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マルコ福音書の研究

  「最後の晩餐の準備」

 除酵祭の第1日、即ち過越の小羊を屠る日、弟子達がイエスに尋ねた、「私達はどこへ行ってあなたが過越の食事をなさるための準備をいたしましょうか?」 すると彼は2人の弟子を使いに出して言われた、「都へ行きなさい。すると水瓶を持った男が君達に出会うだろう。その人について行って、彼が入る家で、そこの主人にこう言いなさい、"先生が言っておられます。私が弟子達と一緒に過越の食事をするための部屋はどこですか?"と。するとその人は敷物のしいてある、準備のできた二階の広間を見せてくれるだろう。そこに私達のための準備をしなさい」 弟子達は出かけて都に行ってみると、彼が言われた通りであるのを知り、過越の食事の準備をした。
                         マルコ福音書14章12〜16節

 マルコの日付によるとこれはニサンの月の14日(木)の出来事です。除酵祭と過越祭の関係について興味のある方は、先日山本れい子奥様から贈られた、山本七平著「禁忌の聖書学」の中の「過越の祭と最後の晩餐」の項目をお読み下さい。山本先生は古代の文献を駆使して、実に綿密に、そして興味深く、この問題を検証しておられます。
 エルサレムの住民と巡礼者達にとって14日は、その日の夕刻(ユダヤ人の1日は夕方から始まるので、すでに15日になる)に行われる過越祭の食事の準備のために忙しい日でした。律法によって過越の食事はエルサレムでとられなければなりませんでした(申命記16章7節) その部屋の準備は、住民にとっては問題ありませんが、巡礼者はどこかに部屋を見つける必要がありました。住民は部屋の借用を申込まれたら断れないことになっていました。そしてその部屋の貸し賃は、その日屠った子羊の皮以上の請求ができないことになっていました。部屋が見つかると、燭台、テーブル、ぶどう酒、種なしパン、苦菜、果物の砂糖漬け、水などを用意し、小羊か小山羊を買って神殿に行き、午後3時頃、過越の小羊を屠る時間に、掟に従った方法でレビ人によって屠殺してもらい、その肉を持ち帰ることになっていました。
 過越の食事の準備は家長の責任でしたが、代行も許されていました。14日の朝、弟子達がイエスに、「過越の食事の準備をどこで…?」と尋ねた時、イエスはすでにエルサレムの住民である弟子に話をつけておられました。そして2人の弟子を使いに出しますが、その時言われた言葉の調子と用語は、エルサレム入城の前にろばの子を調達する時のものとそっくりなのです(13節と16節を11章1〜2、4、6節と比較)
 「水瓶を持った男」 普通、水を運ぶのに男は皮袋を、女は水瓶を使いましたから、水瓶を持つ男は合図になります。彼が入る家の主人がイエスの弟子で、部屋の提供者です。このエピソードを語るマルコの意図は、子ろばの調達の場合と同様で、世の人々には知られていないが、イエスは神の子で、未来を予見する透視能力を持っておられ、イエスのお言葉通りにすべてのことが運ばれるのであると、読者に示しているのです。福音書の読者は幸いにも、メシアの秘密に与っているのです。
 マルコによると(マタイとルカも同様)、この紀元30年のニサンの月の15日の過越の食事が、イエスと弟子達の最後の晩餐になるのです。その夜、ゲッセマネの祈り、イエスの逮捕、最高法院での裁判、ペテロの否認があり、夜が明けると、総督ピラトの尋問、死刑の判決、十字架と死。16日が安息日で、17日朝、復活となります。
 しかしヨハネ福音書によると、1日の誤差が出てきます。「過越祭の6日前」(12・1)に香油の出来事が起こります。9日(日)のことです。「その翌日」(12・12)10日(月)にエルサレム入城。「過越祭の前のこと」(13・1)は、前日の意味で、14日(金)の夕食が最後の晩餐で、これは過越の食事ではありません。イエスが食事中に裏切りの予告をし、ユダにパン切れを浸して与え、「君がしようとしていることを今直ぐに行なえ」と言われると、弟子達はユダが金入れを預かっていたので、「祭に必要な物を買いなさい」(13・29)と言われたのだと思ったのです。これは過越の食事の前日の夕食でした。また、イエスをピラトの許へ連行した人々は、過越の食事をまだとっていませんでした(18・28)。ヨハネによると過越祭は15日(土)の安息日に当たるのです。するとイエスは14日(金)の午後に十字架につけられて殺されたのですから、その晩(15日になっている)の過越の食事は当然、召し上がらなかったことになります。
 この1日の誤差は、聖書学者の頭を悩ませている難問です。イエスはニサンの月の15日(金)(マルコ他)の過越祭の当日に死なれたのか、または14日(金)(ヨハネ)の過越祭の前日に亡くなられたのか。マルコの説の難点は、「祭の間はだめだ。民衆が騒ぎだすといけないから」(14・2)との権力者側の言葉です。彼らは祭の前に片付けてしまいたかったのです。歴史的事実を問う場合、マルコを基準に考えるのが常識ですが、この場合はヨハネ説が正しいとする意見の方が有力です。
 福音書の記者はいずれも、歴史的な事実の正確な記録を目的にしたのではなく、その読者にイエスの出来事が救いの福音であることを知らせることが目的でした。歴史は容器であり、福音は内容なのです。マルコが過越の食事を最後の晩餐として記した狙いは、出エジプトの古い契約を想起させる過越の食事に代わるものとして、イエスの血によって締結された新しい契約を記念するものとしての主の晩餐(14・24)を示すことにあるのです。ヨハネの思想はそれとは違って、イエスを過越の小羊(1・29、36)として示し、過越の小羊が屠られるニサンの月の14日の午後3時頃に「世の罪を取り除く神の小羊」は十字架上に屠られた、と告知しているのです。パウロも同じ考えです。「キリストは、私達の過越の小羊として屠られた」(コリント第一書5・7)
 ニサンの月の14日が金曜日に当たるのは紀元30年です。イエスは紀元30年のニサンの月(3、4月頃)の14日午後3時頃、十字架上で亡くなられました。マルコによるとそれは15日。その誤差わずか1日。二千年昔の一人物の死亡日時の誤差がわずか1日であるとは、実に驚くべき正確さであると言わねばなりません。
                       1992年9月6日 礼拝説教

  「まさかこの私では?」

 夕方になった時、イエスは12弟子と一緒に来られた。そして彼らが席に着いて食事をしている時、イエスは言われた、「アーメン、私は君達に言う、君達の中の一人、私と一緒に食事をしている者が、私を引き渡すであろう」 彼らは悲しくなり、一人一人彼に言い始めた、「まさかこの私では?」しかし彼は彼らに言われた、「12人の一人で、私と一緒に鉢の中に食物を浸している者がそれだ。人の子は、彼について書かれている通りに、去って行く。だが、人の子を引き渡すその人は禍いなるかな!その人は生まれなかった方がよかったであろうに!」
                         マルコ福音書14章17〜21節

