食を自宅で楽しんだ。この静寂をありがたいと思った。四日市組の3人はまだわれわれのところに泊まっている。帰ってきた2人が泣いているので、どうしたのかと思ったが、帰りの道で、もうスペイン組に会えないことがわかってきて、泣けてしまったということらしい。別れる時にも、アディオスと言って別れたはずなのだが、その時は実感がなかったのが、歩いているうちにだんだん胸に迫ってきたのだ。彼らはそろそろ四日市に帰ることになる。われわれは何日か後には、そのスペインの知人一家と会うことになりそうだ。気の重いことだが、まあ、長男の友人らしく、先方の長男と、われわれの長女は、熱烈な関係らしい。といっても高校生なのだが。学生の宿題を終えたので、夜もパソコンの前に座っている。大学もお盆休みで学部長あてのメールも来ない。あと数日は静かな日々が続くだろう。

08/16/木
静かな日になるかと思ったが、次男の嫁さんが孫2人をつれて荷物をとりにきた。まだ荷物が置いてあったのだ。宅急便で送れるものは残して、とりあえず必要なものだけをもって、とりあえず夕食の時間なので近くの丸亀製麺でうどんを食べる。それから孫の長男の方が一人で新幹線に乗り、仕事を終えた父親が名古屋まで迎えにくるという手順らしい。嫁さんと次男はまだ東京にいて、妹のところに泊まるということになる。やれやれ。本日も何やら慌ただしかった。ところで、北海道旅行で毎日1万歩ほどあるいて、もう1年以上はいている靴が古びてきたので、新調した。靴は運動靴しかはかない。年に何度か、公式のパーティーとか入学式、卒業式の時だけフォーマルな靴をはくが、ふだんはゴム底のスニーカーをはく。底以外は黒い革なので、かなり重要な会議の席でもこれで押し通している。アウトレットに行った時に買うので、つねに2〜3足のストックがある。今年の春に2足買ったのだが、去年買ったのがまだ1足残っていた。ナイキ製であのマークが入っていて、ちょっと恥ずかしいが、まあいいだろう。買った時はまったく気づかなかったが、これは紐を締めるのではなく、ワイヤーが入っていて、ネジで締めるようになっている。初めての体験。わりと便利だ。それはいいのだが、靴の底にゴムの突起がいっぱい突き出ていて、立ってあるくと、そのとんがった突起で着地している感じ。突起の先が少したわんで体重を受け止める。ショックをやわらげるので、ランニングにはいいのかもしれないが、ゆっくり歩いた時に、ゴムの弾力が強すぎて、少しふわふわした感じがする。丸亀製麺でうどんを持って一歩踏み出すと、つるっとすべるような感触があってドキッとした。すべったわけではなく、ゴムの弾力のせいなのだ。その不安感に慣れるのに時間がかかりそうだ。

08/17/金
本日は長男の友人のスペイン一家を歓迎して、昼食をご馳走する。スペインでは昼食がメインのディナーだが、日本では昼食は定職が主で、まあ、安上がりだ。子どもがいるので、和食も洋食もあるところということで、御徒町の吉池食堂にした。長男一家が6人、友人一家が4人、われわれ2人で12人になる。大人6人、子ども6人。その友人一家のお兄ちゃんが孫の長女のボーイフレンドで、妹は次女と同じくらいの年齢。小さな子どもがいないので同じ12人でも落ち着いた雰囲気になった。そのボーイフレンドの少年はハンサムで明るい感じ。長女だけでなく次女、三女からも親しまれている。いまはいいが、大人になると日本でいうところのチャラ男になるのではないかという気がした。大人は北海飯、子どもは冷やし中華に人気があった。枝豆、鶏の唐揚げなども注文。さて、これでこの夏のスペイン組との行事も終わった感じ。あとは長男一家と友人一家でどこかに行くのだろう。北海道旅行の時に、何となく楽しめていない感じだった長女が、別人のように明るい感じになっているのが印象的だった。明日はまだ休みだが、日曜と月曜はオープンキャンパス、火曜日はオーファン委員会があるので、わたしの夏休みは終わった感じになる。今日は急に涼しくなった。オープンキャンパスの日まで持続してくれればいいのだが。

