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マルコ福音書の研究

      「ガリラヤ」の復活

 その後、彼は十一人が食卓に着いていた時、彼らに御自分を現わし、彼らの不信仰と心の頑なさとを叱責された。復活された彼を見た人々の言うことを信じなかったからである。そして彼らに言われた、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし信じない者は罪に定められる。信じる者には次のような奇跡の徴が伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人の上に手を置けば癒される」さて、主は彼らと語り終えた後、天に挙げられ、神の右に座られた。しかし彼らは出て行
き、至る所で宣べ伝えた。主は彼らと共に働き、御言葉に伴う徴によってこれを固くされた。
                    マルコ福音書 16章14節〜20節

 「9〜20節の部分は最古の写本には無い。教会教父の中では二、三の人がこれを知っており、他の人々はこの欠落を証言している。ここに用いられている用語、中でもイエスを『主』と呼ぶ語法はマルコのものではない。物語を続けるためマルコは極めて多く『そして』という接続詞を使う癖があるが、ここでは殆どそれが見られない。また『直ちに』とか『再び』などのマルコ特愛の語法についても同じである。これとは逆に『行く』(10、12、15節)という言葉が三度出てくるが、これはマルコの他の場所には見られぬ言葉である」(E・シュヴァイツァー)
 マルコの記事は8節で突然終わっているので、後世の筆記者が末尾を整えるために他の福音書のあちこちから顕現物語の断片を寄せ集めてきました。しかしその整合がうまく行っていないのです。9節は、1〜8節と矛盾しています。マグダラのマリアは、1節では他の婦人達と一緒に名が挙がっています。「第一日の朝早く」という言葉は、2節にも出てきています。マグダラのマリアについての説明の言葉が9節にあるのも奇妙です。9〜11節は、ヨハネ福音書20章11〜18節を短縮したような話です。12〜13節は、「エマオへの旅人」(ルカ24章13〜35節)を短縮したものです。
 今日のテキストの14〜20節は、マタイ福音書28章16〜20節と対応していると考えれば、その背景はガリラヤです。弟子達が食事をしている間に復活のイエスが現われる話は、ルカ福音書24章36〜43節にも出ています。そこでは弟子達はイエスを見て、霊を見ているのだと感違いして恐れおののくのですが、イエスは彼らの不信仰を叱責し、「霊には肉も骨もないが私にはそれがあるのだ」と言って手と足を見せ、更に焼いた魚を食べて見せた、というのです。この話は、「兄弟たちよ、私はこの事を君たちに言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(コリン
ト第一書15・50)というパウロの言葉と矛盾しています。資料的に見れば後者の方が古く、より信頼ができ、内容も純粋に信仰的です。肉体の復活の証拠として肉や骨を見せたり、焼き魚を食べて見せたりすることは、「奇跡をやって見せてくれたら信じよう」という考えと同じです。それは最早、信仰の領域からはみ出しています。丁度、恋愛中の若者が、「私を愛しているのなら、その証拠を見せてくれ」というのと同じで、それはもう愛ではあり得ません。復活という信仰の問題を、目に見える形で、客観的な確かさを求めることには無理があります。パウロの言葉では、肉体の復活という考えは捨てられ、肉体から霊体への復活という考えが強調されています。肉の体は朽ち果ててもよいのだ、肉の体から現われてくる霊の体こそ天に属するものであり、永遠に続くものである、と語っています。
「私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日毎に新しい…。私たちの住んでいる地上の幕屋が壊れると、神から頂く建物、即ち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを知っている」(コリント第二書4章と5章) ここでも同じ考えが表現を変えて述べられています。霊的な恵みを、何物にも換え難い宝として感謝する質の高い信仰が衰えると、見える形での証拠が求められるのです。
 今日のテキストは、後世の教会の言葉として読むと納得ができます。復活のイエスが繰り返し、疑う者たちを叱責した話は、いつの時代のどこの教会でも、復活が信じられない人がいるのです。又、世界伝道の奨励の言葉も、イエスの時代の言葉ではなく、もう既に地中海世界の至る所にキリスト教の共同体ができている時代の言葉です。「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罪に定められる」という二分法は教会の説教者の語ることで、イエスの思想ではありません。「天の父は、悪い者の上にも善い者の上にも、太陽を昇らせ、正しい者にも正しくないものにも、雨を降らせて下さる」(マタイ5・45)と歴史のイエスは語り、「悪い者」や「正しくない者」の友となって、彼らに神の愛を教えられたのです。そして信じる者に伴って与えられる奇跡の徴のリストも、福音書や使徒行伝や外典の伝説的な話を寄せ集めてきたものです。本当に信じる者には、奇跡の徴は全然必要ないのです。奇跡の徴を求める信仰は質の低いものです。勿論、神から特別なカリスマを与えられている人がいることは認めます。彼らの業を尊重します。しかしそれは例外的なものと考える方が健全なのです。
 さて、ガリラヤです。マルコは14章28節と16章7節に、復活のイエスと弟子達との再会の場をガリラヤとしています。ガリラヤこそ、それに相応しい舞台です。十字架に躓き、ガリラヤに逃げ帰ろうとしていた弟子達よりも先にイエスはそこへ行き、彼らを待ちうけ、出会われるのです。かつて漁師だった彼らを招き、共に語り、共に働いた同じ人生の場で、イエスは再び彼らに出会われ、彼らを招かれるのです。その再度の出会いと招きによって、徹底的に挫折を味わった弟子達の人生が復活し、生活の場が甦ったのです。「信仰的に受け止めればこう考えられる。マルコの福音書は未完成の福音書である。『神の子イエス・キリストの福音』(1・1)は常に未完成である。それは継続されるべき物語である。『すべての者の最後に、彼は私のような者に現われた』(コリント第一書15・8)とパウロが語っているように、最後の一ページは、私たち一人一人が、イエスが私たちに何を語り、何をなしたかを記録するために、残されている」 (インタープリターズ・バイブル)
 あなたの「ガリラヤ」はどこですか?
                   一九九三年 六月二〇日 礼拝説教

      「マルコ福音書の総括」

 まことに、まことに、私たちの信仰の奥義は極めて大きい。
 「彼は肉において啓示され、霊において義とせられ、天使の群れに見守られ、諸国民の 間で宣べ伝えられ、全世界において信じられ、栄光のうちに天に上げられた」
                          テモテ第一書 3章16節