 事件、事故、災難、難病の宣告などは、予期せぬ時に、突然襲いかかってきます。その時人々は口々に、「まさかこの私が!」と言います。まさに青天の霹靂。それにしても今年の夏は事件、事故、戦争、難民、飢餓、自然災害、異常気象のニュースが目白押しでした。「無事」を感謝しなければなりません。
 「夕方になった時」 ユダヤ人の一日は日没から始まりますから、すでにニサンの月の15日(金)の始まりです。この日にイエスは地上の御生涯を終えられます。
 「イエスは12弟子と一緒に来られた」理屈を言えば少々奇妙です。先遣隊として2人の弟子が過越の食事の準備のためにすでに都にいるはずですから、「10人と一緒に」と書かねばなりません。あるいはその2人は準備を終えた後、迎えに戻っていたのでしょうか。または「12弟子」というのは原始教会では慣用語になっていたのでしょうか(コリント第一書15・5) それとも「12弟子」と書くことによって、裏切り者のユダも一緒であることを暗示しているのでしょうか。
 「彼らが席に着いて食事をしている時」 ここではお祈りもしないで、もうすでに食事が始まっているようです。しかし22節にも「彼らが食事をしている時」と改めて書き出されており、その時「イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き」とありますから、過越の食事は22節から始まるわけです。学者はその重複を指摘して、17〜21節と、22〜26節は、元来異なっている伝承の断片をマルコが継ぎ合わせている、と説明します。ルカは、その継ぎ合わせがうまくないことに気付いて、その順序を逆にして文脈を整理しました(22章14〜22節)
 「アーメン、私は君達に言う」 ユダヤ教の学者の研究によると、こういう口調は他に類例がないそうです。するとこれはイエス独特の言葉です。イエスの雰囲気が感じられます。「特にあなたがたに言っておく」(協会訳) 「はっきり言っておくが」(新共同訳) 「まことに、あなたがたに告げます」(新改訳) それぞれ苦心して翻訳していますが、ここは「アーメン…」と言う、イエスの口調をそのままに残しておきたいと思います。
 「君達の中の一人、私と一緒に食事をしている者が、私を引き渡すであろう」 イエスは裏切る者が誰であるかを知っておられますが、あえて指摘いたしません。この言葉は詩篇41・9節が下敷になっています。「私の信頼した親しい友、私のパンを食べた親しい友さえも、私に背いて踵を上げた」人生で、信頼していた友に足蹴にされるほど辛く悲しい経験はありません。最後の食事の席でこの言葉を語るイエスの深い悲しみが弟子達と読者の心に伝わります。しかしこれはイエスが味わわなければならない苦い経験でした(ヨハネ 13・18) 神はその独り子に、その試練を課せられました。イエスは、御父を愛するがゆえにその試練に立ち向かわれました。これは人間的経験でありながら、それを超えた霊的、超越的な経験でもあるのです。
 「彼らは悲しくなり、一人一人彼に言い始めた、"まさかこの私では?"」 ユダを除く11人にとっては身に覚えのないことです。そんなことを言われても自分は潔白だと思って、平気でいられるはずです。しかし彼らは自信がないので、疑心暗鬼に陥り、イエスに保証を求めました。この確信のなさが、やがてペテロの否認となり、弟子達の逃亡につながります。この世の人間関係には、常にその脆さがつきまといます。特にユダの内心は穏やかではありません。マルコはここでユダに言及しませんが、マタイはユダに語らせています。彼は内心の動揺を押し隠し、他の弟子達と口調を合わせてイエスに問うています。マタイの記事で面白いのは、他の弟子達の言葉は「まさか私では、主(キユリエ)よ?」であるのに対して、ユダの言葉は「まさか私では、先生(ラビ)?」(26・25)と区別されていることです。伝承が発展する過程が読み取れます。
 「12人の一人で、私と一緒に鉢の中に食物を浸している者がそれだ」 テーブルの上に一つの鉢があり、その中につけ汁があって、各自が自分の食物をそれに浸して食べていたのでしょう。偶然その時、イエスとユダの手がその鉢の中に入れられたのかも知れません。マルコの記事では、依然として裏切り者が誰であるかが指摘されていません。それで、18節から20節へと、内容の進展がないように見えます。同じことを二度繰り返すことによって、内容の重要性が強調されているのです。18節と20節のイエスの言葉は、共に「同じ釜の飯を食った仲間」が、それほど親しい仲の者が、という意味の内容をもっています。
 「人の子は、彼について書かれている通りに、去って行く。だが、人の子を引き渡すその人は禍いなるかな! その人は生まれなかった方がよかったであろうに!」 21節は、この出来事の神学的な解釈が与えられているので、マルコの作文であると多くの学者は見ています。「マルコは人の子という概念でイエスの苦難と死と復活とを解釈している」(リールマン) 人の子の受難と死は8章31節以来告げられてきており、それは神の意志であり、人の子イエスはそれに服従することによって使命を達成なさるのです。しかしイエスの死が聖書に預言されているとはいえ、人の子を引き渡す者は、禍(ウーアイ)なるかな(ルカ17・1〜2) 彼はすでに呪いの下に置かれており、彼からは祝福が全く失われてしまっているのです。誰もがそうなる可能性をもっているのだ、とマルコは読者に警告しているのです。
                      1992年9月13日 礼拝説教

  「パンとぶどう酒」

 彼らが食事をしている時、イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き、彼らに与えて言われた、「取れ、これは私の体である」 また彼は杯を取り、感謝の祈りを捧げて、これを彼らに与えられた。すると彼らは皆、そこから飲んだ。それから彼は彼らに言われた、「これは多くの人のために流される私の契約の血である。アーメン、私は君達に言う、神の国で新しく飲むかの日まで、私はぶどうの実からなるものを二度と再び飲むことはない」 マルコ福音書14章22〜25節

