練 習 の 概 念 化

エクササイズ・プラクティス・ドリル

プレ・ゴールデンエイジの指導

August 21,2001


前稿では10歳から12歳の指導をサッカーの3Bとのからみで考えた。

ここでは6歳から9歳までの指導を「練習」とのからみで考えたい。

なぜ6歳から9歳なのか? 6歳が集団練習についていける年齢の起点であり9歳が練習につまずく壁だからで

ある。もちろんここにあげた年齢はカレンダー年齢であり、成長の度合を加減したバイオ年齢では前後合わせて

4歳の幅をもたせて考えるゆとりをもってほしい。

ところで練習とは何か? ふだん何気なく使っている練習というあいまいな用語では幼年期の指導は語れない。

トレーニングという英語に置き換えても事情は変わらない。

練習は三つの概念語に分けて考えなければならない。

第一に脳神経をふくめて体の働きを高めるという意味の多面的総体的エクササイズ。

第二により巧くなるためにあるいはパフォーマンスを高めるためにおこなう系統的専門的プラクティス。

第三に特殊一面的な機能、技能を向上させるための反復ドリル。

プレ・ゴールデンエイジに必要にして十分な活動は脳力、技力、体力を始動させる多面的総体的エクササイズ

ある。

自由奔放で野生的な遊びのなかで、子供たちは、多様な体験をして、心を発達させ、好奇心をふくらませ、知恵

をつけ、状況打開に必要なスキルを学び、身のこなし、体のバランスを向上させる。

生活環境の都市化によって自然の中で遊ぶ機会がほとんどなくなったことは大きな損失である。かわりに色んな

スポーツに親しめる環境が増大している。高槻FCでは鬼ごっこ、ドッジボールやタッチ・アメフトを併用して脳技体

の多面的発達を促すように気をつけている。

この年齢層にとって、大人が分析し系統立てた課題を練習する専門的プラクティスは、百害あって一利なし。

子供たちはしばしば「サッカーを習っている」と言う。この受動的イメージにふさわしい用語は「練習=トレーニング」

であろう。トレーニングには園芸用語として「整枝法」の意味がある。

この時期に専門的プラクティスをさせると、子供たちが、「整枝」され、促成=速成され、「盆栽」のように小さな大人

になる弊害、大人が子供を型にはめて小さく育てる弊害があらわれる。

後で述べる「9歳の壁」を越えた後のゴールデンエイジでは専門的プラクティスをやってよいが、前稿で述べたとお

り判断力、イマジネーションの発達を阻害しない程度に限られる。

第三の反復ドリルは、算数ドリル同様、子供にとって退屈でおもしろくない。

ドリルは錐、訓練、軍事教練と訳される。子供たちがすぐあきて当然だ。この期にはやってはならない。

もちろん「ゴールデンエイジ」期にも最小限にとどめなければならない。最小限ってどれくらい? コーンドリブルなら

20分。ジャグリングなら20分。ボールに触る5mダッシュ、ターンなら10分。30m以上のダッシュは足の故障を覚

悟しなければならない。

うさぎ跳びは膝を痛める。体力面でのフィットネスはゲームをやれば十分、反復ドリルはやってはいけない。

反復ドリルの利点と弊害については後日稿を改めて述べる。

さて、プレ・ゴールデンエイジ期のサッカーの練習はもっぱらエクササイズであるべきだが、プレ・ゴールデンエイジ

期のエクササイズとは何か?

子供は3歳で心を持ち9歳でいちど知的発達の壁につきあたると言われている。分数でつまずいたりサッカーの

技術でつまずいたりする。私自身ブラジル時代、小学校に通ったことがなく算数の教科書を自習していたが、通分

がわからず挫折し、それっきり算数を放り出した経験がある。

この期のサッカーのエクササイズは「9歳の壁」を難なく越える準備をすることにつきる。いわゆる練習ではなく

脳・技・体にわたる予備的仕付け、習慣化である。

一番大事な脳力については、サッカーはおもしろい、という刷り込みをする。1対1から始まるゲーム。ボールを

追いかける習慣を付ける。競争意識、対抗意識の発達を促す。相手に勝つ喜びを体験させる。暴言、乱暴、離脱

をいさめ、対人行動、集団行動の円滑化を教える。自分達だけで協同でゲームをする習慣を養う。ルールや決ま

りを守る精神、ゆずりあいやフェアプレイの精神が芽生え育たないとゲームが成り立たないで面白くない事を自然

に学ばせる。後々のためにエクササイズを休まない習慣をつける上で親にも理解と協力を求める。

技力では左右の足でボールを蹴る習慣をつける。コーンドリブルからのシュートゲーム。たくさんボールにさわら

せて自然にボールタッチの感覚をみがく。

正しい走り方、跳び方、ころび方、かわし方もこの頃身につける。1対1に練習時間の3分の1をあてるべきだ。

体力では、正確な技術のベースになるボディバランスのよい体をつくる。足、ひざの関節と股関節の柔らかさも

保たせたい。走る、跳ぶ、ターンする、まわる、ころぶ等の体験を経てサッカーに必要な身のこなしを獲得させる。

ミニゲームにはこうした体力を増進させる必要十分な効果がある。

さていよいよミニゲームと試合の登場。コート、ゴールのサイズや人数にはあまりこだわらない。キーパーは1失

点1交代がのぞましい。ほかのポジションはない。団子サッカーがベスト。その中から突破して来る者や迂回ドリ

ブルする者がかならず出てくる。最前線でボールを追っかけていた同じ者が直後に最後尾でボールの奪い合い

をしている。誰もが自由に攻め、守る。こういうことが、サイドコーチがないからこそ、自然に発生してくる。

この時期に大人がサッカーを教えてポジションとか戦法を決めると子供はそれにしばられて動かなくなる。一番

動き回る習慣をつけなければならないときにマインドコントロールで動けなくすることほどつまらない事はない。

一番恐いのは、子供にサッカーとは流動的fluidではなく固定的solidだというイメージを植え付けることである。

海のイメージからすべてのコンセプトを引き出している高槻FCとしては一番さけたい事態である。

最後にサッカー少年にとって「9歳の壁」とは何か? 何でもすぐ習得できるゴールデンエイジのはじまりに何故

壁に突きあたって突破できないのか? まさにそのゴールデンエイジの機を逃したことに原因がある。

9歳の時エクササイズに参加できなかったか参加日数がすくなかったことが原因で「壁」に突き当たることがあ

る。たとえば左右両足遣いが習慣づくまでには数年かかる。9歳の1年間だけ休んだために時機を逸すること

だってある。6歳の1年間だったら何ら問題ない。

運動能力は高いのに9歳からサッカーを始めたばかりにボールコントロールがいまひとつって、こともある。

そのような少年は9歳ですでに「即座の習得」の黄金期を過ぎて「一時的ぎこちなさ」のクラムジーエイジに入っ

ているのだ。14歳から始めても問題ない少年だっている。バイオ年齢で考えると納得がいく。

9歳には「壁」がある。それまで正しいエクササイズを受けていたら問題なく、気づくこともなく乗り越えることが

できると了解してもらえただろうか。ただこの壁は、子供の成長の証しでもあり、子供が親によって敷かれた路

線からみずからを解放するために遺伝子によってあらかじめ仕組まれた最初の壁である。

8歳までは親が決める。9歳からは自分の意志で決める。適性が無いのに親が決めた路線を走りつづけること

はない。9歳は路線変更の大事な分岐点なのだ。決めかねて迷う事も多い。指導者も親も落伍、挫折と考えず

新たな門出を助け祝福してやるべきだ。

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