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マルコ福音書の研究

      「主イエスの復活」

 安息日が過ぎ去った時、マグダラのマリアとヤコブの母とサロメは、墓に来てイエスに
油を塗るため、香りのよい香油を買った。そして週の第一日の朝早く、太陽が昇った時、
彼女たちは墓に来た。そして「誰が私たちのために、石を墓の入り口から除けてくれるか
しら?」と互いに語り合った。そして彼女たちが目を上げた時、石はすでに除かれている
のが見えた。これは非常に大きい石であった。そして彼女たちは墓に入り、一人の若者が
白い衣を身にまとい、右側に座っているのを見て、非常に驚いた。彼は彼女たちに言った、
「驚かぬがよい。あなた達はイエスを探している、十字架につけられたあのナザレ人を。
彼は起こされて、ここにはおられない。見よ、人々が彼を葬った場所を。さあ、行って弟
子たちとペテロに告げなさい。『彼はあなた達に先立ってガリラヤへ行かれる。彼があな
た達に言われた通り、そこで彼にお会いできるだろう』と。」
                     マルコ福音書 16章 1〜7節
 イエスの死と復活がキリストの福音の中心なのですが、死と復活は連続しているもので
はなく、そこには明確な断絶があるのです。そしてその後に、新しい形の連続があるので
す。墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活のイエスが現われます。マリアは
それと気が付かなかったのですが、やがてイエスに名前を呼ばれて主であると気付き、喜
びのあまり「先生!」と言って抱きつこうとします。すると以外にもイエスは、「私に触
ってはいけない。私はまだ父の御許に上がっていないのだから…」と言います(ヨハネ20
・11〜17) マリアは、以前のイエスとの関係を回復しようとしたのですが、それが拒否
されています。私たちが親しい者と死別する時に、そこには越え難い断絶があります。そ
の断絶に直面して私たちは言い知れぬ無力感にさいなまれます。
 イエスの十字架の死によって、イエスと弟子達のグループは消滅しました。イエスは釈
迦のように、後事を弟子達に託して安らかに死んだのではありません。すべての弟子達に
見捨てられたのです。十字架の死。それは完全な断絶を意味します。そしてイエスは埋葬
されます。ニサンの月の15日(金)の夕刻から、16日(土)いっぱいと、17日(日)の夜
の分まで墓の中におられて、17日の早朝、墓から出て、復活されました。
 「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復
活によって、力ある神の子と定められたのです。この方が、私たちの主イエス・キリスト
です」(ローマ書1・4) イエスの復活は神の御業なのです。「わが神、わが神、何故
わたしを見捨てられたのか?」というイエスの疑問に対する解答として復活が与えられた
のです。即ち、イエスは神に見捨てられたようにして十字架上で死んだのだけれども、神
はイエスを決して見捨てられなかったのです。彼の復活がその証拠です。私たちもこの世
の人生で、神の御顔が全く見えなくなってしまうような絶望的な経験、地獄を見るような
経験を味わうことがありますが、その時も尚、神に見捨てられることは決してないのです
(コリント第二書6章8〜10節) 厚い雲の上には明るい太陽が輝いているのです。
 現代人の私たちよりも、古代のユダヤ人たちの方がはるかに復活を信じ易かったと思い
ます。後期ユダヤ教には、復活信仰がみられます(イザヤ26・19、ダニエル12・2、第4
エズラ7・32〜36) イエスの時代には、神殿貴族のサドカイ人たちは復活を信じません
でしたが、民衆の教師であったパリサイ人たちは信じていました(マルコ12・18、ヨハネ
11・24、使徒行伝23・8) この傾向は中世日本の浄土信仰と似ていると思います。この
世の特権階級は法然や親鸞の教えを受け入れませんでしたが、生活苦にあえぐ民衆は極楽
浄土の存在を生き甲斐ともし、死に甲斐ともして、信じていました。
 ギリシャ人は、霊魂の不滅を信じていました。肉体は死んで墓の中で朽ち果てても、霊
魂は不滅である。これは合理的でスマートです。ユダヤ人の考えは、ドロ臭いのです。し
かしドロ臭いだけに迫力があります。彼らは人間を、霊と肉が分かち難く結びついている
魂、と観ていました。ですから復活は「からだの甦り」なのです。死体がそのまま墓の中
にあっては具合が悪いのです。それで、復活の証拠として、「空の墓」(16・6)が天使
によって指し示されたのです。ではイエスの遺体は一体、どうなったのか? 復活したの
だ、とクリスチャン達は信じました。「盗まれたのだ」とキリスト教の敵は言いふらしま
した(マタイ28・13) これは水掛け論です。人間は、復活のイエスを見ることは許され
るが(7)、イエスの復活の出来事そのものを見ることはできません。それを神の御業と
して証言したのは天使でした。
 復活を宣教していた原始教会は、一つの難問にぶち当たりました。主の再臨以前に死ん
だ兄弟たちは主が来られる時にどうなるのか。彼らの遺体はすでに墓の中で朽ち果ててい
る。これは体の復活を信じる人にとって深刻な問題です。パウロは答えます。肉の体があ
ると同様に霊の体があるのだ。人は朽ちるべき肉の体で播かれ、不朽の霊の体に甦るので
ある(コリント第一書15・12以下) 朽ちるべきものが朽ち果てることは全く差支えない。
それは霊の体に甦ることと何の関係もない。人はとかくこの世の在り方をもって超越の世
界の在り方を推定するが、それは全くの誤りである、とパウロは戒めています。「肉と血
は神の国を継ぐことはできないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」
 日曜日の早朝、墓地に行った三人の女たちに、天使が現われました。それはこの世の日
常生活の中に、神が介入されたということです。めまぐるしく移り変わる人間の世界に、
永遠不変の神の言葉がつげられたのです。「彼は復活された!」 弟子たちにはどうして
それがわかったのでしょうか? 彼らは、復活のイエスを見たのです。原始教会の最古の
信仰告白がそれを証ししています(コリント第一書15・3〜8) ルカは使徒行伝の中で
パウロの回心の記事をドラマティックに書いていますが、パウロ自身は大変控え目に書い
ています(ガラテヤ1・12、15、コリント第一書9・1) それは言葉に言い表し難い個
人の内奥の経験なのです。そしてその経験は、クリスチャンのすべての人が内心の宝物と
してもっているものです。「あなたはいつ復活の主イエスに出会いましたか?」 祈りの
課題としてこの問題をよく考えてください。
                   一九九三年 四月十一日 復活節礼拝