 マルコの日付によるとこれはニサンの月の15日(金)の過越の食事です。それが、イエスと弟子達との最後の晩餐になりました。過越の食事では家長が司式者になり、先ず第一の杯を取り、「ぶどうの実を造り給う世界の主、我らの神ヤハウェは讃むべきかな…汝の民イスラエルに喜びと記念のために祭の日を与え給いし世界の王、我らの神ヤハウェは讃むべきかな」と讃美し、一同がその杯を飲みます。きっとこの時にルカが記している言葉がイエスの口から発せられたのかも知れません。「私は苦しみを受ける前に、君達とこの過越の食事をすることを切に待ち望んでいた」(22・15)
 次に第二の杯を飲み、前菜と小羊の肉が出て本格的な食事が始まりますが、その時家長は種なしパンを手に取り、これを祝福して言います、「見よ、これはエジプトの地で我らの先祖が口にした苦しみのパンである。すべて空腹な者は来たりて食べよ、すべて貧しき者は来たりて過越の祭を祝え」そしてパンを裂き、一人一人に手渡します。イエスはこの時に、「取れ、これは私の体である」と言われました。これはイエスが語られたそのままの言葉である可能性が強い。マタイはマルコと同じ言葉を記しています。(26・26) パウロは「(傍点始まり)これは(傍点終わり)君たちのための(傍点始まり)私の体である(傍点終わり)。私を記念するためにこれを行いなさい」(第一コリント書11・24)と書きました。これはコリント教会で聖餐式が混乱しているのを知らされた時、パウロが正しい守り方を教えている時の言葉です。「君たちのための…私を記念するため…」という言葉が付け加えられています。オリジナルは「これは私の体である」です。ルカはパウロの言葉と殆んど同じ言葉を記しています。(22・20) マルコとマタイの記す歴史のイエスの言葉が、パウロとルカとでは聖餐式用に拡大されているのです。私の体とは、私自身であるという意味です。イエスはパンを手に取って裂き、弟子の一人一人に手渡して、「取れ、これは私自身である」と言われたのです。つまり、このパンを食べる者はイエスの共同体に属している者であり、イエスはその共同体の主である、という意味です。英語のコンパニオンという言葉の語源は「パンを共にする仲間」です。その共同体がカンパニーです。聖餐において、ザ・コンパニオンが主イエスであり、ザ・カンパニーが教会なのです。これをヨハネ福音書の言葉で言えば、「私は君達に新しい戒めを与える。君達は互いに愛せよ。私が君達を愛したように、君達も互いに愛せよ。もし君達の間に愛があれば、それによって君達が私の弟子であることを、すべての人が認めるであろう」(13章34〜35節)です。イエスから一人一人に手渡されるパンは、イエスの愛なのです。そしてこの愛のパンは、無限に増殖されるのです(マルコ6章37〜44節) 私達はパンの奇跡に驚くよりも、奇跡の「パン」に感謝すべきなのです。
 人間はパンを食べて生きています。他人(ひと)のパンを奪うことは悪いことです。自分のパンを食べることは当り前の行為です。しかしパンを分け合うためには、心の中に愛が必要なのです。現在飢えている人々は世界中に沢山います。特にソマリアとエチオピアが悲惨です。しかし今、世界中で最も欠乏しているのはパンでしょうか、それとも愛でしょうか。先日ロシアのエリツィン大統領の訪日が中止になりました。ロシア側に多くの問題があるとはいえ、日本側に隣人の苦境に対して、もう少し愛と同情があったならば、もっと違う展開になったのではないか、と惜しまれます。
 第三の杯が注がれます。その時イエスは杯を取り上げて、「これは多くの人のために流される私の契約の血である」と言われました。「多くの人のため」という言葉は、「彼は多くの人の罪を負い、咎ある者のために執成しをなせり」(イザヤ書53・12)という「苦難の僕(しもべ)」についての言葉が下敷になっています。「契約の血」は、契約書における署名捺印にあたります。昔シナイ山で、ヤハウェとイスラエルの民が契約を締結する時、モーセは祭壇を築き、雄牛を殺し、燔祭に捧げて、その血を鉢に入れ、血の半分を祭壇に振りかけてから契約の書を取り、民に読んで聞かせました。彼らがそれを聞いて、「私達は主が語られたことをすべて行い、守ります」と誓うと、モーセは血の残りの半分を民に振りかけて、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいて君達と結ばれた契約の血である」と言いました(出エジプト記24章) こうして主なる神とイスラエルの民は契約関係に入りましたが、その事跡を踏まえて、イエスは今父なる神とイエスの共同体との間に、新しい契約を締結させようとしておられます。そしてその新しい契約書には、イエス御自身の血によって署名捺印されるのです。私達が聖餐のぶどう酒をいただく時、十字架の愛を味わい、これを受け入れるのです。「神とその教会との契約は、教会のためイエスが死なれたという基盤の上にのみ成り立つ(10・45)ということである。そして、イエスはこの会食の数時間後に十字架上で死なれたという事実が、当初からこの会食及びそこで語られた言葉に一つの光を与えていた」(E・シュヴァイツァー)
 「アーメン、私は君達に言う、神の国で新しく飲むかの日まで、私はぶどうの実からなるものを二度と再び飲むことはない」これが今生の最後の杯であり、次の杯は神の国での再会の時に祝おうぞ! 紀元70年の神殿崩壊後、離散のユダヤ人達が過越の食事の最後に、「来年こそはエルサレムで!」と一斉に叫び声を上げるように、私達も聖餐に与った後、「あなたの御国が来ます様に!」と祈りつつ、主の日を待望して生きるのです。「終末論的共同体は、礼拝共同体となったのである」(マルクセン)
                      1992年9月20日 礼拝説教

  「人間の真実・神の真実」 (1)

 それから彼らは讃美を歌った後、オリブ山へと出て行った。イエスは弟子達に言われた、「君達はみな躓くであろう。それは"私は羊飼いを打つ、すると羊達は散らされる"と書いてあるからだ。しかし私は復活した後、君達に先立ってガリラヤへ行く」するとペテロが彼に言った、「たとえ皆の者が躓いても、私だけは躓きません!」 イエスは彼に言われた、「アーメン、私は君に言う、今日、今夜、君は鶏が2度鳴く前に、3度私を否認するであろう」 しかしペテロは力を込めて断言した、「たとえあなたと一緒に死なねばならぬとしても、私は決してあなたを否認することはありません!」 他の者達も同じ様に語った。
     マルコ福音書14章26〜31節

 9月21日の新聞に、日本共産党の野坂参三氏(百歳)が名誉議長職を解任されるという記事がありました。その理由は、1939年、スターリンによる粛清旋風の最中に、ソ連に亡命中の野坂氏が山本懸蔵という同志党員をスパイの容疑で国際共産党(コミンテルン)に密告し、そのために山本氏が処刑されたことが旧ソ連の秘密文書の公開によって明らかにされたからというものです。野坂氏の裏切り行為が咎められているのです。当時の深刻な状況を深く考慮に入れての解任の決定でしょうか? 悔い改めの余地を残さないのでしょうか? 「罪なき者が先ず石を投げよ」(ヨハネ8・7) 現在の日本共産党員は完全無欠な党員ばかりなのでしょうか? 同じことが太平洋戦争中の軍部に協力的もしくは黙従していた牧師やクリスチャンにも問われています。いわゆる戦争責任の問題です。過去の裏切り行為が絶対に許されないのならば、あの過越の夜のユダばかりでなく、イエスを三度も否認したペテロも、逃亡してしまった他の弟子達も皆、使徒職を解任されなければなりません。人間の真実はそれほど強固なものでしょうか? 聖書は人間の弱さを底の底まで知っています。殆んどの場合、神の裁きよりも人間の裁きの方が厳しいのです。「主よ、主よ、汝もしもろもろの不義に目を止め給わば、誰かよく立つことを得んや。されど汝に赦しあれば、人に恐れ畏まれ給うべし」(詩篇130篇)
 「主に感謝せよ、主は恵み深く、その憐み、永遠に絶ゆることなし」 過越の食事はハレル(讃美)の後半(詩篇115〜118)を歌って終わります。それから真夜中頃、イエスの一行は外に出て、オリブ山の麓のゲッセマネの園に向かいます。その途中でイエスはふと立ち止まり、「君達はみな躓くだろう」と言われました。その根拠は、「私は羊飼いを打つ、すると羊達は散らされる」(ゼカリヤ書13・7)と預言されているからです。躓くとは、イエスに対する信仰を失ってしまうという原始教団の用語でした。これは間もなく現実となる弟子達の逃亡という出来事に対するイエスの預言なのです。ユダに手引きされた神殿警察の一隊にイエスが逮捕される時、弟子達は一人残らずクモの子を散らすように逃亡してしまうだろうというのです。イエスと弟子達との運命は、旧約聖書の預言によって決定されているというのです。それでは弟子達の離反の罪は、彼らの意志とは関係がなく、従って彼らには責任がないことになってしまいます。
 「原始教団はこのゼカリヤの言葉をその文脈から引き離して、イエスと弟子達の上に生じたことに関する預言の言葉として理解した。神がこの出来事を旧約聖書において預言されたとすれば、彼はそれを予め決定されていたのである。そのことによって弟子達がイエスを見捨てた出来事は、その最も鋭いトゲを抜かれたことになる。弟子達の躓きもまた神の意志を満たすことであったのである。この脱落は決してイエスの敗北ではない。彼はこの出来事を予め知っていたのである。教団はゼカリヤの言葉をこのようにキリスト教的に解釈して、イエスの口に置いたのである」(ヘンヘン) 恐らく「君達は皆躓くであろう」は歴史のイエスの言葉で、それ以下のゼカリヤの預言の成就を語った個所は原始教団の説教者の言葉ではないか、と私は考えます。
 福音書に書かれている以上に、現実は危機的であったに相違ありません。信頼していた弟子の一人に裏切られ、他の弟子達はすべて逃亡してしまい、若干三十数歳で十字架上に刑死したイエスは、この世の権力者との闘いで決定的に敗北したのです。
「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給いし?」 これがマルコが記したイエスの最後の言葉でした。この時点で、世の権力者側は勝利し、イエスは敗北したのです。しかし神はイエスを死者の中から復活させ給うた。その復活のイエスとの出会いを経験した弟子達が、イエスの大逆転の勝利を確信して、イエスが主であり、キリストであり、神の子であると信仰を告白したのです。イエスは果して敗北者であったのか、それとも勝利者であるのか、ここに信仰の有無の分岐点があるのです。その復活の福音信仰をもった最初の弟子達が、イエスの勝利の理論的根拠を旧約聖書の言葉の中に探し求めたのです。最初の弟子達はユダヤ人であり、伝道の対象も最初期はユダヤ人でしたので、聖書の預言の成就ということが説得力をもっていたのです。
 そういうわけでイエスが逮捕された時点では、弟子達は自分の身を愛するあまりにイエスを見捨てて逃亡したのであり、罪を犯したのです。信仰よりも恐怖が弟子達の心を支配し、逃亡という行為に駆り立てたのでした。
 「しかし私は復活した後、君達に先立ってガリラヤへ行く」28節。神が羊飼いなるイエスを打つ。すると羊の群れである弟子達が散らされる。しかし神はイエスに復活の生命を与えられる。そして復活のイエスは弟子達に先立ってガリラヤへ行き、そこで弟子達と再会し、彼らに新しい使命、全世界のすべての被造物にキリストの福音を宣べ伝える使命を授けられる。これが神のプログラムであり、神の真実であると、マルコ福音書は語っているのです。「神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の生命を得るためである」(ヨハネ福音書3章16節) 人間の真実は挫折しますが、神の真実は貫かれるのです。
                      1992年9月27日 礼拝説教

