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9月1日(月)
フアン・ゴイティソーロ『戦いの後の光景』旦敬介訳、みすず書房、1996。
 パリの一角ル・サンティエ地区で、ある朝突然、すべての看板がアラビア語に書き換えられてしまった。この事態を引き起こしたのは、隠者のようにして暮らすある男。既婚ながら、アパートの一室でいかがわしい趣味に耽り、時に街を徘徊する(その意味でもう一人の妻帯の独身者レオポルド・ブルームを否応なしに連想させる)。この男はまた、エピグラムに引かれている『ブーヴァールとペキュシェ』さながら、“筆耕”としてさまざまな新聞記事を切り抜き引き写したファイルを作ってもいる。
 本書は、主人公が作るファイルさながら、断片化された短い章によって組み立てられたコラージュのような小説である。“都市の混沌と喧噪”を描くために引用と断片と列挙を用いるのは、モダニズム以来の常套手段で、今となってはむしろ退屈な手法だろう。「文学の冒険」というより、むしろ後期資本主義の論理となし崩し的な共犯関係にあるとさえ言える。それでもなお『戦いの後の光景』は面白い。「切り取り」と「組み合わせ」のデザインが抜群なのに加え、細部の描写が的確なのだ。翻訳も素晴らしい。

9月5日(金)
マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』青土社、2005。
 アカデミックなアプローチが少ない領域における先駆的な仕事なので、ある程度仕方がないとはいえ、さすがに手を広げすぎではないか。それでいて、その嘘につい乗ってしまいたくなるような「大きな物語」を捏造してくれるわけでもない。どちらかと言えば個別の作品の分析に本領があると思える著者だけに、どれか1章、せいぜい2章ぶんを丁寧に敷衍すれば充分読み甲斐のある1冊の本になったはずだ。ただ、日本の「ジャズ言説」(著者の用語)では余り見ることがない、ジェンダーへの関心や本質主義への批判的視点といったカルチュラル・スタディーズの基本は踏まえているので、読んでいてそれほど不快にはならない。
 本書で初めて知って、興味を惹かれた事実はいくつもあった。例えば「ちなみに[大江健三郎のエッセイで]言及されている一九五八年出版の『ジャズ・シーン』という本の著者は、フランシス・ニュートン(Francis Newton)とされているのだが、実はエリック・ホブズボウム(Eric Hobsbawm)の当時のペン・ネームである」(p.244、[ ]内は引用者による補足)とか。

9月20日(土)
ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』平田達治訳、岩波文庫、1993。
 体調不良で、寝ながら少しずつ読む。同世代のドリュ・ラ・ロシェルの作風を連想した。ナチス・ドイツを離れてパリで死んだユダヤ人作家と対独協力者のフランス人作家、政治的にはおよそ対極にある二人なのだが(とはいえ、訳者解説によるとロートはオーストリア=ハンガリー帝国の 「超国家的性質」「精神的貴族性」[p.217]を賞賛していたというから、両者の距離は案外近いのかもしれない)。

9月28日(日)
 最近買った本。プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』(光文社古典新訳文庫)、ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(ちくま学芸文庫)、東雅夫編『文豪怪談傑作選 室生犀星』(ちくま文庫)、古井由吉『夜明けの家』(講談社文芸文庫)、カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版]』(平凡社ライブラリー)、川村二郎『白山の水』(講談社文芸文庫)、田崎英明『無能な者たちの共同体』(未來社)。

 9月後半は体を壊して各方面に迷惑をかけてしまった。しかし実は一番悔しかったのはユーロスペースのロメールと新文芸座の成瀬に行けなかったこと。体調も徐々に回復してきたし、月も改まるので、がんばって仕事の遅れを取り戻します。映画はもう少し我慢かな……。

10月2日(木)
今野緒雪『マリア様がみてる 卒業前小景』集英社コバルト文庫、2008。
 卒業式の前日、放課後の数時間を過ごすさまざまな生徒の姿を交錯させた、奇跡のように美しい作品。『キラキラまわる』と同様、確実に終わっていく貴重な時間が読書の時間とそのまま重なって、読み終えるのが惜しくなる。それにしても、いつもながら構成の巧いことと言ったらない。今回なら、例えば「菓子パンの宴」のような“小景”を挟み込むあたりの呼吸が絶妙だ。

10月14日(火)
 最近買った本。森敦『酩酊船』(講談社文芸文庫)、ジュディス・バトラー+ガヤトリ・スピヴァク『国家を歌うのは誰か?』(岩波書店)、W. G. ゼーバルト『空襲と文学』(白水社)、M. ジョン・ハリスン『ライト』(国書刊行会)、齋藤純一『政治と複数性』(岩波書店)、蓮実重彦『映画論講義』(東京大学出版会)、ジャック・デリダ『シニェポンジュ』(法政大学出版局)、小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)、ガストン・バシュラール『水と夢』(法政大学出版局)、アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』(作品社)。

 仕事の合間に、クロソウスキーの『古代ローマの女たち』千葉文夫訳(平凡社ライブラリー、2006)と『ロベルトは今夜』若林真訳(河出文庫、2006)を何となく読み返す。『バフォメット』も文庫にならないかな。

