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マルコ福音書の研究

      「有 体 的 復 活」

 彼らがそれを話している時、イエス御自身が彼らの中にお立ちになった。ところが彼らは驚き恐れて霊(幽霊)を見ているのだと思った。すると彼は言われた、「何故うろたえるのか? どうして心の中に疑いが起こるのか? 私の手と足を見なさい。私に間違いないのだ。触って、よく見なさい。霊には骨も肉も無いが、ごらんの通り、私にはある」
彼らが喜びの余り、まだ信じられないで訝っていると、彼は言われた、「何か食べる物があるか?」 彼らが焼魚を一切れ差し上げると、彼はそれを受け取って、皆の前でお食べになった。
ルカ福音書 24章36〜43節

 不思議な物語です。聖書学者にとっても、これはパズルです。「イエスの復活体は、物質であるけれども我らの経験し得る物質とは異なっており、霊であるけれども単なる霊ではなく体を備えており、自在に現われ、自在に消え、時間空間の制約を突破せる不思議な存在であった」(黒崎幸吉) 今朝は、復活体の問題について考えてみましょう。
 ルカは、空の墓の物語(1〜12節)と、エマオ物語(13〜35)と、弟子達への顕現物語(36〜49)の三つの異なった伝承を配列して、恰も一連の復活物語であるかのように編集していますが、その接続が必ずしもうまくいっているとは言えません。エマオ物語の結末の部分では、エルサレムの集会所で、復活の主イエスがシモン・ペテロに現われた出来事に加えて、エマオから戻って来た二人の者の報告があり、その話で持ち切りになっている所に、復活のイエスが出現されるのです。その場合、集会の中の三人は既に復活の主にお目にかかっているはずであるにも拘らず、36節以下では、すべての者が初めて経験したかのような対応の仕方をしています。
 今日のテキストの顕現物語は、ヨハネ福音書20章19〜29節の顕現物語と類似した部分があります。両者共、イエスの肉体的な復活を強調している点です。そしてこの点が現代人である私たちの躓きになるのです。
 エルサレムの集会所で弟子たちが集まって復活のイエスを目撃した体験を語り合っていると、そこに復活のイエスが出現されます。そのとき彼らは神的存在者を前にして畏怖の感情を持ったのではなく、亡霊か妖怪の出現に接して恐怖の感情を持ったかのように驚愕しています。するとイエスは、弟子たちの恐れと不信を解消するために、御自身が肉体をもたないただの霊的存在者ではなく、肉と骨とを備えた復活者であることを、三段階に証明して見せたのです。先ず、十字架の釘跡のある手と足を示して、復活者が生前のイエスと同一人物であることを確認させ、次に、見るだけではなく触ってみよと言い、最後に、そこにあった焼魚を食べて見せたのです。それによって弟子たちは疑う余地なくイエスの肉体的復活を信じた、とルカは言っているのです。これが肉体的復活を信じる人たちの根拠とされています。
 原始教会の古い信仰告白では、復活のキリストは先ず「ケファに現われ」(コリント第一書15・5)と書いてありますが、ペテロの経験がどんなものであったかは、何の伝承も残っておりません。しかしパウロの経験については、パウロ自身が書いています。「異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子を私の内に啓示して下さった時」(ガラテヤ書1・16) この場合は恐らく、パウロの内奥における霊的、宗教的経験でしょう。ルカは、使徒行伝において三回もパウロの経験について述べています(9章3〜8節、22章6〜11節、26章13〜18節) この記述にどれほど史的な確実性があるか分かりませんが、恐らく霊的、瞬間的な経験であり、今日のテキストに記されているものとは異質な出来事であったと考えられます。パウロは古い信仰告白で先ず「ケファに現われ」と記した後、「そして最後に、いわば月足らずに生まれたような私にも現われたのである」と記しています。それによってパウロの経験は、ペテロの経験と同質のものと考えているようです。そしてそれは今日のテキストにあるような肉体的顕現とは異質のものであったに違いないと思います。
 「もし誰でもキリストの中にあるならば、その人は新しい創造である」(コリント第二書5・17) ペテロは確かに、パウロと同様に、復活の主イエスに出会って、新しく生まれ変わったに相違ありません。それはパウロの場合と同様に、ある一つの瞬間的な衝撃であったことでしょう。神が人間を再創造されるには、それで十分でしょう。
 「死者はどのようにして復活するのか? どのような体をもって来るのか?」(コリント第一書15・35) この質問に対してパウロは、自分の復活経験を踏まえて詳細に答えています(同36〜41節) 「肉の体で播かれ、霊の体に甦るのである。肉の体があるのだから、霊の体もあるのである」(同44節) パウロの意見では、肉体は墓の中で朽ち果ててもかまわない。大切なのは、肉体の中から現われ出て来る霊体である、というのです。「肉と血とは(骨も)神の国を継ぐことはできないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(同50節) この場合、ギリシャ人が考える霊魂は不滅であるという考えとは違います。実体のない霊とか魂などではなく、霊の体であると言っているのです。例えば私が尾島眞治牧師を思い出す時、エーテルのような存在を考えるのではなく、具体的に、彼の顔の表情や姿態を思い浮べるでしょう。それは確かに、肉体ではない体です。それは豊かな個性を備えた人格です。人格は不滅なのです(マルコ12・26〜27)。私達が肉体を離れて、純粋な霊体になる時、主なる神とイエス・キリストを常に仰ぎ見て、讃美を捧げる喜びを得るのです。礼拝の喜びは、天国の喜びの前味なのです(讃美歌三二〇番) パウロは、肉体の復活ではなく、肉体から霊体への復活を考えていることは明らかです。
 イエスの弟子たちにとっては、イエスは十字架上で死んで三日目に復活し、天に昇り、父なる神の右に座し、かしこより聖霊を送ってクリスチャンの共同体を導き、守り、助けて居られる、と信じるだけで十分だったことでしょう。その原始教会がユダヤ人に復活を宣教した時、伝統的に世の終わりの時の肉体的復活を希求していたユダヤ人に対して、イエスの復活が肉体的な復活であったと説かなければならなかったことでしょう。そのような情況の中から今日の聖書個所のような伝承が教会の中で成立したものと推察されます。従ってこの物語は比較的後期に成立した伝承であると思われます。
                 一九九三年 九月一二日 礼拝説教

      「福 音 的 信 條」

 彼は言われた、「モーセの律法と預言者と詩篇の中で私について書かれたことは、すべて成就する、と私が君たちと一緒にいた時に話したが、その時私はこれらのことを語ったのである」そこで聖書が理解できるように、イエスは彼らの心を開かれた。彼は言われた、「こう書かれてある。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中から復活する。そして罪の赦しに至る悔い改めが、彼の名によって、すべての国民にまで告げられねばならない、エルサレムから始まって。君たちはこれらすべてのことの証人なのだ。見よ、私の父上の約束されたもの(聖霊)を君たちに送ろう。天からの力を着せられるまでは、君たちは都に留まっていなさい」
                        ルカ福音書 24章44〜49節

