尼将軍01

2020年8月

7月に戻る 9月に進む 10月 11月 12月 月末
08/01/土
パンデミックの暑い夏。浜松の仕事場に引きこもっている。『光と陰の紫式部』の最終チェックが終わった。まだ赤字入力は済ませていないのだが、これはただ入力するだけなので、もはやこの作品はほぼ完成していると見ていいだろう。昨年末に完成した『人麻呂しのびうた』についでデッドストックの2つめの作品となった。これは作者のもとに保管しておく。少し間を置いてから出版については考えることにする。ただ出すだけでは読者のもとに届かないだろう。ちゃんと営業してくれるところから本を出さないといけない。さて、今月からノートのタイトルを替えた。とりあえず「尼将軍」ということにしておく。北条政子を書きたいと思っているがまだ一行も書いていない。柿本人麻呂は呪術的な秘術を有する忍者という設定でプロットを展開した。元明女帝という魅力的なキャラクターが途中から登場して、人麻呂と藤原不比等の武術の対決のプロットとはべつに、強い女というもう一つのストーリーが展開できた。ここから強い女の三部作というようなことを考えて、紫式部を描くことにした。ここでは紫式部が安倍晴明の弟子で陰陽道の霊能を有するという設定で話を進めた。忍者も陰陽師も、ファンタジー的な存在なので、リアリズムの歴史小説からは逸脱しているのだが、話をおもしろくするためにはある程度の虚構は必要だと考えた。その三つめとなる『尼将軍』は言うまでもなく北条政子がヒロインとなるのだが、忍者でも陰陽師でもない生身の女だ。剣術、馬術に秀でた男まさりの武者、というくらいの設定は必要だが、リアリズムの範囲内で話を進めていく。それでおもしろい小説になるのかという疑問を抱えている。やってみないとわからない、という思いはあるのだが、前二作が楽しいファンタジーになったので、リアリズムで押し切ることへのモチベーションがまだ不足している。とにかく出だしだけでも書き始めてみたいと思っている。『夢将軍頼朝』という作品を書いたことがあるのでその時代の輪郭は頭の中に入っているのだが、頼朝が死んだあとにも政子は長く生き、承久の乱まで現役の政治家として権力を握り続けている。書くべきことがたくさんあるので、テンポよく語らないといけないと思っている。暑い夏が始まった。無理をしないようにのんびりと書いていこうと思う。いままでは「紫式部」だったので背景の色を藤色にしていたのだが、気分を替えるためにピンク色にしてみた。3原色の赤だけフルにして緑と青は少し抑え気味にしてみたがどうだろうか。さて、本日は土曜日。いまは名古屋に住んでいる次男が次男の長男を連れてわが仕事場に到着。次男は四日市の企業の研究所に勤務する技術者だが、長男が名古屋の中学に入ったので本拠は名古屋に移した。が、疫病の流行で遠距離通勤を回避してもとの四日市の住居に単身赴任という状態になっている。週末には名古屋で家族とともに過ごしているはずだが、長男だけを連れて浜松の仕事場に来てくれた。中学に入った長男が、ジジちゃんに勉強を教えてほしいと言っていたので、英語と数学の基礎を話した。基礎を知れば好奇心がわく。それで学ぶことが楽しくなる。勉強が楽しくなければ学力は向上しない。ぼくは大学で文学部の学部長をやっていた時にも、「明るく楽しい文学部」とか、「文学部は文学のテーマパーク」などといった宣伝文句で楽しさを強調してきた。それで入試の志願者が増えて、関係者から奇蹟だと言われていた。これは子どもの教育にもあてはまる。楽しくなければ勉強などできない。その楽しさは、基本を学ぶことから生じる。難しいことを言っても中学一年生にはわからないだろうが、とにかく楽しいのだという雰囲気だけでも伝えたい。こういうことをやらずに詰め込み授業をしたり宿題を増やしたりすると、勉強することは拷問になってしまう。

08/02/日
次男と孫がプールに行っている間にこちらはパソコンで作業を進める。『光と陰の紫式部』の最終チェックの赤字入力が完了した。これでいちおう「完成」ということにしておく。営業活動はいまのところしない。無理を言って出してもらっても出版社に迷惑をかけるだけなので、この作品はデッドストックとする。もっと売れそうなテーマで書いた作品を売り込みに行くつもりだが、これから書く『尼将軍』も地味なテーマなのでデッドストックとする。とにかく書き溜めておいて、一つが出た時に間を置かずに出せるように、タマを用意しておく。若くはないので書くスピードが遅くなっているし、無理のきかない体になっているから、しばらくはストックを貯める作業を続けたい。夕食をともにしたあと次男と孫は帰っていった。孫と会うのは久し振りでやや疲れた。妻はもっと疲れたようだ。