  「人間の真実・神の真実」 (2)

 イエスは弟子達に言われた、「君達は皆躓くであろう。それは"私は羊飼いを打つ、すると羊達は散らされる"と書いてあるからである。しかし私は復活した後、君達に先立ってガリラヤへ行く」 するとペテロが彼に言った、「たとえ皆の者が躓いても、私だけは躓きません!」 イエスは彼に言われた、「アーメン、私は君に言う、今日、今夜、君は鶏が二度鳴く前に、三度私を否認するであろう」 しかしペテロは力を込めて断言した、「たとえあなたと一緒に死なねばならぬとしても、決して私はあなたを否認することはありません!」 他の者達も同じように語った。
                         マルコ福音書14章27〜31節

 「要するに、教会は逃亡したのです。教会は闘いませんでした。皆が逃亡しました。日本基督教団だけを責められません。私の父親(辻啓蔵牧師)も、もっと果敢に闘ってもらいたかったと思います。彼は刑務所で死にましたけれども、本当は刑務所になんか入りたくなかったし、そこで死にたくなかったんだと思います」(「嵐の中の牧師たち」辻宣道著)。「君達は皆躓くであろう」というイエスのお言葉は、先の大戦中の日本においても真実でした。そして今日においても、それは真実です。
 「しかし私は復活した後、君達に先立ってガリラヤへ行く」28節。27節で弟子達の躓きと離散が語られ、28節でイエスの復活と再会の希望が語られています。27節と28節をこのように読むと具合がよいのですが、学者は28節に疑いをかけています。「この節はルカによって省かれており(22・31〜34)、ファユーム断片にもこの節に当たるものがない。28節は16章7節と対応しており、その両者共復活の主のガリラヤ顕現を示すために後でマルコに付加されたものであろう。…疑問視される点は、29〜31節において、あたかも28節の言葉が発言されなかったかのように物語が進行していることである。同じことが16章7節でも言える…」(インタプリターズ バイブル)
 つまり28節は文脈から浮き上がっているのです。27節でイエスが「君達は皆躓くであろう」と語られると、あたかも28節の言葉が発言されなかったかのように、29節でペテロが「たとえ皆の者が躓いても、私だけは躓きません」とイエスに答えています。16章7節の場合も同様で、6節で若者(天使)が女達に「驚かぬがよい。あなた達はイエスを探している。十字架につけられたあのナザレ人を。彼は甦り、ここにはおられない。見よ、人々が彼を葬った場所を」と語ります。すると女達は次に続く若者の命令、「(傍点始まり)行って彼の弟子達とペテロに言いなさい(傍点終わり)…」(7節)が全然聞こえなかったかのように、「そこで彼女達は外へ出て墓から逃げた。というのは戦慄と驚愕が彼女達を捉えたからである。そして(傍点始まり)誰にも言わなかった(傍点終わり)。恐ろしかったからである」(8節)と記されています。つまりここでも7節を省くとつながりがよいのです。女達は天使の出現と言葉にびっくりして逃げ出し、その恐ろしい経験を誰にも話さなかったというのです。しかしそこに7節を置くと、女達は天使の命令を聞いてもその通りにしなかったことになります。しかしマタイが語る女達の反応は全然異なります。「女達は、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、(傍点始まり)弟子達に知らせるために走って行った(傍点終わり)」(28・8)
 マルコは(16章9〜20節を後世の付加として取り除くと)14章28節と16章7節以外に復活のイエスの顕現を記しておりません。マタイは復活のイエスのガリラヤ顕現を語っています(26章32節、28章7、10、16〜20節)。それでマルコの14章28節と16章7節は、マタイから移植されたものと考える学者もおります。ルカは復活のイエスのエルサレム顕現を語り、ガリラヤ顕現には沈黙しています。ヨハネは、エルサレム顕現(20章)とガリラヤ顕現(21章)の両方を語っています。
 「たとえ皆の者が躓いても、私だけは躓きません!」29節。この言葉にペテロの本領が発揮されています。ペテロは本気でそう言ったのです。普通の師弟の関係なら、この言葉を受けた人は喜ぶはずです。「ああ、可愛いいことを言ってくれるなあ、皆の者もペテロを見習いなさい」。しかし意外にもイエスは突き離すように語りました。「アーメン、私は君に言う、今日、今夜、君は鶏が二度鳴く前に三度私を否認するであろう」30節。「鶏が鳴く前」とは、「鶏鳴時」(13・35)を指しているのかも知れません。つまり燃え立つペテロに、イエスは水を浴びせたのです。するとペテロも負けていません。「たとえあなたと一緒に死なねばならぬとしても、決して私はあなたを否認することはありません!」 ここに人間の真実と神の真実が激しく衝突して、火花が散っています。ペテロにもイエスにも、一片の甘えさえもありません。両者は真実を賭けて激突しているのです。甘えん坊の日本人の人間関係にこの人格対人格の衝突が見当たりません。くっつくか離れてしまうかのどちらかです。
 イエスはなぜ水を差されたのか。ペテロの生一本の熱意に危険を感じられたのだと思います。生一本の情熱ほど危険なものはありません。それは肉の力なのです。統一教会やエホバの証人などの新興宗教の指導者達は、信者の生一本な情熱に油を注いでうまく利用しています。それは盲目的な力です。「天皇陛下のためならば、なんで命が惜しかろう」と歌っていた人が、戦後は闇取引の商人になって、何の恥じる所もありませんでした。「統一教会よりも激しく根強い宗教が日本にある。企業教である。"会社のため"を信仰の原理とするこの宗教は、信者を犯罪にさえ走らせる」(佐高信) 企業教は拝金(マモン)教です。そのエネルギー源は、盲目的な生一本の情熱です。
 人間的な肉の力では、十字架まで主に従って行くことは不可能です。「心は熱しているが、肉体が弱いのである」(14・38)。 生一本の情熱に燃え立つペテロに水を浴せかけたのは、イエスの愛でした。ペテロは徹底的に打ち砕かれなければ、本物のペテロ(岩)に成れなかったのです。神は燃え立つばかりの肉の情熱をお用いにならず、一度、徹底的に打ち砕かれ、謙遜にされた後の、静かに力強く燃える霊的炎を、聖なる祭壇のためにお用いになるのです。
                      1992年10月4日 礼拝説教