      「立ちつくす婦人達」

 また、遠くの方から見守っている婦人たちもいた。その中にはマグダラのマリア、小さ
いヤコブとヨセの母なるマリア、およびサロメもいた。彼女たちは、イエスがガリラヤに
おられた時、彼に従い、彼に仕えた人々である。そして他にも、彼と共にエルサレムに上
った多くの婦人たちもいた。
                       マルコ福音書 15章40〜41章
 時は、紀元30年ニサンの月の15日(金)午後3時。場所はエルサレム城壁の外のゴルゴ
ダの丘。ナザレのイエスは、十字架上で大声を上げて絶命しました。彼の周囲には、ユダ
ヤの権力者たちと通行人たちがいました。また、処刑の責任者であるローマ軍の百人隊長
と数名の兵士たちがいました。イエスの弟子たちの姿は見当たりません。彼らは故郷のガ
リラヤへ逃走中であったか、エルサレムのどこかに潜伏中でした。以上は男たちでしたが、
婦人たちもいた、とマルコは記しています。彼女たちは、遠方に立ちつくして、イエスの
最後を見守っていました。イエスの最後の一部始終を見ていた百人隊長が、「本当に、こ
の人は神の子であった」と信仰を告白しましたが、遠方から見守っていた婦人たちは、イ
エスの十字架の証人の役割を与えられています。
 「遠くの方から見守っている婦人たち」とマルコが書いた時に、彼は何を読者に伝えた
かったのでしょうか? 男の弟子たちは皆、逃亡してしまったが、ガリラヤから従ってき
た女たちは、男たちよりも忠実で勇気があった。しかし彼女たちですら、「遠くからみて
いた」。あるいはマルコは、詩篇38・11の預言の成就をヒントしているのでしょうか?
「わが友、わが仲間は、私の災を見て離れ立ち、わが親族もまた、遠く離れて立っていま
す」 そうだとすると、イエスの十字架の遠い背景に数名の婦人たちを描くことによって、
マルコはイエスの孤独を一層深めていることになります。人間にも神にも見捨てられたイ
エス。「婦人たちはガリラヤ人とされているが、これは歴史的事実に合う記述であろう。
そしてこれは、イエスの惹き起こした運動がその生前は主としてガリラヤに限定されてい
たことを示すと共に、弟子たちはすでにイエスが死ぬ以前に逃亡したことをも示している。
つまりイエスの死における孤独は、歴史的に見ても正しく描かれていると言えよう。婦人
たちですら、イエスの後に従う者として、ただ遠くから見守ることしかできなかったので
ある」 (E・シュヴァイツァー)
 ルカは、イエスの働きを助ける婦人たち(8章2〜3節)について記していますが、マ
ルコはこの時初めて、婦人たちの存在を示しています。内輪のグループの3人と、少し区
別されて、多くの婦人たちがいました。弟子の名簿のリストの第一位はペテロですが、婦
人たちの名前のリストの一位は、断然マグダラのマリアです。「このマリアは、以前イエ
スに七つの悪霊を追い出してもらった婦人である」(16・9) 「七つの悪霊」とは難度
の精神病で、廃人同様だった、という意味でしょう。神にも人にも見捨てられた女でした。
きっと彼女が、ルカ福音書7章36節以下の「罪深い女」のモデルにされたのでしょう。「
この女が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさが証明している」彼女は、感
謝を忘れない婦人でした。彼女はイエスを愛し慕いましたが、イエスも又、彼女の愛に応
えておられました。
 「小さいヤコブとヨセの母マリア」 ミクロスとは、小さい、低い、少数(量)の、若
い、取るに足りない、という意味があります。彼は背が低かったか、若かったか、身分が
低かったか。背の低さが一番妥当のようです。これは原始教会の中でより有名なゼベダイ
の子のヤコブや、主の兄弟のヤコブと区別する意味で、身体的な特徴をもって「愛称」と
されていたのでしょう。英語ではショーティーと呼ばれます。このヤコブとヨセとの母マ
リアは、マグダラのマリアと共に、イエスの埋葬の場所を確認(47)しており、主の復活
の朝、墓に急いだ場面にも登場しています。「不思議なことに、ヤコブとヨセは(そして
ユダも)6章3節にはイエスの兄弟として登場する。しかし15章40節では、イエスの母を
考えることはできない。もしそうならば、当然イエスの母と明記したはずであろう」(E・シ
ュヴァイツァー) 第三の婦人サロメについてはよく分かりません。
 右記の三人が「イエスがガリラヤにおられた時、彼に従い、彼に仕えた人々」でした。
その三人の他に、「多くの婦人たちがイエスと共にエルサレムに上ってきた」(41)と
記していますが、現代の多くの学者は、これはマルコの誇張であると言っています。ち
なみにマタイはこれを省き(27・56)、ルカは変更させています(23・46)。
 「御後に従う者」(8・34)という言葉が原始教会ではクリスチャンの別称であったか
も知れません。中でもこの三人の婦人たちは特筆に値する存在です。「一行がエルサレム
へ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子達は驚き、
従う者達は恐れた」(10・32) この婦人たちはガリラヤからエルサレムまで、イエスに
従って上ってき、弟子達が逃亡した後も、十字架まで従ってきました。そして遺体の埋葬
にも立ち合い(47)、復活のメッセージを最初に天使から受けました(16・1以下)。
興味深いことに、十字架まで従ってくることができた勇気ある婦人達も、復活の告知には
びっくり仰天して、「墓から出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた」(16・8)
のです。この記事は意外の感じを与えます。結局、最後までイエスに従った者は、誰もい
なかったのです。それは、人間の勇気や努力によっては誰もイエスに従うことができない。
信仰は神よりの恵みの賜物である(エペソ書2章8節)ということなのです。
 イエスの母マリアについては共観福音書にはなく、ヨハネ福音書になって出てきます。
いわゆるイエスと〓〓〓の物語(20章25〜27節)です。恐らくこれは歴史的事実ではな
く、ヨハネ系の教団の伝承です。ある学者の解釈は面白い。母マリアはエルサレム教会を、愛
弟子は異邦人教会を象徴している。紀元70年にエルサレムが破壊され、エルサレム教会も
消滅する。その後原始教会はユダヤ人伝道に失敗するが、思いがけないことに多くの異邦
人がキリストの福音を受け入れて、教会が盛んになる。老いた母マリアを若い愛弟子が自
分の家に引き取って孝養を尽くす話は、消滅しつつあるユダヤ人教会と繁栄しつつある異
邦人教会の融和を計った伝承である、というのです。そうかも知れません。
                     一九九三年 四月一八日 礼拝説教

      「 イ エ ス の 埋 葬 」

 既に夕方になった。その日は準備の日、即ち安息日の前日であったので、アリマタヤの
出身で高貴な議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトの許へ行き、イエスの体の引取り方
を願い出た。彼は神の国を待ち望んでいた人であった。ピラトはイエスがもう死んだかと
不審に思い、百人隊長を呼び寄せて、彼が既に死んだかどうかを尋ねた。そして百人隊長
に確かめた上、亡骸をヨセフに下げ渡した。ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から
降ろしてその布で巻き、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石を転がしておいた。マ
グダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスを納めた場所を見つめていた。
                       マルコ福音書 15章42〜47節