08/03/月
午後7時半からSARTRAS関係のワーキンググループの会議。夏休みの夜に会議をやるのかと思うが、教育関係の人々は夏休みも忙しいらしい。こちらはのんびりと散歩。数日前にこの仕事場に来たがあまりの暑さに外に出る気がしなかった。が、足が少しなまった感じがしてきたので意を決して歩き始めた。別荘地の中を端まで行き、近くの村をかすめて湖岸に出る。^鼻湖の湖岸には自転車道が整備されている。が、自転車が来ることはめったにない。のんびりと歩いてまた別荘地に戻り、管理棟の前を通ってまた湖岸に出る。それから別荘の建物が点在する丘を一つ越えてまた管理棟の前。管理棟のそばにプールがある。昨日はわが孫も行ったプールだ。滑り台がある。それから仕事場に戻ってくる。ほぼ一時間。ふらふらになった。夕食を食べてからiPadの準備。ZOOMにアクセスしたがまだ会議は始まらない。教育関係の人々は雑談している。こちらはただ眺めているだけ。会議が始まってもどうでもいい細かいことにこだわって話が先に進まない。とにかく長い時間をかけて討議をしたという実績を残すための会議というべきか。こちらはずっと黙っていたのだが、一度ふられたので仕方なく発言した。細かいことにこだわっても仕方がないのでこれでいい、というようなことを言った。それで会議は終わり。9時半になっている。黙って見守っているだけでもけっこう疲れた。本日は『尼将軍』を進めた。冒頭のシーンは少女が草原を馬で駆けているところから始まる。背景の富士の峰。いいシーンだ。それから小四郎、三郎と弟たちが出てきて、当主の時政が登場する。そこから一気に父と娘が対立する場面となる。ヒロインの名前はとりあえず万寿ということにしておく。政子という名が歴史には残っているが、この名前は状況した時に朝廷から賜ったもので晩年の正式名称にすぎない。大姫というのは長女らしいが、娘も大姫なのでまぎらわしい。万寿御前と呼ばれたこともあったようなので、この名を用いることにする。母は白拍子。そういうことにしておく。むろん史実ではない。尼将軍の母については資料は何もない。三島宿の近くなので遊女などもいたはずだ。もっとも三島女郎衆というのは江戸時代になってからのことだろうが。傀儡女や白拍子などの芸をする女は街道沿いにはいたと思われる。静御前とヒロインが対決するシーンもあるはずなので、記憶にもない母の姿を想い浮かべる、というようなプロットにもつながる。長い話になるのでテンポが必要だ。頼朝と出会うまで一気に話を進めていきたい。戦争になるとヒロインの出番はなくなる。そこまでにヒロインのキャラクターをしっかりと見せておきたい。巴御前のように戦闘にも加わる女、という設定も考えたのだが、尼将軍はむしろ知的な戦略家というイメージなので、あまり暴れさせてはいけない。

08/04/火
まだ書き始めたばかりだが、早くも問題が見つかった。冒頭、草原を少女が馬に乗って駆けていくシーン。背景に富士の山。いいシーンだと思ったが、プロット密度を高めるために、ただ草原を疾駆しているのではなく、継母の牧の方の実家からの帰りだという設定にした。ところが牧一族の邸宅は大岡という地にあったらしいのだが、調べてみると沼津の近くだ。これでは距離が短すぎるし、草原もないし、そもそも目の前に愛鷹山があって富士は見えない。小説なので史実にとらわれる必要はないが、いいかげんなこともできないので、駿河一の宮のあたりまで遠出をしたと設定を変更することにした。とにかくオープニングには富士山が必要なのだ。本日も猛暑の中を散歩。昨日は別荘地の中を歩いたのだが、本日は^鼻湖の湖岸を瀬戸という浜名湖とつながっている細い海峡の方に向かって歩いた。これも歩き慣れたコースで歩数はほぼ同じだが、ずっと湖岸のコースなので道路を横断することがなく、ずっと考え事をしていても安全だ。ということで、始まったばかりの物語を頭の中であれこれ考えながら歩く。かなり前のことだが、『夢将軍頼朝』という小説を書いたことがあるので、政子と出会ってから頼朝が死ぬまでの経緯は頭の中に入っている。頼朝の側から書いた話を、反対の政子の側から見ればいいだけのとこで、話の経緯はまったく同じだ。だから次々とプロットがうかんでくる。資料を読み込む必要がない。少し書くスピードを上げたいと思うのだが、孫から電話がかかってきて、明日来るそうだ。週末に来たのは長男の中一の方。小学四年生の弟の方が一人で来るらしい。大丈夫か。