 これは原始教会の信仰告白であり、讃美歌としても歌われたキリスト讃歌です。紀元30年、エルサレム城外のゴルゴダの十字架上で犯罪者として処刑されたナザレのイエスが、神の子、キリストとして信じられ、宣べ伝えられ、讃美されるようになった経過は、非常に興味深いものがあります。その経過の出発点が、彼の復活にあるのです。
 マルコ福音書は16章8節で終わっています。従って復活のイエスの顕現物語はこの福音書にはありません。しかし、もしかするとマルコは、彼の福音書全体の中に、顕現物語を記しているのかも知れません。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1・1) この福音書の冒頭の言葉は、著者マルコの信仰告白なのです。マルコはこれから年代を追ってイエスの伝記を書こうとしているのではありません。彼はこの書の読者が、イエスは神の子、キリストであることを信じて救いに与かることを願いつつ、福音を語っているのです。福音書はイエスの伝記ではなく、イエスがキリストであることを証しする、証しの文学なのです。マルコは、イエスに関する様々な口伝物語や、文書化されていた伝説や伝承を集めてこれを配列し、編集句を書き添え、異なる資料と資料とをつなぎ合わせて、福音書という独特の文学形式を創作いたしました。「マルコがこの福音書を執筆した時、当然第一章から書き起こし、順次イエスの活動をたどって十字架と復活へ筆を進めたのであるが、このような時間の流れに沿う年代的方向とは別に、マルコの中心的関心を占めたのはイエスの受難であって、彼の構想では、受難を出発点とし、そこから時間を逆に溯って伝承を見るという思考の方向があった。そのことは、この作品においてイエスの最後の一日の出来事が全体の約六分の一の紙幅を割いて記述され、イエスがエルサレムに入ってからの最後の一週間の記事が全体の三分の一強を占めているという受難にたいするアンバランスな比重からも知られる。そしてエルサレム入城に先立って明白な受難予告を三回配置し、一章から読み進んでくる読者のための道しるべとしている」(総説新約聖書)
 マルコは、復活の光の中に立って、イエスの生涯を見直しているのです。そのためにマルコの描くイエス像には不思議な魅力があります。イエスが「私に従って来なさい」と命じれば、ガリラヤの漁師は舟も網も親も後に残して、彼に従います。安息日に会堂に入って教え始めると、その権威ある言葉に人々は驚嘆するのです。悪霊に取りつかれた人に向かって、「黙れ、この人から出て行け」と命じると、悪霊は退散し、その人は正気になるのです。神の子イエスはその身分を隠して、お忍びの姿で地上を歩くのです。「狐には穴があり、空の鳥にはねぐらがある。しかし人の子には地に枕する所がない」 このホームレス・イエスは、実は神の子なのです。人々は彼を理解せず、弟子達ですら誤解していました。しかしこのイエスは、弟子達が危険にさらされると、その隠れた力を発揮するのです。イエスと弟子達が小舟に乗ってガリラヤ湖上にいた時に、激しい突風が吹き起こり、小舟を木の葉のように翻弄すると、弟子達はあわてふためき、眠っているイエスを呼び起こして、危機を訴えます。するとイエスは起き上がり、荒ぶる波風に向かって、「黙れ、静まれ!」と叱りつけると、風は止み、湖上は凪になりました。この物語の背景には、激しい迫害の嵐の中にあった原始教会の状況があったのかも知れません。
 新約聖書の編集者達は、旧約聖書の律法、預言書(歴史)、諸書という配列に倣って、福音書、使徒行伝、手紙、黙示の順で編集しました。四福音書はモーセ五書に対応しています。歴史的な教会に於いてマタイ福音書は第一福音書と呼ばれ、特別な地位を与えられていました。その山上の説教は、モーセの十戒に相応しています。この第一福音書が余りにも見事で風格があるので、その次ぎにくる、マタイとよく似ていながら見栄えのしないマルコ福音書は、マタイの縮小版と見做されて、長い間日陰の存在でした。しかし18世紀末頃から聖書本文の伝承史的研究が盛んになると、俄然、マルコ福音書が脚光を浴びました。マルコが最古の福音書だということと、マタイ福音書とルカ福音書は、マルコが作った枠に従って書き進められ、それにQ資料(イエス語録)と独自の資料を付け加えて作られたものであることが判明してきました。いわばマルコが父親で、マタイとルカは腹違いの兄弟の関係にあるのです。私達は特にマルコとマタイの並行記事を比較検討し、マタイがどのような精神でマルコの記事を訂正したかを見てきました。そしてマルコ福音書の中にこそ、原始教会やその他の要因によって変形されることが最も少ない、オリジナル・イエスの姿がとどめられていることを確認してきました。私たちが歴史のイエスの姿を求めるために、マルコ福音書に視座を据えたことは、正しい選択でした。
 マルコ福音書の学びを始めたのが、一九九〇年一月七日でした。以来三年六ヵ月、現代聖書批評学の成果を大胆に取り入れて学んできました。聖書の言葉に批判を加えるような態度は、なにか神聖なるものを犯すような感じでタブー視されてきましたが、私達は謙虚にそのタブーを破って学んだ結果、聖書は実に生きた真理を伝えているものであり、歴史のイエスの力強い生き方が迫ってきて、それに圧倒される経験を重ねて参りました。
 「湖の辺りで、彼をなにびととも知らなかったかの人々を目指してイエスが歩み寄ったように、イエスはまた、われわれの方にも、見知らぬ人、名なき者として歩んで来る。彼は、われわれにもまた、『わたしに従って来なさい』との同じ言葉を語り、われわれの時代において、彼の解決すべき課題を、われわれに示してくれる。彼は命じる。そして彼に従う者には、賢者にも愚者にも、平和、労役、闘争、苦難において、彼らがイエスとの交わりによって体験を許されるものを通して、自己を啓示する。かくて人々は、口に言い表わし難い秘密として、彼のなにびとであるか、を経験するであろう」
                    ( アルバート・シュヴァイツァー )

                       マルコ福音書の研究  完

                   一九九三年 六月二七日 礼拝説教


      「天使の眼、人間の眼」

 なぜ、あなた達は死人の中に生きておられるお方を探しているのか? 彼はここにはおられない。起こされたのだ。まだガリラヤにおられた時、彼が語られたことを思い出しなさい。人の子は必ず罪深い者たちの手に引き渡され、十字架に付けられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか!
                        ルカ福音書 24章5〜7節