 イエスの死後、葬儀や告別式はなく、あわただしい埋葬がきます。イエスは十字架の死
刑囚として扱われています。しかしその惨めな埋葬の中にも神の憐れみが認められます。
 「既に夕方になった」42節。マルコがその日の出来事を三時間ごとに区切って報告して
いることは既に学びました。イエスの絶命が第九時(午後三時)で、それから三時間後が
夕方です。夕方になって一番星が輝き始めると、安息日が始まります。すると人々は一切
の仕事を止めねばなりません。当然、埋葬もできません。ですからここでマルコが「既に
夕方になった」と書いたのは、彼の感違いでした。事実は、午後三時のイエスの死から、
夕方の安息日の始まりまでの約三時間の間に43節〜47節の事柄が行われたのです。
 「その日は準備の日、即ち安息日の前日」42節。ここで始めてその日が金曜日であった
ことが報告されます。マルコによるとその日がニサンの月の15日(金)の過越祭の日でし
た。しかし過越祭にも当然安息日の掟が適用されていたはずですから、その日に十字架の
処刑が行われたとは考えにくいのです。それで、ヨハネが報告しているように、その日は
過越祭の前日で(19・14)ニサンの月の14日(金)であった、と考える方が正確なようで
す。この一日の誤差の問題については既に検証いたしました(「最後の晩餐の準備」一九
九二年九月六日号参照)
 神は思わぬ時に思わぬ人を用いて御業を行われます。アリマタヤのヨセフが登場します。
彼は名誉ある最高法院の議員で、イエスの裁判の時には死刑判決に反対の気持をもってい
ましたが、発言を控えていたか、欠席していたかでした(ルカ23・51)。彼は篤信なユダ
ヤ教徒として、メシアが到来して、地上に神の支配を行われることを待望しており、イエ
スを秘かに尊敬していました。そのヨセフが、誰一人としてイエスを埋葬する者がいない
のを見て、一世一代の勇気を奮い起こし、ローマ総督ピラトの許に行ってイエスの遺体を
引き取らせて戴きたい旨、申し出ました。
 マルコとルカは、ヨセフはイエスに好意的であったが弟子ではなかったように書いてい
ますが、マタイは「彼もイエスの弟子であった」(27・57)と記し、ヨハネは、ヨセフは
イエスの隠れた信者であった(19・38)と書いています。まあ、玉虫色のクリスチャンで
した。イエスに選ばれ教育され、期待されていた直弟子達はイザという時に逃亡してしま
い、人目を恐れて「信仰告白」をしていなかったヨセフが聖霊に促がされて、「清水の舞
台から飛び降りる」ような気持で、イエスの埋葬を行なうことを決意したのでした。ヨセ
フを知る人は驚いたでしょう。イザという時に、変身できる人もいるのです。
 ヨセフは太陽と競争しました。日が沈むまでにすべてをなし遂げねばなりません。まず
ピラト総督邸に出向いてイエスの遺体の下げ渡しを請い求め、ピラトは処刑責任者の百人
隊長にイエスの死を確認した上で許可を与えました。それから亜麻布を買いに人を走らせ、
イエスの遺体を十字架から降ろしてその布で巻き、新しく造ってあった自分の家族墓地に
遺体を安置し、大きな丸石を転がしてその入口を塞ぎました。やり残したことは、遺体を
清めて香油を塗ることだけでした。その仕事は、埋葬を手伝ってくれた婦人たちが安息日
の後、引き受けるはずでした。葬儀・告別式はできませんでしたが、埋葬はヨセフのお陰
で上等な方でした。十字架につけられた者は普通二、三日はその上で苦しむものでしたが、
イエスの場合は午前九時〜午後三時の六時間で、ピラトがその死の早さに不審に思うほど
でした。イエスにとってその時間が短かったことは神の憐れみでした。遺体が亜麻布で巻
かれて石造りの墓に安置されたことは、死刑囚の遺体の取り扱いとしては異例なほど上等
でした。
 野辺の送りは寂しいものですが、イエスの場合は一層、寂寥感が漂います。家族、親類
の姿はなく、親しい弟子達の見送りもなく、一人の篤志家のボランティア精神で埋葬され、
ガリラヤからイエスに従ってきた三人の婦人がその埋葬に立ち合いました。
 イエスは逆説的真理の言葉を語りましたが、彼の生涯の結末も誠に逆説的でした。「た
とえ皆が躓いても、私は躓きません。たとえあなたと一緒に死なねばならなくなっても、
私は決してあなたを否認いたしません」(14章28、31節)と力強く誓ったペテロと他の弟
子達は、その時になると皆逃亡していて役に立たず、「イエスの弟子でありながら、ユダ
ヤ人達を恐れて、そのことを隠していたアリマタヤのヨセフ」(ヨハネ19・38)が、大胆
にも献身的な働きをしました。マルコはここにおいても、「弟子達の無理解」を語ってい
るのです。そしてそれは暗に、マルコの時代のエルサレム教会の指導者達が、ラディカル
(根源的、過激的)なイエスの精神に従って歩まず、それから逸脱してしまっていること
を厳しく批判しているのです。こういう批判精神をもたないと、宗教というものは次第に
保守化し、世の風潮に押し流され,権力におもねるようになってしまうのです。「君たち
は地の塩なのだ。もしその塩が効力を失ったら、何をもって塩づけされようか? 無用の
存在となり、外に捨てられて踏みつけられるだけだ」(マタイ5・13)
 「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスを納めた場所を見つめていた」47節。
イエスの証人になったこれらの少数の女性達は、世界の女性解放史の中で開拓者的な存在
です。ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥ教、仏教と、世界の宗教の地域の中で女性が最も
自由でハツラツとしている地域は、キリスト教の影響の強い地域です。イエスによって一
個の人格として認められ、自分の真価に目覚めた女性達が、直弟子達よりもはるかに遠く
まで、イエスに従って十字架と埋葬と復活の証人になったのです。
                   一九九三年 四月二五日 礼拝説教

      「 真 実 の 証 言 」

 さてその日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人達は安息日に死
体が十字架の上に残っていることのないように、脛を折って死体を取り降ろすように、ピ
ラトに願い出た。そこで兵卒たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の者と、
もう一人の者との脛を折った。しかしイエスの所に来て、彼がもう死んでいるのを見ると、
その脛を折らなかった。しかし一人の兵卒が槍でイエスの脇腹を刺した。すると直ぐ血と
水とが出て来た。そしてそれを見た者がこのことを証言している。その証言は真実である。
そしてあのお方は彼の言うことが真実であることを知っている。これは君達も信じるため
である。このことが起こったのは、「彼の骨は一本も砕かれない」(詩篇34・20)という
聖書の言葉が成就するためである。更に別の聖書の言葉は、「彼らは自分の突き刺した者
を見るであろう」(ゼカリヤ12・10)と言っている。
                       ヨハネ福音書 19章31〜37節

 アメリカではカルト教団ブランチ・デビディアンの教祖と信者達が悲惨な最期を遂げ、
日本では統一神霊協会の事件がマスコミを騒がせています。「人に惑わされないように気
を付けよ。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って多くの人を惑わ
すであろう」(マルコ13・6) この警告は現代でも有効です。再来のキリストを自称す
る者は誰でも「偽キリスト」です。今日多くの偽キリストが出現し、非常に多くの人々を
滅びの道に誘っています。私たちは「真理の霊と迷いの霊」(ヨハネ第一書4・6)との
識別力をもって、健全な信仰生活を営まなければなりません。
 ヨハネは、十字架上でイエスが死なれた直後の出来事を報告しています。これはヨハネ
の特種です。ヨハネによると、イエスの十字架の日は、ニサンの月の14日(金)で、その
翌日は安息日と過越祭の第一日が重なっている「特別の安息日」でした。
 十字架につけられた者は通常、数日間生きていて、激痛、疲労、流血、渇きに苦しみま
す。蠅やあぶや蚊に悩まされ、猛禽類が襲ってきます。ローマ人はそれを平気で見物して
いましたが、ユダヤ人には残酷すぎることを禁じる律法がありました。「ある人が死刑に
当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま
夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めなければならない」(申命記21・22) こ
れは人道的な処置であると同時に、聖なる土地を清く保つ目的をもった掟でした。
 ユダヤ人達は、特別な安息日を神聖に保つために、十字架につけられている者達の脛を
折って死期を早め、死体の処理を済ませてしまいたかったので、その旨、総督ピラトに請
願して、許可されました。そこで兵卒達が来て、二人の囚人の脛を鉄棒で叩き折って彼ら
を死なせました。それからイエスの所に来てみると、彼は既に死んでいたので、その残忍
な処置を受けずに済みました。その代わり、兵卒の一人がイエスの死を確認する意味で、
脇腹に槍を突き刺しました。「すると直ぐに血と水とが流れ出た」。この34節と、その意
味づけをしている35節とをカッコで括って、33節を36節に直結させると、話の筋がよく通
ります。即ちイエスの脛が折られなかったのは、「その骨が一つも砕かれない」という旧
約聖書(詩篇34・20)の預言が成就するためであった、というのです。
 「直ぐに血と水とが出てきた、という文は教会の編集に基づくものとすることができよ
う。その証拠は、第一に、37節にあるゼカリヤ書の引用で、これはこの槍で突いたという
ことはズバリと言っているけれども、水と血との流出のことは特に言っていない。第二に、
不思議な出来事、非常に意味深長な奇跡を描き出そうとしている点である。その意味する
ところは言うまでもなく、聖餐および洗礼という二つのサクラメント(聖礼典)の最後に
して本来の根拠は、イエスの十字架にある、ということである」(S・シュルツ)
 「水」とは、バプテスマの水(マルコ1・10)のことで、これはメシアの任職式に油を
注がれることに比肩され、「血」とは、贖いの御業の完成としての十字架の死の象徴なの
です。水=イエスの洗礼と、血=イエスの死。その二つのものの意味を開示するものが、
助け主(パラクレートス)、即ち真理の霊(ヨハネ15・26)なのです。「イエス・キリストは、水と血とを
通って来られたお方である。水によるだけではなく、水と血とによって来られたのである。
その証しをするものは御霊である。御霊は真理である。証しをするものが三つある。御霊
と水と血とである。そしてその三つのものは一致する」(ヨハネ第一書5章6〜8節)
 イエスが水と血とを通って来られたように、人はイエスの名によってバプテスマされ、
イエスの肉と血の象徴としてのパンとぶどう酒による聖餐に与ることによって、主イエス
との親しい交わりの中に入れられるのです。「私達の親しい交わりとは、父ならびに御子
イエス・キリストとの親しい交わりのことである。これを書き送るのは、私達の喜びが満
ち溢れるためである」(ヨハネ第一書1章3〜4節) イエスの十字架上の死が、教会で
行われる二つの聖礼典、洗礼と聖餐の基礎である、これが原始教会以来のキリスト教会の
信仰なのです。
 「それを見た者がこのことを証言している。その証言は真実である」35節。それを見た
者とは、ヨハネ福音書に度々出てくる愛弟子(まなでし)(21・24)です。十字架の傍らに立っていた
この愛弟子(19・26)が、イエスの脇腹から血と水とが流出したという不思議な出来事の
目撃者であり、彼の証言は真実である、と強調しているのです。そして彼の証言の真実性
を裏付ける者として、もう一人の証人を導入しています。「そしてあのお方は彼の言うこ
とが真実であることを知っている」35節。「あのお方」とは、死んで甦えり、天に昇って
神の右に座し、助け主(パラクレートス)として世に降り、教会を通して御業を続けておられる真理の霊(14
章16〜17節)なる主イエス・キリスト以外に考えることはできません。ここにはヨハネ系
の教会のキリスト論が語られているのです。
 「教会の編集の意図においては、もっぱら次のことを意味するのである。即ち、この二
つのサクラメントの神秘的かつ不可思議的な起源が、イエス・キリストの十字架上の死に
あることは、愛弟子と十字架に挙げられたお方との二重の権威によって保証されている、
というのである」(S・シュルツ)
                   一九九三年 五月 二日 礼拝説教

