− 新関〜美濃間廃止後の名鉄美濃町線を見る −


◆ひとくちコメント

名古屋を中心に広範囲に広がる名古屋鉄道は、昔から友人の家に向かったり、予備校に通ったりと何かとお世話になった馴染みのある路線である。しかし当時乗車したのはいつも使っていた一部の路線のみで、全体の何%という物差しで測るとそのほとんどが未知なるエリアである。いつしかばんちゅう自身が関東に引っ越してしまい、そしていつのまにか谷汲線や八百津線等ローカル線区が廃止になってしまった。今回は美濃〜新関間が廃止になってしまった美濃町線を、遅ればせながら訪れることにした。


 

   
 西へ向かうときにいつも悩むのがルートである。何しろ東海道というのは今まで何回も往復してきた最多乗車区間。新幹線、特急東海、各駅停車乗り継ぎと様々なパターンを経験してきただけに、要はほとんど「飽きて」しまっている。今回は予算や現地での滞在可能時間の長さ等を考え、東京駅から「快速ムーンライトながら」に乗車することにした。

 同じ考えの人は他にもたくさんいると思うが、ばんちゅうはこの列車、あまり好きではない。全車自由席だった大垣夜行の時代に比べれば随分良くなったが、何しろ「気の抜けない」列車なのである。小田原から先9両編成のうち6両が自由席になってしまうため、指定席の取れなかった人(もともと\510払う気のなかった人を含む)がなだれ込んでくる。そうなるとちょっとトイレに行きたくなった時など、席に何か荷物を置いておくのも危険だし、かといって何も置かないと席を取られてしまうし気が気ではない。それに「ながら」には、なぜか浮浪者風の人が多い。きっと熱海から先検札が行われないことと関係しているのだろう。
 
   そんな訳で大垣までずっと指定席の前3両をどうしても押さえたかったのだが、そこは青春18切符期間、無理な相談だった。照明は最後まで減光されないし(スリ対策か?)、乗客同士でトラブルは起こるし、ほとんど眠れずじまいだった。浜松の停車時間中に上り「サンライズ」を見れたのが少し救いになった。
   
 寝不足状態のばんちゅうが降り立ったのは豊橋だった。このままながらに乗車して岐阜まで行っても良かったのだが、豊橋〜新岐阜間は名鉄名古屋本線が走っている。今回の目的が名鉄美濃町線なのだから、そこへ至るルートもできるだけ名鉄を利用しようという趣向である。「快速ムーンライトながら」の豊橋到着は4:22。新岐阜に一番早く着く特急新岐阜行きの始発は6:13。待ち時間が以上に長いが、そこは鉄道ファンの意地、コンビニで買った朝食を駅の待合所で食べながら(待合室ではない、吹き晒しの場所である)ひたすらその時を待った。駅近くのビルに設置された温度計は-2℃を示していた。

 始発特急にもかかわらず(実際はこの前に急行があるので単に「始発」とは言えない)そこそこの乗車で列車は出発した。首都圏と比べると1時間程度遅い始発であるが、名古屋ではこんなものなのだろう。豊橋で冷え切った体が完全に温まった頃には新名古屋をすぎ、車窓から笠松競馬場が見えた。


競馬場の向こうに見える山並みの一番左、
一番高いのが岐阜城、金華山。
これを見ると岐阜に来たという気持ちになる

 

 

 


乗車したモ800形。
中扉付近が低床化された部分低床車。

 岐阜市内で食事等々を済ませた後、関行きに乗車。待っていた車両は最新のも800形だった(写真は関駅で撮影)。中乗り前降りのワンマンカーでバスと全く同じ方式だが、中ドア付近が低床化されており、車椅子の方はここから乗り降りできるようだ。座席の色等内装はどちらかというと派手で、レトロな感じの他車両や田畑の多い沿線風景とミスマッチで調子が狂ってしまった。

 座席がちょうど埋まるくらいの乗車率で新岐阜駅を発車、このまま少しずつ乗客が減っていき最後は数人に...と思っていたのだが、一般的な「市街→郊外」路線のパターンと違い、途中の乗車もそこそこ。結局新岐阜を発車した時とそんなに変わらない乗客数で、約1時間後新関に到着した。

 新関から先は新設路線で、長良川鉄道の関駅のすぐ隣にある名鉄関駅にいたる路線(といっても1駅間で数百メートルしかないが)。長良川鉄道に乗り換えてかつて名鉄も運行していた美濃方面へ向かう人たちのための措置だろう。しかしほとんどの乗客は新関で降りてしまい、関まで乗車したのはばんちゅうただ一人であった。せっかく延ばしてもらったのだからもっと乗ってあげてもいいような気がするが、もともと利用のなかった区間なのだろうか?
 