08/05/水
次男の次男が一人で来るというので豊橋駅に迎えに行く。無事にホームで身柄確保。いつも行く鷲津のラーメン屋で昼食。仕事場に帰って人生ゲームなどをやる。あとは一人でよく本を読んでいる。本を読むのが好きみたいだ。ピアノの練習はサボッた。こちらはほとんど仕事にならず。藤井棋聖の王位戦の中継を見てしまった。3連勝。すごい。

08/06/木
孫と近くのプールに行く。泳ぐのは何年ぶりだろう。記憶にもない。高校の時に短期間だが水泳部に所属していた。この仕事ができた時に自分の息子二人は小学生だったから、プールにつれていった。中学生くらいになると父親とプールに行くようなことはなくなった。それ以来、プールというものとは縁がなくなった。泳いでみたら泳ぎ方を忘れていた。というか、どうやって泳ぐのかと思って途惑った。単に力の入れ方を忘れていただけで、力をこめて水をかかなければ前へ進めないということだ。いつも散歩に出るとき、前方の信号が青でこのままでは道路を渡れないと感じた時に、全力疾走することがあるから、走り方はわかっている。しかし走るより泳ぐ方が体力を消耗するようだ。何よりプールから上がる時にハシゴみたなものを使って昇る時、自分の体が重く感じられた。やはり足腰が弱っているのか。とにかく、本日はこれで体力を消耗したので仕事にならない。

08/07/金
本日の孫はピアノの練習と勉強に集中していた。夕方、孫と^鼻湖の湖岸を散歩。昔、この孫と同じ名前の犬がいた。というか、犬の名前を息子が孫につけたのだ。その犬はぼくの親友だった。夜中に一人で仕事をしている時も、犬はつねにぼくのかたわらにいた。その犬と^鼻湖の湖岸を散歩すると、湖に入りたそうな気配を見せたので首輪から綱を外してやると、勢いよく水の中に入り、沖合まで泳いでいった。もう帰ってこないのではと心配になることもあったが、必ず途中で向きを変えて戻ってきた。そんな思い出のある湖岸を同じ名前の孫と歩いている。奇妙な感懐があった。

08/08/土
次男とその長男が到着。孫2人が揃うと途端に騒がしくなる。それでも自分の仕事は進んだ。いろいろとアイデアが出てきて、登場人物のキャラを示しながらそれとなく状況設定も語っていくという、長篇の冒頭部分の手順が順調にスタートした。プロットが流れ始めたので、書くスピードが上がってきた。ただ状況の説明が長くなると読者が引いてしまうので、さりげなく断片を重ねていくことになる。重複する説明もあるので、これはプリントしてから削っていけばいい。とにかくこの段階では、その場面で必要な情報をやや厚めに重ねていくことにする。頼朝の登場シーンまでは一気に進んでいきたいが、これほどスピードが上がると思っていないかったので、自分が書いた『夢将軍頼朝』を仕事場にもってきていない。文庫本をアマゾンで買うことも考えたが、あとでも修正できるので、とりあえずはこのまま進んでいくことにする。

08/09/日
孫2人とともに過ごす生活。こちらは自分の仕事に集中。かなりのスピードで進んでいる。もう50枚くらいのところまで来た。あと少しで第一章を終えてもいいところだが、まだ頼朝が出て来ない。全体を450枚くらいと考えている。そろそろ頼朝を出して話を次の段階に移行しないといけない。

08/10/月
孫たちはプールに行った。ヒロインのキャラがやや固すぎる感じがした。最初から読み返して微調整。紫式部もきつい女だったが、政子はもっときつい。きつすぎると読者が引いてしまうので、ぎりぎりのところでバランスをとる必要がある。

08/11/火
孫たちは仕事場の机で宿題をしている。この仕事場には作り付けの大きなテーブルがあって、8人くらいが食事できるようになっているし、数人が作業をすることもできるので、孫たちが宿題をするそばで、こちらは自分の仕事をする。自分の息子たちと夏休みを過ごしたころも、こんな感じて仕事をしていた。ただしそのころは、巨大なワープロ専用機を使っていたので、2階にある自分の部屋に閉じこもっていたように思う。そのころはパソコンはメールなどにしか使っていなかった。パソコンをネットにつないで仕事をするようになってからは、階下のテーブルで仕事をする。自分の部屋はいまは物置になっている。まあ、そんな感じで孫たちといっしょに生活している。

