●わたしはこーして馬鹿になった● ポール鈴木

 


私は幼少の頃から昆虫が大好きであった。幸い自然環境には恵まれた神奈川県茅ヶ崎市で育った私は、子供の頃から大学時代まで、夏場は地元・赤羽根山にてカブト・クワガタ採集の日々を送り、秋になると今度は各種カマキリの採集に没頭した。

カマキリも中々奥が深く、小カマキリ、ウスバカマキリ、オオカマキリ、ハラビロカマキリ、ハバヒロカマキリと色々な種類の採集が堪能できた。ハラビロカマキリは体長こそオオカマキリには及ばないものの、その横幅の立派さと大きな顔(これはオオカマキリより大きい)に魅了され、ワン・シーズンに1〜2頭しか採集出来なかったものの一番好きなカマキリであった。面白いと思ったのは、自然界においてはカマキリの種類によってその卵塊の形が異なるが、人工飼育下で産卵された卵塊はどの種類も、普通にカマキリと言われているウスバカマキリの卵塊と全く同じ形に産卵されていたことである。恐らく、産卵に適当な枝を入れていなかったことも一要因と考えられる。産卵時に捕まる適当な枝がない為、飼育ケースの角や虫かごの中に産卵は行われていたが、その場合、足場が悪くて、ウスバカマキリの卵塊そっくりな形状にしか卵塊を作れなかった可能性がある。

しかし、全く違う形状の卵塊を産むはずの各種カマキリが、全く同一形の卵塊を産んだ事実にはビックリした。春になり、卵塊の存在を忘れつつあった頃、突然、孵化したばかりの小さなカマキリ達が家中にウジャウジャになったのには家族一同、閉口した。

はなしが若干それたが、湘南地方で私が採集できたクワガタは、ノコギリとコクワのみであったが、これは地域分布によるのかもしれない。本年の月刊むし・クワガタ特集号で、茅ヶ崎市でのヒラタ採集報告が特記事項として載っていたが、オオクワはおろか、本当にヒラタもいなかったのである。 ノコギリクワガタの華麗に湾曲した大顎に魅了されて、少年時代から大学卒業迄、採集活動は続けたが、累代飼育には至らなかった。

社会人となり2年目である9年前に結婚したのをきっかけに、しばらく昆虫採集・飼育からは遠ざからざるを得なかった。つまり、家内の手前、いい男を演出するには昆虫はそぐわないと判断した為である。私は釣りや水泳といった海に直結する趣味に傾注し、休日の過ごし方は、湘南海岸を家内とドライブ、ということになった。

しかし、クワガタやカブトに対する愛着は捨てようもなく、内緒で購入した小学館や学研の図鑑をそっと取り出しては眺めたりしていた。

今から4年前、1994年に初めて東京都民となった。 なんのことはない、東京都杉並区に引っ越したということである。 近所に住む同世代のご夫婦と仲良くなり、行き来をしている内に、ふっとその友人宅のベランダに目を向けると、大きな朽ち木があり、しかも、傍らにはナタまであるではないか。 一体、何をしているのかを尋ねたところ、「クワガタの幼虫を割り出している」とサラッとした返事が返ってきた。 ず太い朽ち木は、都内・武蔵境から持ってきたと言っていた。

その場に家内がいたにもかかわらず、私の我慢はついに限界に達し、我を失い歓喜して、その友人と一緒に割り出しを開始した。1齢・2齢幼虫がゴロゴロ出てきた。50以上とれたが、その内3頭をおすそ分けしてもらい、数年ぶりのクワガタ飼育スタートにやっと至ったのであった。

カブトムシの幼虫飼育は経験があったが、クワガタ幼虫は初めてだったので、本当にワクワクした。1年後、無事に蛹化・羽化したものは東京都産ヒラタクワガタであった!

前述の通り、私のフィールドであった湘南地方ではヒラタクワガタが皆無であった為、これが初めてのヒラタ所有となったわけである。 本当に感動ものであった。

このヒラタクワガタは室内飼育をしていた為か、冬でも元気に活動を続け、今年の6月迄、羽化後丸々3年を成虫で生きた。

昨年2月、クワガタのインターネットをサーフィンしてみた。とても多くのクワガタHPがあるのには驚いた。この中で、クワガタを趣味になさっている方が意外にも多いことが分かり、私も家で堂々と男らしく飼育をすることを決意した。

手始めに早速、オオクワガタの幼虫を3頭購入した。いきなり成虫からの飼育は面白くないと考え、幼虫を購入したのである。その後、タウンさんのHP「オオクワガタ・タウン」をネット・サーフィン中に発見した。マットに人工的に添加する方法などなど、市販のくぬぎマットをそのまま無発酵で使っていた私には驚きであった。とにかく、ノウハウを学ぶ必要が急務であると思った私は積極的にタウン掲示板への投稿を心掛け、情報交換に努めた。

タウンさん・タカさん・BIGIさん等と東京都内採集に出掛けたり、タウン掲示板で仲間を募って飲み会オフを開催するなど、楽しい日々が始まったが、一方、それはクワ貧道まっしぐらを意味していたのであった。 外産にも触手を伸ばし、どんどん購入していったが、相場を知らなかった私は、結構高い買い物をしていたことに気づいた時には後の祭りで、私が家計費以外に好きに使えるお金は全てクワ飼育に消えていき、少しばかりのヘソクリ貯金も、急速に切り崩すこととなった。

次第に、近所の子供達にも私のクワガタ飼育が知られるところとなった。

東京都の子供達は、カブト/クワガタは、デパートやペットショップで買うものであって、採集など夢々考えられない都会環境の中で育っている。 彼らに夢をあげよう、と決めた私は自分でブリードしたカブトムシやクワガタを幼虫・成虫問わず近所の子供達にプレゼントしまくった。 もちろん、逃げ出した場合の生態系への影響を考え、国産種のみである。

タウン掲示板で昨年6月頃にそのことを報告したところ、タウンさんから、「鈴木さん、やってますね!」とのお言葉と共に、子供達に夢を与えるというクワガタ同盟の存在意義を掲示板上でご説明頂き、私も知らず知らずの内にクワガタ同盟の意義に沿った活動をしていたことを知るに及び、自らクワガタ同盟員を宣言した。

クワガタ採集・飼育には色々な醍醐味があるが、特筆すべきは、インターネットやメールを通じて、決して共通の趣味を持たなければ知り合えなかったような方々と友好の輪を広げられたということがあげられる。今年の年頭には、香港のTottotoさんと交信する中、思いもかけなかった香港でのオフ(会食オフ)が実現した。クワガタが自分の友好範囲や行動半径を広げる一助となっているということは本当にすごいことであると思う。

「わたしはこーして馬鹿になった」 ポール鈴木編


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