  「ゲッセマネの祈り」  (1)

 それから彼らは、ゲッセマネと呼ばれている場所に来た。そしてイエスは弟子達に言われた、「私が祈り終わるまで、ここに座っていなさい」 そして彼はペテロとヤコブとヨハネを一緒につれて行かれたが、恐怖と不安に陥った。そして彼らに言われた、「私の魂は死ぬばかりに深く悲しんでいる。君達はここに留まり、目を覚ましていなさい」 それから彼は少し先へ行き、地にひれ伏して、できることならこの時が過ぎ去るようにと祈り、そして言われた、「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい」 マルコ福音書14章32〜36節

 昨10月10日に、大場ちよ姉の召天1周年記念会を鎌倉霊園で行ないました。「去る者日々にうとし」と言われていますが、主に在って眠った人々は私達にとって増々身近な存在になっております。昨日は又、山本れい子奥様の一行がイスラエルへ旅立たれました。山本七平先生の御遺骨の一部を、先生が愛してやまなかったエルサレムに埋葬するためです。「わが骨を聖地に埋めよ」。 これは信仰の一つの証です。
 ニサンの月の15日、過越の祭の真夜中に、イエスと11人の弟子達がエルサレムの城門を出て、ケデロンの谷を渡り、オリブ山の麓にあるゲッセマネと呼ばれている場所に来ました。ゲッセマネとは「油しぼり」という意味で、オリブの実から油をしぼっていた場所でした。現在その場所には8本のオリブの老木があり、イエスがそこで祈られたと言われている石灰岩の上に教会堂が建てられています。ルカによると、そこは「いつもの場所」(22・40)でした。イエスは弟子達に「私が祈り終わるまで、ここに座っていなさい」と言われ、その中からペテロとヤコブとヨハネの3人の親しい弟子達をつれて更に奥へと進まれました。それからイエスは恐怖と不安に陥り、その3人に「私の魂は死ぬばかりに深く悲しんでいる」と言われました。これは意外な言葉です。それまでマルコは力強く活動する人の子イエスを描いてきました。悪霊を追放し、病気を癒し、荒ぶる波風を静め、権力者の顔を少しも恐れず、大胆に語り、勇敢に行なうイエスでした。ガリラヤからエルサレムへ向かう道で三度も受難を予告し、弟子達にも「十字架を負ってついて来い」と命じられたイエスでした。しかしここには私達と同じように、死を前にして恐怖と不安におびえる弱いイエスの人間的な側面がさらけ出されています。
 「私の魂は死ぬばかりに深く悲しんでいる」 この言葉には詩篇42篇5節と6節、43篇5節の言葉が下敷になっています。「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか? 何ゆえ私のうちに思い乱れるのか?」 死を願うほどの深い悲しみとは何でしょうか? それはイエス御自身のほかに誰にも理解できないものでしょう。しかし敢えて解釈すれば、8章31節以来告げられてきた神の「ねばならぬ」の結果であろうと思います。神の御意志と信じて語り行なってきたイエスが、この世の政治的、宗教的権力と衝突し、この世の勢力に粉砕されてしまうのです。神の義を求めるイエスにとって、これほど深い悲しみはないでしょう。更にマルコはこの言葉を記すことによって、迫害と困難の中にいるマルコの教会のクリスチャン達に対して、イエスが彼らと共に苦難を受けておられることを知らせて、信仰の道を貫ぬくように励ましているのです。今日の日本と世界の情況の中に置かれている私達も又、その中に神の義を求めれば求めるほど、魂が重くうなだれ、心が思い乱れることを経験いたします。イエスの十字架は、今日の世界の真直中に立てられているのです。それで信者達は、「目を覚ましていなさい」と告げられているのです。これはすでに13章33〜37節で告げられていたことです。イエスの思いをもってこの世の中に生きていれば、世の人々と共に浮かれ騒ぐわけにはいかないのです。
 「私の魂は死ぬばかりに深く悲しんでいる。君達はここに留まり、目を覚ましていなさい」と3人の側近の弟子達に告げられ、イエスはお一人で更に奥へと進んで行かれました。初めに8人を残し、更に3人を残し、最後にお一人で神に近づくという三段構えは、神殿の構造を連想させます。神殿の境内の内側にはイスラエルの庭があり、その奥に祭司の入る聖所があり、一番奥に大祭司だけがそこに入って神に祈りを捧げる至聖所がありました。ゲッセマネの園こそ、イエスにとって聖なる神殿でした(ヨハネ4・21) するとそこで祈るイエスは全人類の大祭司です。「この大祭司は、私達の弱さに同情できないお方ではない…大祭司は、自分自身も弱さを身に負うているので、無知な者、迷っている者を思いやることができるのである。…キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるお方に祈りと願いとを捧げ、その敬神のゆえに聞き入れられたのである」(ヘブル書4章、5章) 大祭司イエスは、ご自分の民の弱さと罪に連帯して、その代表者として、神に赦しを乞うのです。そうするとイエスの魂の深い悲しみは、人の世の罪に対する深い悲しみであったことが分かります。私達も主の民として、イエスの深い悲しみに連帯しているのです。「神のみ心に添うた悲しみは、悔いのない救済を得させる悔い改めに導くが、この世の悲しみは死を来たらせる」(コリント第二書7・10)
 「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です」 アバはアラム語でお父様と言う意味ですから、「アバ、父よ」は重複です。「アバ」は呼びかけの言葉で、「父よ」は説明語です。イエスは単に「アバ」と言われたのです。「"アバ"という祈りの呼びかけは独一のものである。これはイエス御自身の祈りの言葉にさかのぼるものであろう。これを教団は受けつぎ、その後も彼の名において用いたのである(ローマ書8・15、ガラテヤ書4・6)。われわれの知る限り、イエスの前にも後にも、こういう父の呼び名で神に祈りを捧げたユダヤ人は一人もいない」(E・シュヴァイツァー) このように親しみと愛情をこめて、用事が父親に呼びかけるように、イエスは神に呼びかけるのが常でした。
                     1992年10月11日 礼拝説教

  「ゲッセマネの祈り」 (2)

 それから彼は少し先へ行き、地にひれ伏して、できることならこの時が過ぎ去るようにと祈り、そして言われた、「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい」 それから彼は来て、彼らが眠っているのをごらんになり、ペテロに言われた、「シモンよ、君は眠っているのか? ひと時も目覚めていることができないのか? 君達は目を覚まして誘惑の中に陥らぬように祈りなさい。霊は欲しているが、肉は弱いのだ」 それから彼は再び立ち去り、同じ言葉で祈られた。そして再び来て、彼らが眠っているのをごらんになった。彼らの目が重く、彼らは何とお答えすべきかを知らなかったからである。それから彼は三度来て、彼らに言われた、「さあ、眠れ、そして休め。充分だ。その時が来た。見よ、人の子は罪人達の手に引き渡される。立て、さあ行こう。見よ、私を引き渡す者が近づいてきた」
                         マルコ福音書14章35〜42節