 ルカは、エマオ物語に接続して、イエスの身体的復活の伝承をあまり手を加えずに、36〜43節に配置いたしました。ひょっとするとルカは、古い信仰告白(コリント第一書15・5)に従って、「ケファに現われ」を34節に、「次に、十二人に現われた」を36〜43節に配置したのかも知れません。とに角、イエスが身体的復活体で現われたという物語は、イエスの復活をラザロの蘇生(ヨハネ11・44)と同じく、もう一度肉のいのちを生きるように思わせる危険性を含んでいます。又、身体的復活は、気絶していたイエスが息を吹き返したものに過ぎない、という誤解に導く可能性もあります。しかし古い信仰告白は、「…死んだ、…葬られた、…復活した」と言っています。即ち、イエスは完全に死んで、蘇生の可能性が皆無になった後、復活したのです。それは、「血と肉とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるもの(肉の体)は朽ちないもの(霊の体)を継ぐことがない」(コリント第一書15・50)という正統で健全な復活信仰に導きます。即ち、肉体より霊体への復活です。ちなみに、「昇天」と言っても、肉の体が重力の法則に逆らって空に上って行くことではなく、肉的存在者が霊的存在者に変化することを言うのです。
 合理的に物事を思考するギリシャ人には復活の観念がなく、アテネのアレオパゴスの丘でパウロが復活の福音を宣教した時に、多くのアテネ市民によって嘲笑されました(使徒行伝17・32) それに対して宗教をいのちとしていたユダヤ人は、後期ユダヤ教以来、多くの者が死後の肉体的復活を信じていました。「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる」(ダニエル書12・2) 復活のイエスに出会って、イエスが神から遣わされたキリストであると確信した弟子達が教会をつくり、そこを根城にしてユダヤ人たちに復活の福音を宣べ伝えた時に、ユダヤ人の思考に合わせて、イエスの肉体的復活を語った者がいたことは想像されます。彼らは弟子達が見た復活のイエスは、実体のないただの霊や幻などではなく、実体をもった有体的復活であることを実証しようと試みたのでしょう。とに角この説話は、ユダヤ教徒との論争の中から生まれたキリスト教の護教的な伝承であると考えられます。肉体的復活という概念は、現代人にとっては奇怪なものに思われますが、古代ユダヤ人にとっては少しも不自然なものではなかったはずです(ヨハネ11・24) しかし、コリント第一書15章に語られている肉体より霊体への復活という信仰は、古代人にも現代人にも、ユダヤ人にもギリシャ人にも日本人にも、すべての人が受け入れることのできる真理です。「人は死んで肉体から離れた後でも、以前と同じようにまだ人間として生きています。それで、人間はその内部では霊であることが分かります」(E・スウェーデンボルグ) 同様なことを今日では多くの臨死体験者が証言しています。要は死後、いかなる生き方をするのか。天界に受け入れられるのか、地獄に落されるのか。それは各人の此の世での生き方が決定する、とスウェーデンボルグが著書「天界と地獄」の中で詳細に語っています。
 ルカは、36〜43節の伝説的な顕現物語に連結させて、原始教会の福音的信條をイエスの口を借りて語っています(44〜46節) これは、表現は異なりますが内容的には7節と26〜27節で語られたものと全く同じものです。ルカは24章の三つの物語の中で、同じパターンを三回繰り返しています。空の墓の物語では、イエスの墓を訪れた婦人たちが、イエスの遺体が失われているのを見て途方に暮れていた時に、天使が現われて彼女たちに「生けるお方を死人の中に」探し求める見当違いを指摘した後、「人の子は必ず罪深い者たちの手に引き渡され、十字架に付けられ、三日目に復活することになっている」と告げました。それを聞いて婦人たちは「イエスの言葉を思い出して」納得しました。エマオ物語では、イスラエル解放の希望をイエスに繋いでいた二人の者がその夢を無残に打ち砕かれて信仰を失い、故郷のエマオ村に戻る途中、旅人の姿で復活のイエスが現われ、彼らの考え違いを指摘して、「キリストはこのような苦難を受けてから栄光に入る(復活する)はずではなかったか?」と問いかけ、旧約聖書の全体がキリストの受難と復活を預言しており、それがイエスにおいて実現したのである、と説明しています。それでも彼らは半信半疑でしたが、食事の席でイエスがパンを取り、神を讃美し、パンを裂いて彼らに渡された瞬間、「二人の目が開かれて」、イエスの復活を信じ、聖書の預言を理解することができました。
 弟子達への顕現物語では、集会所に集まっていた弟子達の中に復活のイエスが現われます。すると彼らは幽霊か妖怪が出現したかのごとくに恐怖を感じますが、イエスに手と足の釘跡を見せられ、それが間違いなく生前のイエスと同一人物であることが分かると、今度は喜び過ぎて信じられず、不思議に思っていると、イエスは彼らの前で焼魚を食べて見せられたのです。そして「彼らの心を開いて」聖書の個所を指摘し、「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中から復活する」と言われました。
 このようにルカが24章の復活物語において、原始キリスト教会の福音的信條を三度も繰り返して語っている理由は、受難するメシアを信じないユダヤ教徒や、キリスト教徒と言われている者の中にも、十字架と復活を信じない人々が居たためであると思います。そしてこの十字架と復活の福音を信じるためには、復活のイエスに出会って、心の目を開かれなければならない、とルカは語っているのです。信仰は、神の賜物なのです。
                 一九九三年 九月一九日 礼拝説教

      「福 音 の 宣 教 命 令」

 「そして罪の赦しに至る悔い改めが、彼の名において、すべての国民にまで告げられねばならない、エルサレムから始まって。君たちはこれらすべてのことの証人なのだ。見よ、私の父上の約束されたもの(聖霊)を君たちに送ろう。天からの力を着せられるまでは、君たちは都に留まっていなさい」
                        ルカ福音書 24章47〜49節