08/18/土
昨日の昼の会食で、スペイン組との対応も一段落した。本日は静かな休日になるはずだったが、久し振りに車を動かそうと地下の駐車場に行くと、バッテリーが死んでいた。バッテリーのために時々車を動かしていた。夏だし、まだ2週間しかたっていない。保険会社に電話をして業者に来てもらった。バッテリーに電気をつないで始動させる室内灯が点灯した。こいつのせいでバッテリーが死んだようだが、なぜ室内灯がついていたのか、まったく記憶がない。大阪から帰ってきたスペイン組を東京駅まで迎えに行き、湯島の宿舎まで送った。その時に室内灯がついていたのか。スペイン組の中には、インターホンの警報ボタンを押すやつがいたくらいだから、誰かが点灯させたのかもしれない。とにかく原因ははっきりしている。バッテリーは完全に死んでいたので、このままでは不安だ。販売店に電話すると今日から営業しているというので、方南町の販売店まで行き、バッテリーを交換してもらった。本日の仕事はこれだけ。運転するのは妻だが、横についていないといけない。まあ、とにかくバッテリーは新品になったので当分は大丈夫だろう。交通の便利なところに住んでいるので、ふだんは車を使わない。しかし2年に1度くらいはスペイン組が来るし、三ヶ日の仕事場にも行くので、まだ車は手放せない。今期で大学の仕事が終わるので、来年は車でどこかに出かけたいと思っている。

08/19/日
日曜日だが出勤。大学のオープンキャンパス。学部長として文学部の紹介を午前と午後の2回。さらに午前中に模擬授業1回。明日もまったく同じスケジュールでやる。結局、文学部の紹介を4回やることになる。同じことをしゃべるのは楽なようでいてけっこうつらい。同じことをしゃべらないと不公平になるという思いがある。本当は4回とも違いことをしゃべりたい。昔、集英社の主催で毎年、高校で講演していた時期がある。2泊3日くらいのスケジュールで、午前と午後、違う学校で講演する。これを2日やるので4回話すことになるのだが、担当編集者と旅行調整の担当者は、4回とも話を聞くことになるので、全部違う話にしたことがある。まあ、学部紹介というテーマだと、話題は限られてしまう。ということで同じことを話すようにしている。明日の模擬授業も同じ話になる。昨日までは涼しかったが、今日は少し暑かった。それでも35度以上あった日々と比べればましだが、一昨日、昨日と涼しかったので、今日は暑いなと感じてしまう。キリッと寒い日が早く来てほしい。北海道の帯広空港に着いた時は本気で寒かった。札幌の夜も、道行く人々がダウンのジャケットを着ていた。文学部の紹介をしていると、文学部ってなぜ存在しているのか、という話になる。社会に出てもあまり役に立たないことをなぜ学ぶのか。たとえテーマそのものが役に立たなくても、企画を立てて研究し、議論し、レポートを書き、口述でプレゼンテーションし、ディベートをする。このトレーニングをしておけば、社会に出て、どんな職場にいても、たとえテーマそのものに興味がもてなくても、議論に参加したり、企画を立てたりできるようになる。これこそがリテラシーであり、文学を学ぶ極意なのだ。毎日高校野球を見ていたので、休みの今日は寂しい。勝つとふんぞりかえって校歌を歌う金足農高のパフォーマンスが好きだ。昨日のツーランスクイズも見事だった。エースピッチャーが投げ続けるだけでなく、代打も出さずつねに9人だけで野球をやるというのもすごいことだ。でも校歌を歌う時は全員でふんぞりかえる。何か、おもしろい学校だと思う。横浜高校に逆転勝ちした試合もすごかった。ノーアウトでランナーが出たがバント失敗したところで、もはやこれまでと思ってチャンネルを民放のニュースに変えてしまった。コマーシャルになったのでチャネルを戻したら逆転していた。何かツキがあるのだろうと思う。それでも結局は、大阪桐蔭が優勝するのだろう。大阪桐蔭にとって最大の難関は、地区予選の履正社戦だったのではないか。さて、明日も大学。大学の勤務の最終年度なので、何をやってもこれが最後と思う。オープンキャンパスでの模擬授業も、これが最後となる。

08/20/月
昨日に続いてオープンキャンパス。昨日と同じスケジュール。昨日が日曜日で、午前の部の説明会は大教室が満席だった。本日は半分くらいか。それでも文学部にこれだけの人が関心をもってくださるということに感動する。この期間、文学部で保有している古文書の中で、絵巻や双六などカラフルなものを資料として展示している。三田の草稿もその中に入っている。わたしは29歳でプロの作家になって、35歳から専用ワープロで書くようになった。手書きの時期は6年しかない。若い作家の場合は学生時代からワープロを使っているので、手書きの原稿は皆無だろう。いまとなってはわたしの手書きの原稿も希少価値が出ているのではないか。このお宝を展示担当の先生に永久に預けることにした。ということでこの手書き原稿はこれからもオープンキャンパスの度に展示されることになるだろう。午後の説明が終わると、自分の役目はおしまい。大学前のバス亭は混んでいるので、催しがある時は少し歩いて別のバス路線で武蔵境に向かう。裏門から出る。裏門から少し進むと田無タワーが見える。電波塔でその真下にFM西東京のスタジオがあって、わたしも何度か番組に出演したことがある。この田無タワーの眺めも、今期で見納めかなと思う。すでに70歳になっているので、気持としてはもうリタイアしているのだが、オープンキャンパスの模擬授業も本日が最終回ということになる。まだこれから後期の授業があるし、10回以上ある入試の待機や面接がある。1つ1つクリアーして最後ということになる。毎年、学生の作品を文集として編集するのだが、短歌と現代詩の先生は前期で授業が終わりなので原稿が集まってきた。もう編集ムードになっている。