 ゲッセマネの物語は、共観福音書中の最も特徴的な物語の一つです。「他の物語はどれもこの物語ほどひとつひとつのイエスの心の動きと態度を描いてはいない。他の物語はどれもイエスの祈りをこのように記してはいない」(ローマイヤー)
 この物語と史実との関係が先ず問題です。3人の内弟子達はどのようにしてイエスの祈りの言葉を聞くことができたのでしょうか。イエスと彼らとの間の距離は、「少し先へ行き」(14・35)とマルコにはあるだけですが、ルカはもっと具体的に「石を投げて届くほどの距離」(22・41)と記しています。しかしいずれにしろ、弟子達は一日の披露と過越の食事の後の満腹感で眠りこけていたのですから、イエスの祈りの言葉を聞いてそれを後世に語り伝えるための証人としては失格です。これは微妙な問題です。この時のイエスの祈りをマルコは、35節に間接話法で、36節に直接話法で、重複して記しています。一体誰が36節のイエスの祈りの言葉を聞いてそれを書き残したのでしょうか。その時、証人になれるほどの人が誰もいなかったとすれば、これはマルコか、他の人の創作でしょうか。福音書の記事は史的事実と信仰的な説話とが混じり合っているのです。そしてその両者がマッチして大切なことを私達に伝えているのです。この関係について、イギリス人聖書学者H・G・ウッドの説明は見事です。「イエスは、"引き渡し"の重荷を担う助け手として、3人の親しい弟子達を身近かに連れてきた。その弟子達は、イエスの祈りの言葉を聞けるほどには身体的に近くにいなかったかも知れない。けれども彼らは後に、その場面を正しく解釈できるほど、霊的にイエスのみそば近くにいたのに違いない」
 ゲッセマネの園の中の弟子達はイエスの証人としては失格者でしたが、後に復活の主に出会って、主から直接、その祈りの言葉を伝えられ、それが福音書に書き記されたに違いありません。十字架と復活を経験した後に、イエスの生涯を改めて見直す時に、イエスのお言葉や行為の真意が明らかにされたのです。そのことが可能になるのは、聖霊によるのです(コリント第一書12章1〜3節) イエスの死後、天からの聖霊を受けた後に、無理解な弟子達の霊の目が開かれて、キリストの真実を理解できるようにされたのです。私達が今日聖書を読む時も、助け主(パラクレートス)なるイエスが身近かにいまして、御言葉の解釈をして下さらなければ、決して福音の深い真理に到達することはできません。しかし復活の主が教えて下さる時には、私達の「心が内に燃える」経験をするのです(ルカ福音書24章25節以下)
 「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯を私から過ぎ去らせて下さい」 愛する御父は全能の神です。その全能の御父が愛子(あいし)イエスを十字架の試練に引き渡そうとしておられるのです。イエスはその試練を前にしてたじろいでいます。「この苦杯を私から過ぎ去らせて下さい」とは、台風がそのコースをそれて直撃をまぬがれるように、向こうからやってきた十字架が、イエスの傍らを過ぎ去るようにして下さいという意味です。イエスは死を恐れています。これは単に肉体的に死ぬことが怖いということ以上に深い意味があります。ヘブライ人イエスは、死によって神との交わりを絶たれることを恐れた(詩篇30篇、88篇)とも思われます。あるいはイエスがそれまで宣教してきた神の国の福音=神の御業が、イエスの十字架の死によって挫折してしまうことを恐れたとも考えられます。
 「しかし私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい」 イエスは生死の瀬戸際に立たされて深刻な願いをもって御父に祈っておられますが、その決定を神の御手に委ねるのです。自分の意志ではなく、究極的には神の御意志が行なわれることが最善と信じるところから、この祈りの言葉が出てきます。「あなたの御意志(みこころ)が行なわれます様に」とは、主の祈りの言葉と同じです。先日、観音信仰に生きる86歳の老婦人と語り合いました。彼女は「解脱(げだつ)」という語をよく使いましたので、私は感想を述べました。「解脱とは自由ということです。釈迦は生老病死の束縛からの自由を求めて終に、悟りによってそれを得られたのです。その自由を私達の言葉で言えば、"あなたの御意志(みこころ)が行なわれます様に"というのです」 彼女は一瞬戸惑いましたが同意されました。自らの運命を神の御手に委ねることが、クリスチャンの自由なのです。
 「シモンよ、君は眠っているのか? ひと時も目覚めてはいられないのか?」 つい先頃、「私だけは躓きません! 決してあなたを否認いたしません!」と大言壮語した強いペテロは、今まどろんでいます。十字架を前にしてたじろぎ恐れた弱いイエスは、御自分の運命を御父の手にゆだねて力を受け取ります。イエスはゲッセマネの園で祈り求めたものを得られず、避けたかったものを与えられました。苦難の杯を取り去られることを求めましたが、それを飲み干す信仰を与えられました。誠に十字架こそはイエスの生涯の完成でした。「わたしは弱い時にこそ、わたしは力強い」(コリント第二書12章10節)とは信仰の逆説であり、極意なのです。
                     1992年10月18日 礼拝説教

  「ゲッセマネの祈り」 (3)

 アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい。
                           マルコ福音書14章36節

