小学生「詩のボクシング」団体戦(動画)





この小学生「詩のボクシング」団体戦は、2003年11月2日に福岡県小郡市で開催された「詩のボクシング」国民大会プレ大会で行われたものです。


子どもの詩が面白いのは、言葉がしっかり身体と結びついているからです。子どもたちは、言葉を身体のものとして弾ませることができるのです。下記URLの記録映像を見ていただければ、そのことがよく分かると思います。※この動画のファイル拡張子はWMV。Windows Media Playerで再生できますが、Macでは拡張子を変換する必要があります。

小学生「詩のボクシング」団体戦(「詩のボクシング」国民大会プレ大会 in 福岡県小郡市




小・中学生も個人戦で闘う場合がありますが、一方で団体戦を取り入れて行うこともあります。チーム全員で力を合わせて行う団体戦です。

団体戦の公式ルールは以下です。ここでは参加8チームのトーナメント戦としました。1チームの構成人数は5人。朗読はオリジナル作品。楽器や鳴り物、BGMは使えない肉声のみとする。


1回戦では全員で創った作品を全員が声に出して闘う。群読、輪読、同じテーマで5人がそれぞれの作品をリレー式で朗読、その他の方法で必ず全員が声を出して表現しなくてはならない。各チームの朗読の制限時間は5分。

2回戦ではチーム代表1人が朗読する。作品は全員で創作したものでなくてはならない。代表1人の朗読の制限時間は3分。

3回戦ではそれぞれのチームの5人が1人ずつ闘う。各闘いは、先鋒戦、次鋒戦、中堅戦、副将戦、大将戦という剣道や柔道の名称を用い、それぞれの対戦で3人以上が勝ちをおさめたチームが勝利するという方法で行う。各対戦1人の朗読の制限時間は3分。

ジャッジは必ず奇数人数で行う。ここでは、小学生の部はジャッジ11人、中学生の部はジャッジ9人で判定を行うことにした。





他者の気持ちを想像することと共感することの大切さを知る〜今、どうして「詩のボクシング」なのか〜


 現在の日本は、豊かになった中でよい意味でも悪い意味でも失われたものを斟酌する余裕がない状況にあるといわれています。例えば、家庭や教育の現場で父親や教師の"権威的なコントロール"はもはや有効ではなくなっています。これをこれまで人間関係を支えていた規範が機能しなくなった象徴であるという人がいます。さらに、その原因は村落共同体を基にした日本的共同体が崩れ去ってしまったからであるという人もいます。これらの認識は、少し大げさかもしれませんが、わたしたち日本人にとって、かつてのように日本人特有の共同幻想によって見えていた他人=他者が感じられなくなった時代を生きていると言い替えることができるのではないかとわたしは思います。いや、他者が見えにくいとはかなり控えめであり、実のところは他者が見えない時代を生きているといっても過言ではないのではないでしょうか。そうであるならば、これは精神的に非常にきついことです。なぜなら、他者が見えないとは、自分自身も見えていないことを意味するからです。

 わたしは、他者を見つけ出すために新たなコミュニケーションの場を創り出す必要があるのではないかと考えています。そして、その場とは、子どもたちにとってマーシャル・マクルーハンのいう現在社会の縮図としてのゲーム=遊びを創出し、その遊びを体験できるライブ空間であると考えています。子どもたちは、その遊びの中で他者と交わることで、ルールの必要性や社会的人間関係のあり方を知り、自らを現代社会の一員(もちろん、この一員の在り方は様々です)にすることができます。しかし、問題は、ここでいう自分の声と言葉を使う新たな「遊びの場」をどうやって創り出すことができるか、ではないでしょうか。「話す・聞く能力」、「コミュニケーション能力」、「生きる力」などなど、それらについていろいろな立場から考えを言うことはできますが、やはり重要なのはその場をどうやって具体的に子どもたちに用意できるかです。

 わたしは、その具体的な場として「詩のボクシング」を提唱し、実践もしています。「詩のボクシング」とは、ボクシングに見立てたリング上で、二人の朗読ボクサーが自作を交互に朗読し、観客=他者にどれだけ声を届かせたかをジャッジが判定をする「言葉のスポーツ」、「言葉の格闘技」です。この場では、独りよがりな言葉では勝てません。負ければ悔しい思いをしますが、そのことによって厳しい他者というものの存在を感じると同時に負けることを通して他者の気持ちを想像することと共感することが大切であることを知ります。つまり、他者とぶつかり合えることで自分と他者との互いの心を通じ合わせる切っ掛けを見出すことになります。

 また、「詩のボクシング」の場では、自分の声と言葉を他者に伝える表現力もさることながら、他者の声と言葉を聞く能力が育つともいわれています。というのは、他者の声と言葉を聞く中で実際に伝わったという実感がなければ、自分の声と言葉を他者に伝えることはできないからです。さらに、「詩のボクシング」には、ゲームとしての勝ち負けがあるので、表現に工夫をするようになります。わたしも、学校教育の現場で行われている「詩のボクシング」を観戦し、実際に参加して子どもたちと闘ってもみました。そのゲームに臨む子どもたちの生き生きとした姿に、「詩のボクシング」にはさらなる可能性があることを感じています。

 皆さんの学校でも、ぜひ「詩のボクシング」に挑戦し楽しんでいただければと思います。もし、「詩のボクシング」を導入されてやり方が分からないようでしたら、わたしまで連絡していただければ「詩のボクシング」の指導に伺います。


日本朗読ボクシング協会

楠かつのり



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