*マルコによる福音書 4:35〜41 嵐を鎮める奇跡 さてその日、夕方になった時、彼は彼らに言う、「向こう岸に行こうではないか」。そこで彼らは、群衆を岸辺に §ディスコミュニケーションの(意志の疎通がうまくいかない)時代 先週の火曜日、15日に24年間も北朝鮮に拉致されたまま消息不明になっていた人々のうち、五人が日本に一時 *ガラテヤ人への手紙 3章23〜29節 信仰が到来する以前は、私たちは律法のもとに閉じこめられて監視されていた。来るべき信 *ガラテヤ人への手紙 5章1節 「キリストはこの自由へと私たちを解き放って下さったのだ。それゆえに、あなたがたは堅く立って、再び奴隷状態 父親、母親になろうとする人が、不安とその責任に恐れおののくように、また、独立して事業をはじめた人が、経 §「この人はいったい誰だろう。風や海でさえこの人に従うとは」 さて、今日の聖書箇所は、マルコによる福音書4章35節からの「嵐を鎮める奇跡」についてです。ここから6章 *マルコによる福音書 1章23〜25節 *詩篇69:2 神よ、私を救ってください。大水が喉元に達しました。 また、旧約聖書では、「人間に脅威をもたらす諸力である荒海や暴風が、神によって鎮められるという表象がしば *詩篇77:17 大水はあなたを見た。神よ、大水はあなたを見て身もだえし、深淵はおののいた。 嵐を鎮める奇蹟のエピソードでは、詩篇で神が風や嵐を叱っていましたが、マルコによる福音書では、イエスがそ *マルコ13:21〜23 そしてそのとき、誰かがあなたたちに、「見よ、こ 神の国がもう手に届くところに実はあるんだ、もっとも小さな者こそが救われるんだ、ということを説きながら、 2002年10月20日 |
*マルコによる福音書 5章1〜20節 さて、彼らは海の向こう岸に着き、ゲラサ人たちの地方にやって来た。彼が舟から出てくると、すぐに一人の穢れた霊に憑かれた男が墓場から出てきて、彼に出会った。この男は、墓場を住みかとし、何人ももはや鎖で縛っておく
§「穢れた霊に憑かれた人」
9月の小泉首相の北朝鮮訪問の時から、日本から拉致された人々のこと、そして、大変な閉鎖社会、独裁主義、全体主義の社会である、北朝鮮に住んでいる人々のことを考え続けています。果たして、私が、このような国に拉致されて、外の情報もなにもなく、聖書すらも取り上げられて生きていかなければならなかったとしたら、正気を保っていることができるでしょうか。 「いと高き神の子イエスよ、お前は俺と何の関係があるのだ。神かけてお前に頼む、後生だから俺を苦しめるな」。 「穢れた霊」が、イエスを神の子と呼ぶのは、1章21〜28節を思い起こさせます。以前この箇所を学んだときに、「物語全体はヘレニズム世界の悪魔払い物語の定型パターン:「悪霊が自分を祓おうとする神的霊能者をいちはやく嗅ぎ分け、その名を唱えることによって相手を支配しようとするのに対して、神的霊能者の側でもその悪霊の名前を呼び、沈黙を命ずるという、ヘレニズム世界の悪魔払い物語の定型パターン」(大貫隆)というコメントを紹介しました。ここでも、同じ型式をとっています。
そしてイエスは彼にたずねた、「お前の名は何というのだ」。すると彼はイエスに言う、「俺の名はレギオンだ。俺たちは大勢だからだ」。そして自分たちをこの地方の外に追い出さないように、彼に懸命に乞い願う。ところで、その山のふもとの当地に、豚の巨大な群れが飼われていた。そこで彼らはイエスに乞い願って言った、「俺たちをあの豚どもの中に送ってくれ。あいつらの中に入るから」。(9〜12節) このレギオンとは、ローマ軍の軍隊の単位で、「一個大隊」に相当する言葉です。歩兵6千人、騎兵120騎という規模です。当時のパレスチナは、シリアに駐屯するローマ軍の支配を受けていました。穢れた霊の名前が、占領者、ローマ人の軍隊というのもおもしろいですね。そして、彼らが中に入りたいと言った、「豚」も異教徒であり、占領者であった、ローマ人を示しています。ユダヤ教では、豚は穢れたものとされ、食べることが許されていませんでした。これは、豚肉には有鉤条虫という恐ろしい寄生虫がいて、しっかり火を通さないとこの虫に感染してとても危険だからできた戒めだと言われています。今でも、イスラム教徒が、アメリカを「豚」とか「犬」と言った場合は、大変な侮蔑の言葉ですが、当時も同様だったことでしょう。 そしてイエスのもとに来て、悪霊に憑かれていた者すなわち「レギオン」を持っていた者が着物をまとい、正気のさまで座っているのを見る。そこで彼らは恐れた。そして、先の出来事を見ていた者たちは、悪霊に憑かれていた者に起こったことについて、また豚の群の最期について彼らにくわしく話した。そこで彼らは、自分たちの地域から出て行くようにイエスに乞い願い始めた。 マルコによる福音書の癒しの奇跡物語のなかで、イエスがこのことを言わないように命令するのではなく、「主が今あなたに何をして下さったかを、彼らに告げ知らせなさい」と宣べ伝えることを命令するのはここだけです。 *ガラテヤ人への手紙3章27節 2002年11月 3日 |