 私達はマルコ福音書の学びを終え、これを総括いたしました。16章8節で突然終わっているマルコ福音書には、復活のイエスと弟子達とのガリラヤでの再会の示唆があるだけで、復活のイエスの顕現物語はありません。それを記したのはマタイでした(28章16〜20節)
私達はそのことも学びました。そこで次には視点をルカに移して、ルカ福音書の復活と顕現物語を見てみたいと思います。今日のテキストは24章1〜12節です。ルカは、マルコ福音書を傍らに置いて、マルコの筋書きを利用しながら、それを修正しつつ、自らの福音書を書き進めています。
 イエスに従ってガリラヤから来た婦人達は、イエスの遺体が納められた墓を見届け、家に帰って、香料と香油を準備しました。マルコでは、婦人達は安息日の後に香料を買ったのですが、ルカは、安息日の前にそれを移しました。そして安息日を守った後、日曜日の早朝、婦人達は香料を持って墓に行きますが、その人数は、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリアの他に数名いました(10節) 彼女達は墓の入口にある大きな丸石の処置について心配していません。行って見ると、既に石が墓から転がしてあったのです。ルカはマルコの記事から、奇跡の要素を取り除けました。事はごく自然に運ばれます。婦人達は墓の中に入って見ると、「主イエスの遺体」が見当たりません。ここでは既にイエスは「主」と呼ばれています。「イエスは主である」とは、原始教会の信仰告白なのです。
金曜日の夕方に遺体が安置された場所を確認してあったのですが、その場所に遺体が見当たらなかったのですから、「彼女達が途方に暮れた」のは無理もありません。すると「輝いた衣を着た二人の者」が墓に入って来ました。天使はマタイとマルコでは一人、ルカとヨハネでは二人、となっています。二人にした理由は「…二人ないし三人の証言によって立証されねばならない」(申命記19・15)の言葉に影響されたためでしょう。婦人達は恐れを感じて顔を伏せると、天使達は冒頭に上げた言葉を語ります。この天使達は、聖書学者の言う、「解釈天使」です。奇跡や不思議な出来事に直面した人間は、戸惑い、恐れ、途方に暮れます。すると、その出来事の真意を説明してくれる天使が現れるのです。
 「なぜ、あなた達は死人の中に生きておられるお方を探しているのか?」 含蓄のある言葉です。「イエスは、神が生きておられると言う意味で、生きておられるのであるから、最後には片付けられてしまった扇動家としてであれ、または敬虔に充ちた尊敬すべき教師としてであれ、(そう誤解して)彼を死人の中に求めるべきではない」(E・シュヴァイツァー) 婦人達は、自然の感情に従って、イエスの死を悼んで墓を訪れたのです。しかしそれは天使の眼から見ると、見当違いな行為に映るのです。イエスは神の子であり、永遠の生命の所有者なのです。死人は墓の中に眠っているが、生ける者は墓の中には居ないのです。墓参をしてイエスの霊を弔おうと思うことは、全くイエスを理解していないことであるのです。イエスと私達との関係は、私達と過去の歴史上の人物との関係ではありません。それは、「初めであり、終りであり、世々限りなく生き給う」(ヨハネ黙示録1章17〜18節)永遠なる者とわたしたちとの霊的、超越的な関係であるのです。「君たちは、聖書の中に永遠の生命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについて証しするものである」(ヨハネ5・39)
 私達はイエスを知るために複眼をもって臨まなければなりません。一方の眼で、歴史のイエスを正確に捉らえるための研究調査をいたします。それは科学的、学問的領域です。そのために聖書学、文献学、言語学、神学、比較宗教学、考古学、歴史・地理学など、実に膨大な研究が過去二千年に渡って積み重ねられてきました。それでも尚、歴史のイエスを完全に捕捉することはできません。他方、それらの気が遠くなるほどの知識の集積をもってしても、一人の幼児が小さい手を合わせて、「イエスちゃま、ありがとう」という祈りの心に匹敵できません。こちらは天使の眼をもってイエスを仰ぎ見ているからです。
 「彼はここにはおられない。起こされたのだ。まだガリラヤにおられた時、彼が語られたことを思い出しなさい」 マルコ=マタイとルカの大きな相違点は、ガリラヤの扱い方にあります。前者では、ガリラヤこそ、復活のイエスと弟子達との再会の場所なのです。ルカにとってガリラヤは思い出の場所にすぎず、その再会の場所はエルサレムとその近郊であるのです。マルコの天使は弟子達に「ガリラヤへ行け」と指示しました。ルカのイエスは「都にとどまって、天より力が下るのを待て」(24・49)と弟子達に命じました。ルカは彼の救済史観をもってマルコの記事を修正しているのです。ルカは、その福音書において、キリストの福音がガリラヤからエルサレムまで伝えられたことを記し、使徒行伝において、その福音がエルサレムからローマ(全世界)まで前進した経過を物語っているのです。ルカ福音書の主役は、この世における人の子イエスです。ヒューマニスト・イエスを描くルカの筆は冴えています。ルカは、ギリシャ・ローマ人たちのヒューマニズムに訴えてイエスを宣べ伝えているのです。使徒行伝の主役は、ペテロとパウロではなく、聖霊として働く力強い神の子イエスです。聖霊なるイエスが、ペテロを変身させてユダヤ人のための使徒とし、迫害者パウロを回心させて異邦人の使徒として立てられたのです。
 「人の子は必ず罪深い者たちの手に引き渡され、十字架に付けられ、三日目に復活することになっている」 マルコが「祭司長、律法学者、長老」と言った所をルカは「罪深い者たち」と表現しました。神の敵は「罪深い者たち」なのです。そしてイエスが彼らの手によって十字架に付けられ、三日目に復活するのは、神の予定のコースであったのです。「そこで、婦人達はイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人と他の人皆に一部始終を知らせた」 マルコの婦人達は「人には何も言わなかった」のですが、ルカの婦人達は復活の福音を語ったのです。
                   一九九三年 七月一一日 礼拝説教

      「エマオへの途上で」 (1)

 見よ、この日、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ行く途上にあった。彼らはこれらの出来事すべてを話し合っていた。話したり論じたりしていると、イエス御自身が近づいて来て彼らと一緒に歩かれた。しかし彼らの目は遮られていて、イエスを認めることができなかった。イエスは彼らに言われた、「君達が歩きながら論じ合っているのは何のことですか?」 悲しげな顔で彼らは立ち止まった。二人のうちのクレオパという名前の者が答えて言った、「今日この頃エルサレムに泊まっていながら、最近そこで起こったことを知らないのはあなただけでしょう」 イエスは言われた、「一体どんなことですか?」 彼らは言った、「ナザレ人イエスのことです。その人は神とすべての民の前で行ないにも言葉にも力のある預言者でした。ところが祭司長達や役人達が引き渡して死刑を宣告し、十字架につけたのです。この人こそイスラエルを贖う人だと期待していたのですが。しかもこのことが起こってから今日で三日目です。ところが、仲間の婦人達が私達を驚かせました。彼女達は今朝早くイエスの墓に行ったのですが、彼の遺体が見当たらなくて帰ってきて、天使達が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。そこで数人の仲間が墓に言ってみると、婦人達が言った通りで、イエスの遺体はどこにも見当たりませんでした」 イエスは彼らに言われた、「ああ、愚かな人達、心の鈍い者どもよ、預言者達が語ってきたことを何も信じていないとは! メシアはこのような苦難をうけてから栄光に入ることになっているのではなかったか?」 そしてモーセとすべての預言者から始めて、聖書全体がイエス御自身について語っていることを解き明かされた。
                         ルカ福音書24章13〜27節

 近頃、霊能力者宜保愛子氏のテレビ番組を見て、霊視という不思議な能力に感心しています。彼女はノストラダムス、レオナルド・ダビンチとその母、マリー・アントワネットやエジプトのファラオ達と交信することができるのです。また、神秘思想家エマニュエル・スウェーデンボルグの「天界と地獄」を読んでいます。内村鑑三や鈴木大拙なども、彼に深い興味を示していました。また近頃は、臨死体験の研究も盛んです。それらを総合的に考えると、人間は死んだらお終いなのではなく、死後も霊界で生き続けるものであるように思われます。しかし私達は死後の生命の問題を、マカフシギな現象として好奇心の対象にするのではなく、イエスの復活の問題と結びつけて、私たち自身の復活と永遠の生命の問題として取り組みたいと思います。「イエスは生きておられる」(24・23) この言葉が、エマオの物語の中心であり、私たちの信仰の生命なのです。
 「この物語はその様式に従えば、創世記にあってよいものである。ここで復活者は最古の伝説における神のように、全く人間の姿をとって、徒歩旅行者を装って、人々の間を歩き回られる。それは、創世記18章が三人の人について、即ちヤハウェ神御自身について報じているようである」(グンケル) 「キリストはここで旅人として、知られることなく現われ、彼の秘密に満ちた神性を個々の特徴において啓示する。しかし気付かれるや否や、彼は消え去るのである。この物語の構図は、最古の顕現物語と全く類似している」(ブルトマン) 「エマオの物語は最も詳しいばかりではなく、最も美しい、また最も感銘深い復活物語である」(グラス)
 この物語はルカのほかに、マルコの付加の部分に短い形で載っています。「この後、そのうちの二人が田舎の方へ歩いていると、イエスは別の姿で御自身を現わされた。この二人も、他の人々の所に行って話したが、彼らはその話しを信じなかった」(16章12〜13節) 13〜35節のエマオ物語はルカの特殊資料です。28〜31節の部分が最も古い伝承に属し、この物語の中核であったとされています。22〜24節はエマオ物語と空の墓の物語とを結びつけるために挿入されたルカの編集句であると考えられています。
 復活の日の午後、十一弟子以外の二人の弟子が、エルサレムから12キロほど離れたエマオ村を目指して歩いていました。彼らは近頃イエスの身に起こった出来事について夢中になって話していました。すると「別の姿」のイエスが背後から近付いて来て、彼らの道連れになりますが、彼らの目が遮られているため、それがイエスとは気付きません。もし彼らがこの時、世間話に花を咲かせていたならば、イエスは彼らの話の中に入って来られなかったでしょう。〓〓の学生が二人で道を行く時、〓〓以外のことを話してはいけない、という戒めがユダヤ教にあるそうですが、これはクリスチャンの交わりにとっても大切な戒めです。イエスの名が呼ばれる所に、そこにイエスがおられるのです。「二人または三人がわたしの名において集まる所に、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・20)それが「教会」なのです。その二人の弟子達はイエスを正しく理解できないために、イエスに失望して、故郷の村に帰って、此の世の生活に戻ろうとしています。イエスが勝利者になるだろうと思って彼に従ってきたのだが、イエスが敗北者として殺されてしまったので、当てが外れて、希望を失ってしまったのです。善き牧者なるイエスは、彼ら迷える羊を、再び羊の群れに連れ戻すために、彼らを追ってきて、彼らと道連れになります。
 「別の姿のイエス」とは、どういうことでしょうか。彼らはそれを肉眼で見たのですが、イエスと認めることができなかったのです。イエスの顕現物語の中にこのモチーフのものは幾つかありますが、直ぐに思いつくのはマグダラのマリアが、復活のイエス御自身と話しをしていたのに、それを園の番人だと思い違いをした話(ヨハネ20・15)です。
 実は、復活のイエスは神的な存在者なのです。神的存在者を人間は肉の眼をもって識別することはできません。霊的な超越の世界は、私達の日常生活と表裏一体の関係にあるのですが、人間はある契機が与えられ、「目からウロコのようなもの」(使徒行伝9・18)が落ちない限り、それを認めることができないのです。歴史のイエスと交替に来臨される復活のイエス=パラクレートス(ヨハネ14・16。弁護者、助け主、慰め主)が、イエスを愛する者達に御言葉の真理を解き明かして、蒙昧なる眼を開いて下さることによってのみ、人間は神の支配を見ることができるのです(ヨハネ福音書3章1〜15節)
                   一九九三年 七月一八日 礼拝説教