       「神の小羊」の埋葬

 その後、ユダヤ人を恐れて、密かにイエスの弟子になっていたアリマタヤのヨセフが、
イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼は
イエスの遺体を取り降ろしに行った。そこへ、かってある夜、イエスの許に来たことのあ
るニコデモも没薬と沈香を混ぜた物を百リトラ(約33キログラム)ばかり持ってやってき
た。彼らはイエスの遺体を引き取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料と一緒に亜麻
布でこれを巻いた。さて、イエスが十字架につけられた場所に、一つの庭があり、そこに
は、まだ誰も埋葬されたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であ
り、その墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
                      ヨハネ福音書 19章38〜42節

  あなたもそこに居合わせたのか、彼らが私の主を十字架にかけた時に?
  あなたもそこに居合わせたのか、彼らが主を釘づけした時に?
  あなたもそこに居合わせたのか、彼らが主の脇腹を槍で突いた時に?
  あなたもそこに居合わせたのか、彼らが主を墓に横たえた時に?
  おお、それを思う時、私の体は 震えてくる 震えてくる 震えてくる。

 先日、91才で召天した天才歌手マリアン・アンダーソンが、この黒人霊歌を情感をこめ
て歌っています。信仰の生命は、同時性の経験にあります。福音書の中でイエスの受難物
語を読む時に、それは約二千年昔にエルサレムで起こった出来事であるけれども、それと
同時に、私の魂の中で、今日、ここで起こっている経験であるのです。今、私の魂がイエ
スの埋葬に立ち合っているのです・それで、「私の体は震えてくる」のです。「同時性」
の哲学者キルケゴールは、「真理は主観の中にあり」と主張いたしました。
 「ピラトはイエスを外へ連れ出し、ヘブライ語でガバダ、即ち『敷石』という場所で、
裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、第六時(12時)頃であった」19章13〜
14節。ヨハネの暦によると、イエスの十字架の日は、紀元30年ニサンの月の14日(金)で
す。その正午頃、イエスはピラトの官邸で裁判を受けました。そうすると3時頃に十字架
につけられると間もなく死んで、夕刻になる前に埋葬されたことになります。マルコの記
事によると、イエスは6時間、十字架にかけられた後、死亡いたしました。それでもピラ
トはその早さに不審を感じたほどでした。そのように考えると、ヨハネの時刻は理屈に合
わないことになるのですが、ヨハネには独特の時間の考え方がありました。
 ヨハネはイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(1・29)と見ているのです。神の小
羊なるイエスは、過越祭の準備の日に神殿で生けにえの小羊が屠殺される時刻に、十字架
にかけられて殺されるのです。ヨハネは理念的な時刻を記しているのです。それで、マル
コの時刻表と一致しなくても少しも差し支えないのです。
 「このことが起こったのは、『彼の骨は一本も砕かれない』という聖書の言葉が成就す
るためである」36節。シュルツの解釈を聞いてみましょう。「槍で突いたという出来事は
ヨハネにとって余りにも重大なので、彼はこれに旧約聖書の二個所からの証拠を付け加え
る。第一に、イエスの骨がローマ兵に打ち砕かれなかったことによって、『彼の骨は一本
も砕かれない』という聖書の言葉が成就した。これは、前ヨハネ的受難物語としては、十
字架の救済的性格 ー十字架につけられたこのナザレ人こそ、旧約聖書に預言された救済
者だということ(詩篇34・20)ー を決定的に表現するものである。ところが福音書記者
はそれを更に越えて、過越の小羊のことを述べた出エジプト記12章46節を考えていたので
あって、この言葉は同時に次のことをも証言しているのである。即ち、十字架につけられ
て栄光を受けたこの使者イエスこそ、真の過越の小羊であって、彼はその死によってこの
ユダヤの祭儀=過越祭を終結させたのである。というのは、19章14節で、イエスの十字架
刑がエルサレムで過越の小羊の屠られる正にその時間に行われたと報じられたのは、理由
のないことではなかったのである」
 38節に、アリマタヤのヨセフが登場します。より古いマルコ伝承と違って、ここのヨセ
フはイエスの密かな弟子であったとされています。そしてもう一人、既に3章でお馴染み
のニコデモが現れます。ニコデモもパリサイ派の最高法院の議員であり、イエスを密かに
尊敬していた人でした(3章1〜15節、7章50節)ヨセフとニコデモは、魂の傾向がよく
似ています。ニコデモもイエスの生涯の最後、即ちイエスの埋葬の時に、行為によってそ
の信仰を告白してますす。ヨセフとニコデモはもう総督ピラトの思惑もユダヤ人達の目も
恐れません。ヨセフはイエスの遺体を十字架から取り降ろして埋葬をする許可をピラトに
願い出て、許されました。このことは31節の記事と矛盾しますが、それは伝承の相違のた
めです。
 ニコデモは、没薬と沈香を混ぜ合わせて粉末状にした香料を百リトラ(約33キログラム)
も持ってきました。イエスの遺体を十字架から取り降ろし、洗い清めて、亜麻布で遺体を
巻きながら、その間に香料をたっぷり振り掛けていくのです。これはマルコの記事とは違
います。マルコの場合は、大至急で埋葬をしたので、香料を施す時間がなかったのです。
それで安息日が終わった日の早朝に婦人たちが香料を携えて、イエスの墓に急いだのでし
た。ところがヨハネは、ヨセフとニコデモの手によって正式の埋葬が行われた、と記しま
した。「ユダヤ人の埋葬の習慣に従い」と、異邦人の読者を意識して説明しています。
 「さて、イエスが十字架につけられた場所に一つの庭があり…」41節。イエスの遺体を
どこに埋葬すべきか、とヨセフとニコデモが思案する必要がないかの如くに、偶然、丁度
よい墓地が直ぐ近くにありました。しかも誰も使用したことのない全く新しい墓でした。
マタイによるとイエスの遺体はヨセフの墓(27・60)に納められたのですが、ヨハネによ
るとその新しい墓は誰の所有でもない、神が御子の埋葬のために準備し給うた「アドナイ・
イェレ」(創世記22・14)でした。イエスの埋葬は、ヨハネによると、二人の信仰の勇者
と神御自身の御手によって、完全に行われたのでした。かくして神より遣わされた神の小
羊イエスは、サタンとの戦いに勝利し、十字架の栄光を受けて、此の世から天の御座へと
凱旋して行かれました。
                   一九九三年 五月 九日 礼拝説教