てんにいます おんちちうえをよびて おんちちうえさま おんちちうえさまと となえまつる いずるいきによび 入りきたるいきによびたてまつる われはみなをよぶばかりのものにてあり
 詩人八木重吉はこの詩の下に「1925年 大正14年2月17日より われはまことにひとつのよみがえりなり」と書きました。詩人はこの単純な祈りの中に、一つの奇跡=新しい自分の誕生を見ているのです。そしてその根源は、イエスの「アバ、父よ!」の祈りの中に見出されるのです。私達が造り主なる神に向かって、「父よ」と呼びかける時に、一つの奇跡=復活が自分の内部に起こっているのです。
 「アラム語で"アバ"と言えば、父親に対する親愛感に満ちた呼びかけであった。イエスの時代のユダヤ人達はこれを肉の父に対して用いてはいたが、神に対する呼びかけとして適用したことは殆んどなかった。イエスが神に対してもこのように呼びかけたこと、従って子供が肉の父親と語る態度そのままに神と語られたこと、そこにイエスの画期的な新しさがあり、それは彼が神との比類を絶した親密な交わりに生きていたことの一つの表れでもある。そしてイエスのエクレシア(教会)がおのれの主のもち給う子としての地位に自らも共に受け入れられたという自覚を抱いたことに応じて、父に対するイエスの呼びかけの言葉も、そのままエクレシアの祈りの出発点となった」(パウル・アルトハウス) 以上のことを一言でいえば、遠い神が、イエスにおいて近い神にされた、ということです。至上の天にいます聖なる神、古代イスラエル人が「いと高き神」と呼び、ギリシャ人が「超越者」と呼んだ神が、イエスにとっては最も親愛なる「アバ=お父様」であったのです。これはイエスの人格の最も不思議な所です。「汝の神ヤハウェの名をみだりに口にあぐべからず、ヤハウェはおのれの名をみだりに口にあぐる者を罪せではおかざるべし」と十戒で禁止されていたユダヤ人はその戒めを厳密に守ったあまり、神の名の発音の仕方を忘れてしまったほどでした。彼らは神を固有名詞で呼ぶことを避けて、その代わりに「主(アドナイ)」と呼んでいました。彼らにとって神は、畏れ恐るべき神でした。そういう宗教的、社会的伝統と環境の中に生まれ育ったイエスが、肉の父母よりも近く慕わしい人格として神を「アバ」と呼んでおられたのは、ひとつの不思議です。
 人間活動の様々な分野で、確かに「天才」と呼ばれる少数の人々がいます。そういう意味で、イエスが御父との間にもたれた関係は天来のものであったに違いありません。それはイエスにのみ相応しいことで、他の人間が言えばおかしく感じるものです。イエスは生まれながらにして神の子である、と信じられる由縁です。「マルチン・ブーバーは、第一に自然との人格的な交わりに生きた人としてゲーテを上げている。自然はゲーテに向かって絶えず話しかけ、自分のすべての秘密を明かに示す。これに対してゲーテも全人格を上げて応答し、一つ一つの花や事物に向かって"あなた"と呼びかける。だからゲーテのような人に対しては、自然界のすべての元素が友愛のうちに一つになって、生と死との静寂に向かって、一緒になって進んでくれるのである。第二に人と人との真の交わりに生きた人として、ブーバーはソクラテスを上げる。ソクラテスは出会うすべての人々と対話の生活を始めて止まない。裁判官達の前でも、死の獄屋の中でもすべての人に向かって話しかけ、全人格を上げて相手の人との交わりにあって生きるのである。第三に、永遠の"あなた"である神との全人格的交わりに生きた人として、ブーバーはイエスを上げている。イエスは絶えず自分に呼びかけてくる父なる神に向かって、その息子としてこれに全人格を上げて応答し、この交わりによって与えられた霊の励ましをもって、まわりの具体的な隣人に愛の呼びかけを行なう。するとイエスの身辺には、至る処に真の人格的な結ばれ合いの交わりが成立し、人々はイエスによって"あなた"とされ、真の人格へと蘇生せしめられてゆくのである」(「ブーバー研究」小林政吉著)
 「父(アバ)よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる場所に一緒にいるようにして下さい」(ヨハネ17・24) 神の子としてのイエスの座の周囲に、クリスチャン達が座るのです。本来、神から最も遠くにいた異邦人であり、罪人であった私達が、十字架と復活の福音によって、神の子達とされるのです。「君達は、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っている。即ち、主は富んでおられたのに、君達のために貧しく成られた。それは君達が、彼の貧しさによって富む者と成るためである」(コリント第二書8・9) マルチン・ルターはこれを「喜ばしき交換」と呼びました。イエスが私たち罪人の罪を引き受けて神の裁きを受ける。それが十字架の意味です。そして私達の罪を清算し、私達を聖なる者として神の子の座にすわらせて下さる。それが復活の意味です。私達は、イエスの十字架と復活の出来事の中に、罪人としての私達の死と、神の子としての私達の復活とを見出してゆくのです。
 「すべて神の御霊(みたま)に導かれている者は、神の子である。君達は再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、養子の霊を受けたのである。その霊によって、私達は"アバ、父よ!"と叫ぶのである」(ローマ書8章14〜15節) イエスは恐るべき十字架を前にして恐怖と不安に陥り、地面に倒れ伏して、「アバ!」と呼びかけ、御父に祈り求めましたが、御父の導きを信頼し、すべてを御手に委ねた後、すっくと立ち上がり、弟子達に向かって、「時が来た。見よ、人の子は罪人らの手に引き渡される。立て、さあ行こう。見よ、私を引き渡す者が近づいた」と言われました。私達はここに祈りの力を見ています。そして私達も又、主イエスの霊に励まされて、「アバ、父よ」と祈ることが許されているのです。この祈りによって私達はいかなる運命をも乗り越えて進むことができるのです。
                     1992年10月25日 礼拝説教

  「ゲッセマネの祈り」 (4)

 それからイエスは三度来て、彼らに言われた、「さあ、眠れ、そして休め。充分だ。その時が来た。見よ、人の子は罪人達の手に引き渡される。立て、さあ行こう。見よ、私を引き渡す者が近づいてきた。          マルコ福音書14章41〜42節

 最初、ゲッセマネの祈りの学びは一度で通過するつもりでおりましたが、それが2度、3度となり、3回目が終わってもまだ何か語り足りないものを感じて、終に4回目になりました。「予定は未定にして決定にあらず」とはよく言ったもので、特に聖書の学びは聖霊の導きの下に行なわれるものですから、最初の計画通りにはゆかないものです。
 「ゲッセマネの祈りの物語は、福音書における最も感動的でドラマティックな物語である。それは伝説のしるしを帯びているように見える。即ち、3度の祈り、3人の弟子達の許への3度の回帰、ペテロの3度の否認、十字架上の3時間の苦悩、墓の中の3日間」(インタープリターズ・バイブル) 3は完全数で、聖書の中で最もよく使われている数字の一つです。
 イエスはゲッセマネの園に着いた時、弟子達に「私が祈り終わるまで、ここに座っていなさい」と言われ、ペテロとヤコブとヨハネの3人の最も信頼している弟子達を連れて奥へ進まれました。そのとき「恐怖と不安に陥り」、その3人に「私の魂は死ぬばかりに深く悲しんでいる。君達はここに留まり、目を覚ましていなさい」と言われ、更に少し先へ行って、一人で祈られました。「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい」。それから3人の許へ戻ってみると、3人共眠りこけていました。その時イエスはペテロに対して、「シモンよ、君は眠っているのか?ひと時も目覚めていることができないのか?」と問われました。その言葉は数時間前にペテロが大胆に言い張った言葉に対応しています。「たとえ皆の者が躓いても、私は躓きません。たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、決してあなたを否認いたしません」(14章29〜31節) ペテロの誓いの言葉はここで脆くも崩れ去ってしまいます。それからイエスはまた立ち去って祈りの場に戻り、先程と同じ言葉で祈り、そして再び3人の許に来てみると、彼らはまだ眠りこけていました。そしてもう一度その往復をくり返して、3度目には、「さあ、眠れ、そして休め。充分だ」と言われました。それまでは「眠らずに、目を覚ましておれ」と命じたイエスが今度はそう言われたのです。イエスは祈りにおいて連帯してくれることを弟子達に期待されたのですが、彼らはその期待に応えることができず、イエスはお一人でその試練に直面しなければならないと、その時決意されたのだと考えます。イエスの孤独の深さ、彼を取り囲む暗闇の濃さが強調されています。
 「その時が来た」 これは「できることならこの時が過ぎ去るようにと祈り」(35節)の「時」です。つまり過ぎ去るように祈った「その時」がイエスに来てしまったのです。神の決定はイエスの祈りによって変更されなかったのです。そしてイエスは、神の決定に同意されました。「私の意志ではなく、あなたの御意志を成らせて下さい」イエスは神の子として、御父の手に自らの運命を委ねられたのです。
 「見よ、人の子は罪人達の手に引き渡される」 この場合の「罪人」は、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(2・17)の「罪人」とは異なります。その場合、掟を守って社会的に尊敬されていた人が「正しい人」でその反対に、掟を守ることができず、「地の民」と呼ばれて社会的に差別をうけ、疎外されていた人が「罪人」と呼ばれており、イエスはそういう人々の所へ入って行って、彼らの友となられたのです。しかしこの節で言う「罪人」は、イエスの敵対者という意味です。彼らは9章31節では「人々」と言われ、10章33節でははっきりと「祭司長達や律法学者達」と指摘されていた者達で、ここではその性格が「罪人達」として明瞭にされています。この世で尊敬されていた宗教的、政治的権力者達が、罪人と断定されているのです。彼らは「人の子の引き渡し」を受ける者達です。
 「立て、さあ行こう。見よ、私を引き渡す者が近づいてきた」 人の子の引き渡しを受ける者と並行して、「人の子を引き渡す者」、即ちイスカリオテのユダについては14章10節以来語られてきました。そして今、案内人ユダを先頭に、松明をかかげ、短剣や棍棒をもって近づいてくる群衆を見ながら、こう言っておられるのです。
 受難物語では、「引き渡す」という語が鍵になっています。ギリシャ語でパラディドゥミといいますが、これは、引き渡す、配達する、委ねる、売り渡す等という意味をもっています。マルコはユダを悪者扱いしていません。ユダはただイエスを敵側の手に引き渡す役割を果たしているだけなのです。ユダが自分の判断によって師イエスを敵側に引き渡すのですが、その行為を通して、実は神が、救いの御業をなし遂げるために、イエスを引き渡させられたのです。使徒パウロが主の晩餐について教えた言葉に「主イエスが、引き渡される夜」(コリント第一書11・23)とありますが、ユダによってとも、神によってとも解釈されます。実際の行為者はユダでしたが、それによって神の御意志が行なわれたのです。「御自身の御子をさえ惜しまないで、私達すべての者のために死に引き渡されたお方が…」(ローマ書8・32)。ここでははっきりと、神が私達の救済のために御子を死に引き渡された、と言われています。そして更に、「私が今肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を引き渡された神の御子の信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ書2・20)とパウロは告白しています。ここではイエスが積極的に、御自身を十字架に引き渡されたというのです。ここにゲッセマネの園で起った出来事の奥義が明らかにされています。即ち、イエスは神の御意志に"然(しか)り"と同意されたのです。その決意が弟子達を促す言葉に表われています。
 「立て、さあ行こう!」 準備完了。 十字架に向かって、出発進行!
                      1992年11月1日 礼拝説教