      「エマオへの途上で」 (2)

 見よ、この日、二人の弟子がエルサレムから12キロほどの所にあるエマオという村へ向かいながら、これらの出来事のすべてについて話し合っていた。彼らが共に語り、また論じ合っていると、イエス御自身が彼らの間にはいって来て、彼らと連れ立って歩かれた。しかし彼らの目は遮られていて、イエスを認めることができなかった。するとイエスは彼らに言われた、「歩きながら、君達が論じ合っているのは何のことですか?」 彼らは憂うつな顔をして立ち止まった。
                         ルカ福音書24章13〜17節

 ニサンの月の17日(日)の午後のことでした。二人の男がエルサレムから西へ、ヨッパに向かう街道を、肩を落として、とぼとぼと歩いていました。彼らはイエスの弟子として、エルサレム集会のメンバーでした。彼らはその集会に見切りをつけて、故郷に帰り、元の生活に戻ろうとしていました。彼らはかつてイエスを師と仰ぎ、預言者と信じて、彼の言葉に希望の光を見出だし、彼のわざに信頼の力を実感していました。イエスは神の人モーセのごとき預言者だ。モーセがエジプトの〓〓らイスラエルの民を解放したように、イエスは私たちユダヤの民をローマの圧政から自由にしてくれるにちがいない。彼らはそう信じて、イエスに従い、彼の群れに加わっていました。しかし彼らの期待は見事に外れました。イエスはあっさり逮捕され、即席の裁判で死刑を宣告され、十字架にかけられて殺されてしまったのです。しかし万が一にも蘇生するかも知れないと願い、三日目まで待ちましたが、それも無駄な期待でした。
 彼らはそのイエスの出来事についての話に夢中になりながら、ヨッパ街道をエマオを目指して歩いていました。すると見知らぬ旅人が背後から近づいて来て、いつの間にか彼らの道連れになり、彼らの話の中に入ってきました。「君たちは一体、何のことをそんなに夢中になって話し合っているのかね?」
 三人目の旅人は復活のイエスでした。肉のイエスを見知っていたはずの二人の男は、復活のイエスに出会っていながら、それとは気付かなかったのです。イエスをアイデンティファイ(同一人物と確認すること)できない原因は何であったのでしょうか? 復活のイエスは、どこかしら霊的で不思議な雰囲気をもっていたからでしょうか? そう言えば、復活のイエスをアイデンティファイできない話が福音書には沢山あります。イエスの墓の傍らで泣いていたマグダラのマリアはイエスを園の番人と勘違いしました(ヨハネ20・15)漁師仲間の弟子達も岸辺に立って声をかけている人がイエスだとは見分けられませんでした(ヨハネ21・17) イエスの御前に跪いていながら、「疑う者も」いました(マタイ28・17) そのほか復活以前のイエスの物語として書かれているものの中にも、復活のイエスの顕現物語を思わせるものがあります。ガリラヤ湖上を歩いてくるイエスの話(マルコ6・49)、山上の変貌の話(同9・2)などです。それらは本来、顕現物語に属するものであったのかも知れません。
 その二人の元信者の年長の方の人の名前はクレオパといいました。クレオパトロスの短縮形がクレオパで、クロパとも呼ばれました(ヨハネ19・25) イエスの弟のヤコブが後にエルサレム教会の監督になりますが、その後任者はシモンで、そのシモンの父はクロパでした。するとこの二人の男は、クロパとその息子シモンである可能性があります。彼らはイエスの弟子であることから足を洗い、故郷に帰って生計を立てる算段をして、敗残兵のような気持で歩いていました。
 彼らがその不思議な旅の同伴者をイエスと認めることができない原因は、「彼らの目が遮られて」いたからでした。彼らは自分自身に目を停めていて、イエスに注目しなかったのです。自分の失望に心を奪われ、自分の問題に熱中していたので、イエスの言葉に耳を貸す余裕がなかったのです。心を空しくして、謙虚になって教えを受けようとしなければ、折角復活のイエスが来られて、言葉をかけて下さっても、「馬の耳に念仏」になってしまいます。
 22〜24節はエマオ物語と空の墓の物語(1〜12節)とを結びつけるために挿入されたルカの編集句です。これがあるために、クレオパの論旨があいまいになっています。イエスの復活の福音にも彼らは背を向けているような感じになっています。それで一応この部分をカッコに入れて読むと、筋がよく通ります。「私たちはこの人こそイスラエルを贖う人だと期待していたのですが、十字架につけられて殺されてしまって、死後はや三日目になるのです」21節。彼らは絶望的になっているのです。この考えはイエスの弟子たちやシンパたちに共通したものでした。クレオパはここで彼らの心を代弁しているのです。
 それに対してイエスは、旧約聖書の全体、即ちモーセ五書と預言書と諸書のすべての精神が、メシアの来臨と受難と復活とを指し示していることを、彼らに解き明かしておられるのです(25〜27節) つまり同じ聖書を読んでも、同じ事実を目撃しても、信仰の質が異なれば、その解釈も異なってくることがここで示されているのです。彼らは復活のイエス御自身の説明によって、正しく理解できたでしょうか? いいえ、彼らの心は依然として、半信半疑のままでした。盲目な弟子達。
 イエスはその二人の道連れとなってエマオへの道を歩かれます。それは彼にとっては不本意な方向でした。イエスは彼らを立ち止まらせ、直ちにエルサレムに向かわせたかったのです。しかしそうはせずに、彼らの道を共に行き、エマオへ向かって歩みを進められました。イエスの優しさと忍耐。愛する者のために妥協する神。イエスはここでも、迷える羊の善き牧者です。分からずやの弟子達に、一所懸命に聖書の心を説明するイエス。
 「エマオへの旅にある二人の弟子がイエスと一緒に歩くというテーマは、弟子達がガリラヤから始めてエルサレムまでのイエスの宣教旅行に一緒に伴ったということの縮図である。エマオの弟子たちがイエスと一緒に歩き彼と互いに話を交わしても『二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった』というのは、ガリラヤからエルサレムまで、彼らはイエスの行いも教えの意味も分からなかった。それはこれらがイエスの受難と死に深く結ばれていて、彼らはこの受難と死の意味を理解できなかったからである」(新共同訳新約聖書注解) たとえ私達がエマオに向かう二人の弟子達のようであっても、私達がイエスを愛する限り、彼は私達を決して見捨てられません。
   一九九三年 七月二五日 礼拝説教

      「エマオへの途上で」 (3)

