サッカーの3B

技体」の克服→脳力・技術・体力

ゴールデンエイジの指導

July 12, 2001

西洋のスポーツを遊戯=ゲームとしてではなく富国強兵の教育手段として導入した日本ではサッカーも当初から

歪みとねじれをよぎなくされた。

サッカーを構成する三本柱も武道のそれにならって狭く概念化され、その後の日本サッカーのバランスの取れた

発展を阻害した。精神中心主義の弊害はずいぶん少なくなったが今なお至る所にみられる。

よくしられているとおりサッカーの母国英国では肝心なのは、ブレイン、ボデ゛ィバランス、ボールコントロールの3B

である。そしてこれが世界の常識になっている。日本のスポーツでは心技体が強調される。*

違いはどこにあるか。「ブレイン」の中にイマジネーション、判断力、戦術、精神、ハートが一括されているのに対

して「心」の中に戦術と判断力、イマジネーションが欠けている。ちなみに明治維新の三傑の1人で大和魂の権

化西郷隆盛は極端に戦略、戦術、小細工をきらった。それが同時代人だけでなくわれわれをも引き付けてやま

ない西郷の魅力なのだが「心」だけでは指導の拠り所になりえない。

脳のすべての働きを高め活用するブレインなるキーワードのほうがベストであることは自明だろう。

そこでまず技体なる常用句にかえて脳力・技術・体力なるキーワードを多用するよう提唱したい。

次にブレインなるすぐれた概念のなかで何が一番大事か考えてみよう。

近年少年サッカーの指導において、こどもの能力の発育発達曲線(スキャモングラフ)に基づいて少年期にほぼ

完成される神経の配線をサッカー向きにシフトすることが強調されて来ている。神経系統の発達と密接に関連し

ているボールコントロールは「即座の習得」のゴールデンエイジといわれる9歳から12歳までにパーフェクトスキ

ルの域にまで達するべきだといわれている。

黄金期が体力より技術を伸ばす時期だということに異論はない。だが技術偏重におちいっている例もすくなくない。

まず技術の歴史はつねに技術信仰を裏切ってきた。バレーボールの世界一の技術は数年で追いつかれた。産業

技術の世界一の座は数年で明け渡さねばならなかった。サッカー技術は陳腐化しないが修得しやすい。日本の

サッカー技術は世界のトップクラスに入る。それでいて日本のサッカーには何か足らない。戦艦大和を造った技術

は世界一だった。でも何かが足りなかった。

そもそも黄金期にパーフェクトに達する必要があるのか。達したがゆえに思春期にモチヴェイションが下がることも

ある。日々の指導では毎日の達成感を大事にしてほしい。思春期、15歳までに技術を「完成」させればよい。

パーフェクトスキルの模範生によく見られるもう一つの欠点は戦術理解力が弱いことである。マインドコントロール

されているのではないかと感じるほどに頭に染み付いた「サッカーとは技術なかでもドリブルだ」という狭い

サッカー観から抜け出せなくて戦艦大和の結末をたどる選手がすくなくない。

仮に5年間に植えつけられた誤った観念を解除して正しい観念を育む事は5年かかってもできないことがある。

日本で少年期の指導の中で犠牲になっているものは何か。イマジネーション!どんなに巧い指導をしてもイマジ

ネーションを損なう指導は悪い指導である。どんなに拙い指導をしてもイマジネーションをスポイルしない指導は

良い指導である。

少年期の指導で一番大切なのは脳力の開発である。将来大輪の花が咲くように少年なりのイマジネーションを

育み少年なりの判断力を育てないといけない。幼少期の指導もふくめて少年サッカーの指導で優先順位の第一

位に来るのはイマジネーションを豊かにすることであり判断力を高めることである。

だから技術の習得が一番容易なゴールデンエイジには判断力優先、技術重点の指導をすべきだ。学究にして

日本代表コーチの小野剛氏は「技術と判断をセットに考えたトレーニングが必要」と力説している。

この稿を書いてる最中に世界のベストイレヴン、パーフェクトスキルがアートの域に達したPIXYの最終ゲームを

観た。そしてベンゲル監督がグランパスを去る時日本のサッカーの未来のために残した言葉を思い出した。

「OGURAは練習ではSTOJKOVICだ。試合ではもの物足らない。」

*公平を期するために付け加えたい。日本サッカーの学究たちは「心技体」に戦術を付け加えてきた。

例:加藤 久著 『少年サッカーの指導』 (1990年初版)


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