08/21/火
本日は文藝家協会でオーファン委員会。文化庁の実証事業、本日から正式に請け負って実施することになった。わたしが委員長なので責任があるのだが、実際は複製権センターと写真著作権協会、それに文藝家協会の事務局にお任せしているので、名前だけの委員長だ。わたしの役目は月1度の会議の冒頭で挨拶するだけ。本日は引き続き「教育利用における著作権等管理協議会」の設立に関する叩き台についての会議があった。法律が改正されて補償金制度が実施されることは決定している。受け皿が必要で、さらに分配の具体的なシステムを早急に作らなければならない。これはまだ叩き台で、誰がやるのか、誰が責任をとるのか、まったく決まっていない。とにかく叩き台なので、これでいこうということでまとまった。このところ暑さが盛り返してきた。本日はスペイン組が夕食に来る。招いたわけではないが来るというので仕方がない。妻も少し元気が出てきたか。明日は休みだ。今週はもう公式の仕事はない。月末の教授会まで大学の仕事もないはずだが、メールはどんどん入ってくる。まあ、メールを見るのが仕事だと考えると、在宅勤務で楽な仕事だ。高校野球は順当に大阪桐蔭が勝ったが、金足農高もよくがんばった。エースの吉田はドラフト会議で上位に指名されるだろう。さて、これからしばらくは自分の仕事に集中できるが、正式にオファーされたものがないので、いくつか書きかけている作品を、気が向いた先に進めるということになるだろう。高校時代の想い出を書く『遠き早春の日々』と、『白村江』の続篇の『壬申の乱』、それに昔書いた「新アスカ伝説」シリーズの続篇の『卑弥呼戦記』というのを、それぞれ書き始めている。それから来月、集英社新書として発行される『源氏物語を反体制文学として読んでみる』がある程度あったら、続篇として、『保元の乱はなぜ骨肉の争いとなったのか』といった感じのものを提案したいと思っている。わたしの『親鸞』では、親鸞の母は頼朝の妹という設定になっているので(梅原猛さんの「頼朝の姉」説を検証して年齢から妹ではないかと推定した)、保元の乱後の処分で父を処刑した源義朝は、親鸞の祖父ということになる。父殺しは五逆の第一で、親の因果が子に報い……という俗説からすれば、親鸞も祖父の罪を背負っていることになる。そういう意味で、保元の乱は書くに価する重要なテーマだと考えている。

08/22/水
今日は休み。妻も休みと見えてどこかに買い物に行った。夕食は弁当。こういう何もない日があってもいい。

08/23/木
眼科検診。老人なので半年に1度、眼科に行く。怖いのは緑内障、白内障、加齢黄斑変性だが、どれも大丈夫とのこと。正確にいえばいまのところ大丈夫。高齢者はつねにリスクをかかえている。大丈夫でなかったらどうするのか。まあ、考えないようにしよう。自宅に帰ると妻と長男がいた。孫たちはスペインの知人たちと築地に行ってからお台場方面に行く予定だが、長男だけ抜けてきたとのこと。銀行の手続きなどのために妻に呼び出されたのだろう。二人の息子は、長男が妻とともにピアノのレッスンに通い、次男はわたしがプロ野球に連れていったり中学入試のコーチをしたりしていた。同じ息子だからどちらをヒイキにするということはないのだが、長男がスペインで暮らし始めたことに妻は寂しさを感じているのではないかとわたしは思っている。孫たちといっしょにいると長男とサシで話をする機会がないので、長男だけ呼びつけたのだろう。自宅で食事をしてから、近所の甘味の名店に出向いてあんみつを食べる。短い時間だがわたしも長男と話ができた。