 イエスは彼らに言われた、「ああ、愚かな人達、心の鈍い者どもよ、預言者達が語ってきたことを何も信じていないとは! メシアはこのような苦難を受けてから栄光に入るはずになっていたのではなかったか?」 そしてモーセから始めてすべての預言者に渡って、御自分に関わることを聖書全体を通して、彼らに解き明かされた。
                         ルカ福音書 24章25〜27節

 この25〜27節のイエスの言葉は、19〜21節の弟子達の疑問に対する解答です。その両者の間にルカは22〜24節を書き加えて、1〜12節の空の墓の物語と、13〜35節のエマオ物語とを結びつけました。今日はそのルカの意図を探りながら学びを進めましょう。
 日曜日の夜明けに、香料を持ってイエスの墓に行った婦人達は、イエスの遺体が置いてあるはずの場所にそれが無いのを見て、途方に暮れていました。解釈天使が彼女たちのパズルの原因を指摘して言いました、「何故、死人の中に生けるお方を探しているのか?」死者を悼んで墓参をすることは人間として当然の行為ですが、イエスに対してはそれが見当違いの行為になってしまうのです。天使はその理由を説明しています。「彼はここにはおられない。起こされたのだ。まだガリラヤにおられた時、彼が語られたことを思い出しなさい。即ち、人の子は必ず罪深い者たちの手に引き渡され、十字架に付けられ、三日目に甦らねばならない、と言われたことを!」(6〜7節) 婦人たちが理解できなかったことは、メシアの受難死ということでした。同様に、エマオへ向かう二人の弟子達の失望落胆の原因もまた、メシアの受難死ということでした。こちらは天使ではなく、イエス御自身が旧約聖書の中からメシア預言の個所を引用して、彼らに説明しています。
 女の弟子達も男の弟子達も共に、同じ問題に躓いたのです。それは使徒パウロが「十字架の躓き」(ガラテヤ5・11)と呼んでいるものです。これはキリストの福音に関わるすべての人がつまずく躓きです。「ユダヤ人は〓〓請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかし私達は、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。彼はユダヤ人には躓き、ギリシャ人には愚かであるが、召し出された者にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力また神の知恵なるキリストである」(コリント第一書1章22〜24節) 十字架につけられた救い主というのは矛盾であり、逆説であります。「矛盾なるがゆえに、われ信ず」と中世の神学者アンセルムスが言いました。ではどうしてそう信じられるのか、ということが大切な問題です。
 「ナザレのイエスのことです。彼は神とすべての民の前でわざにも言葉にも力のある預言者でした」19節。これは歴史的事実です。それでユダヤの民衆、特に弟子達は、イエスがローマの桎梏からイスラエルを解放してくれることを期待したのです。しかしその期待は完全に裏切られました。イエスは力を発揮するどころか、十字架にかけられて殺されてしまったのです。だからイエスはメシアではない、というのが普通の考え方で、だからこそイエスはキリストなのだ、というのは特別な考え方なのです。その特別な見方ができるためには、神によって「目が開かれ」(31節)ねばならない、とルカは言うのです。
 先週指摘された通り、エマオ物語は、ガリラヤからエルサレムへの、イエスと弟子達の旅行の縮図なのです。イエスの言葉を聞き、彼のわざを見ていながら、弟子達は「目が遮られていて」、イエスを理解できなかったのです。「まだガリラヤにおられた頃、お話になったことを思い出しなさい」6節。パズルの中にいた婦人達に天使がこう言いました。「人の子は必ず三日目に起こされることになっている」7〜8節。これは神がイエスの前に置かれた予定のコースだったのです。
 天使が指摘した通り、イエスの口から受難予告がすでにガリラヤでなされていました。「『この言葉をよく憶えておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている』弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのであある」(9・43〜45) 力強いわざを行うキリストは、人々に理解されます。人々は彼を崇め、彼に栄誉を与えます。しかし受難死するキリストは、人々の想像を絶します。敗北して、殺されてしまう奴がどうして救い主なものか、と人々はそっぽを向きます。受難死するイエスの中に救い主を認めることができないのは、神がその真理を覆い隠しているからだ、とルカは言っているのです。
 ルカはもう一度、この同じテーマを繰り返します。「今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、暴行され、唾を吐きかけられる。彼らは人の子を鞭打ち、殺す。そして三日目に彼は復活する」(18・31〜33) イエスは弟子達にこのように語りましたが、「十二弟子達はこれらのことが何も分からなかった。彼らにこの言葉が隠されていたので、イエスの言われたことが理解できなかった」(34節)と、ルカは再び記しています。
 エマオ物語は、人々がイエスを知り、彼をキリストと信じる段階的発展の過程を示しています。人々はイエスの知恵の言葉に感動し、力強い御業に驚嘆して彼の弟子になります。しかし十字架まで従って来て、そこで躓くのです。自然の眼で神の御業を認め、人間の理性でキリストの十字架を理解することはできません。復活のイエスが近づいて来られて、私たちの道を共に歩み、親しく私たちに語りかけ、聖書の言葉の真の意味を解き明かして下さり、「目からウロコのようなものが落ちる」(使徒行伝9・18)契機を与えて下さることによってのみ、私たちは十字架と復活のキリストを信じることができるのです。信仰は徹底的に神の恵みの御業である、とルカは繰り返し語っているのです。「君達が救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは君達自身から出たものではなく、神の賜物である」(エペソ書2・8)
 あなたが十字架のイエスを仰ぎ見て、彼を「わが救い主」と信じて告白できるならば、それは復活の主ご自身があなたと共に歩み、あなたを導き、あなたの眼を開いて、御自身の姿を見えるようにして下さったお蔭なのです。復活のイエスに出会うということは、その経験を言うのです。そして復活の主に出会った人は、その出会いの瞬間に、その人自身も復活を遂げているのです(ヨハネ3・6)
                   一九九三年 八月 一日 礼拝説教     

      「主よ、お泊まり下さい」

 彼らは目指していた村に近づいた。イエスは更に先へ行かれる様子だった。そこで彼らは強いて引き止めて言った、「私共と一緒にお泊まり下さい。夕方になり、日もはや傾いていますから」 彼らと一緒に泊まるために、イエスは家に入られた。食卓に着かれると、彼はパンを取り、感謝してこれを裂き、彼らに手渡された。すると彼らの眼が開かれ、彼らはイエスを認めた。すると彼は彼らの前から消えてしまわれた。
                         ルカ福音書24章28〜31節