08/12/水
孫たちの宿題を見たり、英語を教えたり。孫1号は突然、クラリネットを始めた。孫2号はピアノを弾く。喧騒の中で自分の仕事は続けている。ヒロインのキャラクターが確定したので、パソコンの前に座ればどんどん話は進んでいくのだが、猛暑のため散歩に出るのをためらっている。そのためしばらく座っていると腰が固まった状態になる。室内で体操などしながら何とかもちこたえている。

08/13/木
孫たちを連れて遠州の名所、竜ヶ岩洞へ行く。仕事場開設から40年も経過しているので、何度も行ったところだ。幼い息子たちを連れて行ったし、大学生くらいの息子と行ったこともある。孫とも行ったことがあるはずだが、ほかに行くところもないので、とりあえず行ってみた。まあ、子どもたちが喜んだのでよかったが、洞内は別として、出口の売店などはかなり密な状態だった。大丈夫か。

08/14/金
次男の奥さん到着。孫たちはプール。こちらはエアコンの効いた室内に閉じこもっている。散歩にも出られない。とんでもない猛暑。老人には殺人的な猛暑。お盆期間中だが働いている人もいるようで、仕事関係のメールが届いた。メールというものはありがたい。首都から遠く離れた仕事場にいても対応できる。『尼将軍』は状況の説明に字数を費やしていてヒロインの出番が少なくなった。これはいけない。ヒロインのキャラクターをしっかり追いかけていかないと小説にならない。

08/15/土
終戦記念日だが、われわれのところは何事もなし。孫たちは宿題の追い込み。来週からもう授業が始まる。名古屋は猛暑が続いている。彼らは去年までは四日市にいたのだが、今年から名古屋在住。まあ、動物園の近くの郊外の住宅地にいるので、都心よりは少しはましだろう。『尼将軍』はここぞというところでヒロインに台詞をしゃべらせている。フィンションだから許されるだろう。とにかくこの時代の資料は、京の話なら貴族の日記がたくさん残されているのだが、東国に関しては「吾妻鏡」しかない。大幅にフィクションを盛り込まないと話にならない。

08/16/日
本日の浜松は40度超。昼過ぎ、次男の一家が帰っていく時に、車のそばまで行った時に、その40度の空気の中にいたのだろう。彼らが帰っていって、ようやく夫婦2人の日常が戻ってきたのだが、そろそろ東京に帰らないといけない。孫がいると喧騒の中で作業をすることになる。この仕事場では、ルーターとパソコンの距離が数メートルあるので、ふだんネットにつないでいない。調べ物はiPadでネットにつなぐことにしている。メールはパソコンなので、孫がいなくなってようやくワイヤーでネットにつなぐと、本日の理事会によかったら参加してくださいという、歴時作家協会からのメール。開始時間を少し過ぎていたが、あわててiPadで会議に参加。親しい人々の会合なので楽しかった。熱暑の浜松にいても、iPadを開くだけで会議に参加できるというのは、すごいことだ。これからは会議というのはすべからくこのようなものになるのだろうか。来月はリモート飲み会をしようという話になった。『尼将軍』はようやく第一章が終わった。40ページ120枚ということなので、この作品は4章で終わることになりそうだ。

08/17/月
孫たちがいなくなって、ほっとした一日。われわれは明日は東京に帰る。本日の浜松は41度超え。東京の方が涼しそうだ。35度程度が涼しそうと感じてしまう浜松の暑さだ。その異常高温の中、妻が眼鏡のツルが外れたというので眼鏡屋へ。修理の間、こちらは周囲を散歩していた。もっとも浜松の都心ではなく、浜名湖の西岸の鷲津の眼鏡屋なので、少しはましだったか。それにしても昨日今日と連日の40度超えで、早く東京に帰りたいという気分になった。

08/18/火
10時に三日インター。2時半に御茶ノ水に到着。浜松は一昨日、昨日と2日連続の40度超えだったが、途中の海老名SAでも車載の温度計が39度を示していた。東京は少しましか。今回は2週間以上仕事場にいたので、南西向きの部屋が温室状態になっている。3台のエアコンが冷やす。パソコンを設定し、iPadのためのWi-Fiの設定も終わり、とりあえず日常が戻ってきた。郵便は局留めにしてあって明日届くはずだが、それでも郵便受けにかなりのものが入っていた。東京に戻ってきてもとくに仕事があるわけではない。まだ当分、散歩には出られないのではと思う。

08/19/水
東京に戻ってきたが猛暑は続いている。散歩も自粛。エアコンは使用しているが陽射しが強く暑苦しい感じで仕事にならない。40度超えの浜松の方が仕事がはかどった感じがする。

