光と陰の紫式部04

2020年4月

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04/01/水
令和2年の4月になった。大学の教員をしていたころは4月といえば入学式があり、新しい学生との出会いがある。何となく気分も一新する感じがしていた。定年退職をしたいまは、年度が変わるといっても何ごとも起こらない。黙々と自分の仕事をするばかりだ。『光と陰の紫式部』というノートを1月から始めたのだが、実際の作業は昨年の12月から始めていた。半年で1冊のペースで仕事をしたいと思っているので、まだあと2ヵ月ある。いまは全5章のうち4章が完成している。4月末くらいに草稿を仕上げ、プリントに赤字を入れていく作業を経て5月末までに完成ということにしたい。もはや出版社に企画を出してあれこれとやりとりするという手順のない、出版のあてのない作業に取り組んでいるので、とくに締切などというものもない楽な作業だが、自分なりに計画を立ててペースを守って作業を進めたい。生活に困っているわけではないので、作品はどんどんデッドストックにしておく。これぞという作品ができればどこかに売り込みにいくことになるが、いまは営業活動は休止している。ストックはたくさんあった方が安心できる。締切に追われる仕事をすると命が縮むことになるので、ある程度のストックがある状態で営業活動を始めることにしたい。とはいえ知り合いの編集者もどんどんリタイアしていくので、コネがなくなっていくのだが、まあ知り合いに頼むというよりはすごい作品をいくつかストックしておいて、頼まれれば見せる、というくらいのスタンスにしておきたい。強い女を描きたいという思いがあって、去年は持統女帝と元明女帝が活躍する『人麻呂しのびうた』という作品を書いていた。いま書いている紫式部も強い女だ。次は北条政子を書いている。それと書きかけの原稿で神功皇后の話がある。これも元気のあるうちに仕上げておきたいが、作業が中断しているのですぐに続きを書ける状態になるかは疑問だ。まあ、書きたいテーマが見つからない時の待避所みたいなものとして書きかけの原稿は保存してある。それと『文芸思潮』に2回目まで掲載した『遠き春の日々』の3回目を6月くらいに書く。たぶん締切は7月末くらいだろう。『紫』の草稿が出来た段階で、気分転換で書き始めてもいいかなと思っているが、草稿完成の勢いのままでプリントのチェックをやった方がいいかもしれない。まあ、その時の気分だ。
さて本日は朝から雨。散歩にも出ず。テレビではコロナウイルスの話ばかりだ。老夫婦二人だけのわれわれの生活には大きな影響はない。サービス業や音楽、演劇などのイベント関係の業界は大パニックになっているようだが、出版業界の不況はずっと前から始まっているので、もはや慣れている。大学のサテライト講座など小遣い稼ぎの仕事が中止になったが、すでに大学をリタイアした身なので経済的な損失はない。それでもたまには人前でしゃべる機会があれば、脳の活性化にはよいかなと思っていたので、疫病が早く収束して平常の状態に戻ってほしいとは思う。次男のところの孫2人のことも心配だ。いままで四日市の孫と読んできたのだが名古屋に引っ越したので名古屋の孫と呼ぶことになる。引っ越し先の集合住宅は、2月の初めに浜松の仕事場にいた時に呼び出されて現地を見に行った。坂がきついところだったが、静かな郊外の住宅地だった。ただ四日市の住居は駅から徒歩5分の便利なところで駅前のデパートやショッピングセンターを利用できたが、これからは買い物にも車が必要になるだろう。まあ、すぐに慣れるだろうが。名古屋でも疫病が広がっているので学校のスタートが遅れそうだ。中学に入学した長男は全員が同じスタートラインだから問題はないが、小学校に転入する次男は学校が始まらないと友だちもできないことになる。兄弟で遊ぶしかないだろう。

04/02/木
SARTRASは来週月曜に緊急の理事会を開くことになったが、テレビ会議にするという連絡があった。ぼくのパソコンは10年前から使っているものでカメラなども付いていない。困ったなと思ったが、iPadがあれば参加できるのかと気がついた。ふだんはFootballの情報を得るのと週刊誌を読むことにしか使っていないのだが、指示されたソフトをダウンロードしてテストをやってもらったらちゃんと事務局につながった。これは便利なものだ。これからは会議はすべてこれでやってほしいものだ。本日は水道博物館の屋上の公園を経て、閉鎖されている後楽園遊園地のわきを抜け、小石川後楽園(これも閉鎖中)をぐるっとて回って水道橋に出た。そこからはいつものコースで、とちのき通りに出た。この通りは自宅からずっと先まで見えている道で、ということはここまでくれば自分の部屋が見える。考え事をしていても体が自動的に帰路を進んでいく。それにしても閉鎖された遊園地というものは寂しいものだ。長男のいるスペインはどんどんひどい状況になっていく。アメリカはパンデミックが始まったばかりでこれからピークに向かって進んでいくのだろう。不謹慎かもしれないが、9月からのFootballのリーグ戦が実施できるのか心配になってくる。ブレイディーが加わったバッカニアーズが黄金期を迎えるのか。SUPERBOWLであとわずかなところで逆転タッチダウンに手が届きそうだったサンダースをトレードで獲得したセインツがブレイディーに競り勝つのか、ニック・フォールズを加えたパンサーズがどこまで頑張れるか、Nカンファの南地区から目が離せない。野球やバスケットボールがいつからできるのかも心配だが、こちらはFootballにしか関心がない。日本はまだパンデミックとはいえない状態だが、夜間営業の店が危ないという情報が流れたので自粛を求めるまでもなく客が行かなくなるだろう。そういう点では日本国民は極めて従順なので、このまま収束するのではという期待がもてる。それでもダメなら、国民の60%が感染して免疫による抗体を獲得するまではどこまでも広がり続けるのだろう。そうなると1割くらいの国民が死去することも考えられる。ワクチンができなくても、既存のインフルエンザの薬が少しは効くという報告があって、ドイツではその薬を導入することを決めたようだ。いざとなればダメモトで使ってもいいだろう。奇形児が生まれるという報告もあるので若い人には使えないが、老人限定に使えばいい。どうせ寿命が近づいている老人だから、モルモットみたいに試してみてもいいのだ。

