◇1986年当時の帯広北口駅前の様子◇

色のついている場所をクリックすると、その場所の説明が表示されます。
説明は、地図の下にある表でも参照できます。

◇1986年帯広北口駅前 西2条周辺マップ説明
西1条10丁目
世界一

どういう経緯でそういうことになったのか忘れてしまったが、今は亡き丙午生まれで私と60歳違う母方の祖母と二人で、小学生の頃にここに入ったのを記憶している。私は外孫なので、祖母と一緒に「まち」に行くというのも考えづらいことなのだが、後にも先にも祖母と二人きりで外で食事をしたというのは、この時一度きりだった。
ここで私はスパゲティナポリタンを初めて食べたのだ。鯨ベーコンとピーマンとスパゲティが、ステーキ用のあつあつの鉄板の皿に盛られて供される。
この後、母にナポリタンを作ってほしいと頼むが、母はミートソース派だったので、家で食べることはまずなかった。
この店も当時帯広では老舗だったが、この後10年くらいしてから閉店したと聞いた。

ミドリ写真館
我が家では写真館といえば、ここと相場が決まっていた。私が生まれて初めて写真館で撮影したのもここだし、成人式もここで撮ってもらった。他で撮ったことがないので、上手なのかどうかは不明だが、帯広では根強い人気があったように思う。
ますやパン

帯広で老舗で一番有名なパン屋。現在は市内に数店鋪あるが、1986年当時はここにしかお店がなかった。
高校受験のために中3の夏休みに夏期講習会に参加した際、早朝ここでお昼のサンドイッチを買うのが楽しみだった。定番はマヨネーズで和えたスパゲティの「白スパ」とポテトサンド。
現在は、地元産の小麦「ハルユタカ」で作られたパンがウリ。大変美味しく、地方発送もしてくれるので、帰省時には大量購入して自宅に郵送し冷凍保存しておく。

帯広フードセンター
劇団しらかば「フードセンターの思い出」参照。
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西2条10丁目

井上酒店
1985年前後の当時、帯広のおしゃれな人が集まる場所には、必ずここで働いている人がいた。
この酒店自体は別になんてことはない、飲み屋にお酒を卸しているようなお店だったが、当時その配達に携わっている人は、相当帯広でもカオであり、みんなの注目の的でもあった。
サンデーズバー

Docco-Inで古株だったY氏が独立してはじめた店。
当時は帯広でもめずらしかった(というか、私が他を知らなかっただけだが)本格ヨーロッパチーズの盛り合わせがメニューにあった。1980年代流行したカフェバー形式の店で、高いカウンターとテーブルと大きなビデオがあった。
開店後、数年で姿を消した。

万景苑
劇団しらかば「記憶の底にひそむ焼肉屋」参照。
デイリークイーン
劇団しらかば「Daily Queen」参照。
うさぎ屋書店
この書店の前がバス停で、職場からも近かったためここからバスに乗ることが多かった。バスが来るまでの間書店で本を物色するのも楽しかったが、みんなが同じことを考えているため、各方面のバスの時間が重なるときは大変な混みようだった。
2006年現在はもうない。
オイカワレコード店

帯広で老舗のレコード店。ロックから演歌まで幅広く取り扱っていた。1987年に西2条南8丁目のスケアクロウのあるビルの1階に新しい店鋪を開店し、そこに劇団しらかばのメンバーの一人が入店したが、その人はすぐに辞めてしまった。
その後、西8条の店はすぐになくなってしまったが、10丁目のこの店はずっと続いていた。
現在オイカワレコード自体がまだあるかどうかは未確認。

マルヒロセンター
劇団しらかば「西二条通りの廉売」参照。
かじのビル
劇団しらかば「かじのビル」参照。
ロッテリア

帯広で2軒目のハンバーガーショップ。
開店当時、同じ西2条通りのお店で働いていたので、ロッテリアの店長が挨拶に来たとき、ドリンク永久無料券というのをくれたので、毎日のように通っていた。

村上コーヒー店
1985年に一時期働いていたことのある店。客として通っていた当時は、バイトが何人かいてマスター明るい雰囲気の店だった。コーヒーをサイフォンで入れる方式で、本格的な雰囲気がウリだった。マスターのレコードのコレクションは、70年代ロックを中心としたもので、行く度にかけてもらいたかったが、なかなかかけてくれなかった。
私が働いていた頃は、マスターはほとんど店にでてこず、朝8時から夜8時まで一人っきりで拘束され、食事も休憩もなしという過酷な条件だったため、一ヶ月たたずに逃げ出した。
現在はなくなっている。
ルードボーイ