 48年前の今日、日本の国は瀕死の状態でした。その当時の悲惨な生活に比べて、現在私たちがこうして平和の中に落着いて聖書を読み、キリストの福音を学べることはまるで夢のようです。地獄の生活から天上界の生活に移されたような思いです。大感謝。
 今日のテキストは、聖書学者が、エマオ物語の中で最も古い伝承に属し、この物語の中核であった、と指摘している個所です。この素朴で、奥の深い物語を、これから御一緒に味読いたしましょう。
 エルサレムからエマオまでは12キロほどの下り道ですから、話しながら歩くには適当な道程です。彼ら三人はエマオ村に近づきましたが、イエスは更に先へと行かれる様子です。そこでその二人は慌てて彼を引き止めます。イエスは何故、夕暮になり、目的地にも着いたのに、旅を続けようとされたのでしょうか? 聖書の話に没頭していたから? 彼らが引き止めるかどうかを試された? 他にも導かねばならない人がいたので? いろいろ推測されますが、私は「さすらいの神」をイエスの中に見るのです。旅先の旅館の馬小屋での誕生。「狐には穴があり、空の鳥にはねぐらがあるが、人の子には枕する所がない」と言われたホームレス・イエス。「君たちは私が飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅人であった時に宿らせ、裸であった時に着せ、病気であった時に見舞い、獄舎にあった時に訪ねてくれた」(マタイ25・35〜36) この世の底辺にいる人々と連帯するイエス。このイエスは、旅人なる神(創世記18章)の化身のようです。聖書の神は地主として定住する神(氏神)ではなく、過ぎ越して行かれる神です。「主を尋ね求めよ、見出し得る時に。呼び求めよ、近くにいますうちに」(イザヤ書55・6) 神殿の中に鎮座する神ならば、人はいつでも都合のよい時にお参りに行けます。しかし生ける真(まこと)の神は、さすらい歩く神です。丁度、幸運と同じ様に、出会った瞬間に捉えなければ、次にいつ会えるか分からないのです。「一期一会」の神。私たちは緊張して、神の訪れの時を待たねばなりません。イエスもまた、過ぎ越して行かれるお方です。「逆風のため漕ぎ悩んでいる弟子達を見て、イエスは、夜明けの四時頃、湖の上を歩いて彼らに近づき、その傍らを通り過ぎようとされた」(マルコ6・48)
 「そこで彼らはイエスを強いて引き止めた」29節。思想的遍歴の末、「主よ、あなたは私たちを御自身に向けてお造りになりました。それ故私たちの心は、あなたのうちに憩うまでは安きを得ないのです」と告白して洗礼を受けた古代キリスト教最大の神学者アウグスチヌスは、「アドヘアー トゥ クライスト」(キリストに密着せよ)と教えました。男と女が寄り添うように、あなたはキリストに寄り添っていなさい、というのです。イエスが通り過ぎようとされたなら、強いて彼を引き止めなさい。愛の絆で彼を束縛しなさい。 「私共と一緒にお泊まり下さい。夕暮れも迫り、一日は終わろうとしていますから」見知らぬ旅人と一緒に歩き、彼の話に心を奪われているうちに、エマオ村に近づきました。彼らは彼に強い愛着を感じ、このままお別れしたくない、もっと一緒にいたい、是非お引き止めしなければ、と思いました。イエスは彼らの願いを聴かれました。「彼らと一緒に泊まるために、イエスは家に入られた」
 中世、聖地巡礼者を宿泊させ、衣食を提供し、病人には医療を施す施設がエルサレムにつくられました。その団体の名はナイツ・ホスピタラーズ(ホスピタル騎士団)。それが英語のホスピタル、ホスピス、ホテル、ホステルの語源になりました。しかしホスピタリティ(持て成しの精神)は、遠く信仰の父アブラハムにまでさかのぼります(創世記18章)「兄弟愛を続けなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけない。ある人は気付かないで天使たちを持て成した」(ヘブル書13・1〜2) 兄弟愛と持て成しの心。
 しかしこの場合は単なるホスピタリティからではなく、彼らはイエスを必要としていたのです。それはクリスチャンに共通する感情です。「私の所にお留まり下さい。夕暮も間近です。暗闇は深まります。主よ、私の所にお留まり下さい。他の助け手は頼りにならず、他の慰めは消え去ります。寄る辺なき者の助け主よ。どうぞ私の所にお留まり下さい」(ヘンリー・F・ライト 讃美歌39番)
 「食卓に着かれると、彼はパンを取り、感謝してこれを裂き、彼らに手渡された」30節これは不思議です。それはクレオパの家であり、彼が主人であって、イエスは客人であるはずです。しかしここでは何の断わりもなく、イエスが主人役を果たしています。ある学者は、客人の名誉のために主人は客人にその役目をお願いすることがある、と説明しています。そうかも知れません。が、しかしこの場合は不合理のままにしておいた方が、意味に含みがあってよさそうです。
 「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている!」(ルカ15・2)と、パリサイ人や律法学者達はイエスを非難しました。イエスは、律法の規定を守ることができないために、「地の民」として軽蔑され差別を受けている「取税人たちや罪人たち」を招いて一緒に食事をし、「神の国はこのような所である」と教えました。神の国の主(あるじ)はイエスなのです。
 「イエスはパンを取り、感謝してこれを裂き、弟子たちに手渡された」(22・19) これは最後の晩餐の時の言葉です。ルカは24章30節と非常によく似た言語表現をここに用いています。食卓の主も聖餐式の主も、イエスなのです。
 「彼らはひたすら、使徒達の教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンを裂き、祈りをしていた」(使徒行伝2・42) 十字架と復活の後まもなく、エルサレムに教会が誕生しました。原始教会は霊的エネルギーの塊でした。そこから大爆発が起こって、キリストの 福音は地中海世界へ、そして全世界へと広がって行くのですが、共同の食事は守られ続けました。イエスは常に食卓の主であられるのです。                                    一九九三年 八月 八日 礼拝説教

      「そ の 一 瞬 間 !」

 彼らと一緒に泊まるために、イエスは家に入られた。食卓に着かれると、彼はパンを取り、神を讃美してこれを裂き、彼らに手渡された。すると彼らの眼が開かれて、彼らはイエスを認めた。すると彼は彼らの前から消えてしまわれた。
                         ルカ福音書24章30〜31節

 一九四五年八月一五日、第二次世界大戦に敗れて、日本の国は死にました。そして復活し、今日の繁栄に至りました。しかしそれは外面的、物質的、目に見える事柄の死と復活であるに過ぎません。仮死状態であった者が息を吹き返して、健康を取り戻したようなものです。政治形体も軍国主義から民主主義へと変わりましたが、日本人の内実は少しも変わっていません。「彼らは低い者から高い者に至るまで、みな不正な利を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽っている…エチオピア人はその皮膚を変え得ようか? 豹はその斑点を変え得ようか? もしそれができるなら、悪に慣れたお前達も、善を行うことができるだろう」(エレミヤ書8章10節、13章23節) 旧約時代のイスラエル人も、現代の日本人も、魂の死と復活を経験しなければ、本質的には全く同じです。
 「そうしたひと時が 君には無かったか?  突然、さっと一条の光がさして、
  流行 財産 地位などのあらゆる泡沫を破壊してしまい、
  血眼(ちまなこ)の商取引や 出版や 政治や 芸術や 情事など、
  一切を無価値なものに変える一瞬!
  そうしたひと時が 君には無かったか!」    (ウォルト・ホィットマン)
 エマオのクレオパの家に着きました。足を洗い、旅のほこりを落として、夕餉の食卓に着きました。するとイエスは、ユダヤ人の習慣に従って、パンを手に取り、パンを造り給いし神を讃美し、それを裂いて、二人の者に手渡しました。その瞬間に奇跡が起きました。彼らの眼が開かれてイエスを認め、「あっ、イエス様だ!」と叫び声を上げました。すると、イエスの姿が消えてしまいました。「二人が、彼がパンを裂いた時に彼を認めたのは、その儀式における特別の仕草が彼を初めて気付かせたのではない。そうではなく、そのことは奇跡的に起こったのである。神が、それまで閉ざされていた彼らの眼を開かれたのである」(H・グラス)
 生前のイエスは、よく人々と食事を共になさいました。そして共同の食事を神の国での大宴会になぞらえて、人々に語りました。ある時、陪席していた一人が感嘆して叫びました、「神の国で食事をする人はなんと幸いな事でしょう!」(14・15) 貧しい庶民にとって、共同の食事ほど楽しい機会はありません。特にそこにイエスがおられて、慈愛の眼をもって一人一人の者を見つめ、神の愛と赦しを語り、神の国はこのような所なのだ、と教えられたのです。弟子たちはその経験を決して忘れませんでした。
 「エマオの物語は、食事の席に不思議にもイエスが現存しておられることを弟子達が全く単純に認めて驚いた、ということによって感銘深いものになっている。イエスは地上の人間として共同の食事を始められたように、今また復活者として共同の食事を始められた。弟子達はそのことによってイエスを認識した。それ故、復活後の原始教団の共同の食事は、復活者自身によって始められたものとして発生した。イエスは弟子達に、生ける者として御自分を示された。このことからして教団は、その祝いの食事の際には、イエスが訪ねて来て下さる存在として自己を認識したのである」(ウィルケンス) 原始教会は、復活のイエス(聖霊なるキリスト)を中心とする終末論的な共同体でした。そして集会ごとに守る聖餐式もまた、終末を待望する食事でした。「それ故、君たちはこのパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」(コリント第1書11・26)
 「すると彼らの目が開かれて、彼らはイエスを認めた。すると彼は彼らの前から消えてしまわれた」31節。イエスが突然に消えた、という意味は、それが霊的、超自然的な経験であることを暗示しつつ、その瞬間的経験の価値を限りなく高めているのです。見知らぬ旅人は隠された生命です。復活のイエスは顯わされた生命です。秘密のヴェイルは取り除 かれ、二つの別々のものが、その瞬間に一致しました。その時、強烈な発見の喜びが彼らを襲いました。暗黒の絶望が消え去り、光明の希望が到来しました。死は生命に呑み込まれ、彼らは新生と復活とを経験しました。「そうした一時が 君には無かったか?」 その至福の一瞬間を贖うために、人は汗を流し、読書をし、勉学に励み、宗教の門を叩き、礼拝に集うのです。またその至福の一瞬間を味わった者は、それによって未来を生きる力が与えられるのです。「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」(孔子)。復活のイエスがその「道」であり、同時に「真理」であり、「生命」であるのです。
 「…母の胎内にある時から私を聖別し、恵みをもって私を召し出されたお方が、異邦人の間に福音させるために、御子を私の内に啓示して下さった時」(ガラテヤ書1章15〜16節)。パウロはその一瞬間で、キリスト教徒の迫害者からキリストの使徒に生まれ変わりました。「ここで君達に奥義を語ろう。私達すべての者は眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、瞬く間に、一瞬にして変えられる。即ち、ラッパが鳴り響いて、死人は不朽の者に甦らされ、私達は変えられるのである」(コリント第1書15章51〜52節)パウロは確かに復活の奥義を、回心の瞬間に会得したのです。
 「私は父にお願いしよう。そうすれば父は別のパラクレートス(弁護者、助け主、慰め主)を君達に賜わって、永久に君達と共におらせて下さるだろう。彼は真理の霊である。この世は彼を見ようともせず、識ろうともしないので、彼を受け入れることができない。君達は彼を識(経験知)っている。なぜなら、彼は君達と共に留まり、また君達の中にいますからである」(ヨハネ14章16〜17節) イエスの十字架と復活の出来事によって一体、何が行われたのかというと、歴史のイエス、肉体にあったイエスが天に引き上げられて、その交替としてパラクレートス、即ち復活のイエス=聖霊のキリストがクリスチャンの交わりの中に遣わされているのです。今日、福音書の中のイエスが、活けるキリストとしてあなたの内奥に啓示される時、「そうしたひと時」があなたにも起こるのです。あなたは復活の主イエスにお目にかかりましたか?
一九九三年 八月一五日 礼拝説教