04/03/金
しばらく車を動かしていないので妻の運転でゲートブリッジへ。一瞬だけだが海が遠くの方まで見張らせた。それだけ。どこにも寄らずに帰ってきた。ネットで評判になっているニッカのウヰスキーからおじさんの顔が消えているという話題。実際にスーパーに行ってみると確かに顔が消えていた。これって、どこがおもしろいのかわからない。昔、エビスビールの瓶ビールのラベルにエビスさまがタイを二匹もっているのがあって、これは実際にどこかの割烹で目撃したことがある。何か、とてもめでたい感じがした。疫病は収束の気配を見せない。スペインの長男のところには、カーニバルで子どもたちが仮装に使ったゴミ袋の供出を求めるメールが届いたそうだ。その仮装で防護服を作るのだという。スペインは追い詰められている。そこへいくと日本はまだノーテンキだが、それでも夜の街が静かになっているようで、日本人はまじめに「自粛」しているようだ。戦争中の大政翼賛会みたいな恐怖を覚える。

04/04/土
妻と日比谷公園まで散歩。皇居前広場に桜並木があって満開の状態だが、人はほとんどいない。日比谷公園はけっこう人がいた。不要不急ではないが老人の散歩は健康維持のためには不可欠なものだ。ただ帰りは疲れたので電車に乗ってしまった。

04/05/日
今日は一人で水道橋まで散歩。水道橋も御茶ノ水も、人の姿はなく閑散としていた。これくらい自粛が広まると、ある程度の効果があるのではと思う。スペインは以前として閉鎖状態。家族でテレビを見て過ごしているようだ。次男たちは名古屋に引っ越したのだが、時短で授業は来週から始まるようだ。

04/06/月
SARTRAS理事会。といっても今回からはネット会議となった。先週の木曜日にテスト済みなので、満タンに充電したiPadを準備し、早めに事務局につないだ。こちらの顔と音声が届いていることと、「手を挙げる」ボタンが機能していることを確認した。文部科学省と文化庁から、来年からスタートする予定の補償金制度を前倒ししてスタートし、初年度は無償にせよとの要請があった。無償にせよとは虫がよすぎる提案だが、全国の教育界がパニック状態になっていることでもあり、要請に応じることとなった。前回の理事会では反対する理事も少なくなかったのだが、その後の文化庁とのやりとりがメールで報告されていることもあって、ほぼ満場一致で承認ということになった。こちらは前回から賛成していたので、とくに意見を述べる必要もなかったのだが、「手を挙げる」ボタンを押してみたかったので、一回だけ発言した。ぼくの仕事机の上にはノートパソコンが載っていて、そのパソコンの蓋を閉じた状態にしてその上にiPadを載せた。頭上のLDE照明を前回にしてあったので、ぼくの顔は明るい感じで映っていた。他の参加者は事務所の片隅のパソコンを使っているみたいで、暗がりの中から発言するような人も少なくなかった。ネット会議の時代になると、一人ずつが明るく照らし出される照明が必要だと痛感した。とにかく、初めてのネット会議が無事に終了した。

04/07/火
散歩に行くだけの日々。いよいよ戒厳令かという状態になっているが、老人の散歩は健康維持のためには必要で問題はないだろう。

04/08/水
本日は妻といっしょに散歩。このところ自分がよく行く固定されたコースに沿って、水道局の上の公園で休み、後楽園遊園地のラクアで休み、成城石井で買い物をして帰った。自宅の隣の御茶ノ水駅前のソラシティーというビルの地下にも成城石井はあるのだが、コンビニよりも小さな店だ。後楽園の成城石井はスーパー並の規模で品揃えが充実している。妻は野菜などを買っていたが、こちらはオツマミ用に味付け海苔を購入。妻は味付け海苔が嫌いみたいで我が家の食卓に味付け海苔が出てくることはない。ぼくは子どものころから味付け海苔が好きだった。