*マルコによる福音書 5章21〜34節 21 さて、イエスが舟に乗って再び向こう岸へ渡った時、多くの群衆が彼のもとに集まった。そして彼は海辺にいた。すると会堂長の一人でヤイロスという名の者がやって来る。そして彼を見て、その足もとにひれ伏し、必死に乞い 25 さて、ここに十二年もの間、血が流れて止まらない一人の女がいた。多くの医者にさんざん苦しめられて、持っている財をすべて使い果たしてしまったが、何の役にも立たず、むしろいっそう悪くなった。彼女はイエスのことを聞き、群衆にまぎれて後ろからやって来て、彼の着物に触った。「あの方の着物にでもいいから触れば、私は救われる」と彼女は思っていたからである。するとすぐに彼女の血の元が乾き、彼女は自分が病の苦しみから癒されたことを体で悟った。イエスは、自分から力が出ていったことを自らの中ですぐに知り、群衆の中で振り返って言った、「私の着物に触ったのは誰か」。そこで彼の弟子たちが彼に言った、「群衆があなたに押し迫っているのを見ておられるはずなのに、『私に触ったのは誰だ』などと言われるのですか」。しかし彼は、このことをなした者を見ようと、あたりを見まわしていた。一方彼女は、自分に起こったことを知り、恐れ、また戦(おのの)き、やって来て彼のもとにひれ伏して、彼に一切をつつみ隠さず語った。そこで彼は彼女に言った、「娘よ、あなたの信仰が今あなたを救ったのだ。安らかに行きなさい。そしてあなたの苦しみから解かれて、達者でいなさい」。 35 彼がまだ話している時、会堂長の家から人が来て言う、「あなたの娘御は亡くなりました。もはや先生を煩わすにはおよばないのではないですか」。しかしイエスは、彼らが言ったことを聞き流して、会堂長に言う、「恐れるのを止めよ、いちずに信頼しているのだ」。そしてペトロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、誰も彼に従ってくることを許さなかった。そして彼らは会堂長の家に来る。そして彼は、激しく泣いたりわめいたりしている者たちのけたたましい騒ぎを目にする。そこで彼は中に入って彼らに言う、「なぜあなたたちは、うるさく泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではなく、眠っているだけだ」。そこで彼らは、彼をあざ笑い出した。しかしながら彼は、皆を外に追い出し、子供の父母と自分と共にいた者たちだけを連れ、子供がいるところに入っていく。そして子供の手を取って、彼女に言う、「タリタ・クム」。これは訳すれば、「少女よ、あなたに言う、起きなさい」。という意味である。するとすぐに少女は立ち上がり、歩きまわり始めた。十二才だったからである。そこで彼らはすぐに、正気を失うほど驚いた。すると彼は、誰にもこのことを知らせるなと彼らに厳しく命令し、彼女に食事をとらせるよう告げた。 佐藤研訳
§critical thinking(批判的な思考) critical thinking(批判的な思考)とか、critical
study(批判的な研究)という言葉があります。これは、対象をしっかり吟味する考え方や研究を指す言葉で、scientifuc