 9月13日、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)がお互いの存在を認め合い、ガザ地区とエリコの町が暫定的にパレスチナ人の自治に委ねられることに合意ができた、というニュースが世界を驚かせました。隣人が石を投げ合うよりも、握手をし合った方がよいのです。この長年の宿敵同士の突然の和解の陰にノルウェーの外交官テリエ・ラーセンとモナ・ジュール夫妻の平和への地道な努力があったことを忘れてはなりません。「幸いなるかな、平和をつくり出す者、その人は神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)
 「このお方(イエス・キリスト)は私たちの平和です。二つのものを一つにし、敵意という隔ての障壁を御自分の肉(いのち)において打ち壊し…」(エペソ2・14) 平和をつくり出す者を祝福する主イエス御自身は、平和そのものなのです。私たちは今、その名を「平和の君」と呼ばれているお方の光に導かれて、その光源を探求して居るのです。
 「復活のイエスの顕現物語をそのモチーフに従って二つの型に区別することができる。第一は、復活者の顕現による復活証明のモチーフである。第二は、復活者の宣教命令のモチーフである」(ブルトマン) この分別法に従うと、24章の三つの物語伝承を配置したルカの手腕は見事です。空の墓の物語は、復活者の出現を予感させるものです。エマオ物語は、正に第一の型に属する物語です。復活のイエスが旅人の姿をして現われて、二人の元信者の失望落胆の原因が彼らの誤ったメシア期待にあったことを指摘し、聖書に基づいてメシアの受難と復活を説明しました。その後、家に入って食卓でパンを取り、感謝の祈りをし、パンを裂いて手渡す仕草がヒントになって、その見知らぬ旅人が復活のイエスであることに気付いた(心の眼が開かれた)瞬間、復活者の姿が消失するのですが、彼らの信仰は復活するのです。
 有体的復活体の物語は、第一の型と第二の型の両方を含んでいます。36〜43節では、弟子たちの集まりの中に復活者が現われて、手と足の釘跡を彼らに見せて、復活者が生前のイエスと同一人物であることを確認させ、よく触って見よ、肉も骨もあるのだと言い、なおも信じられずにいる彼らの前で焼魚を食べて見せたのです。この部分は正しく第一の型です。そのような生体実験をやって見せた後、44〜46節で、復活者は聖書を引用して、メシアの受難と復活は聖書の預言に基づくものであることを納得させます。つまり経験による証明の後に、聖書による証明を与えているのです。そのように復活者は、聖書の預言の成就としてのイエスの出来事(受難と復活)を弟子たちに解明し、彼らがその意味をよく理解した(心の眼を開いた)後に、彼らが果たすべき使命‖全世界への福音伝道を委託したのです。47〜49節は、第二の型に属します。
 「復活者は、復活日までに生じた出来事を預言の光に照らして明らかにした後、彼は彼の弟子たちへの委託に移る。その際、この委託もまた聖書に記されていることによって、予め準備されているものとみなされている。『彼の名において、悔い改めと罪の赦しがすべての国民の中に説かれねばならない、エルサレムから始まって』 マタイと同様にルカもまた、復活者が直ちに世界伝道を命じた、としている。ここでは洗礼の命令は与えられていないが、主の名がすべての裁きと恵みの宣教の核心と明星とである。すべての企てはエルサレムから始まらねばならないという指令は、伝道の実際の成り行きを復活者の委託に基礎づけているのである」(H・グラス)
 「人の子が栄光を受ける時(十字架と復活の時)が来た。アーメン、アーメン、私は君たちに言う。麦のその一粒が地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。しかし、もし死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12・24) イエスが十字架にかけられて死んで復活され、復活のイエスがパラクレートス(聖霊)と成って弟子たちの心の中に入り、弟子たちを内心から揺り動かして御業を継続させる。一人のイエスが、十人のイエスと成り、百人のイエスと成って神の国の福音を宣べ伝えるようになる。「聖書に『最初の人アダムは生きた魂(人間)と成った』と書いてあるが、最後のアダム(イエス・キリスト)は生命を賦与する霊(インスピレイションの源)と成った」(コリント第一書15・45) いま信仰によって生きている人は、この言葉に心からアーメン(誠にその通り)と言うでしょう。その「アーメン」の中に、復活のイエスとの出会いがあるのです。
 ルカが80年代にこの福音書を書いた時には、キリストの福音はすでに地中海世界の至る所に広まっていました。ルカは、ガリラヤから始まった福音がイエスによってエルサレムに導えられた経過を彼の福音書に記し、イエスの十字架と復活の出来事の後、その福音は弟子たちの手によって、エルサレムから世界の都ローマにまで伝えられた顛末を使徒行伝に書き記しました。そのようにしてガリラヤの片田舎に播かれたキリストの福音という名の一粒の種が芽生え育って、世界宗教に発展することは神の御計画の中にあったことである、とルカは言っているのです。そして今日の私たちもその恩恵に浴しているのです。
 ルカはキリストの福音を、「罪の赦しに至る悔い改め」と言っています。世の中に善人と悪人がいるのではありません。自分の罪を悔いる人と悔いない人とがいるのです。後者には罪の赦しはありません。自分の罪を深く悔いて、十字架と復活のキリストを信じる時に、罪が既に赦されていることを知り、喜び感謝するのです。
 「銀や金を私は持っていない。しかし、私が持っているものをあなたに上げよう。ナザレ人イエス・キリストの名において、歩きなさい」(使徒行伝3・6) 大切なのはイエスの御名です。その御名の中に人間を活かし救う力があるのです。大祭司カヤパ邸の庭で三度もイエスを否認した弱いペテロが、復活の主イエスに出会って罪を赦され、聖霊を与えられて上よりの力を受け、福音を全世界に宣教するという大使命に活かされたのです。私たちも又、復活の主イエスの証人として、イエスの名において、歩きましょう。
                 一九九三年 九月二六日 礼拝説教

      「 紆 余 曲 折 」

 イエスは言われた、「こう書かれてある。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中から復活する。そして罪の赦しに至る悔い改めが、彼の名において、すべての国民にまで告げられねばならない、エルサレムから始まって。君たちはこれらすべてのことの証人なのだ。見よ、私の父上の約束されたもの(聖霊)を君たちに送ろう。天からの力を着せられるまでは、君たちは都に留まっていなさい」
                        ルカ福音書 24章45〜49節

 ユダヤ教は旧約聖書を正典とするユダヤ人の民族宗教です。ユダヤ人以外の、いわゆる「異邦人」のことは考えていません。もし異邦人でユダヤ教の神を信じて救われたいと願う者があれば、その人は「ユダヤ人」にならなければなりません。即ち、神との契約のしるしである割礼を受けて、食物規定を守り、土曜日を安息日として守り、その日には絶対に働いたり、運動競技に出場したりはできません。ユダヤ教徒としての生活規範を守るのです。そうしても尚、血統の正しいユダヤ人とは平等に扱ってはもらえません。ユダヤ教はあくまでも「神の選民」たるユダヤ人の民族宗教なのです。
 キリスト教は、ユダヤ教を母胎として生まれた世界宗教です。キリストの福音は、世界万民のための「よき音信(おとずれ)」です。すべての人がイエス・キリストを信じることによって、平等に救われるという福音なのです。「君たちは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。バプテスマによってキリストに結び合わされた君たちは皆、キリストを着たのです。そこにはもはや、ユダヤ人とギリシャ人、奴隷と自由人、男と女といった差別はない。君たちは皆、キリスト・イエスにあって一体となったのです」(ガラテヤ書3章26〜28節)
 ユダヤ教徒は旧約聖書を正典としていますが、もちろん彼らはそれを「旧約」とは言わず、ただ「聖書」と言っています。キリスト教徒は、イエス・キリストの十字架と復活によって神との新しい契約(マルコ14・24)が成立したのだから、それ以前のものを「旧約」といい、それ以後のものを「新約」といっているのです。それでキリスト教の正典は、旧約聖書と新約聖書なのです。
 イエスの弟子たちはユダヤ人であり、ユダヤ教徒でしたので、当時の一般民衆と共にメシア(キリスト=救い主)の到来を待ち望んでいました。そしてその彼らが求めるメシアは、彼らの理想的人間像であったモーセとダビデを合わせたようなメシアでした。モーセはエジプトの桎梏(しっこく)から人々を解放したイスラエル民族の父であり、ダビデは、一介の羊飼いから身を起こして、パレスチナ先住の諸民族を征服してイスラエル統一王国を打ち建てた英雄的王でした。民衆と弟子たちはそのようなメシアになってローマの軛(くびき)からユダヤ民族を解放してくれることをイエスに期待したのでしたが、イエスが十字架上で殺されたことによってその希望が挫折しました(ルカ24・19〜21)
 それに対して、ルカが24章の顕現物語で三回も繰り返して述べていることは、メシアが受難して殺された後、三日目に復活することは聖書全体が預言していることであり、従って神の御計画の中にあったことであり、イエスが十字架について殺された後復活したことによって、その聖書の預言を実現させたのである、と言っているのです。即ちメシア観の相違です。力強い勝利の王となって外敵を一掃し、神の正義によってユダヤ民族を治めるというメシア期待が挫折したのです。もしイエスが彼のカリスマ的力によってそのようなメシアになっていたならば、彼は一ユダヤ民族の、一時的な救い主には成れたかも知れませんが、世界万民が仰ぐキリストには成れなかったに違いありません。それに対して、敗北のメシア、受難するキリストがここで打ち出されているのです。受難するメシア、十字架のキリストは、この世のどん底まで下って行き、そこで世の苦悩と悲惨、孤独と不安、病気と貧困などを味わい尽くし、人間の罪を一身に担って、贖罪の小羊として、罪なきキリストが極悪の死刑囚として処刑されていく。そのような人間世界の不条理を一気にひっくり返してしまうのが、イエスの復活なのです。「我に来れ、すべて労する者、重荷を負って苦しむ者よ、われ汝らを休ません」(マタイ11・28)イエスの招きに応じて御許に来る者は、すべて無条件に救われるというのが、キリストの福音なのです。
 聖書は真理の書でありますが、矛盾の書でもあります。復活のイエスに弟子たちが目見える場所はガリラヤである、とマルコ(16・7)とマタイ(28・7)は言っていますが、ルカは、その場所はエルサレムである(24・49)と指定しています。これはパズルです。この矛盾を調和させることは不可能です。他方、背信の徒であった弱いペテロが、復活の主イエスに出会って、力強いキリストの証人に変身した事実を否定することは誰にもできません。それは神の奇跡的な御業です。同様に、パリサイ派のユダヤ教徒であり、イエスの復活を証しするキリスト教徒の迫害者であったサウロが、ダマスカス郊外で復活の主イエスに出会い、その瞬間から方向を百八十度転換して、復活のキリストに最も忠実な証人となり、十字架と復活の福音をローマ世界に宣教する使徒パウロに生まれ変わった事実を否定することは誰にもできません。
 さて、福音の世界宣教の命令(ルカ24・47、マタイ28・19)です。この時、復活の主イエスが弟子たちに福音の世界宣教の大命を下し、弟子たちは聖霊によって力づけられて、福音を携えて広い世界へ散って行ったように記されておりますが、実相は個々区々(ここまちまち)で、キリストの福音をユダヤ人と同様に異邦人に伝道することには、原始教会の中でかなりの抵抗があったようです。「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町に入るな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行け」(マタイ10・5) これは歴史のイエスの声というよりはむしろ原始教会の声の反響のような感じがします。ペテロがカイザリヤ駐在のローマ軍の百人隊長コルネリウスに招かれた時にも、かなりちゅうちょしています(使徒行伝10章) また、アンテオケ教会での出来事(ガラテヤ書2章)も、ユダヤ人対異邦人の問題でした。このように人間の歴史や教会の歩みは紆余曲折して進んで行くが、それを通して聖霊となられた主イエスが福音伝道の先頭に立って前進しておられるのだという信仰が、福音の世界宣教の命令という形で表現されているのだと、私は考えます。
                 一九九三年一〇月 三日 礼拝説教