04/09/木
何事もなし。いつものごとく水道橋まで散歩。

04/10/金
スペインにいる長男の一家は長く封鎖状態の中にいる。音楽院に務めている長男はネットで指導しているようだが、通信事情がよくなくて苦労しているようだ。四日市の次男は長男の通学を考えて名古屋に引っ越したのだが、愛知県が封鎖されると勤務先に通えなくなるので四日市の旧居に戻ったようだ。これで学校が始まると単身赴任みたいなことになるのか。いろいろとたいへんだが、老夫婦二人で生活しているわれわれはひっそりと生きている。文藝家協会もしばらく閉鎖状態になるようで、在宅勤務でどこまで対応できるか。ハンコが必要な業務はハンコなしで出来るように理事長にお願いしたい(結局ハンコは必要だということになった)。まあ、そんな雑用もありながら、自分の仕事はこつこつと続けている。出版社や編集者とはもう縁が切れているので、とにかく作品をいくつか貯めておいて、世の中の景気がよくなれば在庫一掃セールをやればいいだろう。買い手がなければ「遺作」として貯めておいてもいっこうにかまわない。もはや読者の反応などどうでもよくなっている。自分でいいと思った作品をいくつか遺してこの世から去っていきたい。

04/11/土
本日は近くの物置に行っただけ。不要になった人麻呂関連の資料を運び、源平合戦の資料をもって帰った。しばらく物置に借りている部屋に行っていなかったので郵便受けのゴミを排除。この郵便受けにもマスクは届くのだろうか。

04/12/日
今日は水道橋から駿河台下の方に回る。神保町には行かず猿楽町のあたりを抜ける。人っ子一人いない感じ。このあたりは完全に封鎖されているようだ。来週はいよいよFootballのドラフト会議がある。野球やバスケットボールは停止中だが、Footballは9月から始まるのでシーズンオフだ。オフでもトレードやフリーエージェントの動きは盛んで、ペイトリオッツのQBブレイディーがバッカニアーズに移るなど、想定外のことが起こっている。疫病の流行はアメリカの方が深刻で9月の段階で収束しているとは思えないのだが、それでも期待はもっていたい。Nカンファの南地区が楽しみだ。ブレイディーのいるバッカニアーズ、ワイドレシーバーのサンダースが49ナーズから移ってきたセインツ、セインツの控えQB分ブリッジウォーターが移ってパンサーズ、ラムズからランニングバックのガーリーが移ったファルコンズが激突する。今シーズンはNカンファの方がおもしろそうだ。何とか疫病の流行を収束させてほしい。9月まで封鎖が続いているようでは、アメリカ経済が衰退するだけでなく、世界経済が停滞した大恐慌が長びくことになるだろう。まあ、その前に自分が感染する可能性もあるし、70歳を過ぎた老人はトリアージュで切り捨てられるだろうが、ネット会議の普及で人と会う仕事もなくなるだろうから、自宅に閉じこもって自分だけの世界にひたっていればいい。

04/13/月
朝から豪雨。予約を入れていたので新宿三丁目のスポーツマッサージの施療院へ。濃密な接触だがここのマッサージは一種の医療行為だろう。スポーツ選手も活動を自粛しているようで、ここも閑そうだった。こちらはスポーツはしない。ただ肩が凝っているだけ。月に一度、ここに通っている。本日の外出はこれだけ。

04/14/火
昨日の豪雨とはうってかわって快晴。真っ白な富士山が遠望できる。ぼくが住んでいる集合住宅は高層ビルで、ぼくの部屋は中層階だが、それでも目の前のビルの屋上より少し高いのでぎりぎりで富士山が見える。せっかいのいい天気なので、本郷のあたりまで足を伸ばし、さらに中仙道を超えて、小高い丘の方に向かうと、伝通院という大きな寺の山門前に出た。ここにこんな大きな寺があるとは思わなかった。山門前から幅の広い道路が延びている。その道路を下っていくと、小石川後楽園の方に出てきた。ここまで来ればいつもの散歩コースだが、1万1千歩も行ってしまった。老人にとってはややオーバーワークだ。

