日 本 サ ッ カ ー の 新 世 紀

January 18, 2001

20世紀後半は、日本サッカーの模索期であったが、世紀末になってJリーグができたおかげで
ワールドカップに初出場できたし、ワールドカップ初開催までも決めてしまった。華々しい成果と
ともに日本サッカーとは何か、という問いに答えが出せるほどに日本サッカーの原像が始めて
見えてきた。それも2000年の後半になって形が見えるようになったのであって、パットしなかっ
た前半には想像だにできなかった。
少壮気鋭の学究三羽烏と世界標準の実践者達がはからずも日本サッカーの原形を役割に応じ
て研究と実践の面で示してくれたことに驚きと敬意を禁じえない。日本サッカーのイメージを一
語で表すことはむずかしいが、習作のつもりで概念化してみよう。
日本サッカーは 、イングランド、ドイツ、ブラジル・・・とサッカー先進国を模範にしてきたから日
本文化同様雑種である。ところができあがった原形は融合形の日本流でどこそこの亜流とは
定義できない。そのイメージをひとに聞けば十人十色の答えが返ってくるだろう。機動力サッ
カー、コンピューターサッカー、オートマチズム・サッカー、スピードサッカー、早くて簡単なパス
回しサッカー、すばやく動き回るサッカー・・・どれも的を射ていて、なかでも機動力(モバイル
パワー)サッカーは概念としても秀作だと思う。トルシエ監督の云うオートマチズム(連鎖反応)
サッカーもわかりやすい。
3分の1世紀少年サッカーの指導にかかわってきた者として私がキャッチした日本サッカーの
イメージはウエイヴズ(波浪、波動)サッカーである。
それは高槻FCが到達したサッカー観が海のイメージであり、海の豊かな様相にヒントをえて
指導理論を築いてきたからである。海には高潮もあれば怒涛もある。さざなみ<漣>もあれば
なぎ<凪>もある。渦潮もあれば干満もある。不変の海をモデルにしてコンセプトを築いてきた
から、高槻FCの指導方針にはぐらつきが少なく出鱈目がない。それなりの成果はあげてきた
つもりだ。
世紀末に世界標準に近づき、これぞ日本のサッカーと概念化できるまでになった日本のサッ
カーのキーワードはクイック・スリーである。
その@は素早いパス回しである。日本人の手足の器用さがJリーグにより花開き、それを可能
にしたのであろう。アイコンタクト、ボディ・シェイプ、ファーストタッチ等のキーワードが進歩を加
速させた。昔から指導者や選手達は「早めに」といってそれを強調していたが、技術がともなわ
ない段階ではしょせん無理で、味方をあわてさせるだけだった。つい最近まで日本のサッカー
は欧米人にhecticあわただしいと特徴づけられていた。指導実践の反省に基づいて、ここで
「素早いパス回し」を「素早いボール動かし」に修正する。パスのほかに素早いドリブルも有効
なオプションたりうるからである。
そのAは素早い動き出し(技術委員会のキーワードではオフ・ザ・ボールの動き)である。Aか
らBにパスが走っている間にCはオープンスペースに動いて時にはウエイヴしてBのダイレクト
パスの機会をサポートする。これは勤勉な国民性に合致している。これは第三の動きとかス
ペースをつくる動きとかいって、昔から強調されていたが、技術不足やタイミングの悪さのため
か、日本サッカーの特徴にまではなっていなかった。
そのBはす早い動き直し(セカンド・アクション)である。Bがもたついているかキープしている
場合にはCはすぐさま別のオープンスペースに動いてときにはチェックやウェイヴの動きをして
マークをはずしたりオフサイドを回避したりしなければならない。
このクイックスリーの個々の動きは昔から強調されていて目新しいものではない。すばらしい
のは三つのアクションを有機的に統合させコンビネーションとして概念化した、あるいは概念
化を可能にしたことである。またその練習方法がJFA news やサッカー雑誌やGAMBA
YOUTHの練習用ビデオ等で広く知られるようになったことである。
理念だおれだった私はそれを見て目からうろこが剥げ落ちる思いがした。海のコンセプトを実践
化するリングを発見したからである。
たとえば、海に穴なし、動いてできたスペースに流れこめ、するとまたスペースができるから他
の人がそこに流れこめ、次から次と流れ込むと速いパスの渦となり怒涛となって敵陣に押し寄
せる。
ボールを奪われた瞬間、寄せては返す波のように、攻守の切り替えがはやいサッカーができ
る、理論的には一人が動き出してできるミクロの波紋は海なら浪速から世界に達する、北京の
蝶の羽ばたきがひきおこす空気のゆらぎはNYではハリケーンとなる、などと、ゲームをフリーズ
してコンセプトを口で伝えてほとんど聞き流されていた私であったが、コンセプトを実現するコー
チングメニューにまでは考えがおよばなかった。
ましてや自分が唱えていた理念どおりのサッカーが出現するとはただの一度も想像したことが
なかった。突然 《形》を現した日本代表は私にとって「黒船」ほどの驚きであった。
わたしが日本サッカーのイメージをウエイヴズサッカーと概念化した真意と背景は理解して
もらえただろうか。
21世紀に日本のサッカーを観る外国人はそれを評してもはや hectic footballとは言わない
だろう。我田引水になるが、せめて mobile power football、できれば waves football
言ってほしいものだ。

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