08/20/木
午後、SARTRAS理事会。1回だけ発言。とくに発言する必要もないのだが……。ぼくは利益代表ではないので、これだけのことは言わなければならないということはない。SARTRASは概ね理念をもって推進している組織だが、参加者の中には利益を求めている人もいる。そういう人ばっかりでも困るのだが、まあ、いい感じの組織になっていると思う。自分の仕事は1章をプリントしてチェックしている。『柿本人麻呂』は超能力をもった忍者という設定で、『紫式部』は陰陽師という設定、どちらもファンタジーの要素があっておもしろく展開できたのだが、今回はリアリズムでやる。リアリズムはあんまりおもしろくないのだが、ヒロインのキャラクターでもたせたい。昨日チェックした赤字を午前中に入力した。会議のあとはアベマTVで藤井聡太くんの王位戦4連勝の場面を見ながらチェックを続ける。まだ何か足らないという感じがする。もう1度、最初からチェックすべきか。

08/21/金
テレビでは藤井聡太くんの話でもちきりだ。確かに1日目の封じ手は歴史に残るものだった。1日目というのはあまり盤面が動かないもので、だから封じ手も、その手で大きく展開が変わるといった状況は生じないものだが、一昨日は木村王位が銀を前に進めて飛車取りの状況となっていた。飛車の直後に自分の歩兵がいたので後退できず、横移動も相手の歩兵がずらりと並んでいて、逃げるポイントは一箇所しかなかった。当然、封じ手はそのポイントだと誰もが思ったのだが、藤井君は午後6時を過ぎても考え込んでいた。その時コンピュータの予想する最善手は、飛車で銀を取るというもので、その後ろに金が控えているので飛車は取られてしまう。つまり飛車と銀を交換するという大損の手で、人間なら誰も見当もしない暴挙なのだが、藤井君が考え込んでいるので、もしやそのコンピュータと同じ手を検討しているのかと、開設陣も大騒ぎになったのだが、昨日の朝、封じ手の封筒が開かれてみると、まさにその手が記入されていた。木村王位はインタビューにその手も考えていたと応じていたが、考えたといっても本気では考えていなかったと思われる。守りに強い木村王位が飛車を持たされてしまったので攻勢に出ざるをえず、おそらく多少の動揺があったのだろう。結局、駒を失って攻めても藤井陣は揺るがず、あっという間に敗勢になってしまった。すごい少年が現れたものだ。孫が同じ学校にいるので名古屋大学のあたりを散歩したことがある。土地勘がわずかにあるので藤井くんに親しみを感じている。さて、自分の仕事は、昨日寝酒を飲みながら、突然、ひらめいた。すでに出来上がっている1章だが、ヒロインのキャラが決定的に弱い。習性の必要がある。早く気づいてよかった。これまでの赤字を入力しながらも、必要な箇所は書き直さないといけない。

08/22/土
浜松の仕事場から東京に戻ってきたが、ネット会議が一つあっただけで、散歩も自粛している状態だ。住んでいる集合住宅と同じ敷地内にあるスーパーに買い物に1度行った。あとはロビーに夕刊を取りに行っただけ。歩数計で計る気にもならない。ぼくの住んでいる集合住宅は20階にエントランスがあり、ぼくはその少し上に住んでいる。朝刊は住居のドアのところまで配達されるのだが、夕刊は郵便受けに入るのでロビーまでとりにいかないといけない。エレベーターに乗るので人が乗っていると「密」になる。とにかく建物の外にはまったく出ていっていない。それでもメールはいっぱい届くし、自分の仕事はそれなりに捗っている。しかし建物に閉じこもった状態では、自分がこの世に生きているという気がしない。しかしこうしているうちにも日々は過ぎ去っていき、来月のはFootballが始まるのだなと思う。ぼくがここでFootballというのはアメリカのフットボールのこと。日本にもFootballはあるがそれは体力的には「子どもの相撲」みたいなものだ。体力勝負のFootballでは、いまだに日本人選手が活躍したことはない。サッカーや野球やゴルフやテニスでは、たまに日本人選手が脚光を浴びることがあるし、同じ格闘球技でもラグビーは半分は外国籍とはいえ日本人も半分まじったチームが本場の英国チームと互角以上の闘いを挑んでいる。だがアメリカのFootballは、アメリカ人によってアメリカで開催されるアメリカ人のためのスポーツだ。それでもCS放送やネット放送によって、御茶ノ水に居ながらにしてFootballを愉しむことができる。いよいよ開幕の9月10日が迫ってきた。とはいえコロナ蔓延のアメリカだから、大丈夫かという気はしているのだが、人気スポーツだから無観客でもやるだろう。そもそもFootballはテレビのためのゲームのようだ。試合経過の要所で必ずCMが入れられるような間をとる時間が設定されている。会場に行けないだけにファンはテレビ観戦に集中するだろうから、CMは高額なものになるだろう。今年の2月のSUPERBOWLはチーフスが制覇した。人種差別に対する世間の厳しい声が広まって、ワシントン・レッドスキンズは今年はチーム名なしで開幕に突入する。「ワシントンFootballチーム」という名でスタートすることになった。チーフスはどうか。チーフ辞退は、「店長」とか「所長」とか「チームリーダー」といった意味だから問題ないのだが、かつてインディアンと呼ばれた原住民の族長や酋長も「チーフ」と呼ばれる。応援するファンは顔を赤く塗ったり、トマホークチョップと呼ばれるインディアンの踊りを応援の中に採り入れている。そういう応援スタイルはとりやめになるだろうし、そもそも当分は無観客試合なので、応援そのものができないのだが、チーム名は「チーフス」のままで行くようだ。ぼくは3年ほど前からチーフスのファンになった。QBマホームズの活躍が始まったのは2年前で、その1年前から注目していた。今年は大幅なトレードがあってQBの所属チームががらっと変わった。何よりペイトリオッツのQBブレイディーがバッカニアーズに移籍。これはすごいことだ。ここ数年、ぼくが注目してきたセインツと同じ地区になってしまった。ここにも注目しないといけない。などとこのノートに書くと長くなるので、今年もFootballのためのノートを設定するつもりだ。

