*マルコによる福音書7章24〜37節 フーテンの寅さんを演じた渥美清が亡くなった時に、葬式をしないように、という遺言がありました。ひとりの素朴な人間だった自分を、持ち上げたり褒め称えたりしないで欲しいという気持ちからだと思いますが、しかし、映画会社は盛大なお別れのセレモニーを開き、列席した近しいはずの人々は、彼が一番して欲しくなかったことを一生懸命にやっていました。
*マルコによる福音書10章13〜16節 さて、人々は、彼のところに子供たちを連れて来ようとした。彼に触ってもらうためである。しかし弟子たちは、彼らを叱りつけた。だが、イエスはこれを見て激しく怒り、彼らに言った、「子供たちを私のところに来るままにさ ちなみに、聖餐についての記述は、以下にあります。 *マルコによる福音書14章22〜25節(並行箇所:マタイ26:26〜29、ルカ22:14〜20) そして彼らが食べている時に、彼はパンをとり、神を祝してそれを裂き、彼らに与え、そして言った。そして皆、そこから飲んだ。すると彼は彼らに言った、「これは契約のための私の血であり、多くの人のゆえに流されるものだ そして、聖餐についても最も古い記述は、50年代のパウロによるもので、コリント人への第一の手紙10章16〜17節、同じく11章17〜34節です。
私たちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血との交わりなのではないのか。私たちが裂くパン、それはキリストのからだとの交わりなのではないのか。パンが一つであるから、私たちの多くの者は一つのからだなのである。な そして、コリント人への第一の手紙11章17〜34節。ここは今日は読みませんが、全体を読むと、食べるものにも困るほどの貧しい人もいるなかで、富んでいる人たちが集会に食べ物や飲み物を勝手に持ってきて、勝手なときに食べている状況をたしなめている部分が27節以下にあります。これは、多くの場合、洗礼を受けた信者でない者が聖餐を受けるべきではない、という根拠として引かれる箇所です。 *コリント人への第一の手紙11章27節 かくして、ふさわしくない仕方(18節以下の振る舞いを指す)でパンを食べたり、あるいは主の杯を飲む者は、主のからだと血とに対して罪ある者となるであろう。人は自分自身を吟味しなさい。そして、そのように吟味して、パンを食べ、杯から飲むようにしなさい。 この箇所は そして、全体のコンテクスト(文脈・前後関係)に関係なく、一部を抜き出して特定の宗派のドグマ(教義)にあった行動の根拠にするという、聖書の引き方もまた問題となります。 このように、特定のドグマを固定化して吟味や批判を加えないならば、このドグマ自体が偶像になってしまう、ということになってしまいます。そして、このような姿勢こそ、イエスが批判した姿勢でした。
§「聖書学によって、史的イエス、人間イエスの姿を追い求めることはなぜ大切か」 私たちがイエスの行いを考えるときはどうでしょうか。イエスを最初から神の子で特別だったので何でもできた、と短絡的に考えてもいいのでしょうか。それとも、ひとりの人間だったイエスがなぜ、どのようにこの新しい教えを教え、数々の言葉を語り、人々を癒したのかを探ることに大きな意味があるのでしょうか。 *ヨハネによる福音書1章14節 ことばは肉(サルクス)となって、われわれの間に幕屋を張った。ー われわれは彼の栄光を、父から遣わされたひとり子としての栄光を観た ー 彼は恵みと真理に満ちていた。 ことば(筆者注:つまり、神)は肉となった、これはサルクスという言葉が使われていますが、これはただの肉体(ソーマ)ではなく、罪の姿(サルクス)となって我々のところに来た、ということを宣言しているのです。まさに まさにその通りですね。そして、聖書も聖なるものとして、全く吟味を加えないなら、台座にのせてしまったイエ