04/15/水
もう長く会議などに出ていないのだが、SARTRAS関連のメールは頻繁に飛び交っている。来年からの補償金制度の確立を求めて議論を重ねてきたのだが、文化庁の要請で今年度から前倒しをして制度を実施することになった。まだ補償金の金額が決まっていないので初年度は無償ということになった。それはいいのだが、教育界にはこれで何でもネットにアップできるという誤解が広がりつつあるので、これは困るというメールが飛び交い、文化庁に要請して、ホームページの図式を改善してもらった。35条で権利制限とされている担任の教員による紙へのプリントという、これまでOKだったことを、ネットで伝えることもできるというもので、教材出版社が作成したドリルなどをコピーすることはできないし、担任教員でないたとえば教育委員会などが一括してサイトから教材を配布するといったことも、これまでどおり許諾と対価の支払いが必要だ。あくまでも担任の先生が作っていた教材を遠隔授業でも使えるようになるというだけのこと。政府は3年計画で小中学生の全員のiPadまたは類似の端末を配布し、自宅でもネットにつなげるように準備を進めてきた。これも前倒しされるだろうが、とりあえずは上の学年から実施していくようだ。担任の先生が紙にプリントしたものは劣化するが、ネットにアップしたものはいつまでも端末に残るし、ネット上にも蓄積されていくので、著作者の損害が大きくなるということで、来年からは補償金を払っていただくことになっている。いまは非常事態なので、制度の詳細を議論する時間がない。とりあえず前倒しで実施していくということで、見切り発車の慌ただしい感じがつきまとっているが、これから時間をかけて、何がOKで何がダメかのガイドラインを周知徹底していくことになる。

04/16/木
本日はSARTRASと教育関係者のフォーラムがあった。ぼくはこのメンバーではないが、昨日あたり関係者のメールが飛び交っていて、およその成り行きは予想できた。その後の報告のメールでは、ほぼ予定どおりに話が進んだようで、これで本年度からの前倒しの実施が実現に向けて順調にスタートを切ったことになる。いろいろと積み残している問題もあるのだけれども、動き出したこの一歩はとても貴重だと思っている。文藝家協会の理事長の出久根さんからの封書が届いたのでドキッとしたが、引き続きよろしくというような内容だった。急に辞めたりはしない。体調は問題ないので引き続き文藝家協会とSARTRASの仕事は続けていく。

04/17/金
朝起きて出久根さんに電話して、封書の内容について返答し、引き続き仕事を担当する旨を告げた。ついでにSARTRASについての現状報告も済ませた。さて、SARTRASの理事会は前回もネット会議だったが、来週の会議もネット会議とのこと。iPadにzoomをインストールするだけのことで、2度目は何の手間もない。スマホでもできるはずで、誰でもできるはずだが、文藝家協会でネット会議ができるかとなると、調整がたいへんかもしれない。SARTRASのメンバーは企業や団体に所属している人が多く、インストールなど手伝ってくれる人がいるはずだが、文藝家協会の理事は作家ばかりだから、孤立している。ぼくはどうしたかというと、ネットで「zoom」と「使い方」を検索ワードとして入れたら、およそのことはわかった。ただいまでも電話とファクスだけで仕事をしている人も少なくないので、文藝家協会の理事会はハードルが高そうだ。さて、自分の仕事、『光と陰の紫式部』は終章にあたる第5章の半分くらいのところまで来た。5章できっちり収まらなければ、短いエピローグをつけてもいい。今月中に草稿を完了できないかと考えている。

04/18/土
週末は世の中も休み。朝から豪雨で街も死んだようになっている。散歩に出るのも休みにする。以前は雨の日でも遠出をすることがあった。千代田線の新御茶ノ水駅までは傘なしで行けるので、大手町まで電車に乗れば、そこから日比谷、銀座、東京駅と、地下街をたどって散歩できた。いまは電車に乗ってはいけないムードなので、本日は一歩も出ない。土曜だから夕刊をとりに20階の郵便受けにまでは出かけようと思う。この集合住宅は朝刊は宅配で届くのだが、夕刊はロビー階の郵便受けに入る。エレベーターの位置まで遠い場所に部屋があるのでけっこう歩くことになる。そう思っていたが午後4時、急に雨が止んで青空が見えた。5000歩ほど歩く。『光と闇の紫式部』は一条天皇が崩御する直前。ここまでで物語の主要な展開は終わる。あとはエピソード集という感じになり、短いプロットでその後の展開が語られるのだが、ここからがヒロインの本領発揮ということになる。紫式部の没年はわからないし、『紫式部日記』に書かれている二人の皇子が生まれたあとのことは何もわからない。ただ皇太后となり、女院となって上東門院と称されるようになった彰子のもとに文官が訪れた時に女官が対応したことが当時の文官の日記に残っている。この女官というのは紫式部のことだろうと最近は学者も認めるようになっている。いつ死んだかがわからないのであとは想像力で書くばかりだ。

04/19/日
しばらく車を動かしていないのでドライブ。昔、長男がまだ学生だったころに、免許とりたての長男の運転で晴海埠頭の近くに行ったことがあった。空き地が多く車も駐めやすかった記憶がある。目の前にレインボーブリッジが見えてなかなかの眺めだった。20年以上も前のことだ。今日行ってみたらそのあたりはぎっしり建物が建って道路のようすも変わっていた。駐車する場所もないのでそのまま帰ってきた。まあ、20年経てばそんなものだろう。とにかく車は動かした。『紫』は一条帝が亡くなり、ここから先はエンディングに向けて高速で時間が進行することになる。ゴールが見えてきた。