08/23/日
『文芸思潮』に掲載する『遠き春の日々』の3回目。今回で最終回。ゲラの校正が終わった。1回が100枚の作品なので300枚の作品が完成したことになる。『文芸思潮』の全国の同人誌の交流の場となっている文芸誌で、ある程度の読者に読んでいただければありがたい。年輩の読者なら、ある程度も共感しながら読んでいただけるのではないかと思っている。五十年前の自分の青春時代を描いた作品だ。作者が若者ではないので、若い読者へのメッセージではなく、昔のことをとりあえず記録しておいたという作品だ。書き終えたのは先月の終わりで、それからまだ一ヵ月も経っていないのだが、ずいぶん昔のような気がする。浜松の仕事場にこもっている間に、『尼将軍』が120枚くらい進んだので、頭の中がすっかり北条政子になっている。本日は朝のうちは雨だった。少しは涼しくなっているかと夕方、住んでいる集合住宅の外に出ると、けっこう涼しかった。散歩に出るつもりはなく、ただ資料の入れ換えのために借りている倉庫に向かった。徒歩5分くらいのところに部屋を借りている。7年前に引っ越しをした。それ以前は大邸宅に住んでいて、広大な書庫があった。最初は移動式の書架があった。それと別棟の倉庫もあった。しかし長男がピアノを弾くようになって、部屋を入れ換え、書架を片づけてグランドピアノを2台入れた。そのピアノは2台ともいまはスペインの長男の家にある。長男はどうやら大邸宅に住んでいるようだ。それでも自宅の地下室に本棚があり、2階建ての別棟もあった。その大邸宅を引き払った時はまだ大学の教員を務めていたのでとりあえず必要な書籍は研究室に移動させた。大学の教員をやっていると年に30万円くらい本が買えるので資料はさらに増えた。定年退職で大学を辞める時に、書籍の大部分は図書館に寄付するか捨てるかしたのだが、これから書く小説の資料となりそうな本を、新たに借りた部屋に運び込んで。『光と陰の紫式部』の資料となった『御堂関白記』『小右記』『権記』は役に立った。これを倉庫に戻し、『吾妻鏡』などを自宅に運んだ。自宅に一部屋でも書庫があればこういう面倒はないのだが、高層住宅に住んでいるのでそういうわけにもいかない。この住宅にも倉庫はあるのだが、そこは最低限の自著だけで埋まっている。自著というものはなかなか捨てられない。40年くらい作家をやっているので、自著はたくさんある。出版社も限られた倉庫しかないので、売れない本はどんどん捨てられてしまうから、作者本人が何冊かは保存しておく必要がある。自分で読み返すことはないのだが、何となく捨てられずにいる。保存のための最低限の冊数にとどめているのだが、それでも倉庫は満杯になってしまう。とにかく『吾妻鏡』は自宅に運び込んだので、参照することができる。鎌倉時代の資料はこれがあれば充分で、あとは解説書みたいなものも何冊か、倉庫から持ってきた。何かの役に立つだろう。ぼくは作品を書く時、あまり資料を読み込まずに書き始める。資料にとらわれすぎると想像力が限定されるからだ。柿本人麻呂を忍者にしたり、紫式部を陰陽師にしたり、ファンタジーっぽい作品を続けて書いているわけだが、そういう作品こそ史実をしっかり押さえる必要がある。本当らしさを出す必要があるからだ。今回はリアリズムで行くと決めているのだが、ヒロインのキャラクターはかなり凶暴な人物という設定になっている。実際の政子も頼朝の愛人の住居は破壊するなど凶暴な人物なのだが、そこより少しだけより凶暴な設定にしてプロットに推進力を与えている。猛暑が続き、徒歩5分の倉庫に行くのも控えていたのだが、どうやら最悪の猛暑は過ぎ去ったようだ。