08/24/金
東京駅に孫1号を迎えに行く。孫1号というのは四日市の長男。帰ったと思ったらまた来た。そのまま上野の国立科学博物館へ。前に昆虫展を見に行った帰りに常設展も見たはずだが、スペイン組といっしょだったのでゆっくり見られなかったとのことで、一人でゆっくり見たいということだった。そこでまず、フーコーの振り子について説明する。天体観測に頼らずに地球が自転していることを体感できる唯一の装置だ。小学五年生だ。わかったかな? 孫1号は和時計とエジソンの電球に興味を示した。なぜフィラメントに竹炭を用いたかとか、そういう説明をする。コンピュータのところでは、お父さん(わが次男)が何を仕事としているか説明してやった。次男は集積回路を半導体に投射する時の皮膜の研究をしている。フォトレジストという素材だ。投射によって光が当たったところだけ穴があく。そこに銅の蒸気を吹き込むと、回路の図面どおりに銅の回路ができる。パソコンにもスマホにもなくてはならない集積回路はそのようにして製造される。インテルがクライアントだった時期もあるので、いま出回っているパソコンの心臓部には、そのようにして作成された集積回路が組み込まれているはずだ。という説明をしたのだが、小学5年生だ。わかったかな? 夜、日比谷の盆踊りに行っていたはずのスペイン組が突然来訪。妻はわかっていたようで、急遽買ってきたデザートでやりすごした。明後日はスペイン組の3女の誕生日だそうで、また宴会になりそうだ。孫1号の相手で一日を費やした。算数も見てやった。分数の割り算がなぜひっくり返して掛ければいいかを1分で解説した。わたしには『父親が教えるツルカメ算』という名著(新潮新書)もある。さて、『遠き日』はプロローグが終わって、高校の入学式からあとは時間軸に沿って展開されることになる。妻が出てくる。親友が出てくる。自分よりも本をたくさん読んでいる怪物のような友人も登場する。ものすごい高校時代だった。だが淡々と書きたい。何しろ半世紀前の出来事だ。まったく『遠き日』というしかない。ずっと書き続けていると熱くなりすぎるので、クールダウンのために『壬申の乱』を最初から読み返す。サブタイトルを「持統天皇と不比等」と考えていたのだが、持統天皇があまり出て来ない展開になりそうなので、『人麻呂と不比等』にしようかと思っている。人麻呂とはいうまでもなく柿本人麻呂のことで、わたしの小説では甲賀忍者という設定だ。それが藤原不比等のボディーガードになり、不比等の母の額田女王の薫陶によって、神秘的な言葉の魔力を有する宮廷歌人に育っていくさまが描かれる。テーマは「言霊」だ。言葉にはマジックパワーがある。というか、言葉にマジックパワーがあった時代の物語を書くということだ。人麻呂は誄歌を歌う。鎮魂歌を歌う。これらの歌は賛歌ではない。むしろ祟りを恐れる魔除けの歌なのだ。というようなことで、こちらも一定のペースで書いていきたい。

08/25/土
昨夜は深夜に四日市の次男が到着した。明日から孫1号を何かの催しに連れていくらしい。もう仕事に入っているはずだが、子どものめんどうも見るよき父親である。長男も次男もよき父親になっている。わたしはもう父親をリタイアしている。息子たちが父親になっているのだから父親をリタイアするのは当然だ。しかしまあ、孫6人を遠くから見守っていたいと思っている。本日は次男が孫1号を連れてどこかに出かけていった。学士会館が会場だそうで、わたしの自宅から歩いて行ける。靖国どおりを西進して神保町を左折すればいいのだが、それだと実は遠回りだ。靖国通りは大きくUの字に湾曲している。小川町と駿河台したの中ほどから南に1ブロック進んで西に向かうと学士会館に行ける。わたしは三田線の神保町駅で降りる時にいつもこのルートで帰ってくる。昨夜地図で教えたので、迷わずに行けたようだ。夕方2人は帰ってきた。短期間の塾みたいなところのようだ。孫1号は5年生。わが次男が5年生のころは、もうガンガン受験勉強をしていた。東京は私立が優勢なので、私立中学に入れておきたかった。四日市は公立のレベルが高そうだから、無理をして受験することはないだろう。しかし学ぶ習慣をもつのはよいことだ。わたしは70歳になっても毎日学んでいる。『サイエンス』という月刊誌を毎月読んでいる。本日届いた最新号では、ニュートンのプリンキピアの話が出ていた。物理学の基本3法則を確立したのはニュートンだが、『プリンキピア』には数式はほとんどなく、幾何学で証明しているようだ。ニュートン自身はデカルトの解析幾何学を発展させて微積分という新たな数学の分野を開拓したのだが、世の中にはまだ普及していなかったようだ。それで幾何学で証明するしかなかったのだろう。幾何学は数学の王道だ。しかしデカルトがX座標とY座標をもちいて、幾何学の証明問題が連立方程式で解けることを発見した。ニュートンはそこに微積分という新たな領域を発展させた。これにガウスが発見した極座標を加えると、近代数学はほぼ完成する。わたしは高校時代、極座標で正17角形が作図できることを知って驚嘆した。こういうわかりやすい大発見は、文学の世界では希少だ。それでも『白痴』の創作ノートに記された破棄された初期のプランを読んで、ここに正17角形があると思った。ちなみにガウスの墓は正17角形をしているらしい。わたしは『新釈白痴』という本で、ドストエフスキーが破棄した初期のプランを復元することに成功した。誰も読んでいないがこれは偉業だと自画自賛している。この成功体験が、『カラマーゾフの兄弟』の続篇を書くモチベーションを支えることになった。こういう過去を振り返るのは、いま『遠き早春の日々』という昔話を書いているからで、これは記憶をたどって書けばいいのでいくらでも書けるのだが、すぐに飽きてしまって『壬申の乱』の方に行ってしまう。並行して複数の作業をしていると集中力がなくなるのかもしれない。わたしはパソコンに向かう時、しばらくの間、ソリティアとフリーセルをやって頭の鍛錬をする。ソリティアもフリーセルもインチキの必勝法があるので負けることはないのだが、そのフリーセルの必勝法を昨日、どうしても思い出せなくなった。これは認知症になったかと思った。そういうことは時々ある。大学の研究室のパソコンには、起動させる時にパスワードを求められる。これは大学から与えられたもので、自分で設定したものではないから、丸暗記するしかない。これを時々忘れる。指が覚えているのだが、その指が怪しくなることがある。フリーセルの必勝法も指が覚えていて、行き詰まると指が勝手に動いてその操作をする。すると「あなたの勝ち」という表示が出る。だからぜったいに負けることはないのだ。忘れないようにここに書いておこう。「シフト+コントロール+F10」だ。ちなみにソリティアの必勝法は「シフト+コントロール+オールト」だ。これは本来3枚ずつめくるところを1枚ずつめくれるようになるのでたいてい勝てる。どうでもいいことを書いてまったが、老人ボケ対策としてここに書き留めておく。

