神功皇后04

2026年04月

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04/01/水
エイプリルフールだが、イランで戦争をしていて、トランプ大統領は連日連夜、嘘を発信し続けている。日本の首相も、小さな嘘をつき続けているようだ。ぼくは嘘はつかない。人当たりをよくしたいと思っているので、適当なことを言うことはあるが、意図的な嘘ではない。文士劇の座長を任されて、仕方なく出演者を集め、あとは事務局と演出家に任せているのだが、思いがけなく主役のトッと・バトラーの後半(前半の島田雅彦さん)をやることになった。島田さんが多忙なようで、稽古に参加できない日は、ぼくが出ずっぱりでバトラーを演じている。バトラーというのは怪しい人物で、英雄とは言いがたいが、ラストのあたりで人間味が出てくる。そのあたりが出せればと思っている。舞台というのは、早稲田大学文学部の百周年記念事業で旧い歌舞伎座で『助六』の白酒売りをやった。主役の助六は高橋三千綱、揚巻は栗本薫という配役だった。この芝居は曾我兄弟からのスピンオフで、助六が弟の英雄的人物、白酒売りが兄の軟弱なキャラで歌舞伎では女形や二枚目がやる。軟弱な人物はほぼ地でやればよいので楽だった。バトラーは強いキャラなので、演じる必要がある。この年になって何かを演じることになるとは思わなかった。ぼくの姉が有名な俳優なので、ぼくはその弟ということで世に知られている。演劇とまったく無関係ではないが、ぼく自身は演劇に関わったことはない。早稲田の演劇科ではあるが、青野聰さんも、村上春樹さんも、三浦しおんさんも演劇科だが、演劇をやっているわけではない。早稲田の演劇科は、理論を学ぶところだし、半分くらいは民俗学、民族芸能、古典の歌舞伎や文楽などを学ぶところだった。ということで、演劇の実務とはまったく関係がないということになっているのだが、実はそうではない。ぼくは地元の大阪の児童劇団に所属していたことがある。ラジオの朝日放送が作ったABC児童劇団というところに所属していた。ラジオで子ども書いた詩の朗読をやったり、放送ドラマの子役をやったりした。舞台に立ったこともある。朝日放送の地下のABCホールだけでなく、立て替える前のフェスティバルホールのこけら落としの舞台で何かを演じた記憶がある。ということで、週に一度はレッスンの時間があって、子どもの登場する芝居の台本をもとに本読みをしていた。標準語のレッスンも受けていたので、いまでも正しい標準語(鼻濁音が必要)をしゃべれるし、早口言葉も得意だ。ただ実際の仕事は、子ども書いた詩のほとんどは大阪弁の詩だったし、漫才師が主役のテレビドラマにレギュラーで出ていたこともあるのだが、それもローカル番組だったので台詞はすべて大阪弁だった。それでも子どもながらも、演じるということの技術的なおもしろさは理解していた。芝居や映画で、下手な俳優が絶叫調で語るのを見ると、わかってないなと思う。演じるというのは、感情を抑え気味にして、情感を内部にためこんで、ここぞという時に発散する。そういう「ため」が大事なのだ。という程度のことはわかっているし、台詞のなかのキーワードを見つけて、そのキーワードに焦点を当てる、ということが基本だということはわかっている。それから文章を読む時、感じは目に入りやすいので早口になりがちなのだが、聴いている人は漢字が目に入っていないので聞き取りにくい。漢語は少しゆっくり発音した方がいい。というのも、漢語の部分がキーワードになることが多いからだ。というような、役者の基本みたいなことは、子どものころに叩き込まれたので、忘れることはない。そんなものが、77歳になって何かの役に立つことがあるとは思いもしなかった。さてい隔週の日曜日にやっていた文士劇の稽古は本番が迫ってきたので本日も稽古日となった。島田雅彦さんが参加してくれたので楽だったが、今日は岳真也さんがお休みだったのでマクレー老人の代役。とにかく座長ということになっているので、何かあったら代役をする。終わったあとの飲み会。今日は参加者は三人だけ。井沢さんと笹さんといういつものメンバーでこのメンバーでの飲み会が定着しそうだ。

04/02/木
連日は文藝家協会。本日は理事会。案件がいくつもあってけっこう長びいた。終わったあとで文士劇出演者は衣装のための採寸とのことで、そんなもの女性だけかと思ったら男性もバストとかヒップを採寸された。それからウナギをもって帰る。ぼくが理事になったころは、理事会にはウナギが出ていたのだが、一度、やめたことがあった。それまで文春の西館を借りて会議をしていたのだが、文春の都合で借りられなくなって。事務所を少し広くして会議室を設けることにした。そのぶん経費のつごうで節約ということでウナギを出さなくなったのだが、林理事長が復活させた。実はぼくはウナギはあまり好きではない。浜松に仕事場があるので、ウナギを食べる機会はあるし、食べられなくはないのだが、ウナギが出てきても嬉しくない。牛丼やオムライスの方が好きで、自分が食べるのはもったいない気がする。それで持ち帰って妻に食べてもらう。帰りに自分の食べ物をコンビニで買うこともあるのだが、今日はカップうどんで済ませる。あと2キロのダイエットを念願している。寝酒を飲むので、夕食を少し残して寝酒のお友だちにしている。