08/24/月
近所の医者に行く。夕方は近距離の散歩。猛暑は少しだけ収まったか。孫4号・5号のいる名古屋はまだ猛暑が続いている。孫1号・2号・3号・6号のいるスペインはまだ夏休み。スペインの夏休みは長い。長女は今年が大学受験だったが、まだ正式に学校が決まらないようだ。スペインでは日本のセンターテストのようなものが州ごとにあり、その成績をポイントとして、志望大学に願書を提出することになる。ポイント順に合格者が決まっていくのだが、より上位の大学を目指す志望者が抜けていくので、最終的にどの大学に入れるかがまだわからないらしい。まあ、ジイさんが心配してもどうなるものでもないので、ふだんは考えないようにしている。

08/25/火
昨日よりも陽射しが強い気がして散歩は自粛。高齢者なので無理をしてはいけない。長生きしたいとは思っていないが、倒れて妻に迷惑をかけたくない。今年の暑さは異常というしかない。暑さも異常なら、豪雨も異常だ。とにかくここを耐え凌いで乗り切るしかない。

08/26/水
今日は水道橋まで散歩した。まだフルコースではない。気温は高いが多少の風はあって日陰にいれば何とか耐えられる。しばらく歩いていないので足腰が不安だ。まあ、あせらずに少しずつ距離を延ばしていきたい。『いちご同盟』62刷が届く。夏休みが終わったこの時期に増刷があったのは、61刷目の本が売れたからだろう。ありがたいことだ。大学の先生を定年退職してボーナスのない日々となったので、こういう増刷がたまにあるとありがたい。9月10日のFootballの開幕が近づいているので、新たなページを開いた。ホームページにSUPERBOWL2021という項目を追加。毎日少しずつ更新していく。

08/27/木
月に一度のマッサージ。それにしても猛暑がまだ続いている。新宿の街は暑かった。『吾妻鏡』を第一巻から読み返している。これはすごい記録なのだね。これを読むだけですべてが書かれていて、小説など新たに書く必要もないという気がする。こういう記録が残っているだけですごいことだと思う。しかしこれは公式記録といったものだから、ここに書かれていないことは想像するしかない。とにかく関連する人物名はかなり正確なものと思われるので、ここから大きく逸脱することはできない。

08/28/金
猛暑が続く。散歩に行く気にもならない。妻に命じられて近くのスーパーに行く。直近のスーパーは住んでいる集合住宅の同じ敷地内にあり、地下の駐車場を経由すれば直射日光にさらされることはないのだが、今朝の朝刊にやや離れたところにあるスーパーのチラシが入っていた。まあ、徒歩で10分とはかからない場所にあるのでたいした手間ではないと思って出かけたのだが、ものすごい猛暑がまだ続いていて後悔した。帰りは地下道に入ったので少しましだった。それだけの一日。1章40ページをプリントしたものに赤字を入れその入力は終わっている。さらにもう1度読み返して黒字で修正したものを入力し、さらに画面上で読み返して修正を加えている。ヒロインを何と呼ぶかはいろいろ考えた末にとりあえず「万寿」という名をつけた。おそらくは幼名だと思われる。政子というのは妹が時子なので、父の「時政」を分解したのだろうが、幕府開設以後の公式行事などで使ったものと思われる。政子が状況した時の朝廷の文書の中に「政子」という名称が見えるらしい。しかしふだんは女性が名で呼ばれることはない。貴族の正室ならば「北の方」と呼ばれるのだが、政子に関しては「御台所」という呼称があったようだ。これも幕府開設以後のことだから、それ以前の北条一族を正室が差配している段階では「台盤所」という呼称が適当ではないかと考えている。文章を書き始めた当初は「北の方」を用いていたので、そこのところを修正していく。あとは義時を暗くいじけたキャラに設定する。兄の宗時との差別化を図る。この宗時という人物はすぐに死んでいまう。気の毒だ。何となくこの人物に好感をもっているのでいい人に描いておきたい。だから弟の義時はやや陰険な人物にしてしまおう。

