いまから何十年も昔、そう、まだ自動車が普通の人々にとって高嶺の花であった頃。交通の主役は、列車と、自転車と、オートバイだった。

 まだまだ、工業製品の品質の考え方はおおらか。販売・修理網も大規模に展開するのはもっと先のことだったから、いろんな人が、いろんな物を手作りで造っていた。
 これからの時代、オートバイの市場はもっともっと拡大すると言われ、自転車を造っていた町工場でも「我先に」とオートバイの生産に乗り出していたのである。

 この頃、名古屋近郊には、100を超えるメーカーがあったという。一貫生産、車体のみ、エンヂンのみ、いろんなスタイルで、いろんなモデルが生み出された。

 ・・・だが、それはもう大昔のお話。僕が片田舎の自転車店で出会ったのは、そんな大昔の忘れ物、だったのか。