橋幸夫にそっくりだった、Hさんのレゲエを基調とした雰囲気のお店。階段状のボックス席がおしゃれだった。つい最近までやっていたという情報もあるが、現在はなくなっている。

平和園

帯広の老舗焼肉屋の一つ。帯広で一番高くて美味しいとの評判もあるが、大人6人で焼酎のボトルを空け、ビールや徳利も注文し、3人前はあると思われる焼肉セットを3つとその他にミノ刺しだの、レバ刺しだのさんざん注文して2万円だったのには驚いた。肉も関東のちょっとした高級焼肉店よりはずっと美味しい。ここで高いのであれば、他はどんなに安いのだろうと疑ってしまう。
平和園は未だ健在だが、ここに平和園がまだあるかどうかは不明。

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西1条11丁目
豚丼 ぱんちょう

帯広の豚丼の草分け的有名店。昔から繁昌店だったが数年前までは、行けば普通に店に入ることができた。しかし、今ではテレビで見て豚丼を食べようとする観光客が大挙しているため、帯広市民の口に入ることは少ないらしい。
帯広で豚丼を出す店は、当時ぱんちょうと新橋とつるはしくらいしかなかったが、テレビで有名になってからは町のあちこちで「豚丼」ののぼりを見かける。
ぱんちょうは炭火で豚肉を焼くが、新橋とつるはしはフライパンでタレと一緒に焼く違いがあるが、私はどちらも好きだ。
最近の帯広の人のお勧は、さっぱり系の豚丼らしい。一度行ったが「これは豚丼ではない」と思った。もちろん、牛丼屋などで出される「豚丼」と名前のついた、煮豚の乗ったものは論外である。豚丼は、帯広の歴史が育んだ食文化の一つなのだから、まがいものに気安く「豚丼」を名乗ってほしくない。
それにしても、ぱんちょうになかなか行けないのは残念である。

クリップ
高校時代、友だちと4人で初めて入ったカフェバー。落ち着いたおしゃれな雰囲気のお店で、カクテルの名前がわからず、ものすごく緊張して入ったのを覚えている。
その頃、後にルードボーイのマスターとなるHさんが、バーテンをしていた。その後遊ぶ場所場所で彼が登場することになり、不思議なご縁を感じた。
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西2条11丁目
十勝バス

昭和初期に建てられた古い建物を社屋として、駅前のシンボル的な存在であった。
新横浜にあるラーメン博物館の昭和30年代の町並みを見ると、なぜか十勝バスの社屋前の風景を思い出す。
現在はその建物も取り壊されてなくなってしまった。大変残念である。

柳月

お菓子が安く美味しい帯広において、六花亭と人気を二分する老舗。
白樺をモチーフにしたバームクーヘン「三方六」は、今でも変わらず人気がある。
昔は、三方六の一本食いが夢だったが、その夢は未だ果たされていない。

流行屋-Japan

国内デザイナーズ・ブランドが流行だった当時に、安価な原宿ファッションをモチーフとし、自社でデザイン、製造、販売を行っていた札幌が本社のブティック。流行屋と書いて「はやりや」と読む。
質はあまり良くなかったが、デザイナーズ・ブランドがシャツ一枚何万円もする時代に、流行のデザインの服を高くても数千円で購入できる安さは魅力だった。
ここの角地には、ヤングレディースの流行屋、大人向けのトップショップ、メンズ流行屋と3店鋪並んであった。
現在、(株)流行屋-Japanは別社名になっており、ここの角地の3店鋪もすでになく、現在はローソンがここにある。

ふじもり食堂

帯広で老舗の食堂。当時は昔ながらの“食堂”という感じの店で、カレーからとんかつ、お子さまランチなどがあり、「まち」に行ってふじもり食堂で食事をするのは、子供の楽しみの一つだった。
ここのカレーは美味しいと評判で、カレーだけで「インディアン」という別ショップがあり、当時は西1条9丁目のますやパンの向かいにあったが、現在は町中のいたるところにショップがある。同じ工場で作られているカレーのはずなのだが、なぜか店鋪によって味が多少違うという印象があるのは、私だけだろうか。

サウンドコーナー
若者向けのレコードを中心にしたレコードショップ。当時、音楽に敏感な人は必ずここでレコードを買っていたように思う。小さい店鋪ながらも洋楽の品揃えも豊富で、お店の人も詳しいので、新しいものを試したいときはお勧めを視聴させてもらったりした。
90年に入ってなくなったらしい。
南大門
帯広の老舗の焼肉屋のひとつ。
当時、ジンギスカンランチ500円というのが魅力で、一人でよく食べに行った。
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西1条南12丁目
白い地下
劇団しらかば「白い地下」参照。