08/29/土
8月も月末が近づいてきた。今月の前半はは浜松の仕事場にいて、41度という高温のタイ記録を体験した。浜松にいたといっても仕事場にほぼ閉じこもっていたのだが、孫4号・5号がいたので少しは気が紛れた。東京に戻ってくると、ひたすらパソコンの前にいるという日々で、猛暑のため散歩にも行けず、引きこもり状態が続いている。窓から見える景色が違う。仕事場からは浜名湖が見える。御茶ノ水の集合住宅から見えるのは大手町のビル群だけだ。パソコンの置いてある場所からは、立ち上がればニコライ堂が見えるはずだが、パソコンの画面ごしに見えるのは東京ドームの白い屋根ばかりで、陽射しを浴びて暑苦しい反射光を発している。機能は安倍首相の辞任というニュースがあったが、まあ、どうでもいいことだ。安倍というのは口先の達者の人で、景気を回復するとか、女性を活用するとか、福祉を充実させるとか、耳障りのことを吹聴しておきながら、何も実行しないという嘘つきで、その嘘つきの本性がモリ・カケ・サクラ問題で露呈して、ここ2年ほどは袋叩き状態だった。これにアベノマスクの失態が加わって体調を崩したのだろう。病気で退陣した気の毒な人、というキャラになったので、いままでついた嘘の数々も不問にされるのだろう。次の総理がどうやら二階幹事長の意向で決まるようだが、思いきって若い人にバトンタッチした方がいいだろう。景気回復よりも緊縮財政でこれ以上赤字にならないようにしないと、国家が破綻することになる。GO TOキャンペーンのような税金の無駄遣いを止めて、小さな政府にしないとこの国はもたないと思う。それで景気が回復せずに国民全員が貧乏になっても仕方がないと割り切らないと、どこから大きな破綻が生じることになる。さて、自分の仕事は『吾妻鏡』に沿ってここまで書いてきたことを修正している。ぼくの書き方のスタイルとして、資料をあまり読まずに書き始めて、必要に応じて資料を参照するということにしている。事前に資料を読み過ぎると、資料をなぞるだけの作品になってしまう。で、わずかな修正によって流れを整えている。作品のエンディング近いところに承久の乱が出てくるので、そこのところはある程度、資料を読んでいる。三浦義村と大江広元が重要人物だということがわかっている。大江広元はまだ出てこないが、三浦義村の父の義澄が出てくるところで、まだ若者の義村を登場させておきたい。義村と小四郎義時は同世代だと思われる。

08/30/日
猛暑。散歩自粛。第一章の修正。……毎日同じことをやっているようだ。頭の中にはそろそろアメリカのFootballのことが入ってくる。開幕まで2週間を切っている。木曜の開幕の前に浜松の仕事場に移動する予定なので、仕事場で観戦することになるだろう。ドキドキする。

08/31/月
「としまえん」が今日で閉園する。もう長くそこには行っていないのだが、学生時代、妻がそちら方面と縁があったので行ったことがある。丸太の形をしたジェットコースター、年代物ふうの回転木馬、機械仕掛けのお化け屋敷などが印象に残っている。ぼくの学生時代というのはいまから半世紀前だ。ぼくは渋谷から井の頭線で一つ目の神泉に住んでいた。渋谷までも歩いて行けた。西武百貨店やパルコのオープンを知っている。もちろん109も。パルコのあるところにはジローという喫茶店があって、店内にステージがあり、そこでピアノの演奏を聴いたことがある。芝居なんかもやっていたように思う。昔のことだ。いま住んでいる御茶ノ水から駿河台下、神保町のあたりは、あまり変わっていないように思う。それでも地下鉄がたくさん走っているのは、50年前にはなかったことだ。ぼくが20歳のころは、銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線しかなかった。都営も浅草線だけだった。何しろ都電がまだ走っていた時代だ。玉電も渋谷から路面を走っていた。池袋−渋谷間にはトロリーバスが走っていた。そのころの方が街に活気があったように思う。学生たちは明らかに元気で過激だった。昔を懐かしんでも仕方がないが、日本という国は明らかに斜陽で、沈没しかかっているように見える。首相が替わったくらいではどうしようもないだろう。それでもコンビニの品揃えはよくなった。というか昔はコンビニなどなかった。せいぜいパン屋があるくらいだった。コンビニ弁当とかコンビニスイーツは、日本の大発明だ。コンビニさえあれば人は一人でも生きていける。独居老人になっても足腰さえ丈夫なら生きていける。さて、本日は車を動かすために深川のスーパーへ行った。仕事はようやく第一章の修正が終わりそうだ。


次のノート(9月)に進む 7月へ戻る

ホームページに戻る