      「墓を見張る番兵」

 翌日、即ち準備の日の次の日、祭司長達とパリサイ人達はピラトの許に集まって、言っ
た。「長官、あの惑わす者がまだ生きていた時、『私は三日後に起こされる』と言ったの
を思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令して下さい。そうしない
と弟子達が来て死体を盗み出し、『イエスは死人の中から起こされた』と、民衆に言いふ
らすかも知れません。そうなると、人々は前よりも後の方がもっと惑わされることになる
でしょう」 ピラトは言った、「お前達に番兵を貸そう。行って、確りと見張らせよ」
彼らは行って、墓の石に封印をし、番兵を置いて見張らせた。
                       マタイ福音書 27章62〜66節

 統一神霊協会を批判する本の中に、マインド・コントロール(思考制御)という言葉が
盛んに出てきます。信者のマインドをコントロールして、神と文鮮明教祖と祖国(韓国)
に忠誠を誓わせるのだそうです。マインド・コントロールとは、信者を洗脳してロボット
化し、教団の都合のよいように使用するらしい。それが詐欺的霊感商法や集団合同結婚式
に結びついているようです。それは聖書宗教とは似て非なるサタンの思想です。聖書宗教
の根本は、「ハート(心)を尽くし、ソール(魂)を尽くし、マインド(思い)を尽くし、
ストレングス(力)を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」(マルコ12・30)というも
のです。全身全霊を上げ、全力を尽くして、存在を与えて下さった主なる神に仕え、自由
の愛をもってその御支配に身を委ねることを学ぶ。それが私たちの信仰生活です。主なる
神とイエス・キリスト以外の何ものに対しても、決して自分自身を明け渡してはならない
のです。
 今日のテキストは、マタイの特種です。イエスがヨセフの墓に埋葬された後、弟子たち
が死体を盗み出してこれを隠し、イエスが生前予告していた通りに、復活した、と言いふ
らすことのないように、ユダヤ教の指導者たちは墓石に封印をし、番兵を置くように総督
ピラトに願い出て、これを許されました。そしてこの話は28章11〜15節につながります。
天使の出現を目撃して恐怖のあまり失神していた番兵が目覚めて、復活の出来事をユダヤ
教の指導者たちに報告に行くと、彼らは相談して、多額の金を兵士たちに与えて「弟子た
ちが夜中にイエスの死体を盗んで行った」というデマを飛ばすように頼みます…。
 四福音書はキリスト教の正典ですが、その中に使われている資料は必ずしも質の高いも
のばかりではありません。今日のテキストの番兵の話は、限りなく外典に近いものです。
これはイエスの復活からマタイの時代までにキリスト教徒とユダヤ教徒の間で行われた復
活論争から生まれた伝承のようです。「この話は今日に至るまでユダヤ人の間で広まって
いる」(28・15)、だからイエスの復活は事実であったのだ、とマタイは説得的に語って
いるのです。しかし復活は、客観的な事実として、自然科学的に説明して、誰にでも納得
させることのできるような性質のものではありません。「イエスは死人の中から起こされ
た」と受動態で語られているように、復活は神の御業なのです。神の御業は奇跡として聖
書に記されています。奇跡は信じるか信じないかの問題なのです。信じない人には言葉で
説明して分からせることはできません。無理にそうしようとすると、マインド・コントロ
ールの手段を使うということになります。このシステムを開発して効率よく信者を製造し
ているのが統一神霊協会です。
 マタイの番兵の話を更に一歩踏み出している話がペテロ福音書(新約外典)に出ていま
す。「また墓から三人の人の出てくるのが、即ち、二人が一人を支え、彼らに十字架のつ
いてくるのが、そして、二人の頭は天にまで達し、他方、彼らに支えられている人の頭は、
天をも越えてしまっているのが見えた」(8・39) それを見たのは、ユダヤ教の指導者
たちと百人隊長と兵士達でした。正典には品格と抑制がありますが、外典にはそれがあり
ません。その相違は、本物の信仰と流行的宗教熱との間にも認められます。
 マタイは相当無理をして墓を見張る番兵の話を書いています。「翌日、即ち準備の日の
次の日」62節。奇妙な表現です。「翌日は安息日」と書いたらよさそうなものですが、安
息日と言うとユダヤ教の指導者たる者が安息日に異邦人ピラトの官邸に行くというのは、
まずいのです(ヨハネ18・28).
 ユダヤ教の指導者たちはイエスを処刑しただけでは安心できず、ピラトの助けを借りて
墓に封印をした上、見張りの番兵を置くということも、ありそうもない話です。彼らは予
めイエスの復活を期待しているようです。イエスの復活はユダヤ教の指導者だけでなく、
弟子たちにとっても全く予想できなかった出来事であったはずです。更に、ユダヤ教の指
導者たちは「三日目の復活」さえも予想していました。「私は三日目に復活する」(63節)
とは、イエスが弟子たちに秘密に語った言葉でした(16・21)。更に言えば、この復活預
言も歴史のイエスが語った言葉というよりはむしろ、原始教会の復活信仰からうまれた「
事後預言」である可能性が強いのです。もしこのようにイエスが弟子たちに三日目の復活
を予告していたならば、十字架の死の衝撃は決定的に弱められてしまいます。この問題を
考えていた丁度その時、誠(長男)が「グッ・バイ」と言ってアメリカへ出発しました。
再会の望みが有るのと無いのとでは、この別離の意味は大変な相違です。
 63節と同様に64節の「イエスは死人の中から起こされた」という反対者側からの発言も、
実は原始教会の信仰告白(ローマ書10・9)に対する反対意見なのです。「また我々の物
語は更に弟子たちに向けられた現実の非難や中傷を反映している(28・13)。実際、一体
イエスの亡骸はどこにあったのかという問題が受難の金曜日と復活の朝の事件の直後に起
こらざるを得ないのである。原始教会は極めて短期間のうちに、まさにエルサレムに於て
成立し、イエスを甦らされた者として告知する。弟子達が亡骸を盗んだのだという情報に
直ちに出会わざるを得ない。マタイの言う所によると(28・15)、このような見解は福音
書がつくられた時代にも行われている。…この未解決の事実がイエスの復活の問題を内に
含んでいる限り、この問題そのものは『客観的に』証明され得る事実、即ち反抗する者も、
敵対する者も承知せざるを得ないような事実ではない」(シュニーヴィント) マタイは、
大石の封印も番兵の見張りも、復活の力には敵わなかった、と語っているのです。
                   一九九三年 五月一六日 礼拝説教

      「天使と婦人たち」

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗
りに行くために香油を買った。そして、週の初めの日の早朝、太陽が出ると直ぐに墓へ行
った。彼女達は、「誰が墓の入口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合って
いた。ところが、目を上げて見ると、石は既に脇へ転がしてあった。石は非常に大きかっ
た。墓の中に入ると、白くて長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人
達は非常に驚いた。若者は言った、「驚くことはない。あなた達はイエスを探している、
あの十字架につけられたナザレ人を。彼は起こされて、ここには居ない。ごらん、彼を安
置した場所を。さあ、行って弟子達とペテロに告げなさい、『あのお方は、あなた達より
も先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこで彼にお会いできるだろう』と」。
婦人達は墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも言わなか
った、恐ろしかったので…
                       マルコ福音書 16章1〜8節

