針道・あばれ山車

「針道のあばれ山車」は針道の諏訪神社の祭礼で、 「針道の喧嘩祭り」といわれ勇壮な祭りとして知られています。

諏訪神社
信州(長野県)の諏訪湖畔にある神社を移したもので、天平年中(紀元七百三十年頃)南向きの普通のお宮が多い中で、 諏訪神社は北を向いたお宮です。
武神であるから、陸奥国の開発を目的に建てられた神として北を向いているのであろうと言われています。
「あばれ山車」
この祭りは、天正十三年八月(一五八七年佐藤源太(信秀)の時代)、当町一帯に凶作が続いて疫病が大流行した際、 神託よって古い神興の渡御を行った。この時、安積郡大槻村(現郡山市大槻)から獅子頭を求めて神楽を行い、その頃から 人形を飾り付けた、山車、神楽通子を奉納したのが始まりと伝えられています。
昔は七月二七日に行われ、宝暦八年(一七五八年)にはもっとも盛大に祭りが行われ、獅子踊りや人形を飾った山車が出たと 記録され、「ニワカ」という文字通り即席の芝居もやったと言われていますが、現在のような「喧嘩祭り」と言われ始めたのは 後になってからのようです。
毎年十月十日に行われる祭りは「針道のあばれ山車」として若者の独創による大型人形の飾りに成長し、豪快な太鼓の音と 勇ましい掛け声が七台の山車を扱う若衆を活気だたせ、山車のもみ合いにも力が入り、その勇壮さは、近郷近在から集まる見物客を 楽しませてくれます。

紹介文は、東和町観光協会の資料による


東和町ロードレース大会

毎年七月の第二週目の日曜日に開催されます。
この日は1年でいちばん東和町の人口が増える日です。
町内はもちろん、県内外から招待選手や一般参加者、応援者でごったがえします。


阿武隈山地は県内でも有数の畜産地帯です。
中でも飯舘村は県内外ともに有名で、それに追いつけ追い越せと我が東和町も頑張っています。そんな訳で?役場の隣に在る公民館の広場には、東和牛の銅像が建っています。

撮影1997年2月


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これからも、私の地元をもっと紹介していきたいと思い、現在、取材をしているところです。

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