      「信 仰 の 復 活 」

 彼らは語り合った、「彼が道中、私たちに語られた時、彼が私たちのために聖書を解き明かして下さった時、私たちの心は私たちの内で燃えていたではないか?」 そして直ぐに立ち上がって、エルサレムに引き返してみると、十一弟子とその仲間が集まっていて、「本当に主は復活して、シモンに御自分を現わされた」と言っていた。そこで二人の者も道中での出来事や、パンを裂かれた時に、イエスが彼らに認められた様子を話した。                            ルカ福音書24章32〜35節

 32節は、クリスチャンに共通の信仰体験を語っています。人間の認識というものは、経験している時にはそれとは分からず、後になって思い起こしてみた時に、初めてその真意が認められるものです。誰でも入信当時のことを思い出してみると、それがよく分かります。私の場合は、敗戦後5年間、16歳から21歳までの間、自分と幼い腹違いの弟を養うために、魚の行商人、進駐軍の労務者、木工場の職人、自動車工場の工員と職を転々として、その間に英語の勉強をし、いくつかの教会で宣教師や牧師の話を聞きました。そして終に、この川崎教会で尾島真治牧師に出会って、洗礼を授けて頂きました。「わが君イエスよ 罪の身は 暗き旅路に 迷いしを 隈なく照らす み恵みの 光を受くる 嬉しさよ」天にも昇る心地でした。今、当時のことを思い起こしてみると、福音の真理は語られており、心は内に燃えて、福音の喜びに満たされていましたが、福音の意味内容はさっぱり分かっていませんでした。人間が真理を認識する過程はそういうものでしょう。当時、尾島先生は84歳で、私は21歳でした。その落差は大きいのです。福音の理解は、学問的な研究ばかりでなく、人生のあらゆる経験を踏まえてなされるものです。今なら、尾島先生の言われることが手に取るように分かるはずです。にも拘らず「心が内に燃えていた」のは、復活の主イエスが、尾島先生の証を通して、私に語りかけていて下さったからなのです。
 一九五一年六月初旬、生活保護を受けておられた尾島先生は、銀座の裏通りにあった菊池病院に御入院中でした。他の患者と相部屋でしたが、私がお見舞に上がって、おいとまを申し上げた瞬間、先生はいきなり私の首を抱き、力強い声で、「キリスト様のために戦って下さい!」と言われました。若者であった私はびっくりして病室を飛び出しましたが、不思議に、私の心は激しく燃えていました。先生は6月18日に天に凱旋されましたのでその言葉が私にとっての「エリヤの外套(テント)」(列王記下2・13)になりました。あの瞬間が「聖霊と火とによるバプテスマ」(ルカ3・16)であり、あの瞬間に、先生の「衣鉢(いはつ)」を受け継いだ、と確信しております。今思うと本当におかしなことですが、当時、私の聖書知識は無に等しいものでした。「彼が道中、私たちに語られた時、彼が私たちのために聖書を解き明かして下さった時、私たちの心は内に燃えていたではないか?」 彼らの心は燃えていながら、イエスの語る言葉(メシアの受難)を彼らは理解していなかったのです。私はこの32節の言葉を読む度に、あの菊池病院の病室での、あの瞬間の出来事を思い起こして、感動を新たにするのです。
 「そして直ぐに立ち上がって」 カイ アナスタンテス アウテー テー ホーラ。
「アナスタンテス。立ち上がること、元来、倒れていたものが、再びシャンと真直ぐに立ち上がることを言う。(死者の中から)立ち上がること、復活、甦り」(新約聖書ギリシャ語小辞典 織田昭編) ルカは24章7節にも同じ語を使っています。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」。エマオ村の家の食卓に着いていたこの二人は、その瞬間、すっくと立ち上がったのです。彼らのこの動作は、彼らの信仰の有り様を表現しています。復活のイエスに出会って、彼が生きていますことを確信した瞬間、彼らの信仰が復活したのです。福音が告げる復活とは、元の状態に復帰することではなく、新しい次元(神の支配)に心の目が開かれることを言うのです。「アーメン、アーメン、私はあなたに言う。だれでも新しく(上から、天から、根源から)生まれ直さなければ、神の支配を見ることはできない」(ヨハネ3・3) 新生と復活は、同時に起きる霊的な経験です。
 「そして直ぐに立ち上がって、エルサレムに引き返してみると…」 往きはよいよい 帰りは怖い、の反対で、往きは絶望 帰りは歓喜、です。復活のイエスを発見した喜びですっかり元気になって、食卓から立ち上がり(その食べ物はどうしたのでしょう?)、この喜びの音信を一刻も早く仲間の人達に伝えるために、暗くて危険な夜道を物ともせず、疲れも空腹も忘れて、12キロの上り道をエルサレム目指して彼らは走りました。「高い山に登れ、良き知らせをシオンに伝える者よ。力強く声を上げよ、良き知らせをエルサレムに伝える者よ」(イザヤ書40・9) これが本当の伝道です。伝道の意欲と熱意のない人は、まだ復活の主イエスに出会った経験を持たない人です。今流行の大伝道集会なるものは、プロの広告屋が企画し、組織を作り、有名な説教者や歌手を招き、巨額な宣伝費を投じて大会場を借り切り、大衆を総動員して、お祭り騒ぎでやるイベントです。あれは福音を売り物にする宗教のセールスマンのやり方で、本質的には、他の新興宗教と少しも変わらない方法です。そんなものは伝道の名に値しません。私達は、今、目を輝かし、胸をときめかせてエルサレムに急行しているこの二人の弟子から、伝道というものを学ばねばなりません。伝道は一人でもできるのです。個人の魂から個人の魂へ受け渡す伝道が本物の伝道なのです。師如浄の教えを守って、「深山幽谷に入って一個半個の者」に道を伝えた道元は、「一器から一器へ」と水を注ぎ込むようにして、禅の真髄を伝えました。
 復活の主イエスの目撃者が、福音の証人になるのです。「このイエスを、神は甦らせた。私たちは皆、その証人なのです」(使徒行伝2章32節) これは聖霊降臨の日(ペンテコステ)にペテロが語った言葉です。「マルチェス。証人、証言者、現場の目撃者、殉教者」(ギリシャ語小辞典) 復活の主イエスに出会った人は、その生涯を証言者として生き続け、死に至るまで忠実に「イエスの出来事」を証しし続けるのです。ゲッセマネの園でイエスが逮捕された時に逃亡してしまった十一弟子達も、エマオへ向かった二人の旅人も、使徒パウロも、復活の主イエスの証人と成って各々の生涯を全ういたしました。
一九九三年 八月二九日 礼拝説教