 イエスの遺体は墓の中に安置され、墓の入口の大きな丸石が転がされて、墓は塞がれま
した。かくして、イエスの壮烈な三十数年の闘いの生涯にピリオドが打たれました。紀元
30年ニサンの月の15日が暮れようとしています。歴史のイエスの物語はそこで終ります。
 一番星が輝き始めると、静寂がエルサレムを包み込みます。安息日の始まりです。ニサ
ンの月の16日(土)になりました。イエスも墓の中で、主の安息日を守られたでしょうか?
歴史が終わると伝説が始まります。「彼は獄に捕われている霊たちの所へ下って行き、宣
教された」(ペテロ第一書3・19)と後世の説教者は語りました。また使徒信条において
 も、「…十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り…」と記されました。陰府は、死
者が下り、そこにて復活を待つ場所でした。イエスは地上においても陰府においても、神
の支配の福音の宣教者でした。
 他方、地上では、24時間が経って、安息日が終った夕方に、マグダラのマリアとヤコブ
の母マリアとサロメは、イエスの遺体に塗るための香油を買い、夜明けを待って、イエス
の墓へ急ぎました。唯一の心配は、墓の入口の大石でした。力のある男の弟子達は皆、逃
亡してしまって、いなかったのです。彼女達は男の力をあてにできないのに、どうして墓
へ向かったのでしょうか? マルコはここで信仰を語っているのでしょうか? 「信仰に
よって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しを受けた時、それに従い、行
く先を知らないで出て行った」(ヘブル書11・8) 愛すべき向こう見ずの信仰。墓に着
いて見ると、入口の大石は既に脇へ転がしてありました。やはり「アドナイ・イェレ」(
創世記22・14)でした。「石は非常に大きかった」という表現で、これが神の御業である
ことが示されています。
 墓の中に入ると、白い衣を着た若者が右側に座っていました。輝くばかりの白は、天上
界の象徴です。天からの使者が神のメッセージを携えて下って来たのです。現代人の多数
は、世界は一つだと思っています。即ち、地上の人間界だけです。それで天上界、霊的世
界、永遠の世界に対しては、全くの盲目です。関心がないものは、無いのと同じです。イ
エスの時代の人々は、三つの世界を信じていました。天上界、地上界、地下の世界(陰府)
の三つです。地上の世界に人間が生きています。すべての善い賜物は、天上界から下って
来ます。すべての不幸は、地下の世界から吹き上げて来ます。それで地上は、神とサタン
の戦場であり、人間はその両方から影響を受けている、と考えられているのです。
 天使の出現は、人間の世界への神の介入を意味します。天使を見て、「婦人達は非常に
驚いた」5節。「根源現象が私たちの感覚に対して裸のままで出現すると、私たちは一種
の怖れを感じ、不安にさえ襲われる」(ゲーテ) 「驚くことはない」6節。「聖書の中
で生ける神が人に出会われる場合、殆んどいつも神の語られる最初の言葉は、人からこの
驚愕を除くための言葉である。というのは、すべてを圧倒する神の偉大さの前において、
人はただ驚愕をもってしか、自分自身を見ることができないからである」(E・シュヴァ
イツァー) 「わが心に畏れを教えたのは、恵みであった。そして、わが畏れを取り除い
たのも、恵みであった」(ジョン・ニュートン) 私たちは礼拝において、聖書の学びに
おいて、信仰の友との語らいにおいて、超越との出会いを経験し、神に対する畏れと愛を
促がされるのです。
 「あなた達はイエスを探している、あの十字架につけられたナザレ人を」。この婦人達
は、イエスに従って、ガリラヤからエルサレムへ、そして十字架と墓場までやってきまし
た。しかし人間的な信仰探求の旅はそこまでです。墓場が行き止まりです。そこからの飛
躍を与えるのは、神の御業です。「彼は起こされた」と解釈天使が受動態で語る時、神の
御業が中心に置かれているのです。イエスに復活を与えられたことによって、神は、「わ
が神、わが神、何故わたしを見捨てられたのか?」(15・34)との深刻な問いかけに対す
る解答を与えられたのです。神はイエスを見捨てられなかったのです。ペンテコステの日
に、ペテロは人々に語りました、「神は、このイエスを死の苦しみから解き放って、甦ら
せたのである」(使徒行伝2・24)
 「彼はここには居ない。ごらん、彼を安置した場所を!」 天使は空虚な墓を復活の証
人に仕立てました。では、イエスの亡骸は一体、どこへ行ったのでしょうか? この問題
は先週学びました。復活の直後から福音書の時代を経由して現代に至るまで、論じられ、
研究されてきましたが、結局は、分かりません。しかし、亡骸の行方が不明になったとい
う先例が旧約聖書に三回出て来ます。そしてその伝説をユダヤ教徒もキリスト教徒も信じ
ていました。神と共に歩んで、神の御許に引き上げられたエノク(創世記5・24)。神御
自身の御手によって埋葬されたモーセ(申命記34・6)。火の戦車に乗って、嵐の中を天
に昇って行ったエリヤ(列王記下2・11)。このように神がイエスの亡骸を引き取られた
のでしょうか? それとも復活の際に、イエスの肉体が霊体に化せられたのでしょうか?
聖霊降臨の日にペテロは、詩篇第16篇を引用して、ダビデはキリストの復活を預言したと
語り、「彼は陰府に捨ておかれず、またその肉体が朽ち果てることもない」(使徒行伝2
・31)と証しいたしました。
                   一九九三年 五月二三日 礼拝説教

      「復活と聖霊降臨」

 若者は言った、「驚くことはない。あなた達はイエスを探している、あの十字架につけ
られたナザレ人を。彼は起こされて、ここには居ない。ごらん、彼を安置した場所を。さ
あ、行って弟子達とペテロに告げなさい、『あのお方は、あなた達よりも先にガリラヤへ
行かれる。かねて言われた通り、そこで彼にお会いできるだろう』と」。婦人達は墓を出
て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも言わなかった、恐ろしか
ったので…
                      マルコ福音書 16章6〜8節