§シリア・フェニキアの女性の信仰とイエスの癒し さて、今日のテキストは、シリア・フェニキアの女性の信仰とイエスが彼女の娘を癒す箇所です。癒しが、新しい教えと密接に結びついていることについては、前回お話しいたしました。イエスの癒しは、人々を苦しめる病の克服と、宗教的ドグマによる、罪意識からの解放です。7章18〜19節で、「ユダヤ教の食物規定の破棄を宣言」(川島貞雄)しましたが、これは人々を苦しめる宗教的ドグマからの解放です。来るべき神の国の姿を表しています。 伝統的な解釈では、マタイのように、ユダヤ人の救いのために来たイエスが、異邦人を救うことをためらっている、マタイによる福音書15章21節以下のように捉えます。マタイ15:24には、マルコにみられる「まず、『子 *29〜30節「そう言われてはかなわない(筆者注:あるいは、「あなたがそういうので」)。 マタイによる福音書ではどうでしょうか。 *マタイ15:28「おお、女よ、あなたの信仰は実に偉大だ。あなたの望むように、あなたになるように」。すると彼女の娘は、その時から癒された。 そして今、私たちも、人種を越えた、社会的な範疇も越えた、イエスの新しい教えに生かされています。 *マタイによる福音書5章14〜16a節 |
*マルコによる福音書7章31〜37節 31:さて彼は、再びテュロスの地域から出て、シドンを通ってガリラヤの海に至り、デカポリス地域のただ中に来た。すると人々は、彼のところに耳が聞こえず、舌もまわらない一人の者を連れてきて、この者の上に手を置いてく やっと梅雨が明けて、日本の真夏らしい暑さが到来しました。まだまだこの辺は涼しかった先月29日には、北京の気温が摂氏45度を記録したそうです。しかし、中国の公式発表は36.5度だったそうで、これもまたSARS(重症 幸いだ、乞食たち(貧しい者たち)、
さて、ヨハネが獄に引き渡された後、イエスはガリラヤにやって来て、神の福音を宣べ伝えながら言った、「定めの時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で信ぜよ」。 「丈夫な者に医者はいらない、いるのは病んでいる者だ。私は『義人』どもを呼ぶためではなく、『罪人』たちを呼ぶために来たのだ」。 今まで、共にマルコによる福音書から現れる、実際に生きた人間イエス、史的イエス像を追って学びを勧めてきました。彼は科学や歴史学から見たら、間違いなく、歴史上に実在したひとりの人間にほかなりません。そして、当時のユダヤ教徒たちの待ち望んでいたメシア(キリストは、そのギリシャ語形)、すなわち「選民イスラエルを異邦人(ローマ帝国)の専制支配から解放すべき王的、戦士的指導者」(大貫隆)ではありませんでした。
§マルコはユダヤ・パレスチナ地域の地理に不案内? *マルコによる福音書7章31節:さて彼は、再びテュロスの地域から出て、シドンを通ってガリラヤの海に至り、デカポリス地域のただ中に来た。 これは、新共同訳では、「デカポリス地方(のただ中)を通り抜け、ガリラヤ湖へやってこられた」と訳されています。デカポリスをガリラヤ湖南東岸と捉えた場合、これでは道順がおかしいことになってしまいます。しかし、デカポリスをダマスカスまで含めた広い範囲の地域を指すとすれば、正しいことになります。ガリラヤ湖を中心に、時計回りにぐるっと半円分まわったことになります。また、「デカポリス地方(のただ中)に来た、ガリラヤ湖を通り抜け」と捉えると、デカポリスはガリラヤ湖南東岸ということになり、上記のような訳になります。いずれにせよ、マルコは特にこの地域の地理に不案内だったわけではない、ということになります。 この中で興味深いのは、ギリシャ語で書かれた本文の中で、イエスご自身が話していた当時の共通語、アラム語の「エッファタ」が含まれていることです。外国語は、その不思議な響きから、魔術的な力を持った神秘的なもののよ *マルコによる福音書5章41節 *マルコによる福音書15章34節 「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」これは訳せば、わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか、という意味である。 があります。マルコは伝承を受けて、癒しの場面でイエスが用いたと伝えられる言葉を、そして十字架上の最期の言葉を、原語のアラム語で記し、その息づかいをも伝えようとしたのでしょうか。そしてまた、イエスが行った癒し
に対応しています。 *コリント人への第一の手紙16章22〜23節 2003年8月3日 |