      「 主イエスの昇天 」

 それからイエスは彼らをベタニヤの辺りまで連れて行き、手を挙げて彼らを祝福された。祝福されている間に彼らから離れて、(天に挙げられた)。彼らは大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿にいて神を讃美していた。
                        ルカ福音書 24章50〜53節

 生きている者は必ず死ぬ、出会いがあれば必ず別離がある、それが人生だ、とよく言われます。そしてそれは真実です。しかしその逆の真実を語ってくれる人は非常に少ないのです。「別れの日は、集いの日になるのだろうか? そして私の夕暮は、真実、夜明けだった、と言えるだろうか?」(カリール・ジブラーン) その問いかけに対して、「はい、そうです。本当にそうなのです」と肯定を与えるのが、キリストの福音なのです。主イエスの昇天は弟子達との別離でした。しかしそれは主イエスと弟子達との真の出会いの始まりなのです。「私は君たちを捨てて孤児とはしない。私は君たちの許へ戻って来る…その日には、君たちは識るだろう、私が私の父の中におり、君たちが私の中におり、私が君たちの中にいることを!」(ヨハネ14・18、20)
 イエスの昇天の記事は、今日の聖書個所と使徒行伝1章9節にあります。「イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」 その二個所ともルカの文章です。ルカはイエスの昇天をこのように絵画的に描写しています。しかしもちろんそれは私たちがその描写から想像するように、イエスの体が、子供の手から離れた風船のような姿で空中に上げられたのだ、と解釈する必要はありません。
 現代人にとって「天」は、先ず宇宙空間を意味します。ロシア人宇宙飛行士ガガーリンは、「私は宇宙を飛んできたが、神はいなかった」と言いました。当たり前です。しかし現代人にとって「天」は、超越の世界を表現する意味で使われることもあるのです。「天にまします父よ」と祈る時、私たちは霊的な超越の神に呼びかけているのです。
 古代人にとって地上は人間の住む場所であり、天は神的な存在者の住む場所でした。それで「天に昇る」ことは、人間的な存在が人間の住む場所を離れて、神的な存在の住む場所に移行したということを表わしていました。「天から下って来た者、即ち人の子のほかには、だれも天に上った者はいない」(ヨハネ3・13) ヨハネ福音書では、神的存在者であったロゴス(神の言葉)が天から下って来て、「肉と成って」、即ち人間的存在と成って地上に住み、再び神的な存在者として天に戻った、と考えられています。
 復活と昇天の関係はどう考えるべきでしょうか? 「元来、復活と高挙とは同じことであった(コリント第一書15・3以下)。墓からの復活と昇天とを二つの別の行為に分けるのは、二次的なものである。復活の意味は始めから、イエスが天の尊厳へと移行した、ということである。イエスは今や、神の右に座っている」(コンツェルマン) 最古の福音書であるマルコ福音書に復活のイエスの顕現物語が無いのは、イエスは復活と同時に天に上げられた、と信じられたからかも知れません。マルコ以後の三福音書に復活のイエスの顕現物語が出てきますが、そこではイエスは既に神の子の権威をもつ神的存在者として語られています(マタイ28・16以下、ルカ24・13以下 、ヨハネ20・11以下)
 「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた。これが私たちの主イエス・キリストである」(ローマ書1・3〜4) イエスは、血統をたどればダビデの家系に連なり、神の啓示によれば復活によって力強い神の子であることを証明されたのです。イエスが力強い神の子であると言えるのは、彼が復活したからです。彼が復活したと言えるのは、復活のイエスに出会ったからです。「そして最後に、いわば月足らずに生まれたような私にも、彼は現われたのである」(コリント第一書15・8) この場合パウロは、天にいます主イエスが自分に顕現された、と理解しているのでしょう。ルカはその時の様子を使徒行伝9章3節にこう記しています。「ところが、道を急いでダマスカスの近くに来た時、突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした」 やはり復活のイエスは天的な存在者なのです。
 このように元来、復活は即ち昇天であり、天に上られた霊的存在者であるイエスが、御自分の選ばれた人々に顕現されたのです。イエスの復活と昇天とをはっきりと区別をしたのはルカです。ルカは歴史感覚をもったギリシャ人でした。ルカによれば、イエスは復活の後、不思議な復活体をもつ存在者としてこの地上に留まり、40日の間、しばしば弟子たちに現われて、神の国について語られた(使徒行伝1・3) その後、オリブ山から、弟子達が見守るうちに天に上げられた。その10日後、即ちペンテコステ(50日の祭)の日に弟子達の上に聖霊が降臨して、その結果エルサレム教会が誕生し、そこを本拠地として、キリストの福音が世界の都ローマにまで宣教されるに至った、というのです。
 ルカの時代の教会の直面した深刻な問題は、終末とキリスト再臨の遅延でした。その問題の解決としてルカは、神の救済の歴史という思想を生み出しました。彼は救済史を三区分し、第一は天地創造からイエスの誕生までの「イスラエルの時」、第二は時の中心である「イエスの時」、第三は聖霊降臨からキリストの再臨までの「教会の時」としました。「イエスの時」の終わりはどこか? 勿論、イエスの死ではない。彼は復活したのだから。ルカは復活のイエスの顕現の期間を40日とし、昇天によって終止符を打ちました。ルカは福音書にイエスの誕生から昇天まで、即ち「イエスの時」を記しました。そしてその続編の使徒行伝は、昇天からパウロのローマ到着までをカバーしましたが結語を書かず、「パウロは神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを大胆に教え続けた」(28・31)と記し、神の御業(みわざ)が世の完成の日まで続けられることを暗示しました。それによってルカは、終末と再臨は間もなく来るのではなく、歴史の彼方、即ち、御父が決定される時に来るのだから、弟子たる者はその日に至るまで福音を宣べ伝えなさい(使徒行伝1・7)とイエスの口を借りて言っているのです。
 こうしてイエスの昇天は弟子達との関係の「始まりの終わり」になりました。「私は去って行くが、また君たちの許に帰ってくる」(ヨハネ14・28) この御言葉の意味が理解できた時に、「私の夕暮れは、本当に夜明けだった」と言えるのです。
                 一九九三年一〇月一〇日 礼拝説教