 

 


長良川鉄道関駅。少ない乗り換え客と裏腹に接続
はかなり良い。上下とも15分程度で連絡する。


長良川鉄道関駅に隣接して新設された名鉄関駅。
乗客はばんちゅうを含め2名だった。

 

 

 


琴塚駅を線路側から写す。簡単に線路へ入れる
所もローカルの良さ(でも立派な違反行為です)。

 関に到着後、長良川鉄道の駅を見たりして時間をつぶした後、同じ電車で新岐阜まで折り返すことに。通常折り返し乗車の復路というのは疲れや飽きで眠ってしまったりするものだが、この美濃町線は車窓が豊かで飽きるということはなかった。田園の中を走ったり、民家の合間を走ったり、幹線道路と平行して走ってみたりと変化が多い。遠くに伊吹山や北アルプスと思われる方向に雪をかぶった山並みも見える。

 岐阜市内を除きほとんどが専用軌道なのだが、この「専用」の定義自体も曖昧で、横道と踏切もなく突然交差するような場面が何ヶ所も見られる。運転士の立場からは神経を使う所であろうが、旅行者の立場からは風変わりで楽しげな情景である。
   

 美濃町線はそのほとんどが無人駅で、駅員さんのいる駅は新関・田神・新岐阜等数えるほどしかないのだが、にもかかわらず各駅が割合きちんと整備されているのには驚かされる。大抵の駅には上屋が設けられていて(写真は琴塚駅)、ゴミが散らばっているような所は何処にもなかった。これも近隣住民のマナーの違いだろうか?首都圏なら壁に落書きされたりして絶対このようにはいかないと思う。

 いろいろな車両が見られるところも美濃町線の良さ。右の写真はモ870形でもともとは札幌の市電だったもの。このほかにも路面電車のくせにクロスシートの車両とか、古いけど面白い電車がたくさん走っている。 

 

 

 
 美濃町線はもともと、美川憲一の柳ヶ瀬ブルースで有名?な繁華街、柳ヶ瀬付近の徹明町から発着していた。つまり新岐阜から関方面へ向かうのには徹明町までの徒歩連絡を伴っていたのである。それがあまりに不便だったのか、新岐阜から美濃町線に乗り入れる線、「競輪場前〜新岐阜」がつくられた(このうち新岐阜〜田神間は各務原線の線路を使っているので新設ではないのだが)。

 徹明町----------競輪場前------------関
                               ↑
 新岐阜---------------

 新設の新岐阜〜競輪場前間はそのほとんどが専用軌道、それに対しもともとあった徹明町〜競輪場前間は立派な路面電車(左下の写真を参照、徹明町駅での様子)。岐阜市内では「軌道敷内通行可」の標識が立っているので、混雑時には線路上も道路の一部と化し、自動車と一緒に渋滞に巻き込まれ大幅に遅延することもしばしば。いつの間にかこの区間の運行は激減し、今では1時間に1〜2本にまで減ってしまった。新岐阜発着がメインルートとなった今、もしかしたら、次に廃止されるのはここかもしれない。
 


徹明町駅。現在は時刻表があるだけだが、
かつては待合所もあり、駅員がいて切符を売っていた。

 

 

 
復路は往路と同じく、豊橋まで名鉄を利用。一部特別車の特急を利用しても良かったのだが、せっかくの機会なのでパノラマカーの急行に乗車。急行は特急よりも所要時間が長いが、全面展望をより長く楽しめるので嬉しい。しかしこのパノラマカーも、10年後には全廃されることが決まっている。その時にはまたここを訪れるのだろうか?

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