      「最 初 の 目 撃 者」

 そして、二人は直ぐに立ち上がって、エルサレムに引き返してみると、十一弟子とその仲間が集まっていて、「本当に主は復活して、シモンに御自分を現わされた」と言っていた。そこで二人の者も道中での出来事や、パンを裂かれた時に、イエスが彼らに認められた様子を話した。
                         ルカ福音書24章33〜35節

 [もしキリストが復活しなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、君たちの信仰もまた空しい。すると私たちは神に背く偽証人にさえなるわけだ」(コリント第一書15章14〜15節)と使徒パウロは書いています。キリストの福音のすべては、イエスが甦られたかどうかにかかっています。もしイエスの復活が無かったならば、伝道者の献身的な働きは何のためか? クリスチャンたちのひたむきな信仰は何のためか? 伝道者たちは、無いものを有ると言ったサギ師であり、クリスチャンたちはそれに騙された被害者になります。しかし、もしキリストが本当に復活され、キリストを信じる者が、その復活の生命に与かる道が開かれたのならば、その福音を伝える者の栄光は世に比なく、それを受ける者の利益も世に類いありません。私たちは今、キリストの福音の中心点、復活の問題を学んでいるのです。今日の問題は、復活の主イエスの最初の目撃者は誰であったか、ということです。
 すでに学んだように、マルコ福音書は16章8節で終わっていますので、これには顕現物語はありません。マタイ福音書では、マグダラのマリアと他のマリアの二人の女性が、イエスの墓で天使に会い、その伝言を弟子たちに知らせに行く途中で、復活のイエスに出会いました(28章9〜10節) ヨハネ福音書では、墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活のイエスが最初に御自身を現わされました(20章11〜18節)
 ルカ福音書では、私たちがこの数週間学んで来たように、エルサレムからエマオへ向かうクレオパと他の一人が、旅人の姿をした復活のイエスに出会ったのです。彼らがその想像を絶した出来事を報告するために、エルサレムの集会所に行ってみると、そこにはもうすでに十一弟子とその仲間が集まっていて、「本当に主は復活して、シモンに御自分を現わされた」と言っていました。批判的な学者たちはここに疑惑の目を向けています。この34節の所で物語の筋がねじれているのです。「二人は、『本当に主は復活して、私たちに御自分を現わされた』と話した」としなければならない、とH・グラスは言っています。成程、その方が物語の筋がストレートになります。もしそうだとすると、復活のイエスの第一目撃者は、クレオパと彼の同伴者ということになります。ルカはそれではまずいと考えて、34節の言葉に変更を加えたとも考えられます。または、34節をとばして、33節と35節を直結させても話の筋がよく通るので、34節はルカ自身の挿入句とも考えられます。いずれにせよ、ルカは34節の言葉によって、復活のイエスの第一目撃者をシモン・ペテロにいたしました。24章12節にペテロの行動を入れたのもその伏線であると考えられます。更にさかのぼれば、22章31〜32節の、ペテロの否認を予測して、彼に対する深い配慮を示すイエスの言葉があります。「シモン、シモン、サタンは君を、小麦のように篩にかけることを願って許された。しかし私は君の信仰が無くならないように、君のために祈った。それで君が立ち直った時に、兄弟たちを力づけてやりなさい」 これはルカの特殊資料です。ルカは、ペテロに優先権を与えようとする意図をもっています。ルカにとって、復活のイエスの第一目撃者をペテロにしなければならない理由は何か? 恐らくルカは、コリント第一書15章3〜5節にある原始教会の最古の信仰告白を知っていて、それに合わせたのでしょう。「…聖書に書いてある通り、キリストが三日目に甦ったこと、ケパ(ペテロ)に現われ、次に、十二人に現われたことである…」
 原始教会の公式の信仰告白では、復活の主イエスの第一目撃者はペテロになっています。その後、次々とイエスの顕現がなされて、最後に「月足らずに生まれたような私にも現われた」とパウロは記しています。不思議なことに、このリストには女性たちのことが載っていません。女性たちはどうしたのでしょうか? ゲッセマネの園でイエスが逮捕された時に、男の弟子たちは皆、逃亡してしまいました。他方、女の弟子たちは、十字架の道行き、ゴルゴダ、埋葬、復活の朝までイエスに従って行きました。このように考えると、ヨハネとマタイが記しているように、マグダラのマリアひとりか、彼女を含めた少数の女性たちが、復活のイエスの最初の目撃者であった可能性が大きいと考えても不思議ではありません、では何故、女性たちが原始教会の公式なリストから外されたのか?
 それは恐らく、現代人の意識から判断すれば、女性軽視ということでしょう。ユダヤ人の男性は、シェマーの祈り(申命記6章4〜9節)を朝に晩に唱えることを義務づけられていましたが、女性と子供は免除されていました。女と子供は、奴隷や所有物と同じく、男の「財産」でした(出エジプト記20章17節) それで女性の証言は信用されなかったのでしょう。ギリシャ・ローマ世界でも、女性は大変に差別を受けていました。そのような時代背景の中で、イエスが性的な差別意識に捉われていなかった事実は、奇跡です。パリサイ人から、夫が妻を離縁することは律法上許されているかと問われた時、イエスは「モーセは何といっているか?」と反問されました。すると彼らは、「離縁状を書いて離婚すること」と答えました。離縁状をもっている女性は再婚することができました。しかしイエスは、「それは男たちの心が頑固なために、モーセは妥協したのだ」と言われました。そして更に彼は、女性の地位を引き上げて男性の地位と同等にして、「天地創造の初めから、神は人間を男と女とに造られた」(マルコ10・6)のだから、男のわがままで離婚してはならない、と戒められました。
 しかし、イエスが歴史の舞台から去り、原始教会の時代になると、再び因襲的な差別意識が教会の教えの中に現われ始めました。「教会では女たちに沈黙せしめよ。彼女たちが語ることは許されていない」(コリント第一書14・34) 「女が教えたり、男の上に立ったりすることを、私は許さない」(テモテ第一書2・12) 弟子は師に遥かに及ばなかったのです。イエス以後、教会はイエスのレベルから後退し、保守化しました。復活の主の最初の目撃者は一体、誰だったのでしょうか?
                 一九九三年 九月 五日 礼拝説教