      「 マグダラのマリア 」

 週の最初の日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアが墓に来て見ると、墓から石が除けてあった。そこで彼女は、シモン・ペテロと、イエスが愛していたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか私たちには分かりません」                                                    ヨハネ福音書 20章1〜2節

 マルコ福音書には、16章9節以下の後世の付加の部分を除くと、復活のイエスの顕現物語はありません。マタイ福音書には、28章9節に天使からの伝言を弟子たちに取り次ぐべく道を急ぐ婦人たちに復活のイエスが現われたという不思議な話と、16〜20節にガリラヤの山の上で十一弟子たちに顕現された物語があります。ルカ福音書24章にはガリラヤでの顕現は無く、専らエルサレムとその近郊での顕現物語があるだけです。即ちエマオ物語と、エルサレムの集会所での顕現と、オリブ山からの昇天物語です。ヨハネ福音書には、20章にエルサレムでの顕現物語と、21章にガリラヤでの顕現物語があります。
 「週の最初の日」 金曜日の夕方から土曜日の夕方までがユダヤ教徒の安息日ですから、日曜日が週の最初の日です。イエスの復活は日曜日の早朝に起こりました。注目すべきことは、土曜日を安息日として厳守していたユダヤ教徒のイエスの弟子たちが、復活の出来事を記念して、日曜日を彼らの安息日とし、これを「主の日」とも呼んで礼拝を守るようになったことです。「安息日を覚えてこれを潔くすべし」とのモーセの十戒の掟を厳守していたイエスの弟子たちが、先祖伝来の伝統を捨てて、安息日を次の日に移してこれを主の日として守るようになった歴史的事実の根底にイエスの復活信仰があったことは確かです。弟子たちにとってイエスの復活の衝撃はそれほど大きかったのです。そしてその余波が世界中に及び、今日、日曜日は休日、ということが先進諸国の常識になっています。ユダヤ教の伝統であった土曜日の安息日厳守という強力な引力圏から脱出するに足るエネルギー源は、復活のイエスの力でした。
 マグダラのマリアの登場です。彼女はイエスの公生涯の中で、最もイエスに近い女性でした。「ガリラヤ湖畔に沿って、ティベリアから北に約5キロ行くとマグダラに着く。この村は、現在は、ティベリアからカペナウム、ゴラン高原へ通じる道路に面しているが、古代は、ナザレからティベリアへ通じる道路との交差点でもあった。マグダラは、イエスに救われ、彼のガリラヤ伝道に同行し、後に復活のイエスに最初に出会ったあのマグダラのマリアの生地である」(「新約聖書の考古学」 関谷定夫著)
 「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」(ルカ8・2) 何かいわくありげな表現です。イエスは、神の国の到来を告げ知らせ、同時に病気の癒しと悪霊の追放をしていました。悪霊祓いはサタンの勢力に対する神の勝利の証しでした(マルコ3・24以下) 当時、病気や精神病や身体の障害などは、悪霊の仕業だと考えられていましたので、悪霊の束縛から人々を解放することは、メシア的な業でした(イザヤ35・3以下)「七」は完全数ですから、マグダラのマリアは完全に悪霊に支配されていた不幸な女性でした。古代教会以来の伝説では、ルカ伝7章36節以下に出て来る「罪の女」がマグダラのマリアと同定されています。そして「罪の女」とは、男を罪に誘惑する売春婦であるとも解釈されてきました。とにかく彼女はイエスとの出会いによって、そのような苦境から救い出され、それ以後はイエスに従って奉仕する女性たちの一人として、ガリラヤからエルサレムまで、そして十字架の道行きと埋葬と復活の朝まで最も忠実に従ってきたのです。
 日曜日の早朝、イエスの墓を訪れた女性はマルコ福音書では3人、マタイでは2人、ルカでは名前が上がっている3人の他にも数人いましたが、ヨハネではマグダラのマリア一人になっています。いずれのリストにも彼女の名前が一番に記されていますから、彼女の存在は最も確実です。ヨハネでは彼女が単独で墓に行ったように書かれていますが、2節の「…私たちには分かりません」と一人称複数形の主語になっていますから、他の女性たちも一緒であった可能性も考えられます。
 彼女は早朝、まだ暗いうちにイエスの墓を訪れると、墓の入口の大きな丸石が除けてありました。他の福音書と違ってヨハネの記事は簡潔です。彼女が墓に行った理由や、墓石を動かす問題など、一切の説明はありません。彼女は墓の中をのぞいて見ることもしないで直ぐにペテロとイエスの愛弟子のところに所に走って行きます。そして彼女が彼らに知らせたことは、イエスが復活したということではなく、だれかがイエスの遺体を運び去ったということでした。
 「どこに置かれているのか、分からない」 注目すべき言葉です。13節でも彼女は天使に向かって、「彼らは私の主を取り去りました。私は彼がどこに置かれているのか分かりません」と言っています。更に15節にも「彼をどこに置いたのか教えて下さい」と言っています。マリアの口から同じ言葉が三回も繰り返されています。「イエスのいる所が分からない」 これがマリアの悲しみの原因でした。「イエスはどこにおられるのか?」 これは信仰的な問いかけです。ヨハネはしばしば人々にこう問わせています(7・11、35、9・12、14・5他) ここにヨハネ福音書の特徴がよく表われています。「しばらくする と、世はもう私を見なくなるが、君たちは私を見る」(14・19) 「私が行って君たちのために場所を用意したら、また戻って来て、君たちを私の許に迎える。こうして、私のいる所に、君たちもいることになる」(14・3) ヨハネの思想では、イエスから離れること、彼を見失うこと、彼との交わりを喪失することが人間の悲惨であり、喪失感の原因であるのです。マリアはイエスをメシアと信じて従って来たのですが、彼が殺されたことによって関係が絶たれたと考え、絶望していたのです。マリアは、イエスを見失ったすべての人間を代表して「彼がどこにいるか、分からない」と言っているのです。
 ヨハネは16〜18節で直接話法を用いて、交わりの回復を記しています。イエスを見失って途方に暮れているマリアに対して、復活のイエスが「マリア!」と呼びかけた時に、彼女は「先生!」と応答しました。イエスの死によって一度断たれた人格的な愛と信頼の交わりがここに回復したのです。復活の主イエスとの関係の中に人間の救済があるのです。
                 一九九三年一〇月一七日 礼拝説教

      「墓へ走る二人の弟子」

 そこでペテロともう一人の弟子とは飛び出して、墓へと急いだ。二人は並んで走ったが、もう一人の弟子の方がペテロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめると亜麻布があるのが見えたが、中には入らなかった。続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓の中に入り、亜麻布があるのを見た。また頭を包んでいた(埋葬用の)布ぎれは、亜麻布と同じ場所にはなく、包んだままの形で、別の場所にあった。その時、先に着いたもう一人の弟子もまた中に入り、見て、信じた。彼らは「彼は死人の中から甦らなければならない」という聖書の言葉をまだ分かっていなかったのである。それからその弟子たちは家に帰って行った。
                       ヨハネ福音書 20章3〜10節