thinking(科学的思考)、scientific study(科学的研究)と言い換えることもできます。しかし、日本語を話す人々の多くが、言葉の定義を考えることなしに、言葉の響きで意味を感覚的に捉えて「議論」しようとするので、その議論は虚しいものになってしまうことが数多くあります。 さて、この物語は三部構成になっています。一部と三部が「ヤイロスの娘の蘇生」の物語、そしてこれにサンドイッチのように挟まれて、「長血の女の癒し」の物語が書かれています。マルコによる福音書がよく使う編集方法です。(ここの他に、2:1〜12、3:20〜35、6:6〜31、11:12〜26)サンドイッチのパンの部分のお話しと具の部分のお話しの共通点を浮き彫りにさせて、メッセージを印象づける役割をはたしています。この二つのお話しの共通点は、 *デカポリスでの聾唖者の癒し マルコによる福音書7章31〜37節 さて彼は、再びテュロスの地域から出て、シドンを通ってガリラヤの海に至り、デカポリス地域のただ中に来た。 これを見た人たちが仰天している点、イエス様がこのことを誰にも言わないように命令している点など、物語の展開もよく似ていますね。 *レビ記15:25 もし生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間が過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。この期間中に彼女が使った寝床は、生理期間中使用した寝床と同様に汚れる。また彼女が使った腰掛けも月経による汚れと同様に汚れる。また、これらの物に触れた人はすべて汚れる。その人は衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。 さて、聖書に書いてあることはすべてが疑問を挟む余地のない、完全なもの、と考えている人たちは、こういう箇所をどのように捉えるのでしょう? *ルカによる福音書7章 47〜50節 私はあなたに言う、この女(ひと)の罪はたとえ多くとも赦されている。それは、この人が多く愛したことからわかる。少ししか赦されない者は、少ししか愛さないものだ。」そこで彼は彼女に言った、「あなたの罪は赦されている」。すると、一緒に食事の席についていた者たちが自分たちの中で言い始めた、「罪すらをも赦すとは、この者はいったい誰だろう」。すると彼はその女に対して言った、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安らかに歩んで行 |
*ルカによる福音書2章1〜14節 さて、その頃、カエサル・アウグストゥスから、全世界の戸口調査をせよとの勅令が出た。この戸口調査は、クィリニウスがシリア(州)の総督であった時施行された、最初のものであった。そこで人は皆、戸口調査の登録をする さて、その地方には、羊飼いたちが野宿をしながら、自分たちの羊の群を夜もすがら見張っていた。すると主の御使いが一人、彼らの上に立ち現れ、主の栄光が彼らを取り巻いて輝いた。そこで彼らは、戦々恐々として恐れた。すると御使いは彼らに言った、「そのように恐れることはない。なぜならば、見よ、私はお前たちに大いなる喜びの福音を告げ知らせる。この喜びは、民全体のものとなろう。そなわちお前たちは産着にくるまり、飼い葉桶に寝ている嬰児を見いだすであろう」。すると突如として、その御使いと一緒に、天の大軍勢が神を讃め称えて言うのであった、 「栄光はいと高き神に、そして地に平安
§平和を造り出す者たち 今まで、アメリカに行く度に様々なキャンペーン・ソングに出会いました。「選挙に行こう/選挙人登録をしよう」や、「健康保険に入ろう」、「水は貴重、節約しよう」、「飲酒運転はやめよう」というような普通のものから、「 炎が立ち上る怒りに満ちた町の真夜中、 それから私はその縞模様の布きれを手に取り、 私が熱に浮かされたように、国旗を洗っていると 私の青は、良いと思います。空の色ですから 白い縞の他に、深く豊かな茶色や、薄茶、そして黒も必要ですよ 目を覚ました私は言った、何とばかばかしい話なんだろう、 みんなが、そっぽを向いている以上、この物語は決して終わることがない
私たちが現実の社会に直面するとき、イエスの言葉、生涯が私たちに直接語りかけてくれます。 幸いだ、乞食の心を持つ者たち(霊に於いて乞食である者たち/自分に誇り頼むも
§この世の中に受け入れられないイエスの姿 そして、イエスご自身も、十字架刑という壮絶な死を迎えます。安息日を守る、ということと、そのときに困っている人を助けることと、どちらが大切か。宗教の戒律を守ることと、困っている人の隣人としてその人を助けること そのあと、イエスは霊によって荒野に導き上げられた。悪魔の試みを受けるためである。そして彼は四十日四十夜断食し、その後飢えた。すると試みる者がやって来て、彼に言った、「もしおまえが神の子なら、これらの石にパン *ガラテヤ人への手紙3:26ー28 *レビ記19:17−19 |