08/26/日
いよいよFootballが始まる。といっても来月だが、ここまで来ると気分はFootballモードになる。今年のドラフトでビリのブラウンズはオクラホマ大のQBメイフィールドをとった。新人QBがいきなり活躍するか。何しろブラウンズはビリのチームだから、信頼できるQBがいないのだ。ビリから2番目のジャイアンツはまだ往年のスーパースター、マニング弟がQBをつとめているので、あえてQBを指名せずにRBのバークリー(ペンシルベニア大)をとった。スーパーボウルに勝ったイーグルスが、ブラント、アジャイー、クレメントと、3人のRBを擁していたように、RBは1人ではダメだ。しかし有力な新人をとったことで、チームが引き締まるのではないかと思う。ドラフトの3番目(つまりビリから3番目)のジェッツはQBのダーノルド(南カリフォルニア大)を指名した。ドラフト前にはこのQBが1位指名だろうと前評判が高かった。まちがいなく明日の時代を背負うQBだといわれている。しかしジェッツには大怪我をしてトレードに出されたブリッジウォーターというQBがいる。プレシーズン(オープン戦)の結果を見ると、ブリッジウォーターは出場していて、そこそこの成績を残している。再起不能かと言われた大怪我をしたのに、とにかく走れるし、投げることもできているようだ。このQBの奇蹟の復活を期待したい。とはいえ、ビリに近いチームは全体にガタがきているので1人2人新人が入ったくらいではめざましい成績は残せないだろう。スーパーボウル優勝のイーグルスは控えQBがMPVになった。大怪我をしたウェンツが最初から復活できるか、しばらくは控えのフォールズでしのぐのかが注目ポイント。あとは実績のあるペイトリオッツ、スティーラーズ、セインツ、バイキングス、ファルコンズ、シーホークスといったところが順当に上位に入るだろう。ペイトリオッツの控えQBガルボロの途中可能で後半戦に好成績だった49ナーズがどれほどのチームになっているかも注目。こんなふうに考えているだけでもわくわくする。さて、本日は日曜日だが、スペイン組は明日の夜、成田に移動する。来た時は関空経由だったので羽田の国内線ターミナルに迎えに行ったのだが、帰路は成田発とのこと。で、本日は最後の宴会。しかも3女の誕生日だとのこと。スペインでは(日本でもそうかもしれないが)誕生日は欠かせないイベントだ。長男が会場を探していたのだが、結局上野広小路の居酒屋ということになった。まあ、個室がとれたということだろう。居酒屋で子どもの誕生パーティーというのもどうかと思うが、日曜なので平日よりはサラリーマンのおじさんは少ないかもしれない。札幌すすきのの寿司屋に12人で行ったこともあるから、とにかく会場がとれたことを喜びたい。スペイン組はわれわれの集合住宅の地下にあるスーパーで買い物。妻と次男がいたので荷物をもった長男夫婦を湯島の宿舎に送っていった。帰ってきた妻と次男に呼び出されて、新御茶ノ水駅に隣接したソラシティーの地下の居酒屋で昼食。われわれと次男という3人で食事するのもめったにないこと。次男の嫁さんは孫2号のピアノのコンクールがあって東京に来られなかった。その孫2号は「銅賞」を貰ったようだ。伯父さんのレクチャーが効いたのか。次男は学習塾みたいなものに参加している孫1号を学士会館に迎えに行き、帰りにソラシティーの抽選に立ち寄った。先日、12人で飲茶を食べた時や、本日の昼食など、領収書がたまっていた。金額に応じて何回か抽選できるというので、孫1号がガラガラと抽選器を回したところ、何と3等のデジカメが当たった。いまはスマホで写真が撮れる時代だが、自分専用のカメラがあれば小学生にとっては楽しいだろう。ということでこの抽選は孫1号へのサービスだったのだが、いいものが当たった。さて、妻は先行して、誕生日のケーキを買いにいった。わたしと次男、孫1号で千代田線に乗って湯島から広小路に向かう。コンビニの上の3階にあるわかりにくい店で、スペイン組がたどりつけるか不安だったが、次男がラインで地図などを送って誘導する。妻が到着。紙皿やフォークなども赤札堂で調達したとのこと。やがてスペイン組が到着。長男一家6人、長女のボーイフレンド一家が4人、次男と孫1号、それにわれわれ。総勢14人。居酒屋だが子どもがいるので、ギョーザとヤキトリ、ヤキトンなどを注文。九州の店なので唐揚げはタルタルソースがかかっているので敬遠して、鶏の天ぷらを注文したら美味であった。しめはバースデーケーキ。マイちゃん11歳。孫1号がスペイン組の5歳の末っ子をガード。去年はこの末っ子が先にローソクを吹き消した動画がラインで送られてきたので、わたしが孫1号にガードを命じた。無事にマイちゃんがローソクを吹き消す。これですべてのイベントが終わった。長い夏休みだった。