 10月18日、横浜のホテルで、引退宣教師メアリー・バレンタイン先生(86)の歓迎昼食会がありました。先生は40年前の川崎教会のこと、高田敏子先生や私のことをよく憶えていて、スピーチの中にも言及されました。その会で三人の女性のことを考えました。40年前、彼女たちは女学生でこの教会の礼拝に出席していました。そして卒業後、就職したり結婚したりして、各々の人生の道に去って行きました。その会でその中の二人に再会しました。50歳台の女性になっていました。そこで考えました。この40年間で彼女たちは何を失い、何を得たのだろうか、と。当然、青春の輝きは失せていました。得たものは、外面からは計り知ることはできません。晩年になって、人生を振り返って見た時に、失ったものを惜しんで後悔の念にほろ苦い味を噛みしめるのか、得たものを喜んで感謝の思いに満たされるのか。それはおのが人生の一刻一刻を何に投資しているかによるのだ、と自戒いたしました。
 「共観福音書も同じですが、イエスの復活を語る福音書のテキストには、イエスの復活されるその瞬間を見た人について、いっさい言及されていません。直接の目撃者はいなかったということです(ラザロの蘇生の場合は大勢いました)。復活したイエスと『信仰による出会い』をもった人々は、あるいは、イエスの『出現』を直接に体験するか、あるいは、体験した人の『証し』を受け入れるかのいずれかの道を通ったのでした」(石川康輔)この指摘は注目に値します。復活の主イエスに出会うという出来事は、福音書の時代も現代も、霊的、信仰的な経験であって、五官に訴えるような出来事ではないのです。また信仰の証しを受け入れる人も、復活の主によって「心の眼を開かれた」という意味で、復活の主に出会っているのです。その証拠は、信仰の喜びと感謝です。その経験を軽んじる人は、やがて信仰を失ってこの世の価値観の中に埋没してしまいます。「御霊を消してはいけません」(テサロニケ第一書5・19)
 20章1〜18節では二つの物語が競合しています。1節は11節以下に直結して、これはマグダラのマリアの物語です。3〜10節は二人の弟子の競争の物語で、2節はその二つの物語をつなぐヨハネの編集句です。本来異なる物語が一連の出来事として語られています。 ペテロは、新約聖書の中ではシモンとかケパとか呼ばれています。「もう一人の弟子」は、「イエスの愛弟子(まなでし)」とも呼ばれていますが、その固有名詞ははっきり分かりません。「これらのことについて証しをし、それを書いたのはこの弟子である」(21・24) その匿名の弟子は、古代教会以来、ペテロとコンビのヨハネのことであると考えられて、この弟子がヨハネ福音書の著者であるとされてきました。以下、私たちもそれに従います。
 マグダラのマリアの報告を受けて、ペテロとヨハネは墓へ急行します。ヨハネの方が若くて脚が速かったので先に墓に着きましたが、うす気味が悪かったのでためらっているうちに、後から着いたペテロが先に墓の中に入り、亜麻布の置き場所を見ました。遺体に巻かれていた亜麻布は、きちんとたたんで置いてあり、頭を包んでいた布ぎれは、あたかもイエスの頭がすっぽりと抜けたような形で、置いてありました。やがてヨハネも恐る恐る入ってきました。そして墓が空になっており、亜麻布と布ぎれの位置を見て、イエスが復活されたことを信じました。ペテロも信じたかどうかは書いてありませんが、彼も信じたと考えた方が自然です。この物語が伝えようとしていることは、イエスは復活したのであって、イエスの遺体が盗み出されたのではない(マタイ27・64、28・13〜15)と主張するためです。「ついに愛弟子の方も墓に立ち入り、一切を見、復活の主を自分の目で見ることなしに信仰に到達し、沈黙する。墓が空になっていることは明らかに、イエスが死人の中から復活したことの証拠である。空の墓を見て復活の信仰に到達したことは、愛弟子についてしか明言されていないけれども、ペテロについても同じことを想定すべきであろう。すると最古の伝承たるマルコ伝承とは違うことになる。それによるとペテロは空虚な墓を見るということさえ全くないのであるから」(シュルツ) マルコ福音書16章では、墓が空であってもそれはイエスの復活の証明としては不十分であり、弟子たちは、ガリラヤで復活の主イエスと再会するようにと、天使によって指示されているのです。伝承史的に見ればマルコが前期のもので、ヨハネは後期のものであることは明らかです。
 9節の言葉は教会の編集に基づく但し書きです。この時点ではペテロとヨハネの二人は空の墓という物的証拠を見て信じただけで、まだ聖書の預言の裏付けを持っていなかった、と言いたいらしいのです。原始教会では聖書的根拠に最も権威が置かれていました。
 ペテロとヨハネの競争をどう理解したらよいでしょうか? 「ヨハネは、この象徴的な競合場面によって同時に、ユダヤ人キリスト教(ペテロ)と異邦人キリスト教(愛弟子)との、空虚な墓および同時に復活信仰に対する関係を明示しようとしたのである。先ずユダヤ人キリスト者が、次に異邦人キリスト者が、復活信仰に到達する。しかし、純ヨハネ的には、客観的にどちらが優れているとすることもできない。むしろ、愛弟子の方が速く走ったということに、異邦人キリスト教の方がユダヤ人キリスト教以上に信仰への備えができているのだと言う主張を、認めることができよう」(シュルツ) 成程、使徒行伝6章以下の教会の推移を考えると、その解釈は説得力があります、ペテロもヨハネも個人であると同時に、そのグループを代表する名前であったのかも知れません。ヨハネ福音書の謎の一つは、ペテロと愛弟子の競合関係が目立つことです。コンビは、実は、ライバルであったのか? 興味深い問題です。
                 一九九三年一〇月二四日 礼拝説教

      「振り向いたマリア」

 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、白い衣を着た天使がふたり、ひとりはイエスの遺体が置いてあった場所の頭の所に、もうひとりは足の所に座っているのが見えた。天使は彼女に言った、「女の人よ、なぜ泣いているのか?」 彼女が言った、「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません」 こう言って後ろを振り向くと、イエスが立っているのが見えた。しかしイエスだとは気付かなかった。イエスは言った、「女の人よ、なぜ泣いているのか? 誰を探しているのか?」 彼女は、彼が庭師だと思って言った、「もしあなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えて下さい。私が引き取りますから」 イエスが言った、「マリア!」 彼女は振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!」と言った。「先生」という意味である。
                       ヨハネ福音書 20章11〜16節