  「裏切りの接吻」

 すると直ぐに、まだイエスが話しておられた時に、12人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老達が遣わした一群の人々も剣や棍棒をもって一緒に来た。イエスを引き渡そうとしていたユダは、彼らに予め合図を教えて言っておいた、「私が接吻する人が、その人だ。彼を捕らえて、確りと引いて行け」 そして彼は来ると、直ぐにイエスに歩み寄り、「先生(ラビ)」と言って、接吻した。人々はイエスに手をかけて逮捕した。               マルコ福音書14章43〜46節

 ゲッセマネの園は、ケデロンの谷とオリブ山麓の間の狭い場所です。しかしその場所がこの出来事のために、全世界の人々に注目されてきた歴史的な場所になりました。場面は静から動へ、祈りの場所から逮捕の現場へと一変します。そしてその逮捕劇のクライマックスが、裏切りの接吻です。キリストのドラマは、神と人間の物語です。
 「見よ、私を引き渡す者が近づいてきた」(42節) イエスの目に、神殿の丘からケデロンの谷を下り、オリブ山の上り道をたどってくる松明の列が映っています。やがて、「12人の一人であるユダが進み寄ってきた」。ここでもユダを「12人の一人」と説明することによって、裏切りに対する恐怖感を強めています。親しい者、身近な者が裏切るのです。特殊な事件でありながら、人間共通の事柄でもあります。ペテロは単純な性格で、思っていることを直ぐに言葉に出してしまい、イエスに誉められたり叱られたりいたしますが、ユダは複雑な性格で、イエスの歩みに対して自分の賛成も反対も表明せず、対話も交わさず、心の内を明かさず、反抗の徴(しるし)すらも表わさずに密かに敵側に通じていたのです。ユダは政治家、外交官、役者に成れる人間です。
 「祭司長、律法学者、長老達」。大相撲で言えば「三役の揃い踏み」です。この連中がユダヤ国会(サンヘドリン)の代表者であり、逮捕劇の黒幕でした。彼らが「一群の人々」を差し向けましたが、それはただの群衆ではなく、神殿の警備隊でした。彼らはあたかも強盗を捕り押さえるかのように物々しく短剣や棍棒をもって迫ってきます。ヨハネ福音書にはローマの一部隊もこれに参加したように記していますが、それはなかったでしょう。ユダヤ当局は民衆にもローマの官憲にも知られることを恐れて(14・2)、内密にイエスを始末しようとしていました。ヨハネはこの事件を公式なものにしようとして話を拡大しているのです。
 「イエスを引き渡そうとしていたユダ」。この言葉は、42節の「見よ、私を引き渡す者が近づいた」に対応していて、ユダの役割が強調されています。彼は予め引き渡しの手筈を整えて、人々に教えておきました。接吻がその合図です。これは本当にユダが考え出した手段でしょうか。ユダを悪賢い男として描き出すために原始教会の中で生まれてきた伝説でしょうか。マルコの創作でしょうか。様々な議論はありますが、決め手はありません。確かなことは、原始教会の中でこの物語が定着していたという事実です。挨拶としての接吻は、律法を学ぶ生徒が教師に対して行なっていた礼法でした。また、原始教会の信徒の間でも行なわれていました。「互いに清い接吻をもって挨拶を交わしなさい」(コリント第一書16・20)。しかし接吻を交わす者同士の心に、愛と尊敬が必ずあるとは限りません。「愛する人の与える傷は忠実さのしるし、憎む人は数多くの接吻を与える」(箴言27・6) 偽りの接吻に関して、旧約聖書に2つの例があります(創世記33・4、サムエル記下20・9) しかしユダがイエスに与えた接吻ほど見事な裏切りの実例を私は知りません。シーザーを暗殺した時のブルータスの抱擁もこれには及びません。
 「彼は来ると、直ぐにイエスに歩み寄り、"先生"と言って、接吻した」 接吻するというギリシャ語はフィレオーと言います。これには愛するという意味もあります。情愛の仕種が接吻です。マルコはここで、愛情をこめて、幾度も幾度も、熱烈に接吻するカタフィレオーという語を使っています。この場合の他にカタフィレオーはルカ7章38、45節、15章20節、使徒行伝20章37節に使われています。いずれも感動的な場面です。この場合、ユダはイエスを確りと抱いて、幾度も接吻したのです。表面的には深い愛情をこめて、心の中では、「これがヤツだ。間違えるな。確り捕えて逃がすでないぞ!」と叫んでいるのです。それに対してイエスは沈黙しています。深い沈黙。
 マタイは、ユダとイエスに会話をさせています。「ごきげんよう、先生(ラビ)!」 「人よ、君が来た目的を果たしなさい」 イエスのユダに対する語調は、冷ややかです。普通「友」という場合、ギリシャ語でフィロス(友、味方、仲間)と言いますが、この場合はヘタイロス(同志、同僚)です。これは目上の者が目下の者をたしなめる場合に使われています(マタイ20章13節、22章12節)。この場合「友よ」と訳しては親し過ぎます。「男よ」と言っては突き離し過ぎます。「ねえ君」ぐらいが丁度よい所です。一つの共同体に属していながら、親愛の情を感じていない者に対して使う語のようです。「イエスは、ユダの偽りに御自分から一撃を与えられた。ここには、その偽りに対するに接吻や親愛の挨拶は無かった。ユダはやってきた目的に取りかからねばならない。イエスはユダがイエスに行なったことを、喜んで苦しまれる。しかし、ユダが隠しているその外見には耐えられない」(シュラッター)
 ルカの描くイエスは、ユダに接吻の機会を与えません。接吻しようと近寄ってきたユダに対して、イエスは「ユダよ、君は接吻をもって人の子を引き渡すのか?」(22・47〜48)と問いかけています。
 最も力強いのがヨハネの描くイエスです。ユダを先頭に、ローマ軍の一部隊と神殿警察隊が武器をもって近づいてきた時に、イエスは進み出て、「誰を捜しているのか」と問いかけます。「ナザレのイエスを」と彼らが答えると、「私である(エゴー・エイミー)」(神顕現の定式、出エジプト記3・14)とイエスが言われます。すると彼らはその言葉の権威に打たれて、後ずさりして、どっと地面に倒れます(18・3〜6)。イエスの伝承はこのように発展していますが、私にはマルコの描く沈黙のイエスが、最も感動的です。
1992年11月8日 礼拝説教