04/20/月
朝から雨。夕方、ロビー階の郵便受けに夕刊を取りに行っただけ。郵便受けにマスクが入っていた。いわゆるアベノクスクと呼ばれるものだ。確かに小さい。会議などもなくなって人と会うことがなくなったので、散歩に出る時にマスクをつける程度だから、同じマスクをずっと使っている。ぼくも妻も花粉症なのでこのシーズンはマスクの備蓄は少しあるのだが、新しいマスクが入手できないので慎重に使い、備蓄を減らさないようにしている。だからたとえ2枚だけでもマスクが届くのは嬉しいが、布マスクは目が粗いらしいので花粉を防ぐことはできないようだ。

04/21/火
今日は晴れているので散歩に出る。水道橋、猿楽町、駿河台下から、物置に借りている部屋の郵便受けをのぞいてみたがマスクはまだ届いていなかった。ここで生活している人も多いはずで、早く配布してほしい。昨日の夜中、寝酒を飲んでいるうちに、女性の姿が描き方が不足していると思い当たった。一条帝中宮定子の妹で三条帝中宮になる妍子の姿をもっとちゃんと描いておかないとイメージがわかない。こういうちょっとしたアイデアで作品の完成度が高くなっていく。まあ、プリントしてから修正してもいいのだが、その前に気づいてよかった。早速入力。まだ不足しているがストーリーの流れをそいでもいけないので、とりあえずはこれでいいかと思う。SARTRASからメールで理事会の資料が届いた。リアルな理事会ならこういう資料をあらかじめテーブルの上にプリントが置かれている。全部自宅でプリントするのもたいへんだが、パソコンの中にあるだけでは読みにくい。前回のネット会議でパソコンの蓋を閉めてその上にiPadを置いていたのだが、パソコンで資料を読むためにはiPadを別の場所に設定する必要がある。プリントに赤字を入れたのを入力する時などに使う書見台(楽譜立て)に載せてみたいら、まあ、いい感じになった。これでパソコン内の資料を見ながら対応できる。ただカメラの角度が変わって、部屋の中の全体が映ってしまう。台の角度を少し変えればいいか。まあ、何とでもなる。それよりもFootballのドラフト会議が迫っている。今年はすごいQBが2人いる。1番(ビリのチーム)のベンガルズはダルトンが限界に来ているので指名は間違いない。2番のレッドスキンズは昨年ハスキンズを選んだのでディフェンスエンドのチェイス・ヤングだろう。去年のボサと同じくらいの選手らしい。3番のライオンズはスタッフォードがいるのでQBは指名しない。4番のジャイアンツも去年ジョーンズを指名した。5番のドルフィンズまで、2番手QBのタゴバイロアが残っているかどうか。2番目のレッドスキンズが指名してしまうかもしれない。3番手のQBはハーバードという選手で、ここから先はレベルが落ちる。このあたりまでが注目のポイントで、あとはどうでもいい。というか、大学の選手は知らない。本物のFootballファンは大学の試合も見ていてネットに情報や予想を挙げてくれるのだがそこまではついていけない。今年はリアルの中継をスカパーでやるらしいのだが、その日に浜松の仕事場に移動する予定にしているので残念ながらあとでネットで確認することになる。