 [命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる… ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」(創世記19章17、26節) ロトの妻は淫乱と犯罪の都市ソドムに何か未練があったのでしょうか。後ろを振り返ってはいけない、という天使の警告に逆らって、もう一度ソドムの都市を見ようとして、後ろを振り返った瞬間、塩の柱にされてしまいました。ちなみに、英語でソドミー(ソドム的)というと、男色の意味です。ソドムの伝説は私たちに何を教えているのでしょうか。聖霊降臨の日にペテロは叫びました、「この曲がった(邪悪な、不正な)時代から救われよ!」(使徒行伝2・40) このペテロの叫びは、あの天使の警告と、奇妙にも共鳴しています。「命がけで、この罪の世から逃れなさい!」 今朝、私たちが学ぼうとしているのは、後ろを振り返って滅びた女性についてではなく、後ろを振り向いて生命を発見した女性についてです。きょうのテキストで、マグダラのマリアは二度、後ろを振り向きました(14節、16節) 何に、誰に心を惹かれて、彼女は後ろを振り向いたのでしょうか? 救いと生命は、彼女の視線の先にありました。
 ヨハネ福音書は思想性の強い書物です。平易な表現の中に深い思想を秘めています。注意深い配慮をもって読まないと、秘められた真理を見逃してしまいます。ヨハネはマリアの口を通して「イエスの居場所が分からない」と三度繰り返して語りました。それによって、人間の悲惨の真の原因が指摘されていることは、10月17日の礼拝で既に学びました。逆に、イエスが居られる場所に私たちも居る。善き羊飼いの羊の群れの中に私たちもいれられている。良きぶどうの木に連なる枝として私たちも連なっている。これが私たちの救いの状態なのです。またそれは、主にある交わりの場としての教会が大切な由縁です。主によって結び合わされた交わりを大切にしない人は、終には信仰を失います。
 マグダラのマリアは、イエスが葬られてから三日目の朝、ひとりで墓にやって来ました。亡き師を偲んで泣くためでした。この三日間、彼女の頭の中は走馬灯のように、イエスとの出会い、苦境から救出されたこと、イエスに従い奉仕する女性の中に入って、イエスの言葉を聴き、彼の行いを見てきたこと、ガリラヤからエルサレムへの旅、そしてエルサレムでの日々、十字架の道行きとイエスの死と埋葬などがくるくると回って、その他のことは上の空であったことでしょう。そして彼女は一つの決心をしました。「あの方が死んだのだから、私も死んだのだ。残る生涯はせめてあの方のお墓を守ることだ」
 マリアは墓の外に立ってしばらく泣いた後、身をかがめて墓の中を見ると、白い衣を着た天使が二人、イエスの遺体のあった頭の所と足の所にすわっているのが見えました。白は天上のしるしです。普通の白ではなくて、白銀の雪のような輝く白です。「元来、旧約聖書は唯一神信仰に立っているから神以外の天使的な存在は考えられていなかったのであるが、捕囚期以後、特に神の沈黙の時代には、神と人間との断絶を埋めるものとして天使的存在が想定され、またユダヤ教の中にも天使礼拝が始まったと考えられている。新約聖書の中では礼拝の対象というよりは、神の意志、神の言葉の伝え手として擬人化されたものとして天使が見られる」(新共同訳新約聖書注解) ちなみに、悪魔もまた、人間の内と外に存在する罪と悪の根源を擬人化したものの呼び名であると考えられています。
 「女の人よ、なぜ泣いているのか?」 13〜15節は、ルカ福音書24章15〜19節とよく似ています。悲しみの原因は、その両者共、イエスを見失っていることです。「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません」 そう返事をして彼女が振り向くと、そこにイエスが立っていました。復活のイエスは暗い墓の中におられず、外の光の中に立っていました。しかしマリアの内なる眼はまだ墓の中に注がれていたので、イエスを見ていながら、本当に見てはいませんでした。「女の人よ、なぜ泣いているのか?」これは更に根源的な問いかけです。本当の悲しみの原因は、事柄ではなくて、人格なのです。何や、何故ではなくて、誰なのです。マリアはイエスの遺体を探し求めていたのですが、彼女が本当に求めるべきものは、生けるイエスでした。「何故、生ける者を、死人の中に探しているのか?」(ルカ24・5)
 「彼女は、彼が庭師だと思った」 彼女は彼がその庭を取り仕切る庭師で、イエスの遺体をどこかに始末したのかも知れない、と勘違いしたのです。「私がその遺体を引き取ります」 この言葉の中にイエスに対するマリアの情愛が感じられます。盲目的な情愛です。しかしイエスはそれをよしとされて、ひと言、「マリア!」と呼びかけました。ハッと気付いて、振り向き、彼女は叫びました、「ラボニ!」 イエスは生前、弟子たちからラボニ(先生)と呼ばれていたことがこれで分かります。墓の中を見つめていたマリアは悲しみに満たされていましたが、その眼を転じて、復活のイエスを仰ぎ見た瞬間、彼女の心は喜びに満たされ、その顔は光り輝きました。復活の主イエスに出会うということは、その出会った人が復活するということです。マリアは喜び勇んで弟子たちの所へ行って言いました、「私は主にお目にかかりました」
                 一九九三年一〇月三一日 礼拝説教

      「復活の主の最初の証人」

イエス 「マリア!」
マリア 「ラボニ!(先生)」
イエス 「私に縋りつくな! 私はまだ父の御許に上っていないのだから。さあ、私の兄 弟たちの所へ行って、『私は、私の父にして君たちの父、私の神にして君たちの神の御 許に上って行く』と言いなさい」
マグダラのマリアは行って弟子たちに「私は主にお目にかかりました」と言い、主がこれらのことを彼女に言われた、と語った。
                       ヨハネ福音書 20章16〜18節

 人間関係は複雑です。人間の悩みの多くは人間関係から生じています。親と子、夫と妻、教師と生徒、大人と若者、男と女… 至る所に分裂と断絶の苦悩があります。そして最も深刻な断絶の苦悩は、生と死との間にあります。もしその深淵に橋がかけられて、愛の交わりが可能になったら、それこそが福音です。実は、復活の主イエスが、その橋なのです。
 「もしあなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えて下さい。私が引き取りますから」と、マリアは庭師らしい人に言いました。彼女はイエスが十字架にかけられて殺された現場にいたし、埋葬にも立ち合いました。そして今、彼の死を悼んで泣くために墓に来てみると、イエスの遺体が失われていました。そこで庭師とおぼしき人に尋ねたのです。彼女は「生ける者を、死人の中に探していた」(ルカ24・5)のです。彼女の心の眼は閉じていました。それを開くために復活のイエスはただひと言、「マリア!」と呼びかけました。「イエスは彼女にその名前で呼びかける。すると彼女の眼の閉じられた状態は彼女から取り去られる。彼女はイエスを認め、彼に『私の先生』と言う。…羊飼いは彼の羊を知っており、羊の名を呼ぶ。そして羊は彼の声を聞いた時に、彼を認める」(ブルトマン)
 「彼女は振り向いて彼に、ヘブライ語で『ラボニ!』と言った」 感動的な場面ですが、これだけでは不十分なのです。「ラボニと呼びかけることによって、マリアは『先生』に対して今まで通りの態度を続けようとしたが、イエスはそれを許さなかった」(ダルマン)ラボニというのはアラム語で、ヘブライ語ではラビと言います。イエスの時代、ユダヤ人は聖書をヘブライ語で読み、生活用語としてはアラム語を使っていました。アラムというのは古代シリアのことで、パレスチナはシリアの文化圏の中にありました。イエスに対する「ラボニ」という称号は、原始教会では廃止されて、それに代わって「マラナ」(主)が用いられていました。「マラナ・タ‖主よ、来たり給え」(コリント第一書16・22)
[マリアがここでイエスに『私の先生』と呼びかけているのは決して偶然ではない。というのは、この呼びかけによって読者は、マリアがイエスを死から復活した者と認め、彼をまた昔と同じようにイスラエルで教え続けるものと理解していることが分かるからである。実際彼女はイエスが昔のように弟子たちとこの世でつき合うのだ、と考えているのである。彼女の理解している復活とは、死んだイエスが地上の生に復帰することでしかない」(シュルツ) それは当然のことです。何事も段階を踏んで完成されて行くのです。
 「私に縋りついてはいけない!」 一見、非情に見えるイエスの拒絶です。マリアが「先生!」と言って縋りつくのは自然の情です。しかし、もしイエスがそれを許したら、彼女は本当の復活信仰が得られなくなるのです。肉の情愛、男女の情感は非常に強いのですが、それを「燔祭」に捧げなければ、霊の高処(たまみ)に到達することはできません。
 「私はまだ父の御許に上っていないのだから」 これが拒絶の理由です。これは27節でトマスに言われた言葉と矛盾しているようです。「君の指をここに当てて、私の手を見なさい。君の手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい」 女には許さなかったことを、男には許したのでしょうか? それとも、17節と27節の出来事の間に、イエスは天に上ってから再び地上に下りて来られたのでしょうか? 恐らく、違うでしょう。問題はイエスの側にあるのではなく、マリアの側にありました。マリアは喜びの余りイエスに縋りついて、生前と同様の関係を保ち続けようとしたのに対して、これからのイエスとの関係は霊的な関係になる。即ち、イエスは天に上って父の御許に至り、天から再び下って来るパラクレートス(助け主、慰め主、弁護者、聖霊、真理の霊)と成って愛する弟子たちとの新しい関係に入られるのです。「私が去って行くことは、君たちの益になるのだ。私が去って行かなければ、パラクレートスは君たちの許には来ないであろう」(16・7)
 マリアの行為を拒絶したイエスは、彼女に特別な使命を委託します。「さあ行って、私の兄弟たちに伝えなさい、『私は、私の父にして君たちの父、私の神にして君たちの神の御許に上って行く』と」 イエスが弟子たちを指して「私の兄弟たち」と言われたのは初めてです。不甲斐ない弟子たちを「私の兄弟たち」と呼ばれたのです。イエスは常に御父をアッバ(お父さま)と呼んで、特別に親しい関係を保たれていましたが、その関係の中に弟子たちを招き入れておられるのです。「その日には、私は私の父の中におり、君たちは私の中におり、私は君たちの中にいることを識るであろう」(14・20) 不甲斐ない弟子たちが、神の「至聖所」の中に招き入れられるのです。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触った者、即ち、生命の御言(ロゴス)について──この生命が現われたので、この永遠の生命を私たちが見て、その証しをし、君たちに伝えます。この永遠の生命は、御父と共にいましたが、今や私たちに現われました。私たちが見たもの、聞いたものを君たちに知らせるのは、君たちも、私たちの親しい交わりに与かるようになるためです。私たちの親しい交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの親しい交わりのことです。この手紙を書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためなのです」(ヨハネ第一書1章1〜4節) イエスを信じ、彼を愛する者は誰でも、この喜ばしい親しい交わりの中に入れられるのです。
 マリアはこの福音を携えて、弟子たちの所に行って言いました、「私は主にお目にかかりました!」と。ユダヤの法規によれば、女性の証言は無効とされていましたが、復活の主イエスは敢えて女性の前に現われ、彼女を最初の証人として弟子たちの許に遣わされました。最もラディカルなイエス!
        一九九三年一一月 七日 礼拝説教