08/27/月
次男と孫1号は科学技術館に行き、早めに帰ってきた。全員でスペイン組の湯島の宿舎に出向き、荷物を車に積み込む。前の道路が狭く、他の車が来る度に妻が車を移動させる。わたしは道路の入口に立って、不要不急の車は迂回してもらう。長女のボーイフレンド一家も同時に帰国するので、大小さまざまなトランクが積み込まれる。人を乗せる余地はないので妻とわたしだけで、とりあえず自宅前まで行き、長男一家が使い残した牛乳などを自宅の冷蔵庫に入れに行く。それから丸ビルのあたりまで行って路上駐車。人々は千代田線で二重橋。それから地下道で東京駅へ。そこで次男と孫1号は新幹線に乗り四日市に帰る。スペイン組は弁当などを買って、西銀座から成田行きのバスに乗る。われわれは予定どおり少し前に西銀座到着。少し離れたところに路上駐車。お巡りさんが来たのでドキッとしたが、反対側の道路をデモ隊が通るので信号機の調整に来たみたい。車を少し前に移動させてくれと言われただけで駐車を咎められることはなかった。スペイン組はいつものんびりしていて時間がぎりぎりになる。仕方がないのでわたしがすべてのトランクを歩道に移動させた。そこでわたしは路上の荷物の車の番をする。妻はバス乗り場まで行ってスペイン組を誘導。全員が荷物を受け取りに来たのだが、時間が押しているのに孫たちは別れの挨拶をする。ハグをしてわたしの両頬にキスをする。嬉しいけれど早くバスに乗ってほしいとはらはらする。全員と荷物を乗せたバスが発車するのを確認してこちらも出発。しばらくパスの後ろを走っていた。自宅に帰って20階のロビーに出ると突然の雷鳴。妻が叫び声を上げたほどの落雷。しんと静まり返った自宅に戻り、窓の外を見ると豪雨。自宅の窓から見えている日比谷ミッドタウンが見えなくなっている。実は8時半の予約を入れていたのを今日になってから1時間早めた。もとのままだったら屋根のなかバス亭で雷雨を浴びることになっていた。台風接近の中で北海道からの飛行機が無事飛んだことなど、今回のスペイン組はツキに恵まれていた。大阪から別府に船で行く予定が台風でキャンセルになったのだが、そのかわりにユニバーサルに行ったりしたので結果的にはよかったようだ。とにかく、彼らは無事に成田空港近くのホテルに到着した。明日は早朝のフライトだが、座席はとれているし、空港近くのホテルにいるので問題なく出発できるだろう。雨の心配はないが台風ではないので問題はない。長い夏休みだったが、これでわれわれの対応もすべて終わった。ほっとしたあとで、急に寂しくなるのはいつものことだが、別れがあわただしかったので、涙涙の別れがなかったのも結果としてはよかった。本日も夕方まではパソコンの前に座っていた。猿丸という忍者が皇太子大友皇子と対面する場面を書こうとしている。最初の構想にはなかった場面だが、猿丸はのちに大夫(まえつきみと呼ばれる高官)になる人物なので、脇役ではなく、主役級の扱いをしたい。猿丸の弟分の人丸が額田女王と会うシーンも書けた。額田女王には未来を予知する霊能がある。あなたは歌詠みになる、と言われた忍者が驚く場面もうまく書けたと思う。猿丸大夫と柿本人麻呂。この二人がこの作品の主人公だといってもいい。高校時代の話もメモをとっているが、あまり気が乗らない。スペイン組が無事にサラゴサの自宅まで戻ってから、集中力を高めたい。