04/22/水
ぼくはふだんは書きかけの作品のことしか考えていない。次に妻や家族のことを考える。スペインにいる長男やいまは四日市にいるらしい次男の家族のことも考える。それから文藝家協会やSARTRAS関係のメールに対応する。それから世界や宇宙について考える。疫病についても考えないわけにいかない。妻がシャープのマスク販売に応じてネットにつなごうとしたが、昨日の朝10時ジャストにトライしたもののつながらなかったらしい。今日はもう販売停止のニュースが流れていた。ネットはアクセスが殺到するとすぐにダウンしてしまう。もとから無理な計画だったのだ。家電メーカーなのだから、ヨドバシやヤマダで売ればいいのだ。というような当面のテーマだけでなく、この先、世界はどうなっていくかということも考える。ぼくは人間だからヒューマンではあるのだが、小説家だから、思考実験としては、残酷なことも考える。よくいわれるトロッコのジレンマ。5人乗ったトロッコが暴走していてその先は崖になっている。分岐点があった転轍機を操作すれば5人は助かるのだが、その線路の先に人が1人いる。5人を救うか、1人を助けるか。たいていの人は5人を助けるだろう。でもその1人が自分の肉親だったら、という問題。あるいはその1人が赤の他人であっても、転轍機を自分が操作しなければならないのだとしたら、5人を救うために自分が1人を殺すことになる。いま呼吸補助装置が不足している。死にかけている老人から装置を外して助かりそうな若い患者に回す。そういう処理をした医療関係者は確実に1人の老人を自分の手で殺すことになる。しかしもっとすごいことが起ころうとしている。アフリカや東南アジア、南アメリカなどに感染が広がれば、世界の半分くらいの人口が消滅することになるかもしれない。何とか手を打たなければならないのだが、先進諸国は自分の国の対策で手一杯になっている。たまたま現地にいるボランティアの医師団は、カミュの『ペスト』のような「不条理」を体験することになる。しかし……、とぼくの頭の中の思考実験は、こんなことも考える。世界の人口が半分になり、4分の1になるのは、よいことではないか。どこかに適正人口というものがあるはずだ。産児制限をしない発展途上国の人口が増え、ヒューマニズムですべての人たちの命を救い、しかもすべての人たちが幸福になる、ということは、もともと不可能なことなのかもしれない。いま実は、アフリカの全土にイナゴの被害が広がっている。これはインドにも迫り、いま中国はパニックになりそうな状態だという。このイナゴの被害が広がれば、それだけでも世界の人口は半減し、さらに半減していくだろう。もしかしたらこの疫病も、イナゴの広がりも、最大多数の最大幸福を求める「神の手」によってもたらされたものではないか。何らかの方法で世界の人口が激減すれば、地球は救われる。温暖化も防止できる。観光客が去ったベニスの運河に魚たちが戻ってきたらしい。イルカが泳いでいる映像も見た。飲食店からの廃棄物や排水がなくなって、東京湾も浄化されていくのではないか。そんなことも考えてしまう。これ以上ロックダウンが続くと、疫病の死者は減るかもしれないが、餓死者と自殺者が続出する可能性がある。非正規の労働者の多くが飲食業でバイトをしているからだ。彼らの仕事がなくなれば、学生アルバイトの仕事もなくなり、学業も続けられなくなる。多くの中小企業が倒産するだけでなく、大学も予備校も学習塾も倒産しかねない。結局のところ、ぼく自身も自分では体験していない終戦直後のような状況から、すなわちゼロから出発するしかないのかもしれない。というようなことを考えてはいるのだが、本日の最大のサブライズは、グロンコウスキーの現役復帰のニュースだ。大部分の人にとってはどうでもいいし、何のことかもわからない話だが、昨年のはSUPERBOWLのペイトリオッツとラムズの闘いは最終クォーターに入っても3対3(互いにキック1本ずつでタッチダウンなし)という状態だった。QBブレイディーからタイトエンドのクロンコウスキーへのたった1本のパスが、タッチダウンにつながった。オフになってクロウンコウスキーは引退し、昨シーズンのペイトリオッツは地区優勝したもののカンファでは3位でプレーオフのシード権を逃し、初戦で敗れた。オフになりブレイディーのタンパベイ・バッカニアーズへの移籍が発表された。これは大事件だった。だがもっとすごいことが本日発表された。引退していたグロウンコウスキーがバッカニアーズに入るのだという。この2人が揃えば、地区優勝はもとより、SUPERBOWL制覇も現実味を帯びてきた。疫病の流行で9月からのリーグ戦が始まるかどうかもわからないが、それでも思っただけでドキドキしてしまう。ああ、でも明日はSARTRASの理事会があるので、それまでに資料に目を通しておかなければならない、と現実に引き戻される。

04/23/木
SARTRASの理事会。ネット会議は2回目。これは便利なシステムだ。大学のゼミなんかもこれでやれば充分で、そうなると大学は教室など不要になる。「手を挙げる」ボタンが機能しているかどうか、とにかく1回だけ発言した。自分がしゃべっている時、自分の声しか聞こえないので、何かへんな感じ。冗談を言っても誰も笑わないという状況で、これはやっぱり大学では使えないか。学生のウケを狙って話さないと授業が盛り上がらない。やっぱり人間が一堂に会するというのは意義のあることかもしれない。