 マルコ福音書の受難物語は、16章8節で突然、終わっています。今日はマルコ福音書16
章1〜8節と、その並行記事であるマタイ福音書28章1〜8節を比較しながら学びを進め
て参りましょう。どうぞお手許の聖書を開いて御一緒に考えて下さい。
 紀元70年頃に成立したマルコ福音書を傍らに置いて、それを修正しながら、マタイは自
分の福音書を書き進めています。85年頃のことです。先ずマタイは、マルコの三人の女性
の数を、埋葬に居合わせた女性の数に合わせて二人に変えました。次にマルコの香油につ
いての記事を取り除き、「墓を見に来た」と書き改めました。死後一日半経った遺体に香
油を塗ることは考えられないことでした。マルコでは、女性達はイエスの遺体に香油を塗
る目的で墓に行ったのに対して、マタイでは、彼女達は墓の様子を見に行ったのです。マ
タイでは、墓はローマ兵によって厳重警戒されているのです。そういう状況の中で女性達
が墓を見に行くというのは、何か事件が起きることが予想されているようです。
 マルコでは、墓地に着いた女性達が発見したことは、墓を塞いでいる大石が既に脇へ寄
せられていた事実でした。マタイでは、彼女達が墓に着くと、天使が降って来て墓の大石
を脇へ転がし、その石の上に座ったので、大地震が起きました。その物凄い光景を見て、
警備のローマ兵達は震え上がって死人のようになってしまいました。こうして邪魔者を失
神させておいて、天使は女性達に御告げを伝えます(5〜7節)
 マルコでは、ユダヤ教当局の懸念もなく、ローマ兵の見張りもないことになっています。
女性達が墓の内部に入ると、白い衣を着た若者がいて、あなた達が探しているイエスは、
既に復活してここには居ない。ごらん、彼を横たえた場所を、と言ってその場所を指し示
します。マルコの記事はマタイのそれと比較して、品格と抑制があります。大石を取り除
いたのは天使であることが暗示されています。天使の目撃者は、イエスを愛する女性達だ
けです。それに比べてマタイの記事は大仰です。天使が降って来て石を転ばした様子、見
張りの兵士の有様など、奇跡が前面に押し出されて強調されています。天使の出現を見た
のは、女性達だけではなく、ローマ兵達も見たのです。マタイは、神の奇跡的な御業は客
観的に確かなものであり、信仰のある者も信仰のない者も、一様に認めねばならない事実
であるかのように語っています。これはきわどい論法です。それを更に一歩進めると外典
のようになってしまいます。「…また墓から、今度は三人の人が出て来るのが見えた。そ
のうちの二人が一人を支え、その後から十字架がついて来た。二人の頭は天までとどき、
三人目の人の頭は天をつきぬけていた…」(新約外典ペテロ福音書) それを目撃したの
は、見張りの兵隊と百人隊長と長老達でした。こういう話は新興宗教的であり、俗受けい
たしますが、信頼できる話ではありません。私達の信仰生活も、マルコの記事のように、
品格と抑制のある、静かで落着いたものでありたいと思います。何にせよ本物は目立たな
いものです。神の御業も、霊的な眼が開かれた人にだけ見られ、讃美され、感謝されるも
のです。
 「さあ、行って弟子達とペテロに告げなさい、『あのお方は、あなた達よりも先にガリ
ラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこで彼にお会いできるだろう』と」(7節)
この節の言葉は14章28節の言葉と対応しています。そこでは、弟子達はイエスに躓いてみ
んな散ってしまうが、イエスが復活した後、弟子達よりも先にガリラヤへ行く、と預言し
ています。それと同じ内容の事を16章7節では、言葉を変えて天使がもう一度言っている
のです。その両方の節は、マルコの挿入句です。14章28節の場合と同様に16章7節の場合
も、7節を取り除いて6節を8節に直結すると、話の筋がよく通ります。マルコがその二
つの節を挿入した意図は、復活のイエスと弟子達との再会の場所は、エルサレムではなく、
ガリラヤこそ相応しいと考えたからです。マルコにとってエルサレムは、ユダヤ教の中心
地であり、ユダヤの宗教的権力とローマの政治的権力が結託して、イエスに敵対した土地
であったのです。「ペテロと弟子達」と言わず、「弟子達とペテロ」と言っているのが少
し奇妙ですが、これは、弟子達、とりわけペテロに、という意味でしょう。三度イエスを
否認したペテロが一番落ち込んでいたので、そのペテロに対する特別な配慮がその言葉か
ら感じられます。
 7節を省いて読むと、天使からイエスの復活を告知され、空の墓を指し示された女性達
が、びっくり仰天して墓を出て逃げ去り、震え上がり、正気を失った。そして誰にも言わ
なかった。恐ろしかったから、となります。しかし7節を入れて読むと意味がずれて来ま
す。「さあ、行って、弟子達とペテロに告げなさい…」と天使に言われた大切な復活のメ
ッセージを、女性達は天使の命令に背いて、誰にも言わなかったことになります。「恐ろ
しかったので…」、8節はこのように突然終わっています。9節以下は後世の加筆ですか
ら、マルコ福音書は8節で終わっているのですが、こんな形でこの福音書は完結している
のかそれとも最後の部分が失われたのか、論議されてきました。接続詞ガル(なぜなら)
で終わる文章は、極めて珍しいのです。恐らくその後に続くのは顕現物語であったが、そ
の部分のパピルスが何かの理由で失われたのではないか、と考えられます。
 弟子達が不屈の信仰に目覚めたのは、女性達の報告によって空の墓を見たからではなく、
復活のイエスに目見えたからでした。空の墓という奇跡の客観的な証拠が信仰を生むので
はなく、復活のイエスとの出会いという宗教的な経験が信仰を生むのです。復活のイエス
に出会って、弟子達も「復活」したのです。彼らはもう「盲目で無理解」な弟子達ではあ
りません。彼らは、聖霊の炎を内に秘めたキリストの使徒として、生まれ変わりました。
                 一九九三年 五月三〇日 聖霊降臨日礼拝

      「 ガリラヤへ行け! 」

 さあ、行って弟子たちとペテロに告げなさい、「あのお方は、あなた達より先にガリラ
ヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこで彼にお会いできるだろう」と。婦人たちは墓
を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも言わなかった。彼女
たちは恐れていた、何故なら。
                       マルコ福音書 16章7〜8節

 真正のマルコの記事は8節で終わっています。その終わり方が余りにも唐突なので、後
世の筆記者が方々から顕現物語を寄せ集め、9節以下に付加して結尾の形を整えました。
良質の写本はすべて8節で終わっています。何故こんな終わり方をしたのか、と学者たち
は議論を重ねてきました。ある者は、これで完結している。接続詞ガル(何故なら)で終
わる文章は珍しいが皆無ではない(ヨハネ13・13)と言います。アラム語を母語としてい
たマルコにとってギリシャ語は外国語でした。マルコのギリシャ語が全体的に稚拙である
ことも指摘されています。また、マルコの身に突発事故が起こってここで止めねばならな
かったという意見もあります。最も可能性があるのは、何らかの理由でその後の部分が失
われたという意見です。
 天使の出現と言葉に接して、女性達は驚き、恐れ、転げるようにして墓から逃げ出して
行く様子が、実にリアルに伝わってきます。人は予期せぬ出来事に接すると、驚き、恐れ、
戸惑うものです。彼女達にとって、天使の出現と、イエスの復活の知らせと、空の墓の指
摘は、異常な出来事でした。驚き、恐れるのは当然です。彼女達は幽霊を見た時のような、
奇怪な現象を見て、恐怖を感じたのです。イエスの復活の出来事は、人間の理解を超えた
奇跡なのです。
 神の御業は奇跡として表現されています。奇跡中の最大の奇跡が、イエスの復活です。
福音書の中のイエスの復活の記事には多くの矛盾があります。それを一元的に調和させる
ことは不可能です。復活の記事は一元的ではなく、多元的、多重的です。伝承の変化と発
展があるからです。宇宙の起源にはビッグ・バンがあったと言われていますが、私達はこ
れから新約聖書の復活の記事を詳細に調べて、キリスト教の起源のビッグ・バンまでさか
のぼって、イエスの復活の核心に迫りたいと思います。奇跡について、こういう説明はど
うでしょう。一次元(直線)の世界に生きている者は、横合いから何かが出てくれば、そ
れは彼にとって想像を越えた出来事です。二次元(平面)の世界しか知らない者にとって、
上からや下から何かが現われてくるのを見ると、それは彼にとって奇跡的な経験です。地
球上に生きる人間は三次元(立体的空間)の世界の中にいます。しかし地球の引力圏から
外へ飛び出した宇宙飛行士達は三次元的世界を超えた経験をするのです。「笑われるかも
知れないが、40歳を越した大人が、宇宙ではスーパーマンごっこをして大喜びするんだ。
宇宙では本当にスーパーマンと同じように空を飛べるんだからね」(ジェリー・カー)
地球の外側から地球を見た経験をもつ人間は、その人生観が変わらざるを得ないのです。
 イエスの復活は、人間の罪と死という現実に束縛されている私たちに、霊的、超越的な
世界を開示し、その中に私たちを招き入れてくれる福音なのです。「兄弟たちよ、君たち
が神に召されたのは、実に、自由を得るためである」(ガラテヤ書5・13) 罪と死の束
縛からの解放と自由は、復活と永遠の生命の確信の中にあるのです。
 マルコの考えに沿って今日のテキストを読むと、天使は女性たちに、イエスの復活の伝
言をもって弟子たちの所へ行ってそれを伝えること、イエスは弟子たちよりも先にガリラ
ヤに行っておられること、彼らはイエスに従ってガリラヤへ行き、そこで再会が果たされ
ること、を告げなさいと命じました。すると女性たちは驚きと恐怖に圧倒されて墓から逃
げ去り、正気を失っていたので天使の大切な伝言を誰にも伝えなかった、と言っているの
です。弟子達は皆、ゲッセマネの園でイエスが逮捕された時に、「イエスを見捨てて逃げ
てしまった」(14・50)のですが、女性たちは最後の墓場までイエスに従って来ました。
しかし彼女たちの努力もそこまでです。本物の信仰は、自分の力に挫折した後、天よりの
賜物として与えられるということがここで示されているのかも知れません。
 コリント第1書15章3〜5節に、原始教会の最古の信仰告白がありますが、その中に復
活のイエスの顕現の順序が記されてあります。「…ケパ(ペテロ)に現われ、次に12人に
現われた…」福音書によれば、復活のイエスの最初の目撃者は女性たちのはずですが、こ
の古い信仰告白では彼女たちは除外されています。マルコはその理由をここで示そうとし
たのかも知れません。
 「あなたの口で、イエスは主であると告白し、あなたの心の中で、神はイエスを死者の
中から甦らせた、と信じているならば、あなたは救われます」(ローマ書10・9) これ
も最古の信仰告白の一つです。神は地の塵からアダム(人間)を創造されたように、死者
の中からイエスを復活させられたのです。神の第二の創造の御業がイエスの復活によって
初められたのです。「聖書に『最初の人アダムは生きた魂(人間)と成った』と書いてあ
る通りである。しかし最後のアダム(イエス)は生命を与える霊(息、風、精神、神、霊
的存在者)と成った」(コリント第1書15・45) 私たちは最初の人アダムの末裔として
此の世に生きています。そしてそのままでは死と共に地の塵に帰るほかありませんが、復
活のイエスに出会って生命の息を吹き込まれるならば、聖霊の炎を内に宿した人間として、
新しい使命(イエスの復活の証人)に活かされる者に成るのです。
 復活のイエスに出会う前の弟子たちは「肉の人」でした。肉の人は霊的、超越的事柄に
対して盲目、無理解です。弟子たちはイエスの十字架の死によって、彼の教えも働きもす
べて空しいものに思えて、失意落胆していました。彼らは皆、イエスを見捨てて逃亡した
のでしたが、イエスは決して彼らを見捨てませんでした。イエスは彼らに復活の生命を授
けるために彼らをガリラヤへ急がせます。ガリラヤこそは出会いの場であり、活動の場で
ありました。ガリラヤでの、復活のイエスとの再会こそは、弟子たちにとっての「復活」
の機会となるのです。「最初に霊なるものがあったのではなく、自然なるものがあったの
です。その後、霊なるものがくるのです…」 (コリント第1書15章46節以下)
                   一九九三年 六月 六日 礼拝説教