08/28/火
昨夜はスペイン組と別れたあと寂しさがつのってきたので、ビデオにとってあった女子サッカーU20の決勝戦を見た。キーパーがすごかった。スタンボー華って、ハーフだろうね。男子もキーパーを育てないといけない。とにかくキーパーは背が高くなくては話にならない。さて、今朝起きてみると、まだ胸の奥が重かった。日常性が戻ってこない。スペイン組と過ごした一ヵ月間はハードであった。ふだん自分たちがいかに楽に生きているかがわかった。仕事が忙しいといっても、パソコンの前での座り仕事と、大学や文藝家協会に自分の体を運んでいくだけの仕事で、がんばればやりとげることのできるものだ。子どもがいると何が起こるかわからない。タイムスケジュールを立ててもそのとおりには動いてくれない。その緊張感がなくなったので、ほっとして、がっくりしている感じだ。子どもを育てるというのはたいへんなことだ。次男が就職して会社の寮に入った段階で、わたしたちの子育ては終わった。自分が50歳くらいのころで、それから20年ほどは夫婦二人だけの生活になった。これは楽で快適な生活だ。いま高校時代の想い出を書き進めつつあるのだが、そこには50年以上前の妻が出てくる。おお、半世紀以上も前のことだ。自分の人生の大半が彼女とともにあることを思うと、何というか、たぶん調教師というか、マネージャーというか、お母さんというか、そういう人に頼って生きている感じがする。とにかくまた妻の二人だけの生活になる。日常に回帰しないといけない。とりあえず耳鼻咽喉科に行った。6月に風邪を引いて声が出なくなった。声が出なくても授業があるので無理をしてしゃべっていた。それで治りが遅くなったのではないか。というか、声の嗄れた老人みたいに、もう声が戻らないのではという気がしていた。しかし妻が、悪性のポリープだろうと脅すので、以前1度行ったことのある耳鼻咽喉科に行くことにした。ここは女優をしている姉の紹介で、俳優や歌手の駆け込み寺みたいなところらしい。わたしが1度行ったのは、地方の講演旅行の直前に声が出なくなったからで、六角形をした薬を3粒だけくれた。たぶん強いステロイドで、3つだけしか与えられないということだろう。とにかくそれを飲むと何とか声が出るにようになり、講演会をしのぐことができた。もっと早くここに行けばよかったのかもしれない。とにかく診察を受けると、ほぼ正常とのこと。少し腫れた感じもあるが、これで声が嗄れているのは加齢性かもしれない。つまり爺さんになったということだ。ポリープのようなものはまったくないので安心であるが、このまま声が嗄れてしまうのは気の毒であるから、やれるだけはやってみるとのことで、薬をどっさりくれた。風邪の炎症は治っているので抗生物質は出さない。やや強めの消炎剤を試してみるのと、漢方を併用するとのことで、来週旅行に行くというと2週間ぶんくれた。とにかく薬をちゃんと飲んで試してみたい。というか、診察のあと、10分間ほどの吸引で喉に蒸気を送ると、診察所を出た直後の喉がすっきりした感じがした。道を歩きながら歌を歌うと、まったく嗄れていない。美声が戻ってきた。しかし自宅に帰ると、また少し元に戻った感じもした。まあ、出された薬は飲んでみようと思う。夕方、ダイニングテーブルを縮小した。夫婦二人で使っているテーブルは、引っ越し前の三宿の家で27年間使い、その前の八王子めじろ台でも8年間使った年代物。2対1の長方形だが、真ん中に切れ目があって、ひっぱると二つに別れる。テーブル面の下に収納されている板をはめれば、3対1の長方形になる。これだと8人が座れる。それでもスペイン組と四日市組が全員集合した時は12人いた。長い部分に4人、さらに角に5歳の子どもを座らせて11人がテーブルにつき、わたしは台所のカウンターに向かって一人で酒を飲んでいたこともある。そのように皆で囲んだテーブルを、本日、元の2対1に戻した。何か、急に寂しくなった感じだ。喉を見て貰って少し回復した感じがしたので、自宅に戻って歌を歌い始めたのだが、そのことを妻が家族のラインに書くと、ヘルシンキでトランジットしている長男から、ポピュラーのスタンダードのデフォルトが父の歌で迷惑しているというメールが。どうやら息子たちにも迷惑をかけていたようだ。