10月16日(木)
東浩紀+北田暁大『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム』NHKブックス、2007。
 好きな書き手二人の対談で、楽しく読んだ。地誌学的な思想=批評を試みる二人の名前が、“東”と“北”田だというのも興味深い。
 ところで本書を買うことにしたのは、書店で冒頭を立ち読みしていたときに次の一節に出会ったからだ。
> 東 そうですね……。たとえば、西荻窪は古本屋が多いので有名なんですが、そういう店に行くと、思想書とか文芸書とかサブカル本とかえらく豊富なんですね。新刊本屋でも普通に僕の本が置いてありますし。しかし、本屋に行って自分の読みたい本に出会うというのは、嘘みたいな気がするんですよ。そんな世界は僕のために作られた虚構世界で、本当の現実は、ベストセラーしか置いていないTSUTAYAにある。そういう気持ちがしてしまう。そもそも、僕たちが生きるポストモダン的でゼロ年代的な「ファスト風土」はそういうものでしょう?
 北田 でも、本当にそれしかないと、けっこうつらいですけどね。以前柏に住んでいたとき、なんと言うのかな、人文的な読書空間がほとんど物理的に用意されていなくって、苦労しました。新星堂が頑張ってるんだけどね、やっぱりいざというときは御茶ノ水に行かなきゃならない。
 東 それはむろんつらいわけです。でも、そのつらさのなかで生きていく感じが、緊張感を要求する(笑)。
 北田 たしかに、柏に住んでいたころのほうが、東京に来て本屋さんを回るときの緊張感があった(笑)。

 ……大学生だったころ、柏在住で西荻に入り浸っていた人間としては、身につまされるという以上のものがある。(そして、新星堂は頑張っていると思う。)

10月24日(金)
ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』岸本佐知子訳、白水社、2007。
 「物語」と「小説」とは、まったくとは言わないまでも、実のところほとんど関係がない。波瀾万丈の物語を語るつまらない小説もあれば、語るほどの物語もないのに読ませる小説もある。「物語の力」を称揚したラシュディの『ハルーンとお話の海』が、小説としてはどれだけ退屈だったことか。
 その点で、ウィンターソンは寓話作者ではなく、あくまでも小説家なのだと思う。本書を優れた作品にしているのは、「物語の力」が「喪失」と不可分だという認識だ。信仰を失ったダーク、視力を失ったピュー、母を失ったシルバー、そして失われた灯台。豊饒さではなく不在こそが「書くこと」の起源だという――『失われた時を求めて』のプルーストが端的に示した――真実を、ウィンターソンは熟知している。

11月27日(木)
 このひと月の間に仕事と関係なく読めた本は2冊のみ。兵藤裕己『太平記<よみ>の可能性 歴史という物語』(講談社学術文庫、2005)と中沢新一『芸術人類学』(みすず書房、2006)。それぞれ面白かったけれど、そして思うところがないわけではないのだけれど、整理して書く時間がない。
 そろそろ読書日記も止めどきかなあ。サイトを始めた1999年は、今思えばまだずいぶん若く、余裕がありました。

 最近買った本。ヴァールブルク『蛇儀礼』(岩波文庫)、萩原延壽+藤田省三『痩我慢の精神』(朝日文庫)、大塚英志+東浩紀『リアルのゆくえ』(講談社現代新書)、内堀弘『ボン書店の幻』(ちくま文庫)、吉田健一『文学概論』(講談社文芸文庫)、澁澤龍彦『澁澤龍彦 書評集成』(河出文庫)、セイラ・ベンハビブ『他者の権利』(法政大学出版局)、アマルティア・セン『不平等の再検討』(岩波書店)。

12月26日(金)
今野緒雪『マリア様がみてる ハロー グッバイ』集英社コバルト文庫、2009。
 この読書日記を始めたのが1999年12月。30歳になったばかりだった。断続的にではあれそれから10年間、何となく続けてきた読書日記だが、そろそろやめる潮時だろう。ちょうど(?)『マリア様がみてる』祐巳・祥子編も終わることだし。
 考えてみれば、読書日記を続けていた10年の間に新しく知った作家・作品のうち、もっとも興奮させられたのがこのシリーズだった。犯罪も魔法も出てこない、それどころか恋愛すらほとんど出てこない高校生の日常。それをスリリングな小説に仕立てる今野緒雪のテクニックにはいつも惚れ惚れしてきた。シリーズ最終刊『ハロー グッバイ』も、期待を裏切らない傑作。

12月30日(月)
吉増剛造『黄金詩篇』思潮社、2008。
 仕事の合間、調べ物に行った書店で見つけた「思潮ライブラリー・名著名詩選」の1冊で、1970年刊の初版の復刻版。実家に元の版を持っているはずだけど、と思いつつ、つい買ってしまう(そして、忙しいのについ読んでしまう)。
 1970年代の吉増剛造なら、続く『頭脳の塔』や『王國』がさらに凄いと思うのだが、やはりこれも傑作。随所に見られる活字・印刷のイメージ(「声」の「星は天の誤植だ! 神も誤植だ!/愛も誤植だ!」[p.132]など)が興味深い。二種類のエクスクラメーションマークの使い分けについても、既に論じた批評があるのか、知りたいところだ。

 さて、長らくご愛顧いただいた「読書日記」ですが、本日をもって「一区切り」(『マリア様がみてる ハロー グッバイ』「あとがき」p.209)とします。完全に止める、と宣言してしまうと、再開したくなった時に体裁が悪いので、あくまで「一区切り」。それでは。

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