04/24/金
集英社文庫の『いちご同盟』の61版が出たという通知が届いた。ありがたいこと。完全リタイア状態でも増刷があると収入になる。ロックアウト状態でも本屋さんは開いているようだ。さて、本日はドラフト会議。といっても何のことかわからないだろうが、アメリカのFootball。今年はすべてネット会議となったのだが、これをスカパーが同時中継するというので9時からテレビの前に陣取って、予想を立てながら見守っていた。といっても大学の試合をまったく見ていないのでネットからの伝聞だけで予想を立てる。今年のQBは3人が傑出している。バロー、タゴバイロア、ハーバードの順だといわれている。あとはディフェンスエンドのチェイス・ヤング。去年のドラフトで2位指名だったボサが49ナーズをSUPERBOWLに導いたといわれている。この4人がどこにいくかにまず注目。指名順は去年のビリのチームから。日本のプロ野球のような抽選はないので、順番に指名していくだけなのでスムーズだ。ビリのベンガルズはQBのダルトンがベテランで力も衰えたからビリになったわけで、迷うことなくバローを指名。2番のレッドスキンズは昨年QBのハスキンズを採ったのだが、タゴバイロアを採るかと注目されたのだが、順当にヤングを指名。3番のライオンズがコーナーバック、4位のジャイアンツがオフェンスタックルを指名したので、5番のドルフィンズまでタゴバイロアが残っていた。6番のチャージャーズもハーバードを指名。この2チームはどうしてもQBが必要だったので、ベスト3のQBを獲得できて大満足だろう。そこから先は超ビッグネームは残っていないので、チーム事情によって弱点のポジションを補強していくことになる。昨年、期待外れに終わったブラウンズはQBを守るオフェンスタックルを指名。ペイトリオッツからQBブレイディーをトレードで獲得したバッカニアーズもオフェンスタックル。今年はその他にもオフェンスタックルを指名したチームが多かった。4番手のQBジョーダン・ラブの行方も注目された。ブレイディーを失ったペイトリオッツが指名するのではといわれていたのだが、指名権をトレードして2順、3順と交換したようだ。ということで、ラブを指名したのはパッカーズ。ロジャースというベテランが健在だが、3年後くらいを視野に入れて控えQBとして鍛える積もりだろう。セインツがオフェンスラインのセンターを選んだのが意外。いまのセンターに不満があったのか。最初のボールを動かしてQBに届ける選手なのでそれなりの試合観をもったクレバーな人材でないとつとまらない。レイダーズ、ブロンコス、カウボーイズ、イーグルス、バイキングスがワイドレシーバーを選んだ。今年のSUPERBOWLはワイドレシーバーのクオリティーで差がついた感じがするので、どのチームもワイドレシーバーに注目したのだろう。4時間の中継をずっと見ていたので疲れた。今日の仕事はこれで終わった。午後2時から4時まではスーパーがすいているというテレビの情報に従ってスーパーに行く。住んでいる集合住宅のアネックスと呼ばれる別棟の地下にスーパーがある。この別棟は飲食店やコンビニが入っているのだが、1階の診療所に疫病患者が出たとかで飲食店は閉鎖されているのだが、地下のスーパーは入口が別なので開いている。ぼくがスーパーへ行くのは酒を買う時だけ。この前に酒を買ったのはずっと前だが、その時よりは疫病の状況が悪化している。スーパーが混んで密集しているとテレビでは報道されているが、都心のスーパーなのでわりとすいていた。ウイスキーなどを買う。明日から仕事場に行く予定なので一本はもっていきたい。その後、軽く5000歩ほど散歩。

04/25/土
週末。いよいよ連休に入る。仕事場のようすが気にかかるので妻の運転で出発。厚木くらいまではふだんの土曜日と変わらなかったが、その先は車の数が少なくなって快適なドライブだった。雪をかぶった富士山の眺めも素晴らしく深緑が目にまぶしい。2時過ぎには浜松に到着。仕事場のベランダの補修を妻が頼んでいたようで、まだ工事中だった。夕方になって作業が終わったのでベランダに面した雨戸を開けると、きれいに仕上がっていた。築40年の木造建築だが、ベランダが新しくなったので、気分が一新される。よく晴れていてちょうどよい気温の爽やかな風が吹き渡っている。浜松といえば3連休には砂丘で凧揚げがあり、子どもたちが進軍喇叭を吹くお祭があり、夜には電飾で飾られた山車が出る。観光客がどっとくりだす有名な祭だが、もちろん今年は中止だろう。われわれもここに閉じこもって過ごすことになる。ネットの環境は整っているのでここでもふつうに仕事ができる。SARTRASの会議がネットでできるようになったので、ずっとここにいてもいいかと思っている。

04/26/日
この仕事場は浜名湖の支湖の^鼻湖に面した別荘地の中にある。浜松市内の人が別荘として購入して定年になって定住しているような家も多い。ただ東京ナンバーの車もよく見かける。食料品の購入は近くの三ヶ日という町まで買い出しに行くことになる。伊豆あたりでは東京ナンバーの車が白眼視されているようだが、このあたりはのんびりしている。浜松や豊橋の新幹線の駅は車で数十キロの距離だし、三ヶ日を通っている天龍浜名湖鉄道は掛川にしか行かない。三ヶ日の農協の建物にバローというスーパーが入っている。必要な買い物をしてすぐに帰ってきた。庭で妻が草刈りをしているので手伝う。崖の斜面に夏ミカンのような柑橘類が実っている。隣の木の温州ミカンは鳥に食べられてしまったのだが、夏ミカンは固いので残っていた。10個ほど収穫できた。あとは自分の仕事。もうゴール寸前だ。5章まではプリントして持ってきたのでゴールに辿り着いたら読み返してみたい。

04/27/月
浜名湖での日常が続いている。本日は散歩に出かけた。快晴で気分がいい。別荘地の端まで行き、そこから田畑のあるゾーンに出て近隣の集落を過ぎると^鼻湖の湖岸に出る。湖岸にはサイクリングロードがあるのでそこをのんびりと歩く。サイクリングロードは別荘地内を縦断しているので反対側の端まで行って別荘地のなだらかな丘陵を乗り越えて自分の仕事場に戻る。久し振りなので足が追いつかず歩くスピードが上がらなかった。気分がのんびりしているせいか。都心の本郷、春日あたりを歩く時はいつもかなりのスピードで歩いている。そうでないと都会の雰囲気になじまない。湖の湖岸にいると、せかせか歩くのが恥ずかしいような気分になってしまう。1時間以上かかってようやく7500歩。とにかく歩けてよかった。