04/03/金
SARTRAS共通目的委員会。紛糾したわけではないが、案件が多く時間がかかった。雨がちだったが今日はよい天気。天気がよいとぼくの住んでいるところは陽当たりが良すぎて暑くなる。もう夏のTシャツで過ごしている。日没後は急に寒くなるので真冬に着ている毛皮ふうのベストを着ている。夏と冬が混在している。レイダーズがベテランQBのカズンズをゲット。昨シーズンの先発スミスを放出してドラ1のメンドーサを採るはずだが、新人を初戦から先発させるのは不安なのだろう。マホームズでも一年目は先発しなかった。ケイレブ・ウィリアムズやヤングも一年目はパッとしなかった。昨年のウォードもダメだった。ベテランのカズンズを起用するのは妥当な判断だろう。メンドーサもカズンズの動きから学んで、シーズン途中から出られるようになるのではないか。さて、もう4月に入ったので、ドラフトが目の前に迫っている。いまのところはドラ1はQBメンドーサがレイダーズに入るとほぼ決まっている。二人目のQBはアラバマ大のタイ・シンプソンだが、この新人QBを採るのはどのチームか。指名順位の2番はジェッツだが、レイダーズからスミスを取ったのでQBは見送るだろう。3番目のカーディナルスはマレーを放出して、控えはミンシューだが、先発には使えない。ラッセル・ウィルソンの去就が決まっていない。ロジャースは引退しないとしたらスティーラーズ残留だろう。カズンズがレイダーズに決まったので、残っているのはガロポロくらいか。ここで新人QBを確保しておいた方がいいのかもしれない。次にQBが必要なのは8番のセインツだが、昨シーズン後半に活躍したシャックで行くのかもしれない。11番目のドルフィンズはタゴヴァイロアを放出して、パッカーズの控えのウィルスを移籍させたのだが、ここまでシンプソンが残っていればほしいのではないか。そのあたりでシンプソンはどこかがゲットするだろう。3番目のQBは話題にもなっていない。ここ数年、何人もの新人QBが採用されたので、1巡目でのQB指名は他にはないのかもしれない。さて、チーフスは9番目でどうしてもオフェンスタックルが欲しい。ユタ大のスペンサー・ファノが候補になりそうだ。ライトタックルなのだが、レフトタックルは中堅を移籍で獲得した方がいい。マホームズの死角の左を守るのはベテランでないと荷が重い。QB以外の有力新人は、マイアミ大のエッジのルーベン・ペインズ、ワイドレシーバーはオハイオ州立大のカーネル・テイト、ランニングバックはノートルダムのジェネマイア・ラブといったところだろうが、チーフスに必要なのは攻撃ラインに尽きる。ディフェンスは2巡、3巡の選手を鍛えればいいし、ランニングバックはスーパーMVPを移籍させたので問題はない。ワイドレシーバーは役に立たなかったハリウッド・ブラウンを放出したのでもう一人ほしいのだが、カンサス大のジョーデン・タイソンが残っていれば地元なので指名してもいいかないとは思う。だがとにかく攻撃ラインの指名が先決だろう。

04/04/土
ぼくが住んでいる御茶ノ水の集合住宅は、千代田区の廃校となった小学校と公園の敷地が半分くらいを占めていて、高層住宅の周囲はそのまま公園となっている。そこには大きな桜の樹が5本ほどあっていまは満開だ。住宅の周囲を散歩するだけで花見ができる。そのうちの一本は小学校の校庭にあったものだそうだ。何かのおりに名刺を交換した人が、その小学校の出身だと話してくれたことがあった。御茶ノ水といえば、駿河台下のあたりが「日本のカルチェラタン」と呼ばれていた時期に、明治大学に集合してデモをしたことがあった。最初から催涙ガスが発射されて、鼻が弱いぼくはすぐに離脱したのだが。結局、早稲田に在学中に国立第一病院で鼻の手術をした。文学部校舎がすぐ下に見えておもしろかった。河出書房と筑摩書房が駿河台下にあって、いまでもそのあたりを散歩することがある。まさかその御茶ノ水に住むことになるとは思わなかった。武蔵境の大学に専任として勤務することになって、通勤のためにここに引っ越してきたのだが、もう13年になる。大学はとっくに定年退職しているのでJRに乗ることもない。主に利用するのは千代田線の新御茶ノ水駅だが、新宿に行く時は都営新宿線に乗る。その時の駅の名は小川町。丸ノ内線に乗ると淡路町駅で、駅名が違うのに乗換駅になっている。さらに銀座線の神田駅や半蔵門線の神保町、日比谷線の秋葉原にも歩いていける。自宅の周囲を散歩するので、どこへでも歩いていけるという気分になっている。大江戸線に乗って、御徒町で下りて歩いて帰ったこともある。東京駅からも歩くことができる。妻が疲れている時など、東京駅まで歩いて駅弁を買って帰ることもある。それでも世田谷区の三宿には27年も住んでいたので、いまでも時々、懐かしく思うことがある。すぐ近くに北沢川緑道という散歩コースがあって、下北沢や世田谷代田のありまで、満開の桜の下を散歩していた。この時期になるとその桜と、その下を流れる人工の水路を思い出す。三宿の前は八王子めじろ台に8年、吉祥寺に6年、渋谷から1つ目の神泉に3年住んでいた。神泉も懐かしい。妻と生活を始めた場所だ。吉祥寺では息子二人が生まれ、学生時代からサラリーマン4年を経て芥川賞をもらってプロの作家になるまでの期間を過ごした。まあ、どこに住むかというのは、わりに重要なことだと思っている。

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