      「ガリラヤでの再会」

 さて、十一人の弟子達はガリラヤに行き、イエスが命じた山に登った。そしてイエスに
会い、ひれ伏した。しかし疑う者もいた。イエスは歩み寄って来て言われた、「わたしは
天上と地上のすべての権威を授けられた。それゆえに、君たちは行って、すべての民を弟
子とし、父と子と聖霊の名においてバプテスマし、わたしが君たちに命じておいたすべて
のことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりに至るまで、すべての日々、君た
ちと一緒にいる」
                      マタイ福音書 28章16節〜20節

 マルコの記事によれば、ニサンの月の17日(日)の早朝、三人の女性達がイエスの墓を
訪ねると、既に墓の入口の大石が除けられており、墓に入ると天使に会った。天使は彼女
達にイエスの復活を告げ、さらに弟子達に「あのお方は、君達よりも先にガリラヤへ行か
れる。君達はそこで彼にお目にかかれる」と伝えるように命じる。しかし意外にも彼女達
は恐ろしさの余りそこから逃げ出し、天使の大切な伝言を誰にも語らなかった、というと
ころで突然に終っている。それは確かにガリラヤにおける復活のイエスと弟子達との再会
を示唆しているが、その出来事を報告していないのです。尻切れトンボのようでおかしい
のです。しかも最後の語が接続詞のガル(何故なら)なのです。素直に考えればやはり、
元来はそれ以下の記事があったのだが、何かの理由で最後の部分のパピルスが失われた、
と理解されます。それも早い時期に。マタイはすでにマルコ・テキストの失われた部分を
もっていなかったのですから。
 マタイは、マルコの空の墓の物語を受け継ぎましたが、大幅に変更させて、聖伝説らし
い物語にしてしまいました。イエスの墓の傍らで二人の女性達は天使から弟子達への伝言
を命じられます。すると彼女達は、恐れながらも大喜びで墓を立ち去り、弟子達の居場所
に走ります。すると不思議なことに途中で復活のイエスが現れて、「お早う」と挨拶され
ます。彼女達は近寄り、イエスの足を抱き、ひれ伏します。するとイエスは奇妙にも天使
と同じ内容のことを言うのです。「恐れるな。行って兄弟達に、ガリラヤに行け、そこで
わたしに会えるであろう、と告げなさい」10節。その後、女性達が弟子達の所へ行って、
天使とイエスから二重に命じられた伝言を告げると、弟子達は早速、ガリラヤに向かった
という記事は無くて、16節につながっているのです。いずれにせよマタイによると、ガリ
ラヤでの再会の伝言は、弟子達に伝えられたのです。
 16章8節で終る真正のマルコの記事には、復活のイエスの顕現物語はありません。9節
以下の顕現物語は、後世の筆記者が他の福音書から寄せ集めて結尾を整えた作品です。マ
ルコ福音書の結尾の失われた部分は謎ですが、ひょっとするとマルコは顕現物語を書かな
かったのかも知れません。墓で甦った後、イエスは直接天に挙げられて神的な権威を授け
られたとも考えられます。新約聖書の中で最も古い資料は50年代に書かれたパウロの手紙
ですが、それには顕現物語はありません。パウロは「主イエスを見た」(コリント第一書
9・1)宗教的経験を、「イエス・キリストの啓示」(ガラテヤ書1・12)とか、「神が
御子を私の内に啓示してくださった」(同1・16)と言っているだけなのです。復活の主
イエスとクリスチャン迫害者パウロとのダマスコ郊外での出会いを、ルカはドラマティッ
クに使徒行伝に三度(9、22、26章)書いていますが、それとても地上を歩む復活のイエ
スではなくて、光や声による天からの啓示なのです。毎度引き合いに出すコリント第一書
15章3〜5節の、原始教会の最古の信仰告白は、十字架と復活の出来事のあと間もなく出
来たものをパウロに伝えられたものです。「キリストが、聖書に書いてある通り私たちの
罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り三日目に起こされた
こと、ケパに見られ、それから十二弟子に見られたこと」 恐らくここまでが最古の部分
で6節以下の五百人以上の人々への同時的顕現と、ヤコブへの顕現、すべての使徒(十二
使徒以外の)への顕現、最後にパウロ自身への顕現は、5節までよりも新しい部分である
と考えられます。コリント第一書15章は、パウロが力を込めて書いた復活の記事ですが、
これは福音書にある聖伝説化された復活のイエスの顕現とは違って、復活の思想、復活の
神学を論じたものです。パウロは十字架と復活の福音を携えて地中海世界を駆けめぐった
のですが、その時パウロは福音書にあるような顕現物語を人々に語ったのではなく、彼自
身が復活の主イエスに出会ったこと、従って主イエスは確かに死者の中から甦って今も尚
生きておられること、それは既に旧約聖書に預言されていたものの成就であること、そし
て主イエスの復活によって新しい時代が到来し、終末の出来事が開始されたこと、そして
やがて間もなくキリストの再臨によって神の世界救済の計画が完成することを、福音とし
て宣べ伝えたのでした。
 11弟子達はガリラヤに行き、イエスに指定された山に登りました。山は神の啓示の場所
なのです(5章1節、14章23節、17章1節) 彼らはイエスに会い、ひれ伏しましたが、
ある者は疑いの心をもっていました。ここにはマタイの教会の状況が反映されているのか
も知れません。その後に疑いを解消させるような行為や説明はなく、イエスが歩み寄るこ
とによって疑っている者達の所に助けに来るという考えが語られています。
 「わたしは天上と地上のすべての権威を授けられた」 これはもう歴史のイエスの言葉
ではなく、復活体として地上を歩くイエスの言葉でもなく、天上から響き渡ってくる神の
権威をもった神の子キリストの言葉です。その権威によって弟子達は使徒として、世界伝
道に派遣されます。「君達は行って、父と子と聖霊の名においてバプテスマしながら、私
が君達に命じておいたすべてのことを守るように教えながら、すべての民を弟子とせよ」
全世界から見捨てられ、侮蔑され、十字架上に殺されたイエスが今、弟子達を全世界に遣
わして、福音を宣べ伝えさせるのです。「見よ、私は世の完成の日まで、すべての日々君
達と一緒にいる」 この約束の言葉は、使徒の時代、マタイの時代を通過して、今日の教
会に生きている私たちに向けられた慰めと励ましの言葉です。インマヌエル(1・23)に
してパラクレートス(ヨハネ14・16他)に成られた聖霊なるイエス・キリストが、信者を
守り、助けていて下さるのです。
                   一九九三年 六月一三日 礼拝説教