      「 平和が君たちに! 」

 その日、即ち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちの居場所の戸を閉じていたが、イエスが入って来て、彼らの真ん中に立ち、「平和が君たちに!」と言われた。そして彼は手と脇腹とを彼らに見せられた。弟子たちは主を見て、大喜びした。
                       ヨハネ福音書 20章19〜20節

 20章1〜18節は、実際には二つの物語が競合しているのですが、ヨハネの編集方針に従って、一つの物語として読むと以下のようになります。マグダラのマリアの報告に驚いてペテロとヨハネはイエスの墓に来て見ると、墓は空になっており、遺体に着せられていた衣装がきちんと置いてあるのを見て、イエスの遺体が盗まれたのではなく、彼は復活したのだ、と信じました。他方、マグダラのマリアは、空の墓を見ても、復活のイエスに出会っても、復活信仰に達することができずにいましたが、イエスから名前を呼びかけられるに及んで、心の眼が開かれてイエスを認め、弟子たちの許に遣わされて、復活の主の最初の証人になりました。つまり、イエスの復活を信じたのはペテロとヨハネが先でしたが、復活の主にお目にかかったのはマリアが先だったというわけです。
 今日のテキストの物語は、マタイ福音書28章16〜20節およびルカ福音書24章36〜49節と同類型の復活物語です。福音書が成立した当時の各地のキリスト教会で、様々な復活物語伝承が流布していたのでしょう。この三つの物語の共通点は、不思議な復活体をもったイエスが現われ、弟子たちに自分が復活したイエスであることを確認させた後、彼らを復活の証人として世界伝道に遣わす、というものです。勿論、相違点も多くあります。
 今日のテキストは、日曜日の夜、エルサレムのある家の一室に集まっていた弟子たちの中に、突然、復活のイエスが現われます。この物語は、1〜18節の空の墓の物語とは関連のない伝承に基づくものであることは明らかです。この物語の弟子たちは、ペテロとヨハネの経験も知らず、マリアの報告も受けていないかのように振る舞っています。
 「その日、即ち週の初めの日の夕方」 この句は、1〜18節の空の墓の物語に接続させるために書いたヨハネの編集句です。「ユダヤ人を恐れて」 弟子たちもユダヤ人なのに「ユダヤ人を恐れて」というのはおかしい気がしますが、ヨハネは彼の時代の教会のキリスト教徒に語りかけている感じで書いているのでこうなったのでしょう。当時、原始教会は、ユダヤ人によって迫害されていました。とにかく弟子たちはイエスを殺したユダヤの官憲が自分たちをも逮捕に来るのではないかと怯えて、ある家の一室に閉じこもり、すべての戸に鍵をかけて潜伏していました。するとそこに復活のイエスが現われて、「平和が君たちに!」と言いつつ、彼らの真ん中に立ちました。これはシャロームというユダヤ人の日常の挨拶の言葉ですが、恐れ怯えている弟子たちには、最も相応しい意味の言葉です。「同じ復活の日、トマス以外のすべての弟子がエルサレムの某家に集まっている。ユダヤ人を恐れて、戸は閉ざされている。すると復活の主が、平安の挨拶と共に彼らの真ん中に進み出る。26節でわざわざもう一度持ち出されるこの閉ざされた戸の動機は、次のことを強調しているのである。即ち、イエスの復活は、パリサイ人が考えるように死から生への肉体的復帰と誤解してはならない。ヨハネの考えによれば、復活の主は神御自身であり、だから閉ざされた戸を通って奇跡的に入って来ても当たり前なのである。その到来は奇跡なのであって、だから戸が閉じているのにどうして弟子たちの所に来ることができたかなどと、考える必要もないのである」(シュルツ) シュルツの論点は、ヨハネの意味するイエスの復活は、イエスが神の栄光を受けられた(12・23)のだから、復活のイエスは全能者なのである、ということです。ちなみに、ヨハネにおいては、十字架と復活と昇天は、「イエスが栄光を受ける時」なのです。
 「そして彼は手と脇腹を彼らに見せられた」 イエスの手には十字架につけられた時の釘の跡が、脇腹にはローマ兵によって槍で刺された時の傷跡がありました。それらはイエスであることの「身分証明書」です。それを弟子たちに見せることによって、彼らの目の前にいる復活者が、十字架につけられたイエスと同一人物に相違ないことを示されたのです。すると「弟子たちは主を見て、大喜びした」 この「大喜び」は、19節の「恐れ」および16章20節の「悲しみ」と対照的になっています。「君たちは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。君たちは憂えているが、その憂いは喜びに変わるであろう。…このように君たちにも今は不安がある。しかし私は再び君たちに会うであろう。そして君たちの心は喜びに満たされるであろう。その喜びを君たちから取り去る者はいない」(16・20、22)
 復活の主イエスは、常に、信ずる者に逆転の勝利を与えられます。恐れ、怯え、悲しむ者に、平安、勇気、喜びを与えて下さいます。「私の肉体に一つの棘(とげ)が与えられた。それは私を打つサタンの使者なのである」(コリント第二書12・7) 使徒パウロに一つの持病がありました。彼はこれの癒しを幾度も主に求めましたが、主のお返事はこうでした、「私の恵みは君に対して十分足りている。私の力は、君の弱さの中に完全に現われる」 それでパウロは、「それだから、キリストの力が私を覆い守ってくれるように、私はむしろ自分の弱さを誇ろう。…私は弱い時にこそ、本当に強いのだから」と悟り、それを証ししました。
   魂が渇き、枯れたる時に、恵みの雨を降らせて、
    主よ、来たりたまえ
   生命より恵みが失わるる時に、歌声に満ちあふれて、
    主よ、来たりたまえ
   騒がしきわざが四方に起こり、彼方のみ声を閉ざす時に、
    沈黙の主よ、平安と休憩とをたずさえて来たりたまえ
   わが貧しき心が片隅にうずくまり、その思いを閉ざす時に、
    わが主よ、戸を打ち破りて、力をもって来たりたまえ
   欲望に惑わされ、塵におおわれ、心が盲目となる時に、
    聖なる神よ、目を覚ましていたもう主よ、
   み光と雷(いかずち)をもって来たりたまえ
                    ( ラビンドラナス・タゴールの祈り )

                 一九九三年一一月一四日 礼拝説教