08/29/水
文藝家協会で読書推進プロジェクトの会議。本日の仕事はこれだけ。スペイン組は本日の早朝にマドリッドに到着したようだが、近くのホテルに一泊するとのことで、まだサラゴサの自宅に帰り着いていない。とにかくスペインには到着したので、とりあえずは安心した。大学の仕事だが7月にやった講演のテープ起こしをやっておくことにした。ゲーム作家のくしまちみなとさんの講演。思わず「テープ起こし」という古い言葉を使ってしまったが、いまはテープなど使っていない。音声データをパソコン上で再生するわけだが、それでも画面には昔のテープレコーダーと同じような押しボタンが表示されているので、作業としてはテープ起こしと同じだ。実は今日のプロジェクトでくしまちさんと話をしたのだが、講演に来ていただいた時はそれほど親しくなかったので、こちらの方もやや緊張していた。インタビューなので自分の声も入っている。聞いているとそれほど嗄れているわけでもない。7月5日には聞き苦しくない程度には回復していた。そこからの回復が送れて、昨日医者に行くことになった。老人だからこの状態が永遠に続くのかとも思ったのだが、昨日医者で吸入をした直後は急に声が完全に出るようになっていたので、治療を受ければ回復するのかもしれない。漢方薬をぬるま湯に溶かしてゆっくり飲むというのが効果があるようで調子がよくなった。ただまだ完全ではない。

08/30/木
もう明日が月末だね。今月の孫の相手をしているうちに時が過ぎてしまった。一つ一つイベントをこなしていくだけで、こちらはやや気持が引けているので、とにかく終わったという感じしか残っていない。しかし自分の人生とは何か、と自らに問いかけた時、ほぼ自己満足の作品をいくつか残した他には、さしたる業績もなく、結局、6人の孫に「じいちゃん」と呼ばれることが、わが人生のほぼすべてであったようにも思える。もちろん、わたしはまだ生きているので、未来があると信じているが、足腰に不安があり、声も万全ではないので、未来があるにしてもささやかな未来だと考えられる。本日は新宿に出向いてマッサージ。隣で高一くらいのアスリートが治療を受けていた。スペイン組の長女も高一くらいだ。若いなあ。未来があるなあ。うらやましくはあるが、高一に戻りたいとは思わない。いまがいちばんいいと思っている。

08/31/金
久し振りに大学。臨時教授会。授業がないので昼過ぎから始めたので早く終わった。月末だ。8月の月末は、夏の終わりという感じがするが、大学はまだ始まらない。しかし何やかやと用事がある。来週は校務で西安に行く。木曜の深夜には帰りつくはずだが、翌金曜日はFootballの開幕戦だ。念のためにビデオの予約をセット。この試合も繰り返し見ることになるだろう。スーパーボウルのMVPになったフォールズが先発するのか、故障上がりのウェンツが復帰するのか。相手はファルコンズ。強敵だ。今年もイーグルスを応援したいが、大怪我からウォーターブリッジが復活するか興味があるのでジェッツにも期待をかけていた。しかしジェッツはドラフト全体3位ととったダーノルドの先発を発表した。年下のダーノルドが活躍すれば、ウォーターブリッジの出番はないと心配していたら、突如としてセインツにトレードされた。セインツのQBはベテランのブリーズだ。RBに2年目のカマラがいて、ラン攻撃も強い。しばらく出番はないだろうが、ブリーズは今年限りかもしれない。途中で故障ということも考えられるので、ウォーターブリッジにもチャンスはある。あとはいつもどおりジャイアンツとスティーラーズを応援したいがどちらもロートルといってもいいQBだ。若手のガルボロがどこまでやるか49ナーズにも注目。さて、月末となった。スペイン組に振り回された一ヵ月だったが、後半は長女のボーイフレンドの一家が来て、スペイン人だけで行動することも多かったので、わたしは自宅でパソコンに向かうことができた。まだ次の仕事が決まっていないし、とくに何かをやるということもないので、その時の気分で『壬申の乱』と『遠き日々』を少しずつ進めている。来月もそんな感じだ。9月の最終章から後期の3学期が始まる。3学期は「小説の歴史」という講座が火曜2限と木曜1限に入る。1限に授業が入るのはきついが、ここしか入らなかった。夕方になると他の仕事ができないから、午前中に授業があるのはわるいことではないが、身体は疲れる。最後のお勤め。3学期が終わると楽になる。入試のシーズンになり早朝からの待機で休日がつぶれる日々となるが、毎年のことだから慣れている。何をするにしても、これで最後ということで、気持が少しずつ楽になっていく。


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