04/28/火
浜名湖での日常。いつも東京では10時起床だが、ここでは9時に起きる。寝るのは午前2時と変わらないのでやや睡眠不足になる。それでも爽やかで温暖な日々が続いているので10時までは寝ていられない。昼間は温暖だが夜は寒くなる。毎日、すぐそばで石油ストーブを焚いている。2月に来た時に2リットル買ったのが残っている。石油の消費量は少ないので、もつとは思うのだが。こんな季節に灯油を買いに行くのは恥ずかしい。しかし築40年の木造家屋なので隙間風が入ってくる。本日は以前に買ってあった草刈り機を組み立てて試運転。去年の5月だったか、アマゾンで宅配された草刈り機を組み立てて動かそうとしたが動かなかった。鷲津の郵便局から返送して代金は戻ったのだが、組立が面倒だったので、こう通信販売はやめて、カインズホームに行って完成品を買った。といっても苅刃と把手の取り付けは必要だが、ごく簡単だった。動かしてみたがちゃんと動いた。正月にプロに依頼して草を刈ってもらったのでまだほとんど生えていないのだが、短い草を刈ってみた。ちゃんと刈れた。嬉しい。本日も湖岸を散歩。『光と陰の紫式部』はゴール直前まで来ている。道長と紫式部の最後の会話。ここで決め台詞を出したいと思ったが思いつかず。風呂に入っている時にセリフがひらめいた。これでエンディングに向けての大きな山場を描くことができた。

04/29/水
仕事場にこもっている。着いた翌日に食料の買い出しに三ヶ日の町に行った他はどこにも出かけていない。ただ散歩には出る。今日は妻もいっしょに行くと言いだしたので、いつものコースよりやや短め。まあ、老人だから、あまり無理をしてはいけない。『光と陰の紫式部』はゴールが見えているが、詰め将棋のように一手ずつゴールに詰めている。並行して持参したプリントを読み始めた。作品の始めの方を書いていたのは昨年の12月なのでずいぶん昔のことだ。この作品に取り組む姿勢というか、意欲というものが違っている。書き始めのころは不安もあるが、どんな作品になるのかと、わくわくするような気分がある。いまは9割以上できているので作品のスケールが見えてしまっている。まずまずの作品ではあるが、当初期待したようなすごい作品ではなく、二塁打くらいの作品になりそうだ。まあ、それでもいい。リタイアしたあとの自分の楽しみで書いている作品だから、ホームランを出す必要はないのだ。

04/30/木
ぼくの仕事場は斜面に建っている。斜面の下に道路がありそこに駐車スペースもあるのだが、平らなところは斜面の上にある。その平らなところは庭として使いたかったのであえて斜面に建物を建てた。庭に面してテラスがあり、広いリビングルームがある。寝室は階段を下りて地下ということになるが、斜面に建っているので地下の部屋にもちゃんと窓があるし、道路から見るとかなり上の方にある。その斜面の部分には通路があり、あとは樹木があり、キイウイの実る棚がある。そのあたりに雑草が生えているので本日は草刈り。一昨日に試し運転した草刈り機を買った時に小型のバリカンも買っておいたので本日はそちらの試運転。こちらの方を刃を取り付けるとか、そんな手間もなく完成品の状態で梱包されていたのですぐに使えた。ちゃんと動く。午後は妻の運転で米屋にプロパンガスの料金を払いに行き、向かいのコンビニで食べ物を買う。コンビニの普及でどこに行ってもいつも食べているものが入手できる。自分の仕事はゴール直前となった。道長がポロポロになって死に、あとはその後の展開を後日譚として断片的に書き込んでいくだけでいい。紫式部の没年はまったくわかっていないのだが、漢学の弟子ともいえる上東門院彰子が弟の関白を抑え、産みの子の帝二人、さらには孫にあたる帝二人を支配して、絶対的な権力者になっていく過程を示しておくだけでいい。摂関家の栄華の支えとなた無税の荘園という制度が彰子の手によって崩壊していく。その陰に参謀として紫式部が控えている。だいたいそんなコンセプトで書いてきて、そのとおりに終わりそうだ。その意味では設計図どおりにちゃんと書けたということになるが、設計図を超えた爆発的な展開がなかった気がする。プリントを読み返していく過程で、何かしらアイデアがひらめいてほしいという気もするが、これまでも書いていく段階でいろいろとアイデアは出てきたし、天后媽祖、千里眼、順風耳という魅力的なキャラクターの式神がいたので、そのつどおもしろいプロットは書けたと思っている。さて、今月もこれで終わった。SARTRASの会議がネット会議となり、文藝家協会の会議は中止となったので、この1ヵ月間、どこにも出かけなかった。毎日、1時間ほどの散歩に出ただけだ。それでもメールのやりとりはあるので世界とはつながっているし、小説を書くという自分の孤独な作業は予定通りのペースでゴール直前のところまで来ている。まあ、それなりに充実した日々が続いているという気がしている。


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